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2018年12月9日日曜日

今上天皇は靖国神社を潰そうとしておられるのか?

靖国神社は国立戦死者追悼施設とし、展示内容等もそれに沿った姿にすべき:

1)文藝春秋12月号に掲載されている小堀前靖国神社宮司の記事を読んだ。小堀氏は、靖国神社がガラパゴス化していると嘆いているが、それは小堀氏がこぼした「天皇陛下が靖国神社を潰そうとしている」という言葉と裏腹になっている。その言葉について考えるが、そのためには、靖国神社と”靖国問題”について一応の理解が必要である。私もそれを復習するために、先ずそれらについて少しまとめておきたい。

靖国神社は、明治2年に時の天皇により「東京招魂社」として創建された。戦前は陸軍と海軍の共同管理下にあった。昭和21年(1946年)に宗教法人となり、単独の宗教法人として現在に至る。現在の視点で見れば、靖国神社は日本の若者を兵士として消費するための機関であったと言えると思う。(補足1)

明治12年に東京招魂社は靖国神社に改称された。明治憲法が制定されたのは明治22年であり、その第28条には信教の自由が定められていた。靖国神社が宗教施設であると考えれば、明らかに矛盾する。憲法が国民に対する国家体制の明示であるとすれば、明らかに靖国神社は憲法の上位に位置する。そのように考えれば、前宮司の「靖国神社は天皇陛下のお社と言っていい存在です」という言葉(文春95頁下段)が理解できる。しかし、それは時代錯誤である。

靖国神社を特殊法人として、靖国神社の宗教性を希薄化させる法案が、1969年から毎年自民党から議員立法の形で提出された。1974年に、衆議院で可決されるが、参議院で審議未了のまま廃案となった。この動きを前宮司は「政教分離」が厳しく言われた時期と解釈し、それを契機として昭和天皇が参拝されなくなったと書いている。(補足2)

私はこの法案において靖国神社の名前をそのまま用いたことは、大きな問題であり、廃案は当然だと思う。その法案の第2条に『靖国神社の創建の由来にかんがみその名称を踏襲したのであり、靖国神社を宗教団体とする趣旨のものと解釈してはならない』と書かれているという。しかし、これは全くの嘘だと思う。単に、「国立戦死者(或いは戦没兵士)追悼施設」とでも名前をつければ、あえて第二条にこのような文言を入れる必要性はない。神社という宗教施設の名称を用いる限り、そして、自民党が日本語を破壊したくないとすれば、この言い訳は全くの嘘である。(補足3)

次に、靖国問題について簡単に書く。靖国問題とは“A級戦犯”の合祀問題であり、中国や韓国などが日本に難癖をつける為の道具の一つである。これは、靖国神社を「国立戦死者追悼施設」としておけば全く問題にならなかっただろう。東京裁判で「平和に対する罪」という名目で殺された人たち(“A級戦犯”)を靖国神社に祀るかどうかの問題は、靖国神社の設立趣旨を考えれば明らかである。

靖国神社は戦死者の霊を祀ることを目的に創建された。従って、戦死者でない所謂A級戦犯たちの方々を祀るべきではない。多くの若者を戦地に送った彼らが、送られて戦死した人たちとともに祀られる理由はない。仮に、東京裁判も戦争の一環だったという話を正当だと認めるのなら、合祀の理由になるかもしれないが、その場合は、東京裁判を戦後の報復だと言って批判することは出来ない。更に、あの戦争を開始から敗戦まで総括して、東京裁判の看板から中身までの再評価をしなければならない。それらをしないで、合祀の正当性を主張するのは知能を持った人のすることではないと思う。

2)今上天皇が、靖国を潰そうとしていると前宮司が嘆いた根拠は、今上天皇がこれまでされた活動を根拠としている。つまり、天皇陛下はこれまで一度も靖国参拝されていない。その一方で、グアムやサイパンなどを訪問し、戦死者を慰霊されたことである。それらは、靖国には戦死者の霊は存在しないという考えに基づくと、前宮司は考えておられるのである。この考え方は、それなりに論理的である。

