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2022年8月14日日曜日

日本の支配階級:薩長土肥&自由民主党と、その背後にある英米ユダヤ勢力

1)愛国心を育てるのなら、真の歴史教育をすべき

 

先の大戦で、一般市民から徴兵された命は、日本帝国軍により消耗品的に使われた。証拠としては、人間魚雷回天など特攻攻撃を挙げれば十分だろう。そして、戦争末期の都市爆撃で多くの死者がでたが、それら全ての責任は大日本帝国政府にある。

 

広島の原爆碑の文章、「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」は、その責任を曖昧にする。(補足1)同じ趣旨で、東久邇が「一億総懺悔」を説いている(1945/8/28)。軍官民、国民全体が徹底的に反省し懺悔しなければならないと述べているという。何と身勝手な言い逃れだろう。

 

このような非論理の世界から、明治維新など現れる筈がない。維新の志士というが、本当は冷酷なテロリストなのだろう。日本の近代史は欺瞞に満ちている。ただ一般市民には、徴兵され命を消耗品的に使われた記憶が血の中に相続されている。

 

明治のクーデター(明治維新)の背後に英国があったことは、政府が150年間隠ぺいし続けたが、現在漸く、その事実が出てくるようになった。インターネット社会のお陰である。更にその英国の背後には、ロスチャイルドなどのユダヤ系資本があった。

 

「資本の増殖本能」が、明治の日本を作り、昭和の大量逆殺の背後にあった。その本能とは、人間の欲望が資本という形を借りて凝集蓄積する性質のことである。その巨大資本が国家とその政治を乗っ取るのである。その歴史の渦の中心が、20世紀には英国から米国に移った。その結果が現代である。

 

英国は世界を支配下に収める海洋国家だった。インドでのアヘン製造、香港を拠点に中国へ売り込みも、全てユダヤ系商会だった。そしてスエズ運河の買収もユダヤ資本の助けを借りてなされ、結果的に英国を国際社会のトップリーダーに押し上げた。

 

ユダヤ資本に支配された英国は、日本を「使える民族」と考え、東アジア支配のための代理人の様に育てようと考えたのが明治維新だと私は思う。

 

繰り返すが、薩摩や長州のハイティーンに、日本の近代化という高い志を持たせるとしても、これ迄の「正史」の記述は限度を超えている。日露戦争とその勝利への筋書きも、最初から英米のユダヤ資本により為されたのだろう。プログラムに狂いが生じたのは、満州開発で日本が独走したことだろう。

 

第二次大戦後、日本は明治に似た状況に戻りつつある。背後の主人公が英国から米国に代わっただけだが、資本の色は同じユダヤ色だろう。つまり、戦後レジームからの脱却というが、それは明治への回帰なのである。

 

明治37年に、ロシアと戦った。同じ図式で、令和の日本は台湾と協力して中国共産党政権を撃つ役割を負わされるのではないかと心配する。

 

日本の右系(及び他国のスパイ)の方々は、本質的に戦前の日本を取り戻したいのだろうが、それは根本的に間違っている。明治時代、日本は英国の東アジア担当の番頭のように操られた様に、米国の中国共産党政権担当の番頭のように扱われるだけである。

 

いよいよ日本の出番が近づいたのかもしれない。それには憲法改正が必要である。その為の外堀を埋める作業が安倍元首相の努力で為された。日本国憲法の改正手続に関する法律と安保法制である。安倍さんは、明治維新から一貫して日本国の支配階級にあった人物の末裔である。

 

安倍さんの祖父の岸信介も、麻生さんの祖父の吉田茂も、その英米の番頭役の日本を良く理解していたと思う。孫はその祖父たちを尊敬して、現在の日本を作ったのだろう。

 

 

2)愛国心について(8年前の記事の再録)

 

次のセクションに入る前に、星亮一著「明治維新というクーデター」という本の帯書きをコピペする。

 

「明治維新とは、薩長による国家転覆闘争であり、その権力欲と血に染められたクーデターによって成立した暴力国家である。薩長クーデターは、山縣有朋率いる日清日露戦争の軍閥、昭和の226事件に連なり、太平洋戦争で日本を崩壊させたことは紛れもない事実である」

 

以下の文章は8年前に異なるブログサイトに投稿した記事である。「何度読ませる気だ」とお考えの方は飛ばしてもらいたい。

https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2014/11/blog-post_19.html

