前置き:
以下は2015年2月28日のブログ記事である。一定数の閲覧があったが、現在では検索にかからないので、再録することにした。陰謀論には二つあり、一つは戦略的な陰謀論であり、もう一つは撹乱戦術としての陰謀論であるという主張である。他国の陰謀を推測することは外交上大事であるが、それを否定する元外交官二人を批判した内容である。
「従軍慰安婦という性奴隷説」や「南京事件での大虐殺」では、その主張により利益を得ようとする者は、最初には発言しない。特に基本条約(平和条約など)を締結して、過去を清算して未来志向を約束した国家間では、それらは陰謀とみなされる危険性が高いからである。そこで有効なのは、その主張が成果を収めた場合に大きな損害を受ける側、或いはその近くから、主張させるという企み(陰謀)である。
そのような企みは、国家間の外交とコミュニティの人間関係を指す時に使う「外交」の区別が、十分できない国、日本、を相手にする時、成功率が極めて高い。そのように考えて、ここに再録し、陰謀論の意味を表裏二面から考えることが重要であると改めて主張したい。
[ 以下、再録記事 ]
Voice 3月号の巻頭討論「ユーラシアの地政学」を読んだ。テレビでおなじみの佐藤優氏と宮家邦彦氏の対談をまとめたものである。二番目のセクションからは面白く読ませていただいた。二番目からのセクションタイトルは、「プーチンの思惑」、「日豪関係の重要性」、「韓国との付き合い方」、「中国こそ韓国の脅威」、そして「21世紀のグレート・ゲーム」である。例えば、最後のセクションでは、宮家氏が”やはり日本人にとって大切になるのは、四方を海に囲まれた我国が地政学的に如何に恵まれているか、翻って各国が地政学的にどんな状況にあるのか、という想像力でしょうね。”と発言している。この点は本当にその通りであると思った。
しかし、最初のセクション「反知性主義の病理」には一部納得し難い箇所があり、その点に絞って感想を書く。最初に佐藤優氏が、“日本の言論界では反知性主義が席巻しだしている"として、ヘイトスピーチを行い、排外主義的な書物を出版する人たちを非難している。この点には同意するが、そこからの二人の意見には同意しかねる。佐藤氏の反知性主義の定義は、「客観性や実証性を無視もしくは軽視して、自分が望む様に世界を理解する態度のこと」である。そして、”反知性主義は学歴の高い人でも陥る危険がある。外務省をやめた途端に反米主義者になったり、陰謀論者になる人がいて情けないですが、日米同盟は日本の外交に欠かせない要件です。この点が崩れた人の本は読まなくて良いでしょう”と発言している。
私はこの部分の発言で、この人の限界を見た気がする。“外務省を止めたとたんに反米主義者になった人”と非難しているのは、孫崎享氏なのだろうか。また、陰謀論者になった人とは馬淵睦夫氏なのだろうか。両氏の本を読んだが、非常に示唆に富んだ内容であり、日本の戦略を考える上で役立つ筈だと思った(注釈1)。
もちろん、日米関係は日本外交に欠かせない要件であると思う。しかし、孫崎享氏の考えを反米主義として、馬淵睦夫氏の分析を陰謀論として葬ることでしか、彼らと対峙出来ない人は、そもそも外交専門家としては貧弱に思える。そのような姿勢で、夫々自国の利益をしたたかに追求する外交の場に臨むのは、自国の手足を縛ってしまうようなことになると思う。勿論、現場に居る人は米国の思惑と推理できることがあっても、それを本に書くことはできないだろう。しかし、退職したのなら、国家機密保護の原則にふれない範囲で自由に発表してよい筈である。
続いて宮家氏が、“我々が対峙しているのは、歴史学ではなく、現実としての国際政治です。過去の価値ではなく、現代の価値で戦っている、ということです。現代の価値とは、自由、民主、法の支配、人権、人道という普遍的価値を意味します。こうした普遍的価値に背を向けて、過去の価値体系で議論しても、国際政治の場では何の意味もありません。”と発言している。
表舞台で、これらを普遍的価値と看做すのは当然だろう。しかし、日本が関係を大切にすべき国家である、米国を始めとする西欧諸国が、本当に「自由、民主、法の支配、人権、人道」で動いているのか? 現代的価値というが、その現代は何時から始まったのか?第二次大戦後なのか、それ以前なら何時頃なのか?それを明らかにしなければ議論にならないと思う。そして、何よりも、米国のCIAやM何とかという英国の秘密情報機関、米国と結びつきが強い、イスラエルのモサドなどが、その現代的価値を重視して動いているのか?
本音があるのなら、もう少し本音を出して話して欲しい。本音があっても出せないのなら、そのような発言をしないで欲しい。世界が上記現代的価値で動いていると思う人が多くなるのは、日本の有権者を全体的に幼稚にしてしまう。
佐藤氏による反知性主義の定義は、「客観性や実証性を無視もしくは軽視して、自分が望む様に世界を理解する態度のこと」であった。諜報機関が裏で活動することも多い外交の世界では、当然秘密裏に(宮家氏の定義した)”現代的価値”を無視したことが起こり得て、それが外交を考える上で鍵となることも多い筈である。サイエンスではないので、客観性や実証性に縛られると、非常に外交における思考の幅を狭めてしまうと思う。
陰謀論を披露する人々だが、二つに分類出来ると思う。真面目な陰謀論者と陰謀で陰謀論を語る者である。真面目な方は、例えば上に挙げた馬淵睦夫氏である。彼が著した「国難の正体」は、私を含め素人の読者には非常に参考になる本である(注釈2)。もちろん、それを100%信じるのは反知性主義かもしれない。しかし、そのような考え方を披露するのは、反知性主義では決して無いと私は思う。
陰謀で陰謀論を語る者とは、「東日本大震災(地震)は、地震兵器で某国がひき起した」などと語る人である。“陰謀で陰謀論を語る人”は、真面目な陰謀論者を抱き込んで、一緒にゴミ箱に捨てられる役を引き受けているのだろう。もちろん、そのような陰謀があるかどうか客観性も実証性もない。しかし、外交とはそのような世界ではないのか?
注釈:
1)1)孫崎享著「アメリカに潰された政治家たち」と馬淵睦夫著「国難の正体」は、有益な本だと思う。そのような考え方があることを、日本人は知るべきである。
2)このように具体名を挙げると、「馬淵さんはちょっと極端な意見を述べただけで、反知性主義者ではありません」と反論されるかもしれない。しかし、彼らには反論の資格がない。何故なら、彼らは反知性主義者の具体名を挙げていないし、且つ、外務省を退職した馬淵睦夫氏が書いた「国難の正体」は、あるグループの陰謀をのべたものであるからである。
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