2016年10月17日月曜日

日本は民主主義国家か? 国民と国家の関係を今こそ一から考えるべき

1)民主主義国家は、現在の先進国における標準的国家体制であると考えられている。しかし、民が主(あるじ)の国家などこの世に存在するだろうか?米国や日本など多くの先進諸国は、本当に民が主の国だろうか。

民主主義国家になる前に国民国家の実現という段階を踏むケースが普通である。ここで国民国家とは、領域内の人間(奴隷は除く)を全てまとめて国民として統治する国家である。「国民国家とは何か」という論文が最近になっても発表されるくらいだから難しい議論はあるだろうがhttp://www.mt.tama.hosei.ac.jp/~ssbasis/what_is_a_natio_state.pdf、そのような議論は後の問題として、今回は上記定義をそのまま用いる。ただし、国民国家とは国民が自国への帰属意識を持つことが必要条件であると思う。

国あるいは日本国という場合、それは国土と諸財産、日本国民とその文化、日本政府を含む継続的で総合的な存在である。また、国家とは政府を中心とする国の現政治体制、国民とは日本国籍の人である(補足1)。国民国家には、国民と国家の関係によっていろんなタイプが存在する。民主主義国家は、国民が主(あるじ)である国民国家と言える。しかし、独裁者が支配する場合もあるし、一部の人間(例えば官僚組織)が支配するケースもある。明治以降の日本は、だいたい後者の国家形態であったと思う(補足2)。

昭和前期以前の日本は、その支配層の中心に天皇がいた(大日本帝国憲法第1条)。大正末期に民本主義とか大正デモクラシーなどといった国民の圧力で、天皇の臣下として国家を形成する人たちを、国民が選挙で選ぶという訳のわからない体制を導入せざるを得なくなった。国家は、ここで治安維持法を作って中和をしたのだが、それは中和を超えて反動となったと思う。革命を経ないで民主主義国家を実現しようというのは、甘い考えだろう。

2)戦争に負けた日本は、国民に甚大な犠牲があったのだから、そして従来の支配層には統治する資格が完全に無くなったのだから、一から国民主権の国家再建ができてもよかったと思う。しかし、米国占領軍とその手下として働いた自民党主流派政府は、戦争を含む昭和初期の歴史を清算せず、従来通りの支配層を温存して中途半端な国家を作った。

その結果、日本国民一般には戦争で被害を被ったという意識はあるものの、自分たちにもある筈の戦争責任の感覚は消滅し、自分たちが新しく国を造るという意識は消え失せた(補足3)。その結果、白井聡著の「永続敗戦論」にあるように、日本国が第二次大戦での敗戦を事実のままには受け入れず、ズルズルと拒否する状態を作り上げた。(補足4)http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43011728.html

そして、現在の自民党主流派は、過去の大日本帝国の時代の日本の再建を考えているのではないかとさえ疑われる。何故なら、彼らが作った憲法改正草案には、天皇を国家の元首とすると同時に、日本国軍を創生すると書かれているからである。

そのことに反対の意思を真っ先に示されたのは、他ならぬ今上天皇だったと思う。それは、国民への「早期退位を希望する」というメッセージの中で、象徴天皇という言葉を繰り返し用いられたことで推察される(補足5)。天皇という地位は、飛鳥奈良時代はともかく、平安時代から現代まで時の実力者に利用される存在だったのである。明治以降の実力者とは薩長の下級武士が作った支配層である。現在もその末裔が政府を作っている。(その体制を守るため卑怯にも、選挙制度の中に憲法違反をしてでも大きな一票の格差を置いている。https://news.nifty.com/article/domestic/society/12198-71996/

現政府は、天皇の上記意思をなるべく国民が知ることにならないように情報を操作し、「老齢故に公務が多くて負担になるので退位したい」という形で小さく閉じ込めるようにしていると疑う。

