昨日は平成最後の終戦記念日であった。先の大戦(戦闘)が終わって70年(講和条約から67年あまり)経つ。多大の被害と犠牲者を出したが、そこから我々の国日本は十分学んでいるだろうか。そのことについて少し書く。
1)「8月15日の終戦記念日とは何があった日なのか」について、評論家佐藤健志氏のラジオ放送「おはよう寺ちゃん活動中8月15日」で解説している。https://www.youtube.com/watch?v=N1l3sHcL8Qc そこで佐藤氏は、1945年8月15日は実は先の大戦が終わった日ではないと指摘する。
つまり、戦争が正式に終わった日、つまりサンフランシスコ講和条約が署名されたのは、1952年4月8日であり、発効した日が同年4月28日である。また、戦闘の終わりが確定した日がミズーリ号上で降伏文書に署名した1945年9月2日、また、降伏の意思を連合国に伝えたのは、1945年8月14日であった。
8月15日は天皇がポツダム宣言受諾した旨を国民に通知した日であり、国際的には対日本戦勝の日としている国は殆ど無い。連合国では、女王の居る英国のみである。因みに、韓国や北朝鮮は光復節として、8月15日を独立回復の日としているが、それらの国々は日本の対戦国ではない。
佐藤氏は、あの戦争から得るべき最大の教訓は、「国際戦略を考える場合、自国の都合や価値感を考慮に入れるだけではいけない。相手方の考え方も知る(相手側の視点に立つ)ことが、戦争などのときに勝利を得るには必須であると理解すること(内容の要約)」と話す。そして、「天皇陛下の終戦の勅で戦争が終わったという印象を、国民に与えることに最後までこだわるようでは、あの戦争から教訓を得ることは無理だろう」というのである。つまり、歴史の歯車を回す資格や能力は、日本政府にも天皇にもなかったのであり、何らかの教訓を得るとしてもそれを受け入れることが前提となるのである。
勿論、当時国体護持(天皇制を守ること)にこだわり、一億玉砕や本土決戦などを唱えた人たちがかなり居たことを考えると、10年間位は終戦記念日を戦争が終わった日とすることも良かったかもしれない。しかし一定期間後に、それを戦争全体の考察を通して、最も相応しい日に変更する柔軟性が日本にないのが、日本の最大の欠点だろう。ましてや、戦争全体のレビューなど国家の視野の端にも無いとしたら、何をか言わんやである。
2)一昨日書いたブログにおいて、先の戦争を大東亜戦争と呼ぶことに拘る人たちが作った番組:「【討論】もし大東亜戦争の開戦が無かったら?」[チャネル桜H30/8/11]で展開された戦争に関する評価を批判した。中でも、出席者の小堀桂一郎(東大名誉教授)、髙山正之(元産経新聞)、田中英道(東北大名誉教授)らは、「実は、大東亜戦争に負けていないのだ」という主張を展開した。https://www.youtube.com/watch?v=mZ0_wOxSUyY
その根拠は、大東亜共栄圏構想で描いたように、戦後続々と東南アジア諸国は欧米の植民地という立場から脱却することに成功したことである。勿論、それは事実であるが、日本が世界に誇るべきことではないし、世界の正史に日本の業績として殊更強調されることでもない。
また、そこで引用されたマレーシアのマハティール首相の「もし日本なかりせば」という言葉は、彼の支配するマレーシアは、日本の友邦であることの証明であるが、それは第三国との外交の基本を決定する要素ではない。http://www.carlos.sakura.ne.jp/essay-j/mahathir-jp.html(補足1)
昨夜、NHKでノモンハン事件に関する放送があった。その放送で指摘されたように、関東軍のソ連軍に関する甘い把握と暴走、そして参謀本部にそれを止める能力がなかったことが、大敗の原因である。同様のことが、半島一利著の「ノモンハンの夏」にも書かれている。(補足2)
参謀本部から関東軍に人を派遣しても、互いの情報から一つのより高度な作戦に止揚するという意思など双方に無い。そのような思考回路そのものが、日本文化にはないのだろう。その日本文化の欠点は、別の表現を用いれば、思考の過程で抵抗なく他人の視点に立つということが出来ないことである。上記佐藤健志氏が指摘したことである。
これらを比較すれば分かるように、現在の日本も当時の日本とほとんど変わっていない。つまり、日本はほとんど昭和の戦争から何も学んでいない。自国の都合と価値観に拘る言論界の重鎮達の姿は、客観的視点に欠けた関東軍の参謀などの姿と重なる。(補足3)
3)この日本文化の弱点は、換言すれば、“日本人は、自分の言葉は自分自身であるという感覚を持っている”ということだと思う。(補足4)それは、所謂“言霊文化”を一つの角度から見た記述である。その結果、日本人は自分の意見に最後まで拘るか、完全に撤回して沈黙するかのどちらかしか知らないのである。
日本人が数人集まったとしても同様である。一つの意見にまとまるとしても、それは数人の誰かの意見であり、議論による考え方の成長など生じない場合がほとんどである。日本に“討論”があったとしても、それは個の意見を集め精査し止揚して、真理へ向け集団で努力するのではなく、言葉で勝ち負けを競う論争でしかない。従って、討論番組と言いながら、番組が成立するように同じような意見の持ち主を集めて開く場合が多い。
日本文化における自己とは何か? おもて(表面)に現れる像(その一つが自分の言葉である)以外に自分が存在しない。言葉や外見、そして、学歴や職歴以外に、確固とした自分(内なる自分)が存在しないのである。従って、他人の視点で自分を見ると、自分が常々意識している醜い姿や弱い姿が映る可能性が高い。その像を対象としてみる余裕がないので、直ちにその像を抹殺し、その(他人の)視点を放棄するのである。それは陸軍大学校軍刀組の辻少佐(補足3参照)も同様ではないのか?
