1)言葉は会話や情報伝達の道具である。その一方で相手方を攻撃する武器ともなり得る。ある言葉が情報伝達という善意の意味を持つのか、混乱を誘う武器として投げられたのかは、直ちに判断できない場合がある。
多くのイデオロギー的言葉にはその両面の意味がある。つまり、諸刃の剣である。例として、人権、民主主義、環境保護、動物愛護、男女同権(女性参画)、平和(和をもって尊しとなす)などが挙げられる。
例えば、人権という言葉が出た瞬間に、それに平伏す人たちがいる。また、人を支配するための道具として用いる人たちもいる。嘗ての社会党や社民党、そして、現在の民進党の一部の人たちには、その両方のタイプが同床異夢状態でいたし、現在も存在すると思う。
勝間田清一という人は、ソ連共産党のスパイであった。この件、ウイキペディアの記事を参照してもらえばわかることである。したがって、彼の日本における非武装中立論という理想論は、日本国に突きつけられた刃であったことになる。
https://www.youtube.com/watch?v=GWP4eoseFMU
一般民衆には、このような言葉を武器として用いるということが理解できない場合が多い。それが、これらの美しい言葉が強力な武器となりうる理由である。平和や人権は崇拝の対象であっても、武器として用いられようとは夢にも思わないのである。
2)理想論の反対は現実論である。理想論でノーベル賞をもらったのが米国のオバマ大統領であるなら、あまりにも理想論から遠いと思われて国際的に非難されているのがフィリピンのルテルテ大統領である。
そのルテルテ大統領が明日日本を訪問する。暴言で知られ、フィリピンのトランプと言われている。しかし、私は相当な戦略家だと思う。単なる暴言吐きでは一国の大統領にはなれない。彼がオバマ大統領に対して暴言を吐いたことは非常に印象的である。本音が出てしまう性格は政治の世界では損であるが、人民の支持を得るには得である。その損得には境界があり、全く本音を言わない人は民主主義の国では一流の政治家になれないと思う。
ルテルテ大統領が米国大統領に暴言を吐いたのは、オバマ大統領をはじめとして国際世論が、麻薬常習者などに対する超法規的殺害を人権無視として非難したことに対する反感が原因だろう。「人権」という言葉は、法治国家としての体裁を整えた国において意味のある言葉である。その前提が揺らいでしまっているとしたら、その国の指導者の政策にたいして「人権無視」という言葉で攻撃するのは、先進国の傲慢である。
民主主義という刃を突きつけられたアラブ諸国の混乱は記憶に新しい。その代表は、リビアのカダフィ大佐だろう。彼の善政についてはサイトを引用しておく。http://www.relnet.co.jp/relnet/brief/r12-269.htm その視点でシリアのアサド大統領を見ると、シリアの混乱の責任をアサド大統領の暴政に帰するのは無理があるとわかる。
3)ルテルテ大統領の話に戻る。彼のオバマ大統領に対する態度の裏に、彼の強引な麻薬撲滅運動に対する批判の他に、もう一つの理由があると思う。それは、米国が南シナ海に進出する中国にたいして、ふさわしい時期に何ら具体的な対策を取らなかったことだと、私は想像している。中国に南シナ海の岩礁に空港建設を許したあとで、自由の航行作戦なんて馬鹿げているとの思いだろう。
中国という大国に隣接して生きる小国の一つであるフィリピンには、取れる戦略は限られている。オバマ大統領の政策を見て、中国と真正面から対峙することは無理であると悟ったと思う。それが最近の中国との和解であり、オバマ大統領に対する暴言のもう一つの理由であると思う。
オバマ大統領は、理想論を掲げることで、米国を世界から徐々に後退させていった。その次の大統領は、現実論を掲げて世界の多極化やむなしという政策をとるだろう。安倍総理はそれをすでに計算に入れていると思う。ロシアとの和平もその一環だろう。「国後と択捉は日本固有の領土である」という愛国心を刺激する言葉は、(米国の干渉で)日本の勢力の一部が仕掛けた罠であると気づくべきである(補足1)。
補足:
1)日本国の外交は、対北朝鮮では拉致問題に、そして対ロシアでは4島一括返還論に、対韓国では竹島問題と慰安婦問題に、対中国では尖閣問題により”拉致”されている。東京裁判を批判するにも拘らず、自分ではあの戦争を総括しないで残した過去の自民党政府の負の資産であると思う。
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