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2019年12月20日金曜日

国家の没落を我々は食い止められるのか:ロックインモデルを用いた考察

中野剛志氏の「没落について」という30分程の講演を聞いた。その内容は、国家の興亡は一旦方向が決まると運命のように進むというもの。例えば、今の日本のように没落の道に入れば、そこから脱出することは非常に困難で、現状ではどうしようもないという話であった。中野氏は、それを経済用語の「ロックインモデル」(補足1)を用いて説明している。https://www.youtube.com/watch?v=OoduEx7tl2k

 

ただ、その中で運命の反転のチャンスを待ち、自分に出来ることを探し、努力するのが人の気高さであり義務だと、偉人の言葉を引用して講演を閉じている。当たり前のようで有りながら、それなりに新鮮だったので、ブログ記事として紹介したい。尚、下記の2)と3)は殆ど、本ブログ筆者のオリジナルである。また、ロックインモデルを用いた歴史解釈に対する私の評価は、2)の最後に書いた。

 

1)ロックインモデル

 

ロックインモデル(ロックイン効果)は、例えば、スマホなどの契約を考えると理解しやすい。非常に有利な条件を提示されたと思って、一旦その契約をしてしまうと、その後他社との契約に乗り換えることが困難になる。それが、ロックイン効果である。その契約に縛られてしまう理由の一つは、乗り換えのコスト(スイッチングコスト、違約金や手続の手間など)が大きいことである。

 

他に、パソコンを一旦アップルに決めてしまうと、その後もウインドウズに乗り換えるのが困難に(或いは嫌に)なる。この場合の乗り換えコストはパソコンの価格ではなく、最初の何年かの使用で、アップルの操作に慣れてしまい、ウインドウズ機が使いにくいことである。ロックイン戦略は、経済の方で顧客固定化と訳される。

 

中野氏は、英国のブレグジットの困難さを、ロックイン効果の例として説明している。つまり、現在の英国経済は、EUの一員としての英国を前提に活動しており、ブレグジット後にはそれら条件を全て新たに書き換える必要がある。そのスイッチングコストは膨大なので、細部まで考察すればするほど、ブレグジットは簡単でないことが分かる。

 

例えば、関税等に関しても新たに交渉が必要だが、EUとのFTA交渉には数年というレベルの時間がかかり、一旦はその部分が空白になるだろう。(その場合、WTOのルールが適用され、貿易障害が残る)その結果、海外資本は英国から去ることを考えるだろう。それでも、今回の選挙の結果から、来年1月に確実にEUから脱退することになるだろうから、大混乱は不可避である。

 

EUに残留した場合の移民増加の問題などと、EU離脱のスイッチングのコストの両方の間で、英国は悩み続けてきたのである。それがEU加盟に関するロックイン効果である。

 

他の国家間の関係(TPPなど)でも、同様にロックイン効果が生じるので、条約等の取り決めには、事前に出来るだけ細部まで慎重に検討すべきである。もし、それら条約等の発効後に非常に不利な状況が明らかになった場合には、できるだけ初期段階に元に戻さなければ、スイッチングコストが増大し、ロックインが完全になる。

 

中野氏はもう一つの例として、日米安保体制を取り上げ、簡単な議論をしている。米国依存状態へのロックインを解消するのは、遅くとも2000年〜2010年に憲法改正を済ませ、米国依存からアンロックの道を探るべきだった。米国はこの時期にイラク戦争などで疲れ切っており、日本はこのロックインを外す最後のチャンスだったと話す。

 

今となっては、もはや日本は北東アジアから米国の覇権が無くなっても、独立国としての体裁を整えることは出来ないだろう。日本には没落の道しかのこされていない。このように中野剛志氏は悲観論を提示している。この悲観論そのものは、現在の知識層では広く意識されているが、没落は不可避だとは考えていないだろう。(補足2)

 

2)安全保障のおける米国依存体制からのアンロック

 

この問題は我々日本人にとって特別なので、私の乏しい知識と調査で、もう少し考察してみたい。日本は2000年代(2000〜2010)には既に、安全保障を米国に頼る体制にロックインされており、もはやそこからの主体的な脱出(アンロック)は不可能だったと、私は思う。

 

終戦直後の防衛力が殆どない情況下では、日米安保体制に完全依存することは当然だっただろう。しかし、その後の75年間の日米関係において、米国への完全依存からの離脱を試みるチャンスは二回あったと思う。最初のチャンスは、サンフランシスコ講和条約直後、つまり、日米安保条約締結直後である。

 

それは、直ちに日米安保条約の解消に取り掛かるというのではない。日米安保条約は、相互防衛条約として維持する限り、日本の安全保障に役立つので解消の必要はない。1952年に直ちに行うべきだったのは、憲法改正である。それを怠ったのは、吉田内閣の犯した日本歴史上最大の罪だと思う。

 

石原慎太郎は吉田茂の側近中の側近であった白洲次郎から、そのような指摘を直接聞いたという。(補足3)吉田は、「軍隊の無い独立国家日本」をどう思っていたのだろうか?軍隊のない独立国は、歴史上なかったのだから、吉田茂は直ぐに憲法改正をしなければならなかった。国家と軍隊の関係が全く分かっていなかったのだろうか?

