8月11日配信されたチャネル桜の上記表題の討論番組は、先の大戦である太平洋戦争について、そのプロセスや原因について議論したものである。出席者は、小堀桂一郎(東大名誉教授)、高山正之(元産経新聞)、田中英道(東北大名誉教授)、宮崎正弘(作家、評論家) 西岡力(救う会)、上島嘉郎(元正論編集長)、林千勝(戦史研究家)、岩田温(大和大講師)であった。
https://www.youtube.com/watch?v=mZ0_wOxSUyY
1)この番組では、先ず一時間目に出席者が表題に関連した自分の意見をまとめて述べる。その後、一時間目の残りの時間から議論が始まった。最初の意見提供の場面で、年長者3名が、「日本は大東亜戦争に負けては居ない。実質的には勝ったのだ」という意見を披露したことに驚いた。以下この点について私の考えを書く。
大東亜戦争という名は、大日本帝国政府が国民を、この戦争には大義があるのだと説得し、動員するための呼称である。その名称は、「西欧白人の支配下にある東アジア諸国を日本の支配下におさめることで、それら諸国を植民地支配から開放し、その中で日本の国益と国家の安定を実現するのだ」という主張を表現している。その主張からは、国家存亡の危機を乗り切るための戦争という感じを受けない。従って、まともな国であったなら、多くの選択肢があった筈である。例えば、米国に満州利権を分けるという戦略等である。
江戸末期から、日本は不平等条約を西欧諸国に押し付けられたが、薩長下級武士を中心とした人たちのクーデターとその後の国家体制の改革により、それらの国々が作った国際環境を生き抜くことが可能な近代国家に成長した。その際、重要な役割をしたのが、対ロシアという点で利害の一致する英国との日英同盟であった。
国体護持という観点なら、当然最も近くで満州など当時の日本の覇権域を狙うソ連を仮想敵国と意識するのが本来のあり方だろう。しかし日本軍は逆の方向に進んだ。この辺に関して以下のサイトが参考にな ったので、引用する。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68310281.html
その後、日本も帝国主義的性格を強くして、防衛線を引いてその内部で権益を守るという発想はなく、南進か北進かの議論のみになったように思う。大東亜共栄圏というのも、現在中国が提唱している一帯一路と同じく侵略的視点のもとに作られたと思う。しかし、この討論会で議論する人達は、若い岩田氏以外は、侵略という言葉を使うことに強い抵抗を感じているようであった。
先の大戦に日本は敗戦したが、植民地支配されていたインドシナでは地域の民が団結して国家を成し、支配国のオランダやフランスをおいだすことへの道を開いた。それは、西欧白人中心の世界史の曲がり角に位置するが、それを日本の手柄のように誇るのは筋違いだろう。あの戦争が起こした上記世界史上の効果は、副作用的なものである。(補足1)
それを、「日本は大東亜戦争に実際は勝ったのだ、何故ならその後次々とアジア諸国は西欧諸国の白人達の軛から開放されたからだ」というのは、負け惜しみというべきだろう。
2)3時間目の最後のまとめのところで、上島氏が言った言葉に反論しておきたい。上島氏が正論の編集長時代に「あの戦争を誇りに思って何が悪いのか?」という座談会を行ったのだが、その記事に対する読者の反応に驚いたという。その反応とは、「負けた戦争を何故誇りに思うのか、正論の編集長は気が狂ったのか」というものであった。
その反応に対して、上島氏は「戦争の勝ち負けは道徳の優劣ではない。敗れた戦争でも我々には誇りに思うことがあるのだという考えが、日本から消えている。我々人間にも命を懸けて成し遂げないといけないことがあるのだという考えがある。国家も同様であり、その思想と価値を継承して、現在の日本がある。」と主張している。(補足2)
読者の反応についてはその座談会の記事の内容を読まなければ詳細は分からないが、名誉ある敗北(補足3)を否定している訳ではないと思う。つまり、戦後約50年を経て、今更あの戦争を誇りに思って良いところを殊更強調するために、座談会を開く意図が分からないということだろう。本当にやるべきは、戦争の総合的評価であり、敗戦したのだからそこでは誇ることよりも反省することの方が多い筈である。また、その後の日本建設に役立つのは、その反省の方だろう。読者の批判の論点はそこにあったと想像する。
それに引き続いてこの討論会では、この上島氏の意見に賛同する声が続いた。これが日本病の正体である。何をどう議論するかとか、その議論がどうまとまるかよりも、この議論や考え、そして雰囲気の短時間での一点収斂が日本の病気である。そのように感じた。
3)最後に、この動画に書き込んだコメントを再録する。
コメント1:
最後の小堀さんの意見について; 情報戦に負けたとおっしゃるが、情報の前に意思がある。その意思が変わらなければ、遅かれ早かれ同じ結果になる。例えば、北海道をアイヌ州にするという中国の意思は明確である。それを破壊するのは、情報戦ではない。意思そのものの破壊である。
学ぶべき言葉は:「歴史は物語であり、事実の集積ではない」(岡田英弘著作)。韓国問題:事実は違うと言っても、それが韓国の得になる限り、問題は解決しない。韓国対策は、その種の捏造は損になるような仕組みを日本が創ることです。それは違うと何回言っても、意味はありません。
コメント2:
2時間45分まで:皆さんの話は要するに、米国には中国を育てて、日本をつぶすという明確な意思があったということになると思います。その意思は米国世論ではないという話もパールバーバー前の米国世論を考えれば明らかでしょう。
それでも、米国はユダヤ資本による疑似的独裁国家だったというところに踏み込まないのは何故でしょうか?それから、民主主義とは米国がその国の世論を乗っ取り、その国を支配するための道具であるという明らかな事実を避けている。兎に角、足らないものを埋めることを議論しているが、何か新しい道具を作り出すことしか、日本を救うことはできないのではないのか。
何かを明らかにしても、それを使えなければ何の役にもたたない。東京裁判史観など既にひっくり返っているという見方もある。しかし、それが具体的な政治的力になるのか、ならないだろう。
補足:
1)インドネシア、ベトナム、フィリピン、ビルマの4カ国には、二国間の賠償協定を結び、賠償金を支払っている。もし、日本がそれらの国の独立を視野に戦ったのなら、そんな要求など出てくる筈はない。従って、彼らの考えは間違っている。因みに、毛沢東は日中国交樹立に際して、我々はむしろ日本に感謝していると言い、賠償要求をしていない。
http://news.livedoor.com/article/detail/12555533/
2)「人間にとって命は大事であるが、その生命を懸けても成し遂げなければならないことがある」という考えを国家に当てはめるのは間違いだと考える。何故なら、道徳や善悪という概念は人間が形成する社会内部に適用される概念であるが、それは本来野生の原理が支配する国際問題には適用されない。つまり、国家を善や悪で裁くことは出来ない。たとえ話を安易に外挿するのは、インチキレトリックである。
3)アイヴァン・モリスというアイルランド出身の人が書いた「高貴なる敗北—日本史の悲劇の英雄たち」という本が話題に上がっていた。是非読みたい本である。日本人としての誇りは、外に向かって主張するのではなく、内に秘めて持ちたいものである。
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