1)自民党の憲法草案は、不合理な点が多い。例えば、第一章天皇の第一条には、「天皇は、日本国の元首であり、日本国及び日本国民統合の象徴であって、その地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」と書かれている。
元首とは「国民の首長。君主制では君主、共和国では大統領。国際法上、外部に対して国家を代表する。」(広辞苑、第二版)と定義される。従って、自民党草案の第一条で“天皇は、日本国の元首であり、”と、それに続く“日本国及び日本国民統合の象徴であって、その地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく”は矛盾している。
英国に成文憲法が無い理由は、国王(エリザベス女王)と事実上国家元首である首相とについて、国家における役割を言語の定義を保ったまま憲法で記述することが不可能だからだろう。自民党の憲法草案では、それをやってのけたのである。
現在の日本国憲法第一条は、言語上問題はない。それを何故このような言葉遊びのような文章にしたいのか?それは、自民党独裁を天皇の権威を利用して、実現したいからである。つまり、大統領制や首相公選制に移行する機会を日本国から奪い、自民党総裁を日本国首相とし、実質的な元首としたいのである。
主権が日本国民にある政治形態は、英語のrepublicつまり共和国にあたる。Republic (語源res publica)とは一般の人々(国民)の国の意味だからである。現在、日本の政治は停滞している。このままであれば、大統領制或いは首相公選制にすべきという声が挙がる可能性がある。天皇を元首に持つと憲法に明文化すれば、その声をいざとなれば封じることが出来るのである。
9月には自民党総裁選が行われる。現在、安倍現総理の圧勝が予想されている。自民党総裁はほとんど自動的に首相に指名されるから、国の実質的元首を自民党員の上層部という閉鎖的なグループが選ぶことになる。このことを、我々は良く考えるべきである。この形態は、中国とほとんど同じである。中国でも、共産党の一部が共産党総書記を選び、それが全国人民代表大会(全人代;日本の国会にあたる)で国家元首に当たる国家主席となる。
世界史の廻り角にある現在、日本は危機的情況にある。その時、一部の自民党員のみが実権を持つ政治体制で良い筈がない。「内閣総理大臣を選ぶのは国会である」と建前を言う人が多い。それを認めても、国会議員選出の票には大きな格差が設定されている。それは、選挙権において田舎の何も考えない人たちの比重を増し、自民党独裁を守るためである。
2)以下は、余談である。
この国では人事を支配するのは人脈であり能力ではない。(補足1)その結果、未だに薩長政治が続いているのが実態である。そこから脱却しなければ、最終的に日本は崩壊するだろう。では一体、薩長のどのような人たちが実質的にこの国を牛耳っているのか? それについては、前の記事の余談(最後のセクション)で述べたとおりである。
日本国民一般が、この困難な情況を乗り越える為にとり得る一つの方法として、首相公選制が考えられる。それは、国民の政治への距離感を一挙に縮めることになるだろう。勿論、日本にとんでもない首相が出現する危険性が生じ、知識層に危機感が生じるだろう。それは知的階層の積極的な政治参加の切掛になる可能性がある。この停滞した政治からの脱却を図る方法は、差し当たりそれしかないだろう。
これまでのしがらみとか惰性からの脱却を図る方法を考えない限り、日本は今まで通り、米国CIAの企んだように自民党と野党の馴れ合いの国会を見ることになる。(補足2)官僚たちも、その殻の中の日常に慣れきっているのではないだろうか。以下に、カンフル剤注射的な改革案を羅列する。
首相公選制:これについては上に述べた。
道州制の採用:これは橋下徹氏の案のとおりである。国会議員の選挙区もこの道州大選挙区とする。
首都遷都:東京の風土から離れてリフレッシュした方が、頭も冴えるだろう。それに多様な人材が、官僚となるだろう。首都には、北海道や沖縄が良いかもしれない。沖縄を首都にした場合、国境警備の必要性を議員や官僚は身にしみて感じるだろう。
将来の人材を考えた場合、教育改革も大切である。その一つ大学改革(私案)では:
大学教官を教育に専念させる。大学の卒業資格は、大学の成績と全国共通の資格試験(区分は現在の学部よりも少なくする。)の合格者に与える。その内、希望者を成績順に一定数、国立大学院に入所させる。国立大学院をエリート養成機関とし、現在の名称をそのまま用いる。博士号取得まで、一定期間有給とする。私立大学院の設置は認可制とする。大学院には実績に応じて研究資金を給付する。
補足:
1)東アジアでの人脈重視の根源には、家族、大家族のつながりを唯一信用できる人間関係と考える文化がある。そこには公的空間(public space)という考えは根付いていない。人権、自由、平等などの近代社会の基礎は、公的空間の存在により担保される。しかし、東アジアにはそれがないのである。最近の例では、加計学園への便宜は、安倍総理と安倍氏の遠縁にあたる加計氏との人脈で解釈する人が多いと思う。裏を取っている訳ではないが、以下のサイトを引用しておきます。
https://www.sora-ten.com/kake-kishi-mago-gakureki/
2)Tim Weiner著「Legacy of Ashes The history of the CIA」には日本人が知るべき多くの情報が掲載されている。自民党と社会党右派の両方にCIAは金をだしていた。共産勢力の増加を警戒するためだろうが、それは馴れ合いの55年体制を定着させたと思う。
0 件のコメント:
コメントを投稿