そして、「神道では、嘗ての戦地には、遺骨はあっても靖国神社の神霊はそこにもうおられないと考えます。靖国神社を永遠の静宮の常宮(神道の用語)としてお鎮まりくださいと毎日祝詞を申し上げているのですから、神霊が陛下と一緒に移動することはあり得ないと思われます。」と前宮司は書いている。 この考え方は、霊に関する伊勢神道の解釈なのかもしれないが、オリジナルな神道の考えとは全く異なるだろう。参考として、数年前に神道に関して書いた文章を紹介しておく。元々神道は自然の祟りをおそれる宗教であり、人は死後大自然の中に消滅するとしても、特定の神社という「現世の特定の場所」に鎮座する類の考えはない。https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2014/06/blog-post_24.html

前宮司は、「陛下の慰霊の旅はあくまで亡くなった人を偲ぶということであり、亡き人々の神霊を祀ることではない」と断言する一方、「しかし、靖国神社の崇敬者のなかにも、亡くなった人の神霊もその場所に来ているのではないかと考える人がいる」と書いている。これらの文言をよく考えると、前宮司は本質的なことを心配しているのではなく、靖国神社に参拝する人が減少することを恐れていることがわかる。

つまり、文藝春秋の記事で小堀邦夫前宮司が書いているのは、宗教法人靖国神社の“営利団体的側面”においての危機でしかない。明治の時代に入り、帝国主義の世界を生き抜くためには、日本国も多数の若者の命を消費する必要があった。そのために考え出されたのが、国家神道である。その是非を論じることは、簡単ではないので、別に機会があれば書きたい。

私の伊勢神道に対する考えは、オリジナルな神道を乗っ取り、天皇家を中心とするヤマト(大和と倭の両方の漢字が用いられている)の為に創り出された宗教だというものである。(上に引用の記事参照)靖国神社は、現在ではほとんど観光の対象としての側面が目立つ伊勢神宮が先祖がえりした姿なのだろう。前宮司の危惧は、その靖国神社も伊勢神宮同様に、ほとんど観光の対象となってしまって良いのかと言うことではない

前宮司は、靖国がガラパゴス化(前宮司の言葉)した神社に見えたのは、かなりの黒字を抱えているものの、今上天皇の靖国に対する冷たい姿勢に危機感を持たない現在の神社上層部に対する苛立ちがあったからだろう。伊勢神宮の禰宜(宮司に次ぐ地位)を務めていた前宮司が、靖国神社の宮司になって、伊勢神宮の運営のノーハウを持ち込もうとしたのかもしれない。それが十分な理解を職員に得られなかったのだろう。

なお、神道については以下の記事も参照ください。「猫の駅長(タマ)が神社に祀られる:バカか冗談か、それとも神道を愚弄するものか」https://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42341597.html

補足:

1)神道には教義はない。従って、兵士として戦死したとしても、英霊になるという教義も、人は死んだのちにその霊が残るという教義もない。「靖国で会おう」と玉砕の前に言い合った兵士も、それを本当に信じたわけではないだろう。

2)昭和天皇が靖国参拝をやめたのは、A級戦犯合祀(昭和53年)があったからだと言う説がある。それは富田メモ(元宮内庁長官富田朝彦氏のメモ帳27冊にある昭和天皇の言葉)にそのように書かれているかららしい。一方、それは富田氏の天皇を守ろうとする意図に基づく捏造だと言う説もある。https://yoshiko-sakurai.jp/2006/08/03/508

3)自民党の1974年の靖国法案は、靖国神社の神道的(オリジナルな神道の)性質を希薄化する意味はあっても、明治初期の靖国設立の目的にそった国家神道の本格的な復活をめざしたのかもしれない。自民党全体は、一つの政治的思想に基づいている政党ではなく、現実的視点で政治を考える議員の集合に過ぎない。その中には、軍国主義的人物が居て、彼らが議員立法で出した法案が靖国法案だった可能性もある。とにかく、日本の政界には論理的に考えられる議員はあまり居ないので、最も大事な政治改革は、一票の格差の完全解消による都市部の比較的知的な有権者の票を生かすことである。

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