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2018年9月29日土曜日

同性婚を法制化するかどうかの問題

杉田水脈氏(自民党衆議院議員)の同性婚に関する新潮上での記事について、野党議員等からの非難と反論が大きく世間にこだましている。これに関して自民党幹部の議員たちは困っているようだ。(補足1)民進党の理屈が得意な政治屋たちが、自民党攻撃の材料として飛びついたからである。馬鹿馬鹿しい限りだが、ブログを書いているので避けずに一言意見を出そうと思う。

1)実は、2015年11月に既に一度書いていたことが閲覧記録からわかった。それは、「同性婚の法制化には反対である」と題した文章である。https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2015/11/blog-post_28.html この文章では、その問題に関するNHKのアンケート調査の質問設定を批判したのち、自分の意見を書いている。

その時の「自分の意見」の主旨を要約すると、以下の①—③のようになる。それに続いて前回の内容も含め、今回新たに筆者の意見をここに記す。

①基本的な理解であるが、LGBTというのは性的障害である。そして、それが直接妨げにならない法的権利については、当然認められるべきである。
②LGBTの同性の二人が、人生のパートナーとなる法的契約を新たに作ることには、それほど反対ではない。しかし、仮にそれを認める場合には、LGBTに限らず一般に認めるべきである。つまり、LGBTでない同性間のパートナーシップを法的に新たに創設するのである。
③同性のパートナーシップを法的に認める場合、従来の結婚により二人が得る権利と同等ではないだろう。

言うまでもないが、結婚は次の世代を作り育てること、そして、その世代が社会を支えて行くのである。その中には、前の世代の老後の面倒を見ることも含まれる。その連続により、社会が世代循環的に維持されると言うことである。従って、結婚して子を産み育てることがノーマルな人生の形であり、社会がそのようなタイプのパートナーシップを支持するものでなくてはならない。(補足2)我々は社会の中でしか生きられない。従って、社会を維持防衛することが行政の責任なのは言うまでもない。

上記②に関してだが、同性のパートナーシップを法制化するのなら、それをLGBTでないノーマルな人にも認めるべきである。それを認めないとしたら、それも差別である。また、普通の結婚(異性婚)と同性のパートナーシップの間にいろんな明確な違いがある以上、社会との関係に於いて差が生じるのも至極当然である。

これらのパートナーシップに付与される権利を法的に規定するには、遺産相続や贈与税などの財産権関連の法律との整合性を考え、それらの法を改訂する必要も出てくるだろう。従って、日本文化との調和性を含め慎重に考察して制定すべきである。

西洋の真似をすることが日本国に適しているとはかぎらないのである。その議論を国会等で行い、制度を制定するにはコストがかかるが、現社会の構成員としての個人の多数がそれを要求するのなら、それはやるべきである。

この「多数が要求する」というのは、民主主義政体を採用する以上、行政システムを使う場合の基本的要件である。勿論、多数が要求することは、多数が直接関わる(多数の問題である)こととは等価ではない。それは、社会が正常に運営されるために、それが必要だと多数が考え要求することである。その意味で、多数が要求しないのなら、そのような制度を創設する必要はない。

2)杉田水脈氏の新潮上の記事について議論が、Amebaテレビで放映された。https://www.youtube.com/watch?v=vUDc2-qrCsY そこで、パネルとしてまとめたられた杉田氏の主張の要点を、Amebaテレビの画面から再録する。(補足3)

① 行政が動くということは税金をつかうということです。
②彼ら彼女らは子供を作らない、つまり生産性がないのです。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか。
③普通に恋愛して結婚できる人まで、「これって(同性愛)いいんだ」と、不幸な人を増やすことにつながりかねません。

この中で、①「行政が動くということは税金をつかうということです」はその通りである。②の前半、「生産性がないのです」は、全く問題はない。この言葉が問題視されることは、驚異である。

杉田氏は、子供を作らないことを「生産性(英語productivityの翻訳語だろう)が低い」と言ったのだが、このproductivityには多産(性)の意味も(当然)ある。つまり、議論の対象が物品と子供の違いがあるが、生む数/つぎ込んだエネルギーという点では共通だからである。

この杉田発言を批判する世論の嵐の原因は、工業産品と人生での子育てを一緒にされるのが腹立たしいということらしい。この、言霊に支配されたレベルの低い批判が大半である点に注目すべきである。また、その嵐を煽る枝野氏など民進党の人たちは、それを政治利用しているのであり、政治屋としての典型的行動である。