自分が自立した生命体なら、自分の命と生活を第一に考える。他人にどの様に写ろうと、たとえ殺人鬼と写ろうとも、その第一にゆらぎがないのが本来の生命体である。その自己(自分)のままであれば、他人の非難や中傷も、単なる一つの自分に対する表現であるとして、冷静に受け止める事が可能である。そして、他人の言葉は、その言葉の主とは区別して考えることも出来る。それが言葉をコミュニケーションの道具として用いる条件である。
敢えて繰り返す。自立した個が形成する社会においては、自分の主張(言葉)は自分自身ではない。言葉はコミュニケーションの道具であり、魂を持つ訳ではない。従って、議論の結果、目の前の他人の言葉を取り入れて自分の言葉とすることも可能である。日本の言霊文化の下では、自己主張の言葉を発したのち、他人の言葉を受け入れることは、自己消滅となってしまう。(補足5)
国際社会は個の自立を前提とした「野生の原理」で動いている。昨日有用だと引用した記事“日本の国益を無視した白色人種への憎しみ/髙山正之の限界”の中で、筆者は以下のように書いている。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68310281.html
日本人にとって大切なのは、日本の国益であって、アジア諸国の利益ではない。極端な言い方をすれば、日本人にとって有利なら、帝国主義者の西歐白人と提携し、アジア人を踏みつけたって構わない。血も涙もない仕打ちだが、国際政治は冷酷非情の原理で動いているのだ。(補足6)
その思想の下でしか、リアリズムは存在しない。真の保守主義も存在しないと思う。日本がどのようなことをしたかという世界史の上での評価が大事なのではない。日本が存続し繁栄することが大事なのである。アイヴァン・モリスというアイルランド出身の人が書いた「高貴なる敗北—日本史の悲劇の英雄たち」という本が上記チャネル桜の討論番組の中で話題に上がっていた。高貴なる敗北とか、高貴なる死滅などは、suicide bomber を賛美する言葉であり、ある意味非常にふざけた題名である。
しかし、その番組では高く評価していた。異論は何も出ない。最後に、あのような本は日本人が書くべきだったという始末。救いがたい。
補足:
1)非常に参考になる文章が、以下のサイトに書かれている。http://www.carlos.sakura.ne.jp/essay-j/mahathir-jp.html
英語の諺:繁栄は友人を作り、逆境は友人を試す。(Prosperity makes friends, adversity tries them.)を引用して、日本の友人マハティールを紹介している。そして、彼の東アジア経済協議体構想を事も無げに無視した、日本の政治(外務大臣、河野洋平)のレベルの低さを、戦後政治の問題の核心として指摘している。
2)戦後、ソ連の損害は日本の損害以上であるというデータが明らかになった。しかし、戦争は白旗を揚げた方が負けである。時間が経った今、「実はノモンハンでは日本は負けていなかった」という話をする人まで現れている。これも上記三人の大東亜戦争に関する間違った評価の図式と良く似ている。
3)半島一利著「ノモンハンの夏」第二章。「満ソ国境紛争処理要項」を起案推敲した辻政信参謀(陸軍大学校の軍刀組)は、事件の「前後を通じて、当時の関東軍の司令部程上下一体、水入らずの人的関係はかつて無かった」と言ったという。秀才にも、頭は切れるが総合的視点に欠ける人間も大勢いるだろう。グループの内部で議論があれば、その感覚の異常さを見つけることができる。個人評価をしないのが日本病の重要な特徴であるが、それは機能的組織の中でさえ議論がないことが原因だろう。その辻政信は幾つもの失敗の責任をとるでもなく、戦後は国会議員になった。その後、自分から国際紛争に惹かれて飛び込んだようである。魚住昭「日本陸軍の腐ったリンゴ~悪魔のエリート参謀・辻政信はいかにして軍を懐柔したのか」(ウィキペディアの記事も参考になる)。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/46896
4)言葉と人格が一致するのは、キリスト教の神のみである。(新約聖書、ヨハネによる福音書の冒頭)
5)イジメへの加担など日本独特の多くの現象が、このモデルで説明可能となる。日本においては、ある社会に実力者が現れたときに、独裁に向かう可能性が高い。イジメも独裁も同じ現象である。
6)念の為補足する。マハティールもアジアの為に日本が犠牲になることを要求していない。彼のLook East政策は、東アジアの中で生き残りのチャンスを探るのが、日本にとって大きな利益をもたらすというサジェスチョンだろう。https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/malaysia/toho.html
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