1)米国が、西太平洋地域での覇権を失うとすれば、現在の米国の属国的な位置から静かに逃げる道を探さなければならない。もし、米国が不死鳥の様に、太平洋地域で覇権を維持出来ると考えた場合、そして、日本が米国と同盟関係を深化させることで、この地域で日米同盟を命綱的にして生き残る方針なら、その鍵になるのは米国と日本の相互理解が今までとは違った次元に深まるかどうかである。
また、仮に日米同盟を当てにしないで、生存を図る場合でも、米国と友好関係を保ちながら独自の軍事力を整備し、国家としての体制を作り上げることが大切なステップであると思う。しかしながら現在、親米国の日本は、米国にとっては仮想敵国であると思う。米国の中枢は、たとえ朝鮮が核武装しても、日本だけに核武装はさせないと考えている。つまり、キッシンジャー&ニクソンの訪中のときの密約は未だ健在だとおもわれる。(http://blog.nihon-syakai.net/blog/2007/10/493.html)
米国在住の国際政治の専門家である伊藤貫氏は、2013年夏の西部邁氏との討論で米国国務省のアジア担当官の半数は、日本の憲法改正にすら反対していると言っている。https://www.youtube.com/watch?v=DLrGGEymC8Q (24分以降)その後、安倍総理や日本への印象が変化した可能性はあるが、核保持に反対する態度は変わっていないと思われる。
上記動画の中で、例えば中国と米国で太平洋を二分するという話になった場合、日本は単なる搾取の対象となる可能性大だそうである。それは、日本とロシア(ソ連)に挟まれた朝鮮の様であり、ドイツとロシア(ソ連)に挟まれたポーランドの様でもある。伊藤氏の発言によれば、米国の覇権が東アジアに残る可能性は殆どゼロであり、日本の環境は当にその方向に進んでいる。
何れのシナリオでアジアの歴史が進行するとしても、日本は近代史の総括を行い、世界の歴史認識とこれまでの日本の歴史認識のズレを客観的な視点でレビューしなければならないと思う。勿論、国が違えば歴史認識が違うのは当然である。しかしその違いは、「国家が自国の尊厳を維持し、今後の繁栄を目指すのは当然である」という観点から、他国が理解可能な範囲になくてはならない。
つまり、世界に主張可能な歴史認識を持てば、少なくとも話の通じる相手であると認識され、普通の国家となる障壁は低くなるだろうと思う。しかし現状では、日本の保守勢力の歴史認識は自分勝手なものであり、且つ、野党勢力の歴史認識は全く売国奴的であるので、何れも日本国が世界に主張すべきものではないと思う。
2)日本が世界の中で生きていく為には、世界の標準的な歴史認識の方法を持ち、それを前提にして普通の国としての要素を持つことが必須である。それら要素は、経済力、軍事力、それに固有の文化と価値観である。(上記動画での西部邁氏の解説参照)それは、一人の独立した人間の要素と同じである。しかし、現在の政権政党右派の歴史認識は、我が国国民一般のものとはずれていると思う。そして、それは江戸時代までの伝統的文化や価値観に根ざしては居ないと思う。
右派民族主義者達は“明治維新”は日本の歴史的快挙であり、その結果西欧の国民国家と同じタイプの国家が出来上がったと主張するだろう。しかし実際は、 “明治維新”の主人公である薩長土肥の武士たちと下級貴族らが天皇を利用してクーデターを起こし、新しい貴族階級を形成して作った専制の帝国主義的国家であった。そこでは、国民は国家を担うという意志のないままに、強制的に兵士として駆出された。(次のセクション参照)
つまり、暗黒の江戸時代の戸を開け、やがて新貴族になる人たちによって行われた政変を一種の市民革命であると考えるのは偽造史観であり、それを作り上げ守り通したのは、現政権までの150年間日本政府の中心にいた上記新貴族とその子孫たちであると思う。(補足1)
中国侵略からの“大東亜戦争”は、欧米列強からの防衛と大日本帝国の生存空間の拡大であったのは事実だろうし、それを現在の価値観で非難するのは可怪しいだろう。ただ、それを「西欧の植民地主義をアジアから排して、大東亜共栄圏を構築することであった」と主張するのは、説得力に乏しいと思う。そして、そのような計画は、右派の人たちの主張と違って、国民の総意に基づいたわけではなく、当時の軍事独裁政権が作成したものである。
歴史を後から裁くのは、愚かなことであると一般に言われる。それは、歴史は事実と事実をつなぐ物語であり、その物語の書き方は主観的であるのは当然であることと、判断ミスまで裁くのは神以外は不可能であるという主張が根拠だろう。その部分について裁くのは確かに愚かなことである。しかし、事実を偽って書いた歴史を裁くことは、まったく正当な行為である。
歴史認識問題で最も象徴的なのは、靖国神社に対する姿勢である。大陸侵攻も、痛々しい敗戦も、伴にその軍事独裁国家の中心人物たちが主導したのであり、その責任を負うべきである。靖国神社には、その本来責任者として弾劾されるべき人たちが軍神として祀られている。上記明治の新貴族に由来する民族主義者達(=上記右派民族主義者)が何と言おうと、普通の日本人の感覚なら、軍神として祀られる優先順位は将軍が最上位であり、佐官、尉官が続き、兵士は最下位である。従って、靖国参拝は、戦争責任者である将軍たちを崇拝すると解釈されるのは当然である。(補足2)
