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2015年10月13日火曜日

SEALDSのデモやユネスコを利用した国際的デモ:

SEALDSのデモやユネスコを利用した国際的デモ: 明確な意思をもった少数の隠れた結束はおそろしい

政治デモは、ある主張においてマイナーな政治勢力が自分の主張を世に問う際、街頭に出て視覚的に大衆に訴えることである。民主主義でオープンな社会である現代日本では、その様な方法で政策を国政などに反映しようとするグループは、所詮マイナーな勢力であることを十分知っており、組織的に感情に訴える方法をとる。民主主義社会の現代日本では、誰でもインターネットで自分の主張を論理的に冷静に訴えることができる。従って、街頭で行うデモの多くは国民全体の視点で見た場合、有害無益であると思う。(補足1)

インターネットで自分の考えを訴えるには、その資料を、冷静に文章を中心に作らなければならない。もちろん、動画で語りかける様に訴える方法もあるが、少なくとも訴える側とそれを受け取る側で、同じ感情が相互作用的に巨大化するという現象はない。

最近の日本のSEALSを名乗る人たちが、安倍内閣の安全保障法案を潰すために、国会前などで激しいデモを組織した。その際、「戦争をさせない」とか、「憲法9条を守れ」とかの短い標語をあげていただけで、そして、間断なく出されるシュプレヒコールは感情に訴えるだけで、当然のことながらそこには論理などない。現代のデモは、政治思想を共有するものがあつまって何かを訴える様子を、テレビを巨大なスクリーン付き拡声器として利用し、1億3000万人と3000人との間の壁を大衆の錯覚を利用して越えようとする行為である。

1億という数字は、数字に過ぎず視覚の対象ではない。3000人を目の前にすれば、その巨大な圧力は数字を圧倒する。目の前の無関心な人たちを含めた総数の人間とその3000人を無意識に比較して、国民の世論としての大きな位置をテレビで見る人の頭に誤って植え付ける。一部反日勢力は、それを利用して小さい火種を大きな火事にしようと扇ぐ。

明確な意思をもった人の隠れた結束ほど、おそろしいものはない。少数といえども、烏合の衆の中の禿鷹の様に、国家を破滅の方向に導くかもしれないのだ。全国ネットのテレビを抱き込めば、そして、新聞を支配すれば、その計画は実現する可能性が高くなる。

昨日報道された、従軍慰安婦とか南京大虐殺とかを利用してユネスコで宣伝する世界的な政治的企みも、規模が世界的という意味で新しいタイプの国際世論誘導である。世界記憶遺産に登録するというが、それは遺産ではなく、現在進行形の反日の政治活動である。世界経済の限られたパイを分配する人数を減らすために、ヨーロッパの一部勢力と中韓が結託して、ユネスコを丁度朝日新聞の様に利用しておこなわれているのだ。日本政府は、全力をあげてこの企みを失敗させなければならない。

補足:
1) 表現の自由などは当然確保しておくべきである。多くの政治デモは無益であるとの認識を持つことは、本当に我々の想像を超えたデモ、デモ以外に方法がない主張のデモを守ることにもなる。

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