 

憲法改正のチャンスを逸した時点で、独立国として必須の防衛力を米国に完全依存し、米国の属国状態への道にロックインされるのは必定だっただろう。朝鮮戦争やベトナム戦争に巻き込まれたくないという事情で、憲法改正をしなかったのかもしれないが、その考え方は根本的に間違っている。(補足4)

 

それ以後の総理大臣が憲法改正を口にすれば、「吉田茂が憲法改正をしなかったのは、日本が再び戦争をする危険性を心配したからだ。それにも拘らず、何故お前は憲法改正するのか」とか言って、野党は反対するだろう。そして、そのような野党に戦争の惨禍の記憶が残る日本国民の支持が集まるだろう。実際、日本社会党は、米国により育てられた日本を骨抜きにする装置であった。(補足5)

 

もう一回のチャンスは、冷戦が終結した1991年からの数年間だったと、中西輝政氏が書いている。(救国の政治家、亡国の政治家)しかし、その1991年から宮沢、細川、羽田、村山、橋本と、リーダーシップのない人たちが総理大臣を務めたのは、日本の不幸だったと思う。

 

日本のチャンスを潰したのが、その時自民党の実力者だった小沢一郎(補足6)が主導する政治改革だった。つまり、憲法改正という最重要な話が、二大政党制を目指して小選挙区制を導入するという政治改革にすり替えられたのである。小沢一郎の面接を受けて総理大臣になった宮沢喜一にとっては、憲法改正は大胆で無謀なことであり、頭の片隅にもなかっただろう。

 

ロックインモデルでの解釈は俯瞰的なもので、それだけでは何の役にもたたない。

 

複雑なプロセスでロックインが完成していても、鍵となる小さなフックがそれを留めている可能性がある。もしも政治家によるゴーストライターを利用したプロパガンダ(「日本改造計画」という本の出版)を罰する法があったなら、政治家小沢があのような人気を得ることはなかっただろう。そして、小沢の正体がその時既にバレていれば、歴史は変わっていた可能性がある。「歴史の細部に神は宿る」というアンチテーゼを同時に意識することがなければ、ロックインモデルは有害でさえあると思う。

 

3)政治におけるロックイン効果:エネルギーの谷間を世界は動く

 

世界の片隅で何かが起これば、その局所的高エネルギー状態は、波紋のように地球を一回りして隅々まで色んな効果を与える。ただそれだけなら、その後一定期間後に世界は、近くの別の安定状態に移動するだけだろう。しかし、その効果が、どこかの大きな変化の引き金になったとしたら、その効果も地球を回って隅々まで新たな効果を与えるだろう。

 

従って、世界の一つの現象を完全に説明するには、厳密には世界の過去から現在までの全ての情報が必要だということになる。例えば、以前書いたことだが、ゴルバチョフによるペレストロイカが、中国に伝播して天安門事件発生の切掛を作った。このペレストロイカにも歴史的背景が有り、また天安門事件の影響も今日の世界に及んでいる。

 

その中で一個人の果たす役割はいかほどのものなのだろうか?例えば上記考察で、吉田茂を批判して、いったい何になるのだろうか?世界はなるようになるし、なるようにしかならない運命のようなものに支配されているという考え方が、今回のロックインモデルである。

 

つまり、世界は全てのメンバーの相互作用を考えれば、エネルギー(補足7)極小の一本道、エネルギーの谷間を進む。そこで一個人が何らかの影響を及ぼしたとしても、一つの谷間からもう一つの谷間に移行する程の大きな影響でなければ、世界の歩む方向は変わらない。世界の動きは、世界に蓄積された政治的エネルギー(人々の不満など)の蓄積とその分布などで決まる。

 

上の例では、ゴルバチョフの代わりに誰か他の人がソ連共産党書記長になっていたとしても、多少の時間的空間的変更があったとしても、最終的にはソ連崩壊という道を離れることはないだろう。また、上記日本の防衛の問題では、仮に吉田茂ではなく、別の人物が時の内閣を組織していたとしても、日本の進む方向を決めるポテンシャルは、日本国民全てと日本の歴史や政治文化が決めると考えれば、同じエネルギーの谷間、つまり米国への完全依存の道を歩んだだろう。

 

つまり、世界の動きが着実に一方向に進むのは、エネルギーの谷間の一本道にロックインされているからだと考える事ができる。人が変われば、様相が全く代わるのなら、そのようなモデルは成立しない。ロックインモデルは、その「メカニズムを含めた運命論的モデル」である。世界は、これまでの歴史の延長上を、世界の全ての構成員がリアルタイムで作り上げるエネルギー面に谷間を掘るように進む。