3)国家の基本は、国民の命と財産を守ることである。国民国家では、全ての国民が自国防衛のために働かなければならない。更に民主国家では、自国防衛の責任は完全に国民自身に存在する。その結果、若い時期に国に命を捧げる義務、つまり徴兵の義務、を負う。それが当然の義務であると考えるには、それにバランスする感覚として、国民の間にナショナリズム(国への帰属意識)がなければならない(補足6)。

個人にとって、自分の生命、行動の自由、言論や思想の自由などの権利保持が大切である。それら全てを失う可能性のある兵役が、国家の制度としてスムースに入り込むのは困難なことである。その義務感とナショナリズムを国民が持つことが可能になるとすれば、相応する歴史的体験の共有、或いは(教育を通して)それが国民の永続的記憶としてなければならない。

多くの民主主義を標榜する国家にそれがあるのだろうか?例えば、我が国にはそのようなものは現時点ではほとんどない(補足7)。それを作る機会が先の大戦の直後にあったが、近代史を教育から除外して、戦後も継続的に旧来の支配層が(米国の助けを借りて)その地位に就き続けるという欺瞞的行為を隠している。

憲法改正をして自国軍を持つことは、兵士が集まらなければ徴兵制を敷くことになるのだから、政府はその国民的合意を作らなければならない。それには近代史の総括とそれによる新しい国家作りをして、国民主権を国民全員で確認しなければならない。それをせずに、ごまかせばなんとかなるという考えでは、今度こそ日本国は滅び消滅することになるだろう。ごまかしの手段に天皇陛下は利用するのは罪である。また、衆愚政治に訴えるのも醜悪である。政府自民党は、その二つを利用しようとしているように思える。

=== 以上、素人の考えですので、間違いなどあればご指摘ください。====

追補:上記は民進党など既成野党が政権を担えるとは言っていません。彼らよりは安倍政権の方がよほどましだと考えています。

補足:
1)ここでの国家は、国家財政という場合の国家の意味と同じ。その資産には、日本国民や日本企業などの私有資産は含まれない。また、ここでの「国民」にはその国への帰属意識がなければならないと思う。戦前の朝鮮や台湾を併合した大日本帝国は国民国家とは言えないだろう。
2)国民国家でない国家とは、ヨーロッパ貴族が複数の民族を支配したような国家だろう。
3)広島原爆ドームにある「安らかにお眠りください。過ちは二度と繰り返しませんから」の文章がしばしば議論される。過ちとは一部支配層に暴走を許したことである。「原爆を落としたのは米国なのだから、自分たちが謝るのはおかしい」という批判が右寄りの人に多いが、彼らは何もわかっていない。この「二度と過ちは繰り返しませんから」は、今後は自分たち国民一般が政治の主人公になるという約束である。しかし、それを許さなかったのが、米国占領軍とそれに協力した自民党主流派である。
4)敗戦の結果千島列島はソ連に取られた。“取られた”を“盗られた”という権利くらいは日本にある。しかし、敗戦を事実のままに受け入れれば、北方4島は日本固有の領土などと言う非現実的なことは言わなかっただろう。米国は、尖閣諸島の領有権には明確な姿勢を示さないが、択捉や国後を日本の領土と明確に言うのは、日露間に楔を打ち込むためである。
5)憲法上、天皇は政治に関与できない。したがって、天皇のご意志を汲み取るには、発言されるに至った経緯を含め精緻な分析を要すると思う。
6)最近では徴兵制がなくなった国も多いが、それは国内に貧困層をつくることで兵の調達に苦労しなくなったからだろう。例えば米国では、大学教育に多額の金がかかって貧民層からは大学教育を受ける道がない。そこに、兵役につくと奨学金がもらえるという理由で、比較的容易に全国民に義務を課さないでも集めることができるという。
7)明治維新をあげる人もいるだろうが、それは日本国民となる人たちの体験ではない。明治維新は、薩長などによる天皇を擁したクーデターのあと、おそらく外国の書いたシナリオに沿って進められたと思う。国民のほとんどは政治への参加意欲はなく、戦後にもその意欲が育たず、現在でも被支配層のままである。被支配層にあるのは被害者意識だけである。

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