 

愛国心とは、その国に自分が帰属しているという感覚が自分の心の中に存在することにより生じる。その帰属意識は、その土地でもその民族でもなく、国家でなくてはならない。米国に占領された時に、愛国心があれば占領に激しく抵抗する筈であるが、多くの日本人はマッカーサー氏を新しい為政者として歓迎した。それが日本人に愛国心など無いことの明確な証明である。

 

太平洋戦争のとき、徴兵された人の心の底にも愛国心はなかったと思う。あったのは、家族への思いと故郷への思いだけだったろう。故郷が破壊され家族に危害が及ぶなら、徴兵に応じて敵と戦おうと思って戦争に向かっただろう。

 

明治維新は市民革命ではない。単にクーデターであり、領主が徳川幕府から明治政府に移っただけである。明治政府は一般に国民国家に分類されるだろうが、本当はそうではないと思う。そこで採用された、徴兵制は新しい支配者が人民を奴隷的に兵士として狩り出しただけである(補足2)。

 

戦死した兵士が国家の為に命を捧げたと安倍総理は言うが、そんな兵士は居てもごく一部だろう。命を捧げたのは上述のように家族の将来の為であり、故郷の復興を願っての事であった筈で、国家の為ではない。従って、安倍総理のような考え方で靖国に参拝するのなら、参拝を受ける資格がある霊は東条英機以下、江戸時代なら軍神として祀られるような国家の支配者の霊のみである。

 

靖国においては、形式上は奴隷のように徴兵された兵士の霊も祀っている。しかしそれは(形だけでも普通選挙が行なわれている)現在の国家制度にあわせただけである。本質的には軍神として資格がある、当時の総理大臣、陸海軍大臣、などの要職にあった支配者階級の霊を祀っているのである。そこに参拝する議員達は、多くはその支配階級の人たちの子孫か、彼ら現在の支配者におもねる新貴族(補足3)出身の議員達である。

 

東京裁判は勝利国による敗戦国の人間を裁くという不当なものであったのは事実である。しかし、無謀な戦争に国家を導いた人たちの裁きを国内で一切行なわずに名誉回復したのは、戦犯として裁かれた多くの下級兵士と抱き合わせで名誉回復するという支配階級の企みの結果である。そして、靖国合祀は宮司が支配層の意を汲んで強引に行ったのだ。

 

この支配階級と披支配階級の構図は、中世の構図である。その構図が未だに日本国にあるのは、本当の市民革命を経験していないからである。市民革命は西欧の歴史にあったが、アジアにもアフリカにもなかった。従って、民主主義は西欧以外では機能していない。市民階級がないのに、愛国心などある筈がない。

 

東アジアも同様だろう。中国や韓国で、愛国教育と言っているのは、単に反日教育に過ぎない。つまり、外敵を育てて愛国心らしいものを創ろうとしても、一部の国民を右翼にするだけである。日本でも愛国=右翼という等式が成立することでも判る様に、民衆は国家を信用していないし、国家が我々民衆のものであるという感覚などないのだ。

(11:00追補追加;12:25改題;8/15早朝編集あり)

 

追補:

 

昨年の大河ドラマは明治維新を薩長のテロと描いているという文章を見つけました。https://president.jp/articles/-/50648?page=1

NHKは定説が覆るのも時間の問題と考えて居るのかもしれません。

(NHKのHPから借用)
 

補足:

 

1)広島市のHPにこの碑文の意味として以下の様に書かれている。「この碑文の趣旨は、原子爆弾の犠牲者は、単に一国一民族の犠牲者ではなく、人類全体の平和のいしずえとなって祀られており、その原爆の犠牲者に対して反核の平和を誓うのは、全世界の人々でなくてはならないというものです」 原爆で殺された人を十字架上での犠牲になったキリストのように書きながら、その宗教の名前が書かれていない。それは戦後日本の国教なのかもしれない。

 

2)徳川時代には兵士には特権が与えられていたが、明治政府の兵士には特権などなかった。その点のみにおいて明治の日本は国民国家的だった。国民主権など皆無に近いので、実質は中世の皇帝支配の帝国である。

 

3)マスコミで取り上げられる芸能人、スポーツ界、財界、官界出身の有名人は、新貴族として新しい日本国の支配階級を形成している。そのような支配階級になることを日本では、出世という。

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