昨夜のNHKニュースによると、世界大学ランキングが発表され、日本の大学がベスト200の中から3大学落ちて、残るのは東大と京大のみになったという。この大学ランキングは、elsevier社(学術雑誌の出版社)のデータを元に大学の評判なども加味され計算されたもので、なんの権威もない。https://www.timeshighereducation.com (ここのRanking参照)
文科省の人と大学を経営している人は気になるだろうが(補足1)、そんな意味のない変化に一喜一憂するより、自分の国のそして自分の大学のレベルアップ考えて、それを地道に実行すべきであると思う。
そう言ってみても、日本の大学が米国の有名大学よりレベルが低いのは確かなので、改革すべきであることには変わりはない。改革は簡単で、大学の運営を大学自身に任せて、補助金を10年か20年ほどの期間内に全廃するだけでよいと思う。大学だけ社会主義社会のままにおいて、改善が進むはずがない。もちろん、その金のかなりの部分を奨学金として、優秀だが経済的困難のために大学等に進学できない人に与えればよい(補足2)。
大学のレベルが低いのは、日本社会のすべてに関係する共通の原因、つまり日本文化の特異性にある(補足3)。つまり日本は入口社会であり、出口社会ではないということである。大学について具体的に説明する。日本の大学は入学することが大事であり、あと就職の時期まで適当に単位を取ればよいという、教育大陸から就職大陸への移動ボートのような施設である。海に落ちなければよいのだ。大学を法人化し、更に大学院大学という名前に変えて、何が変わったのだろうか?文科省の関係者に一文を新聞などに載せてもらいたい。理事としての天下り先が増加したことと、何かと不自由になったことくらいだろう。
日本社会が入口社会であるという特徴は、先の大戦の時の軍隊の階級にも、更に戦後の官僚たちの出世にも言えるという。例えば、東大法学部を卒業して財務官僚(大蔵官僚)になる人の地位は、公務員一種試験(昔の公務員上級甲種試験)を何位で合格したかで、30年後の次官人事まで決まると、青山繁晴氏が指摘している。https://www.youtube.com/watch?v=JaPmp1xoCEw (最後の方)それは、各省も同様だという(補足4)。
つまり、講義の充実や、輩出する人材をいかに磨くかなどの努力がなされていない日本の大学が、世界ランキングで低く評価されて当然なのだ。
因みに、日本が幕末から明治にかけて近代国家の基礎を奇跡的に造ることができたのは、薩長などの下級武士たちが実権を握り、身分(人生の入口)制度をほぼ完全に破壊したからである。しかし、日本ではその後入口がすべてを決めるという制度が復活して、再び転落の危機にある(補足5)。
補足:
1) 予算獲得時のヒヤリングに影響するので、気にするだろう。
2) 大学を完全に私立にすれば、大学の淘汰がおこる。なぜなら、授業料が高騰して大学に入るメリットが相対的に減少し、大学進学率が減少するからである。大学進学率の減少は、統計的には優秀な大学卒業生の数を増加させる。。(柯隆氏が日本記者クラブでの講演で指摘している。 https://www.youtube.com/watch?v=lbSMgEU2pwA)更に、不要な大学教育をしないので、不足している若年労働力が増加するだろう。
ただ、大学の私立化は、文科省の理事としての天下り数の減少につながり、官僚たちは反対し、政治がまともに機能しない日本では、すすまないだろう。
3) 西欧と比較しての特異性である。グローバル化といっても、その本質は欧米の文化の拡大であるから、欧米文化と懸け離れた日本文化は特異ということになる。
4) この種の発言を引用すると、必ず例外をあげて反論する人がいる。しかし、青山氏は本質論をいっているのである。
5) 入口社会の原因は、内部での競争を避ける文化が原因である。原因分析などは簡単であり、方々で行われているだろう。
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