今年も途中からNHKの大河ドラマを見ている。吉田松蔭の妹を主人公にした明治維新のころの歴史ドラマである。それを見た成果は、幕末史を考えるきっかけになったことである。
前回の放送では、萩の乱(1876年)のころを描いていた。幕末の主人公であった筈の長州や薩摩の下級武士たちが、新政府になってから邪魔者にされ、その不満が原因の戦争であった。同じ類の西南の役は、その次の年に起こる。明治維新の功労者の第一を挙げるとすれば、不平を抱きながら死んでいった多くのこれら下級武士と彼らを率いた西郷らであり、明治政府重鎮として残った人たちではないと思う。彼らは明治維新前半の功労者である。
上記前半の経緯、薩長らの尊王攘夷から倒幕への方向転換は、尊皇攘夷が皮で倒幕が中身と考えれば簡単に理解できる。しかし、明治政府を担った人たちに、なぜ明治維新の後半部分の改革が可能であったのかが判らない。
明治政府の要人の多くは元武士でありながら、同じ武士でしかも倒幕の戦いで同士であった者たちから、徴兵令発布で仕事を奪い、そして、廃刀令で武士の誇まで取り上げるという改革が、どうしてできたのだろうか。黒船来航が1853年、大政奉還が1867年、版籍奉還が1869年、廃藩置県が1871年、徴兵令が1873年、廃刀令が1876年である。黒船来航から数えても23年で、平成になってから今日より短い。大政奉還から廃刀令まで僅か9年である。
どこか外国からの支援というか干渉というか、そういうものはなかったのか?
幕末から明治維新前半までには、歴史書に外国人はよく出てくる。フランス公使ロッシュ、イギリス公使パークス、その下にいたアーネスト・サトウ、さらにスコットランドのトーマス・グラバーなどである。しかし、戊辰戦争(1868-69)が終わったあとの大改革では、外国人があまり出て来ない。
そう思ってネットで検索すると、いろいろ出てくる。明治維新の元勲は長州人ではなくイギリス人だとか
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history2/1286023489/
明治維新はロスチャイルドが仕組んだとか、
http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/post-fc31.html 明治維新の真実(1) 「勝てば官軍・・・」結果、歴史を消し去った!、http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=301675
などである。
それらの話の中に歴史の真実があるのなら、NHKのドラマ「花燃ゆ」で難しい顔をしながら、東山紀之演じる木戸孝允が新政府としての決断をする光景は、全くの作り話ということになる。つまり、武士の情けなど露ほどもない英国人が後ろでシナリオを書いていたのなら、非常にわかりやすい。
そのような借り物の改革なら、歴史をそのように教えるべきである。独自に成し遂げた革命でないことを十分意識すれば、その後誤った道に迷い込まなかったかもしれない。ましてや、正しかったなどという強弁は出て来なかったはずであると思う。
我々の世代(ベビーブーマー)が、高校までに習った日本史の授業では、明治の改革に深く外国人が絡んでいたという話はなかった。明治の改革から120年ほど経ってもなお、薩長の下級武士が明治維新を成し遂げたという神話を信じているようでは、国際社会でいつまでたってもまともに振舞えないだろう。
補足:廃藩置県の年に、岩倉、木戸、伊藤などが外遊するというのは、指示を仰ぎに出向くのならともかく、使節という言葉通りならおかしい。日本の大学には大抵文学部史学科があるが、そこの教授連中はその疑問に答えることをしないで、何をしていたのだろうか?(10/29追加)
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