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2019年7月20日土曜日

日本人は外敵を意識できない:幼稚な平和主義には歴史的理由がある

「人命最重視の理想主義、戦争絶対反対の平和主義、「日本の本来の姿」という復古主義などの宗教に埋没する国には、崩壊しか無いだろう」と題したブログ記事にコメントをもらった。その中の一文が非常に気になった。https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2019/07/blog-post_13.html

戦争は如何なるものも悪である、という信念の人々に囲まれて暮らしています。

これに対して、私は取り敢えず以下のような返答を書いた。

「この「信念」ですが、それは念仏の間違いです。信念は事実の集積とそれを基礎にした深い考察が無ければ持てません。日本人大衆は、敵の原爆も天災と捉えてしまうほど、思考能力を喪失しているのです。(以下略)

その後、表題の命題を設定し、それを数日考えた。その結果、 日本人一般の戦争絶対悪という信仰の背景に、”日本人は外敵をシリアスに意識すること、及び、その必要性を現在でも認知できなくなっている”という事実があると思うに至った。

外敵をまともに意識したのなら、そして、日本国という国家とその恩恵を意識しているのなら、戦争絶対反対は有りえない。日本の庶民にとっての国家は、国内の威圧的な勢力であり、恩恵を実感する対象ではない。それらに片棒を担がされて外国へ命をかけて侵略することには絶対反対ということになる。

つまり、日本庶民の心中に、国内の敵(戦前に負ける戦争に大勢の国民を駆り出した連中)があっても、海外の敵は身近に存在する敵の敵であっても、自分達の敵として実感できないのである。

それは米国の占領政策として進められたWGIPよりも根が深いと思う。それを裏付ける現象が既に歴史に刻まれている。

74年前、マッカーサーは非常に警戒して、それをわざとらしく隠して日本の土を踏んだ。しかし、その警戒は思い過ごしだった。何故なら、日本人一般は原爆も戦争も何もかも、愚かな国内勢力の所為で招き込んだ天災のように感じていたからである。(補足1)恐ろしいのは(国内の)特高などであり、敵国の将マッカーサーではなかった。マッカーサーが帰国するとき、20万人以上の日本人が沿道で見送った。マッカーサーは日本復興の英雄だった。こんなことがWGIPで起こり得るだろうか?私は、絶対にNOだと思う。

今回の記事の結論を先に書く。

日本は硬直したピラミッド構造の身分制度を持ち、そのピラミッドは堅牢な層状をなしている。各層に所属する人間は、上の層を考えても超えられない壁に跳ね返されるだけであるので、一切考えない。下の層があれば、それを考えて鬱憤を晴らすだけである。明治以来の富国強兵策は、半ば奴隷的な一般国民により支えられた。庶民の青年は、一銭五厘(補足2)の命であった。マッカーサーと比較すれば、どちらが好意的だったかは明らかである。

この歴史を一顧もせず、憲法改正を主張する人たちは無知の極みである。もちろん、憲法改正は必要である。しかし、それ以前にすることがある。それは、未だ残存する層状構造の身分制度の破壊である。それには、先ず、一票の格差全廃と、選挙区制度の改革により、長州とその人脈で占められた政界の改革が必要である。

更に、厄介なのは、国民の意識改革である。その自ら超えられない壁を設定する文化を如何に克服するかは、強烈な怒りか何かがないと短時間には無理かもしれない。次に、その層状ピラミッド構造の歴史の概略を書いて、今日は終わりにする。

2)日本は島国である。白村江の戦いを最後に、大陸とはほぼ切れた。その後、外敵との戦いはなくなり、存在したのは内戦のみになった。ギリシャの昔から島国は敵を意識することが不得意であった。(補足3)

全軍を率いる総大将或いは軍神という天皇のイメージが失われ、御簾の奥で十分権威を保てるようになった。そして、民族全体を「戦う生命体」として機能化するメカニズムが消失した。(補足4)支配層はその地位を守るため身分制度を持ち込み、社会を層状ピラミッド構造にした。

層状の身分制度は、団結を防止する為である。これも古代からの支配層の知恵である。更に、儒教などの御用学問が層状構造の安定化に寄与した。貴族階級の権威を、武士階級の力から守るために、武士にも貴族としての位、官位の授与を行なった。その官位の権威の根拠が、官位の頂上の天皇である。

更に、その天皇の権威を特別なものにするのが、伊勢神道である。伊勢神道は天皇を神とする根拠であり、その正統性を示したのが日本書紀である。日本書紀には、ユダヤの聖書のような民族の教訓などはない。17条憲法は統治者に対する教訓であり、民族の知恵ではない。権力安定のために宗教を用いるのも古来常道であった。

外敵の脅威を日常的に感じない島国の支配層は、内部に分裂を持ち込むことと、その天皇や宗教を用いた安定化で、彼らの安全を確保してきたのである。

幕末から明治の日本において、武士階級と庶民階層の間には、外国人との間以上の不信感が存在する。その証拠の一つに、武士階級と貴族階級以外で明治の革命に指導者として参加した人間はほとんどいない。(補足5)昭和の軍隊でも、一銭五厘の葉書で集められた一般兵は消耗品であった。

この事実を抜きにして、現在の政治の改革は不可能である。日本人の平和主義を、文化の面では徹底的に二度と戦えない国に改造した米国の責任にする人がほとんどである。それは愚かな評論家連中の常であるが、米国の知恵や力だけでは、このような改造は不可能だろう。上記の簡単なレビューだけでも、日本の文化にそれを積極的に受け入れる素地があったことがわかるだろう。

追補(7/22/9:00) この記事、相当考えて書いたつもりだったが、5年前に同じ様な内容の記事を書いていた。(老化⁉️)5年前の記事、カレル・ウォルフレン氏著「なぜ日本人は日本を愛せないか」(和訳)の感想と反論=>https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2014/12/blog-post_19.html

補足:

1)広島の原爆死没者慰霊碑に書かれた言葉「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから」は、原爆を投下した米国を避難していない。完全に国内の問題として捉えている。

2)新兵としての召集令状には一銭五厘の切手が貼ってあったことから、自虐的にそのように言うことが庶民の中で広がった。

3)クレタ文明はミケーネ文明に敗れた。クレタの宮殿には城壁がなかった。

4)外敵を意識しなくなったということである。韓国の反日姿勢を思い出せば良い。韓国民の愛国心は日本が支えているのだ。

5)明治の革命をフランス革命とは、全く異質の革命であるが、それでもその類似性を云々する人も多い。この問題を深く考察することも、さしあたりまともな日本を作る出発点として大事だろう。

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