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2019年7月6日土曜日

言葉が人間をつくるのか、人間が言葉をつくるのか?

1)同じようなことを書く人だと思われるだろうが、今回も「言葉の謎」についてこだわって文章を書く。きっかけは、6月27日に書いたブログ記事「持続的鎮静は法的議論を経ぬままに拡大加速化されるだろう」(Abemaブログ上)に対してもらったコメントである。

米国在住のハンドル名chuka氏からもらったそのコメントを以下に記す:

ご紹介されたNNK安楽死の一コマでは、同病で悪化し、喉チューブで呼吸している女性に医師が「おやつとる?」と話しかけていました。静脈からの全栄養注入におやつという幼児語を使うなど、バカにしています。また患者が幼児並みなら判断力に問題がありますが、この医師は、はい、いいえを目の反応で理解することが出来る?と主張!エンドオブケアの目標は人間としての尊厳の維持です。大体において日本ではまだ自分を神様と見なして勝手な判断する医者が多過ぎる。問題です。

このブログ記事についてのコメントのやり取りを読むと、改めて面白い内容だと思い始めた。その結論を書いたのが、表題の「言葉が人間を作る」という文章である。つまり、我々は教育を受け、あらゆる角度から日本の言葉を学ぶ。それが、個性により屈折したり増幅されたりするが、夫々の人間性となって、“社会の中での衣”として織り込まれることになるのである。つまり、言葉により哺乳動物の一つの「人」が、社会性を帯びた「人間」となるのである。(補足1)

日本の医者が傲慢だとすると、その傲慢さの源流を辿れば、日本語に突き当たると思うのである。ここで日本語とは、日本社会の“空気”が書物の上に“凝縮”したものである。逆に、日本社会の空気は日本の多くの書物から“蒸発”したものである。ここで凝縮と蒸発という理系の言葉を用いたが、それは著作となること、及び、そこから人々が学ぶことを意味する。自分勝手な評価かもしれないが、面白い比喩だと思う。

上記のコメントのやり取りで、chuka氏は「エンドオブケアの目標は人間としての尊厳の維持です。日本ではまだ自分を神様と見なして勝手な判断する医者が多過ぎる。」と指摘しているが、その文章のキーワードは「尊厳」だと感じる。 そして結論として、医者だけでなく、日本人の多くは尊厳という言葉を理解していないのだと思うのである。

「尊い(とうとい)」と「厳しい(いかめしい)」が一つの単語「尊厳」を作る。そんな単語が日本人一般に理解できる訳がない。ここで理解とは、言葉が自分の頭脳の中を通り、消化吸収されて、自分の心に響く形で自分の語彙となることである。テストで漢字が書けることではない。

私が理解する尊厳は、英語のdignityである。つまり、英訳することで英語圏での個の自立の習慣を思い出し、なんとか理解しているのである。Chuka氏は米国在住故、私の理解とは若干異なるだろう。しかし、やり取りが成立しているとすれば、尊厳という言葉に似た理解をしているからだと思う。

2)病院での患者と医者の関係は、社会的関係である。患者はベッドの上に一人でいるときには、“自分に戻る”だろう。しかし、医者や看護師(補足2)が来た時には、体の自由は効かないが社会人として対面する。従って、医者も患者も、人間性という衣を着た状態での関係を保つ。

患者は自分の病の説明のとき、そして直接体を見せて診察を受けるときには、自分の私的部分の一部を開示する必要がある。その微妙な関係のときに、医者は自分自身の人間性が問われる。患者のdignityを侵害しないことが、医者としての義務である。その自覚は、医者としてのイロハだろう。(補足3)

上記chuka氏のコメントは、その医者が、医者としてのイロハすら学んでいないことを指摘しているのである。医師は、日本では学業成績の最優秀な学生が目指す職業である。それ自体も異常なのだが、それでも尚十分に社会性を持てない医者が(多分)多くいることは、日本文化の弱点なのだろう。

ある人の人間性とは、その人が社会で見せるその人の制服のようなものである。社会での人と人の関係は、人間性という衣を来た形での関係である。(補足4)「自分に戻る」とは、その衣を脱いだ状態である。この両方の状態を峻別する能力が、私の云う「個の自立」である。

人は社会を作って生きている。社会なくしては、一片のパンも手にする能力もない。従って、人は社会的存在としての自分と、私的自分との峻別をしなければならない。人間と言う言葉は、社会に生きる人の意味である。

日本の文化の弱点は、個の自立が十分確立していない点である。個の自立は民主主義社会を作る上で必須である。それを指摘したのが、小沢一郎のゴーストライター達が書いた「日本改造計画」である。https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2014/12/blog-post_2.html

補足:

1)人間とはもともと「世の中」「世間」「人の世」を意味する仏教語に由来すると書いている記事がある。http://ot7.jp/archives/693 私の「人間」の定義は元々このような理解を背景にしている。つまり、「人間とは、社会性を持った人」である。人とは、哺乳動物の一つのホモ・サピエンスを指す。

2)看護婦が女性差別用語だというので、看護師という言葉が使われている。しかし、何故「看護士」という漢字を用いなかったのか、非常に不思議である。日本の病気を指摘するのは、看護師という言葉だけで十分である。勿論、医師も本来医士がふさわしい。士と師の区別さえ出来ないにも係わらず、漢字検定などで漢字の能力をテレビなどで競っている。これらの言葉は、無知な或いは卑怯な人間が、この言葉を決める立場に出世していたからである。日本医師会の票を当てにする自民党議員が直接関係しているか、その自民党議員を忖度した文部官僚の可能性が高い。

3)医者としてのイロハだというのは、非常に厳しい評価である。今後、介護などを受けることになれば、個人の尊厳という言葉を知っているので余計に、その境遇を地獄だと感じるだろう。

4)「社会での制服」は、人間全てが着る。警察官や裁判官、医師や看護師などの職業では、文字通り制服を着る。制服は、その人の社会での振る舞いに大きく影響する。

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