 

順調に進む間は、ロックインされた状態である。突然に、エネルギーが世界に湧き上がるか降りそそぐかした時、別のエネルギーの谷間に移る事はありえる。それは、特別に賢明な大きな能力があれば、そこでの運命の選択は可能かもしれない。上に書いた「鍵となる小さなフック」を外すチャンスがあるかもしれないのである。

 

4)人類の運命を考えて、人はどうあるべきか

 

このどうにもならない歴史の流れをどう考え、どう対処すべきかについて、中野氏は西欧の偉人の言葉で締めくくっている。一部だけを簡単に紹介するが、全体は元の動画を参照してほしい。

 

「人間の事柄全ては、流転してやまないものである。我々は、多くの事柄を行うのに、理性に導かれるのではなく、必要に迫られてやっているに過ぎない。」

「運命が何を企んでいるかわからないし、いつどんな幸福が飛び込んでくるか分からないので、希望を持ち続け、投げやりにならないことである。」(ニコロ・マキャベリ)

 

「我々はこの時代に生まれたのであり、そして我々に定められているこの終曲への道を勇敢に歩まなければならない。これ以外の道はない。希望がなくても、救いがなくても、絶望的な持ち場で頑張り通すのが(人間の)義務なのだ。」(オズワルト・シュペングラー)(括弧内は私の追加)

 

自分の運命の方向がどうあろうとも、自分にできることに努力し、自らを助ける努力を継続するのが、人間の義務だというのだろう。

(12月20日午前6時20分、編集;12月21日午後6時、セクション3に最後の一文を追加)

 

補足:

 

1)鍵をかけて閉じ込める(lock in )という意味でロックイン効果と名付けたのだろう。ある方向を選択すれば、周りの環境との相互作用できまる「ポテンシャルの底」に閉じ込められという意味だろう。理系用語の位相検波を思い出すが、それとは無関係である。

 

2)日本国民が”何かの切掛”で目覚めれば、没落へのロックインが解かれる可能性がある。例えば、国会議員の選挙制度が道州制の様に一新されれば、現在の無能な政治屋が一掃される可能性がある。そして日本の政治に戦略性が持ち込まれれば、例えば日露平和条約から、日本の没落もアンロックされる可能性がある。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12560038074.html

その第一歩は、日本国民が「自分たちの生命が、国家の命運と連結していること」を理解することであり、それは今日でも教育可能なことである。

 

3)鬼塚英昭氏の本には、吉田茂の側近中の側近と言われた白洲次郎が、米国のスパイだと書かれているようだ。その一方で、石原慎太郎氏は白洲次郎と知り合うことになり、白洲から直接、「吉田茂の犯した最大の間違いは、自分も同行していったサンフランシスコでの講和条約の国際会議で、アメリカ制の憲法の破棄を宣言しなかったことだ」と聞いたと書いている。

https://www.sankei.com/premium/news/170503/prm1705030021-n3.html

 

4)ベトナム戦争に参加を要請されたのなら、日本はどろ沼にはまり込むだろう。しかし、自分の戦争ではないと主張して、最小限の協力に止めることは可能だと思う。その交渉能力が、日本の政治家にはないから、最初から最も大切な事(憲法改正)を犠牲にして、その場から逃げる道をとるのである。

 

5)1989年に死亡した社会党の勝間田清一はソ連のスパイだったことが明らかになっている。(ウイキペディア参照)兎に角、社会党や共産党は外国(コミンテルン等)の指示で動いていた。社会党をGHQが育てたのは、ルーズベルトが最初から日本での共産革命を考えていたという説がある。マッカーシーの赤狩りまでは、米国の中枢は共産主義者が大勢いた。このグローバリストでもある共産主義者を米国政府中枢に送り込んだのは、ユダヤ系資本であると考えられている。https://www.sankei.com/premium/news/170205/prm1702050009-n2.html

 

6)小沢一郎はその後宮沢内閣不信任案に賛成し、自民党を離党して新生党を結成した。その後紆余曲折があって、2009年12月、民主党鳩山内閣の時、小沢一郎は同党幹事長として訪問した中国で、胡錦濤主席に対し「こちらのお国(中国)に例えれば、解放の戦いはまだ済んでいない。人民解放軍でいえば、野戦の軍司令官として頑張っている」と述べた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%B2%A2%E8%A8%AA%E4%B8%AD%E5%9B%A3

 

7)ここでエネルギーと書いたが、実は“自由エネルギー”(仕事に変換する事ができるエネルギー)である。世界のプロセスは、自由エネルギー極小(エントロピー極大)の道を選んで進行するのである。その道は、運命の道と言える。

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