米国が日本との同盟を、属国と宗主国との同盟から普通の国の間の同盟に(考えを)変換する際の最大の障害は、日本の明治以来の支配層とその延長上にいる現在の上記民族主義的勢力だと思う。彼らの多くは現在、米国との同盟関係を実利の面から支持するだろう。しかし、同時に彼らはより深いところで、米国を敵視している。米国が日本を不審感を持って眺めるのは、その右派勢力から与党勢力に広がる民族主義的傾向であると思う。
つまり、日本が世界の中で生きていく為には、保守主義者一般と右派の薩長土肥歴史観に基づく民族主義者たちの区別化、つまり、分断が大切なステップだと思う。そして、新しい上記民族主義者以外の保守勢力をつくることが大事だと思う。
3)日本人に帝国を担う意識はなかった:
西欧諸国では、王族支配に反発して市民戦争を経験し、その結果として国民国家の実体と概念を対で得たが、日本はそうではない。江戸時代には、殆どの日本人は地元の殿様(=王)の下で、革命の気配など一切なく暮らしていたのである。幕末の政変は、薩摩と長州の両藩と京都の下級貴族が中心になって行った倒幕(クーデター)であり、国民が立ち上がった訳ではない。彼らは、外国の力(英国)と知識を、幕府よりもそれ(フランス)を有効に利用することに成功した。(補足3)
明治以降、日本列島の住民は、天皇の臣民という形で大日本帝国の国民として訳も分からない内に入れられた。支配層民族主義派は、それをあたかも市民革命の結果獲得したかの様に記述し、歴史の捏造をしたであった。明治維新を下級武士達が達成したという、“下級武士”という表現もその為に用いただろう。実体は、身分は兎も角、殿様の高い評価を得た武士たちであり、殿様の意思が全く働かない訳ではなかった。実際、長州の殿様は、彼らの立案した方針を「そうせい」と命令形で承認していたので、“そうせい候”と呼ばれていた。
つまり、国民国家が前提の「戦争も外交の延長である」という西欧の政治思想など国家の“主人公でない国民”に理解出来る筈はない。米国の支配者たちが考える、或いは考えたい、原爆が軍事独裁の全体主義国家を退治するために使われたという論理も、同様に理解出来るはずはなく、原爆による被災を単に天災の一種と感覚的に把握しているのである。それは、昨年広島でオバマ米国大統領と原爆被爆者との間の抱擁が証明している。その感覚は現在でも全く変わっていない。あの光景は、被災者と米国は直接の敵ではないことの一つの証明である。
つまり、日本国民の多くが「戦争だけは避けなければならない」と考えているのは、単に平和主義を採っているからだと考えるのは間違いである。そもそも国家を自分たちが構成しているという意識などなく、国家が行う外交と自分たちの生活の間の関係についても、現実的にシミュレートする頭脳の活動は全く無いのだ。つまり、戦争は上記のように日本国民にとって天災と同じであり、自分たちの意思が反映した結果だとは考えていない。(補足4)
一方、日本の上記民族主義者、つまり右翼の人たちはそうではない。彼らは、明治の政変を国民国家の創生と捉え、明治維新と呼ぶ。明治の政治を立憲君主制とし、議会は民意を繁栄したもので、過去の戦争遂行も全て日本国民の総意と考えている。そして、東京裁判で戦争犯罪人とされた全ての人の名誉回復に努力し、彼らの全てを靖国神社という国営慰霊施設を兼ねる神社に祀った。http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2013/08/blog-post_29.html
日本の政権与党と政治評論家のかなりの人々は、この民族主義的な人たちを多く含んでいる。彼らは、靖国神社に参拝することを義務と考えているのである。しかし、それは米国が主張する対日戦略の“正当性の全て”を否定することになる。そのように米国が日本の政権与党を構成する人たちととそのブレイン達をを考える限り、米国は真の同盟国として日本を受け入れないだろう。
(以上は、理系人間のメモです。批判等歓迎します。)
補足:
1)現在の安倍総理や麻生副総理、その祖父に当たる岸信介と叔父の佐藤栄作、戦後長期政権を担当した麻生の祖父の吉田茂など、薩長土肥の侍の子孫である。勿論、これは事実の列挙であり、現在の安倍政権を批判している訳ではない。
2)右派民族主義者たちは、靖国神社を国家を守るために命を捧げた兵士たちを祀る施設であるという。しかし、敗戦に至る指揮をとり、兵士の命を消耗品の様に扱った人たちを何故祀るのかという問には、まともに答えない人が殆どである。更に、その時の国家は、日本列島の住人を真に代表したものではないにも拘らず、「日本列島の住人全てとその住処」と同一視している。
3)日本にとって幸運なのは、諸外国にとって日本は侵略する魅力に乏しい上に、軍事力としての武士は勇敢だったことである。その武士団と武士が構成する優秀な官僚団は江戸時代までに作られたものである。江戸時代を低く評価して敎育するのは、明治のクーデターを美化するためである。
4)従って、大日本帝国と当時の国民との関係は、支配者と被支配者の関係であった。敗戦後、米国マッカーサー将軍を簡単に受け入れたのは、国家の敵将であっても、国民にとっては支配者の交代に過ぎないからである。現在でも国家に対する関心は薄く、国政選挙は単に芸能人やスポーツ選手の人気投票の感覚か、幾分意識の高いレベルの国民でも、議員となるべき人間をその能力ではなく、日常生活の中でその人物の行動を想像して、より好ましい“人格”を目安にして選んでいる。
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