1)明治の初め、英語かフランス語を国語に採用したらどうかという意見が出た。このことは、既に何度かブログで取り上げた。具体的には、志賀直哉が国語をフランス語にすべきだと主張し、初代文部大臣の森有礼が国語を英語にすべきだと主張した。その背景には、日本語の習得の難しさや使用の際の不便があると思う。
現在、1,000万人程度以上の人口を持つ先進国の国民の中で、日本人は英語が話せない国民の筆頭だろう。人と資本が自由に国境をまたぐ今日、そのような状況では国家も国民も、今後何かと不利な状況に追い込まれるのは必然である。
最近のテレビニュースでも、独自に英語を公用語化する大企業が増加しているという報道があった。(補足1)そこで、ネット検索してみると、「時代の流れ“英語公用語化”大手企業一覧」(2015/8/27)という記事を見つけた。https://matome.naver.jp/odai/2144054770821558201
企業内での英語公用語化とは、英語を用いて会議や連絡をすると社内の規定として定めたということである。その様な企業には、楽天(2012)、ファーストリテイリング(Fast Retailing; 2012)、シャープなどがある。また、三井不動産(総合職社内全員のTOEIC 730点以上を目標)、三菱商事(1992年に一度英語公用語化を宣言したが失敗)なども追随する予定のようだ。
また、最近の日経新聞(2018/9/25電子版)によれば、資生堂やホンダ(2020年から)も、英語を準公用語化にするそうである。準公用語化というのは、日本語も使うことで現場の負担を少なくするためのようである。例えば、資生堂は10月から、会議と社内文書を英語に切り替えるという。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO35704530V20C18A9000000/
企業の社内英語公用語化の動きは、仕事の取引先などに外国人が含まれることが多く、必要に迫られてのものであり、尻に火がついたという状況下での対応だろう。そこで少し目を転じてみると、「そのような状況にあるのは、果たして大企業だけなのだろうか?」という疑問が浮かぶ。
例えば政府、中でも内閣官房や外務省や経産省などはとっくの昔から尻に火がついていたのではないだろうか?それを放置して、火元になるべく近づかない様にしてきたため、日本は外交において非常に不利な状況に追い込まれてきたのだろう。(補足2)
私は、明治時代に森有礼が英語の国語化を主張したときに、準国語化でも良いから実行しておくべきだったと思う。中高年は知識層や支配層から始めて、幼年は学校教育からでよい。全ての学校で無理なら、一部で初めて徐々に拡大すれば良い。100年後には、つまり現在、ほとんどの国民はバイリンガルになっていただろう。
また、日本の文化も大幅にかわっていただろう。相手に話をする時にyouが入り、自分の考えを言う時にはIを用いるだけで、人々は論理的に考えるようになっていただろう。(補足3)そして、空気を読む力よりも、論理的思考力の方が社会で重視されていたと思う。その結果、“忖度”よりも明確な手続きの跡を残して行政もなされただろう。
2)日本語の弱点:
日本語では、言葉から音と情報の両方が伝達される。お坊さんの経は、ほとんど音楽であり、情報は少なくとも一般人には伝達され無い。歌謡曲のような場合でも、その歌詞は意味と音の両方がほとんど同程度に重要である。外国語の歌でも、日本人は意味を考えずに唄うことに何の抵抗も感じていないようだ。(補足4)子供の名前も同様である。普通、漢字を用いるが、意味を考えると恥ずかしくなるような、あるいは訳のわからないような名前が多いのは、それが原因である。
日本語は変化が激しく、現在若者が使う言葉は年寄りには理解できず、年寄りが学んだ言葉は若者に理解されなくなる。その原因は、日本語の出来があまりにも悪いことである。その根本原因として私が思い当たる重要な点は、日本語の単語は語源から組織的にできていないことである。(補足5)
毎年文化庁が行なっている国語調査でも、頻繁に用いられるかなり多くの単語が、意味を取り違えて用いられていることが明らかにされている。昨年と今年の例を下に抜粋した。
今年の調査では、「ゲキを飛ばす」とか「なし崩し」の正しい意味を理解しているのは、20%程度であることが明らかにされた。「やおら」では40%程度である。「檄を飛ばす」が何故、「自分の主張や考えを広く人々に知らせて同意を求めること」になるのか、語源的根拠などない。それが、この言葉が正しく暗記されない一つの理由である。そして、この言葉は恐らく100年か200年程度以下の歴史しか持たないからだろう。