②の後半に話を戻す。LGBTのパートナーシップ制度創設が、子供の生産性が低いからと言って、その制度を作る必要がないと言うことにはならない。それは既に上に述べた。LGBTの人も社会の構成員である。それらの方がカップルとなり、家族を構成する制度を作るべきだと言う意見の人が多数を占めれば、その類の制度を作る必要があると結論するのが、民主国家での行政のあり方である。(補足4)

しかし、同性のパートナーシップを通常の異性間の結婚と同一の法的権利を設定すること出来ないのは、最初のところに書いた通りである。「異性婚の間にも生産性のないカップルもある」とか、「同性カップルでも養子縁組もあり得る」という意見がAmebaテレビの上記番組でも出ているが、この問題は、今後できれば議論するつもりである。

ただ、ゲストの明治大教授の鈴木賢氏が主張するように、「公の空間でゲイ同士が手を繋いで歩く権利があり、それを差別視することはあってはならない」は間違いである。何故なら、個人は好き嫌いを表現する自由があるからである。人々がその光景の主に、蔑視の視線を向けることも、その結果差別を受けたと腹立たしい感情をゲイの方が持つのも、同様に個人的な好き嫌いの表現である。

その様な視線を向けるのは、下品であると人々が見るのなら、そのような視線は少なくなるだろう。その逆に、社会の健全な維持のためには、それらのカップルに冷たくしても当たり前だと言う考えが支配的になれば、視線は一層冷たくなるだろう。

社会から差別一切をなくすべきだと言う意見は、非常にナイーブな意見である。基本的人権は守るべきであるが、その人権の中に好き嫌いの表明も含まれる。人生は差別の連続である。(補足5)何故なら、個人は異なる能力を持ち、異なる容姿を持って、異なる両親の下に生まれる。もちろん、異なる国、異なる文化の中に生まれる。そこで一般的に差別をなくすることは不可能であり、そう主張するのは夢想家のすることである。

また、他の民族や他の国家が、特定の国や民族の文化に対して、干渉することは最小限に抑えるべきである。その一例がこのLGBTへの対応の問題である。それは、この国の文化の問題であり、他国、多民族がとやかく言うことではない。その因果応報は、その国その民族が引き受けるからである。番組のイントロで、ゲストのパックンが行った通りである。

補足:

1)竹下郁子と言う人が、杉田発言を非難している(https://www.businessinsider.jp/post-172378)。 このかた、何もわかっていない。この程度の議論で、マスコミに掲載されることそのものが、日本の病気である。ライブドアニュース(http://blogos.com/article/316459/)らも同様である。最後の記事などは、野党議員の一人による非常に劣悪な批判である。

2)子供ができない夫婦、子供を作らない夫婦も存在する。また、同性カップルでも、養子を育てることが可能である。この点については本文でも書いた様に、今後できれば議論する予定である。

3)パネルに書かれた項目全てを下に再録する。
○ LGBTだからといって、実際そんなに差別されているものでしょうか。
○ (LGBT当事者から聞いた話として)「社会的な差別云々よりも、自分達の親が理解してくれないことの方が辛いと言います。親は自分たちの子供が、自分たちと同じ様に結婚して、やがて子供をもうけてくれると信じています。だから、子供が同性愛者だと分かると凄いショックを受ける。
○ そこさえクリアできれば、LGBTの方々にとって、日本はかなり生きやすい社会ではないでしょうか。
○ 行政が動くということは税金をつかうということです。
○ 彼ら彼女らは子供を作らない、つまり生産性がないのです。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか。
○ 私は中高一環の女子校で、まわりには男性がいませんでした。女子校では、同級生や先輩と言った女性が疑似恋愛の対象になります。ただ、それは一過性のもので、成長するにつれ、みんな男性と恋愛して普通に結婚していきました。
○ 普通に恋愛して結婚できる人まで、「これって(同性愛)いいんだ」と、不幸な人を増やすことにつながりかねません。

4)杉田氏の、LGBTの人たちのパートナーシップ制度の創設に関して、子供の生産性/行政コストでその可否を判断すべきだというのは間違いである。分子に来るべきは、「社会(国家)の持続性、発展性、安定性への寄与」である。この杉田発言の間違いを、枝野氏らは正しく批判していない。

5)「差別」とは待遇が異なることを言う。社会に貢献するあらゆる要素において、与える質と量が少ない個人が、少ない評価や報酬を受けるのは自然な差別である。共産主義経済の考え方に「能力に応じて働き、必要に応じて取る」は、差別を否定する究極の考えである。しかし、「必要」が具体的に規定できないことは明らかであり、このような無意味な言葉が一定の歴史的役割をしたのは、驚異であり脅威である。

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