金曜日のNHKテレビの「チコちゃんに叱られる」では、何故誰かのファンになるの?がテーマだった。その答えは、誰かのファンになるのは「自分はこれでいいんだ!」と思えるからであった。
ある大学の先生は、そのプロセスを3段階に分けて解説していた。最初に①その有名人のパフォーマンスかキャラクターに憧れることであり、次に②ファン仲間との交流があり、そこで憧れの心理は増幅され、その中で➂自己肯定感が強くなり揺るぎないものとなるというのである。
この➂の情況が、チコちゃんの答えの中身である。(下の写真参照;引用のアドレスからコピーさせていただいたhttps://tmbi-joho.com/2022/08/19/chiko182-fa/
以上の解説は一応TVショー的には説得力がありそうにも見えるが、自分の確立という所の詳細が分からない。 ファンの熱狂的な応援の姿をみると、私には「自分の確立」ではなく、自分の喪失のように思える。
多分、出演の先生が言いたかったのは、同じファンが作る大きな集団の中に安定に存在する自分を見出すことができるという意味だろう。群れを作る動物がバラバラに存在するときに感じる孤独感から解放されるのである。
上のダイヤグラムだが、ファンになる動機をスターの成績(アチーブメントやパーフォーマンス)と個性(キャラクター)とに分離することは通常できないだろう。
2)ファン心理の本質:
上にも書いたが、人は群れを成して生きる動物である。そして、群れを成す動物には、多くの場合群れ毎にリーダーを必要とする。(補足1)リーダーに従うことで、グループ全員の安全と繁栄を確保するのである。戦うときには、そのリーダーの指揮の下、全員で戦う。それがファンとしての行動や心理の裏にある人間の本質だろう。
ファンは、憧れの対象であるスター或いはアイドル(以下スター)に何を求めているのか?
「チコちゃんに叱られる」で解説されたように、選手としての成績やスター芸能人の容姿などは、ファンになる切っ掛けに過ぎない。ファンがスターに求めるのは、ファンにとっては全ての面での“理想像”であると思う。スターが野球選手だとしても、人間としての全ての面で優れた人物でなくてはならない。
逆にスターは(一般に普通の人間であるから)、ファンとの関係において適切な距離を保ち、ヒーローを演じなければならない。(補足2) 例えば仕事人的に野球をプレイしても、ファンの熱狂に対しては、適度なテンションで応じなければならない。常に冷静を通せば、ファンとスターとの関係を築けないだろう。
ファンになる人の性格について:
視野が広い人間で、冷静に例えばそのスター選手のプレイを見る人は、ファンにはならない。それは、スターが一つの分野で優れた成績を残したとしても、その他の面で普通の人間であると確信したのなら、ファン心理が冷却されてしまう。
つまり、熱狂的ファンになる人は、視野が狭いか、適当に視野を狭める芸当の出来る人物だろう。従って、若い群れを作りやすい人たちはファンになり易く、「個の確立した段階の人物」はファンになりにくい。(補足3)後者は、生きていく上で特にはリーダーが必要ないからである。
幼い子供には、スターに自分の将来の理想的モデルを見る(想像する)場合がある。自己とスターの同一化である。しかし、青少年にもなれば、スターと自分の間に超えることのできない壁を感じながらも、ファン側に自分を置いて熱狂するだろう。
生態学的には、外敵に狙われる草食性の動物や鳥類が群れを作る場合が多い。人間は食物連鎖の頂点におり天敵はいないが、生息する空間が広く、異民族や異教徒が天敵となる。襲われる危険性を意識する人が熱狂的な「ファン」になり易いだろう。
群衆となってスターのライブに熱狂する時間は、日常のトラブルなども忘れ、幸せな時間だろう。そこに漂う熱気や共感の空気は、群れで行動するときのフェロモンのような働きをするだろう。団結して、敵とこれから戦う為に集まった群衆の心理も同様だろう。
3)宗教や政治における役割
このスターに憧れ、群衆となって熱狂する人の心理は、政治や宗教に影響する。
地理的に広い範囲での政治的不安定とそれに伴う世情の乱れなど、人々の生死にかかわる情況は、世界史上数えきれない位発生した。そのような情況下では、群れとなって強力な集団を作り得ると考える人達は、そのリーダーとなるヒーローを求める。
その時、ある人物が弁舌鮮やかに理想や神の意思を語り、屈強な肉体と精神をもって大衆の目前に現れた場合、その人物と集団は、「神とその信者の関係」を徐々に築く。または、そのヒーローは、戦争のリーダーや政治のリーダーとなる。
革命の第一段階も、このようなプロセスで進むだろう。英雄的政治家と、その演説にあつまる群衆の姿は、スターとファンの関係に相似である。新興宗教の開祖が演説する会場での熱狂する群衆の姿も、同様である。私の頭の中にあるのは、ヒトラーが群衆のまえで演説する姿、文鮮明とその夫人が彼らの信者の前で演説する姿である。
終わりに:
現在、先進国の殆どでは、所謂民主主義政治が行われていると言われる。民主主義の要諦は、個の自立及び自由な思考である。換言すれば、個人の自由な思考と意思が、政治に反映しなければ、民主主義は崩壊する。
それにも関わらず、信教の自由と結社の自由が、先進国の基本的ルールとして尊重されている。それらは、別の強力な宗教や結社を破壊する意味があるが、入れ替わった結社等においては、個の自由の放棄が再び行われる筈である。これは民主主義政治が抱える矛盾である。
民族の伝統の中にある宗教とその中にない新興宗教等を峻別すべきである。ヤクザが反社会的集団なら、新興宗教等や多くの政治的秘密結社も同様に反社会的集団になり得る。すくなくとも、反民主主義的集団の筈である。西欧の民主主義の国で殊更信教の自由を謳うのは、それまでの強大なキリスト教団に対する対策だったと思う。東洋の民主国に信教の自由を憲法で謳うなら、カルト宗教を社会から排除する明確な法的記述がどこかに無ければむしろ有害である。
(編集あり、6:30)
補足:
1)渡り鳥でV字編隊で飛ぶ姿が写真に撮られている。この場合の先頭は特に群れのリーダーという訳ではないようだ。観測の結果では、何分かでトップが交代するという。トップは空気抵抗が大きいので、疲れるそうだ。動物の群れは多くリーダーを擁するが、その選び方と理由は様々である。https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/20/102600627
2)ファンとの距離を一定に保つのは、スターにとって大事なことだと思う。何故なら、全人格的な完璧を求めるファンは、ある特別でも何でもない一人のファンがスターと親しくなることで、そのスターはその一般人と同列に見え、スターの完璧性を失う。
3)個人の自立には、時間軸及び空間軸の両方において、視野が広いことが必要条件だろう。なによりも「無知の恐怖」から解放されることが、自立の第一歩だからである。気の弱い人物でも広い視野を持てば予測可能な範囲を拡大でき、より自立に近くなり得る。勿論、人間には完全な個の自立はあり得ない。死ぬときだけである。
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