「やおら」が40%理解されているのは、その音から受ける印象が「本来の意味」に近いのが理由だろう。この単語も、語源など明確ではないだろう。「ゲキを飛ばす」の誤用の70%近くが、「元気のない者に刺激を与えて活気付ける」の意味で用いているので、20年もすれば広辞苑に正しい用法として記載されるだろう。日本語の変化がはやい理由の一つは誤用だろう。
言葉の変化が大きい理由は、その意味が語源にしっかりと繋がっていないことが原因だと思う。「済し崩し」は、語源がしっかりしているではないか?という人もいるだろう。しかし、済し崩しの「済し」を理解している人はほとんどいないし、「なし」と聞いただけでは、無し、成し、為しなど色んな「なし」がある。
また、「なし崩し」の「し」の意味は何なのか? 無しなら形容詞の「し」であり、成しや済しなら連用形「成したり」の「し」だろう。何故、連用形が二つくっ付いて、一つの単語に作り上げ、それを覚えることを要求するのか? それぞれ、別に使えば良いではないか。
英語のように音を聞いて、直ぐに書ける言葉は便利である。それについては何年も前にこのホームページで書いた。http://island.geocities.jp/mopyesr/kotoba.html
3)明治時代に国語を英語かフランス語にする決断をしておけば、大企業もこのような苦労をせずにすんだだろう。大企業の場合の総合職の間では、高学歴の人が多いので、なんとかなるだろう。しかしそれは、言語的に国民を分断することになる可能性が高い。
現在のように学ぶべきことが多くなった時、国語を英語にするという決断は出来ないだろう。言語上非効率なことへのエネルギーを割いて、英語の早期教育をすること位が関の山だろう。非効率なこと:漢字ブームや俳句ブームなどその中に入るだろう。クイズ番組などのテレビ放送はできれば慎むべきだ。
言葉は本来国民全ての会話、連絡、情報交換などのための道具である。それが、うまく機能していないのが、日本人を沈黙の民にする原因の一つである。そこに流れ込む外来語は、その傾向を加速する。文化庁は、調査はするが対策は打てない。下に外来語の理解度を示す調査結果を示す。外来語の多用は、外国語習得への好影響はないと思う。
補足:
1)ここで公用語化というのは、不正確な日本語かもしれない。英語を用いるといっても会社だけだから、公用語とは言えないからである。これは言葉が常に準備されているとは限らないため、誤用だとわかっているが、故意に近い意味の言葉を用いたのだろう。そのような事態を経験することが、日本語を用いる場合非常に多いと思う。日本語は、言語空間に隙間が多い。それが外来語が入り込む理由だと思う。
2)正式な外交上の話し合いは通訳を通すべきだろう。しかし、立ち話など非公式の話で、相手の腹を探ることが出来なければ、本当の意味での外交など出来ないのではないか。例を挙げる。イスラエル訪問した日本の総理大臣に、会食で靴の中に盛ったデザートを出した。そのような場面では、席を蹴る位の迫力がなければ、外交にはならないだろう。しかし、席を蹴っては外交にならない。つまり、ネタニヤフは日本の総理と会話など出来ない、外交など不可能だということを、世界に宣伝したのである。その行為に対する反応も日本では大してないことを知っている。日本ではまともな言葉を使っていないのだろうとバカにしているのだ。
3)バイリンガルのケント・ギルバート氏が、以下のようなことをテレビで話していた。彼は、原稿を日本語で考えて書く場合と、英語で考えて書く場合があるという。「英語で書いた原稿を日本語にするときは非常に簡単だが、日本語の原稿を英語にするときは文章を大幅に書き換えることが多い。」
4)サイモンとガーファンクルの「Bridge over troubled water」の訳が、何故か「明日に架ける橋」となっている。そして、英語で歌われるのだ。日本語で歌われることはあまりないので、視聴者は歌詞の意味など気にしない。https://www.youtube.com/watch?v=EGfY6oQYqg0
5)例を挙げるまでもないが、あえて一つ。英語では、come, combat, compact, contribute, consent, などのcom,
conは二つの近づきを表す。batはbattle, pactはpack, tributeなどそれぞれも意味が合体して、上記単語は出来ている。
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