1)加計学園問題は、全国で獣医師が余っているにも拘らず、そして、その獣医学科の新設計画が不十分であるにも拘らず、安倍総理のお友達がその学園を経営しているという理由で新設認可をした疑いが濃いことである。
かなり前になるが、獣医師は足りているし、なぜ三流理科大の経営者に獣医学部新設をさせる必要があるのか、さっぱりわからないという趣旨の記事を書いた。(2017/5/24; 6/14の記事参照)
森友問題では、森友氏の処分は刑事罰まで進展しそうだが、それは森友氏とVIPとの友達関係がそれほど強くなかったからだろう。
安倍総理の支持する人たちは、弁護に詭弁を弄している。高橋洋一氏の下の発言もその一つである。学科の新設認可に関して、石破4条件を閣議設定したのだが、その4条件の成立可否に関する挙証責任が認可側にあるとして、加計学園側を支持しているのである。http://www.zakzak.co.jp/soc/news/170722/soc1707220007-n1.html
石破4条件は、(1)新たな分野のニーズがある;(2)既存の大学で対応できない;(3)教授陣・施設が充実している;(4)獣医師の需給バランスに悪影響を与えない、の4つである。この4条件の内この部分が欠けていますと、新設不許可の理由として、文科省が示さなければならないのか、それとも申請側が4条件全てに合致していますと、示さなければならないのか、というのが挙証責任の問題である。
前川前文科省事務次官は、申請者側にあると発言したが、高橋洋一氏がそうではなく、文科省側にあるという意見であり、それが上記ZAKZAKの記事内容である。その中で、高橋洋一氏は、我々国民を馬鹿にしたような理屈をあげている。
それは、「4条件の挙証責任は文科省にはないという立場だ。実際、前川喜平・前文科事務次官ほか、文科省関係者はそう主張する。しかしこれは誤りだ。文科省の学部新設の認可制度は、憲法で保証されている営業の自由や職業選択の自由を制限するので、挙証責任は所管官庁の文科省にあるのだ。」というものである。
トンデモナイ屁理屈としか言いようがない。大学設置を何かの商売と混同しているようだ。大学の運営は、国家から巨額の支援金が支払われる公益事業である。申請者がこのように条件にあっていますと立証するのは、当然である。いい加減な申請書を出して、どこに不適合があるか立証しろと居直る権利は、総理の友達だとしてもない。
最近の報道では、その申請書類も相当酷いもので、その4条件に合っていないという例もかなり挙げられている。例えば、その獣医学部の“目玉施設”では、通常生体を用いるところをぬいぐるみを用いて実習するのだという。 http://news.livedoor.com/article/detail/13898064/ 高橋洋一氏には、この記事を見て、反論してほしいものだ。
そういえば、内閣官房参与という職を、お友達の失業対策に使っているという疑惑もある。その種の問題を取り扱う正規職員(大臣等)は、官房参与に任せて遊んでいれば良いということだろうか?兎に角安倍総理の権力があれば何でもできるという考え方は、どこか隣の国のトップのやり方に似ている。内閣を構成する人や、評論家までイエスマンに成り下がっている。https://news.yahoo.co.jp/pickup/6261662
2) 加計問題や森友問題は、安全保障などの問題に比べて小さい問題である。しかし、日本国の政治のあり方(安倍政治のあり方)という、根本に対する問題である。この件、優れた政治評論家である馬渕睦夫氏などでも、大きな問題に目が眩むのか、何の疑念もないと言い放つ。
どんな大きな装置でも、ネジの規格が合わなければうまく組み立てられない。日本においては、公平性は政治と日本国民全との間を繋ぐネジのようなものである。森友問題と加計問題は、その国民と政治を繋ぐネジが古いアジア的なコネなのか、日本や欧米のような法令に基づく公平性なのかに疑念を抱かせる問題である。ネジが混在していては、大きな装置である国家全体の政治が組み立てられなくなると思う。それがコネなら我々庶民は政府に対して、そっぽを向くだけだ。
最高裁は、行政のすることに違法性や違憲性の判断をすることのない、サラリーマン的判事が構成しているので、この国では司法は正常に機能していない。それも、最も近い国とよく似ている。(2017/10/24の記事参照) だから、国会で追求するしか方法がない。
安全保障という大問題を持ちながら、くだらない議論をしなければならないのはこの国の不幸である。
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