注目の投稿

人類史の本流は中華秩序なのか、それとも西欧型秩序なのか

1)米国が露呈させた中国共産党政権の真の姿と日本の課題   日本が抱えている最重要な課題は、コロナ問題や拉致問題等ではなく、表題の問に対して明確な答えと姿勢を持つことである。短期的な経済的利益に囚われないで、現在が世界の歴史の方向が決定される時なのかどうかを考えるべきである。...

2014年5月31日土曜日

拉致問題の解決交渉は米韓の反対で挫折するだろう。

 北朝鮮との長時間の会議により、拉致被害者に関する再調査が北朝鮮で始まることになった。(注1)この件、日本が行なっている独自制裁の一部解除を伴って、しばらくは進展する様に見えるだろうが、何れ米国の圧力で挫折することになると想像する。安倍内閣は、拉致問題解決を最も重要な政策の一つとして考えているので、相当踏み込んだ条件を提示していると思われる。例えば、韓国の中央日報(日本版)では、万景峰号の寄港や金の移動だけでなく、戦後賠償金についても金ジョンウン側は視野に入れているのではないかと書いている。(注2)
 私は、北朝鮮による拉致は国家によるテロ行為であるが、それを可能にした日本国にも責任があると考えている(注3)。それだけに、拉致被害者の奪回は日本政府の最重要課題の一つであると思う。しかし、北朝鮮との国際的交渉システムとしては、核兵器の破棄を要求する六カ国協議の枠組みがある。従って、今回の拉致問題解決だけをテーブルに載せ、日本から経済協力金(つまり戦後補償金)を受け取ることは元々無理である(注4)。唯一可能性があると思うのは、(1)再度6カ国協議を再開すること、そしてその後の道筋として、(2)北朝鮮の国家体制維持を核兵器廃棄と引き換えに6カ国が認めること、などを安倍内閣が橋渡しとなって下準備することだと思う。(2)は北朝鮮には同意が非常に困難なことだろうが、それが唯一、北朝鮮が国家体制を維持したまま存続し、且つ、経済発展を実現する条件だと北朝鮮を説得しなければならない。これは大変な仕事である。しかしそれと同じ程度に大変なのは、米国にも納得してもらうことである(注5)。そんなことが、日本政府に出来るだろうか?
 現実的には、拉致問題の最終的な解決は戦後補償を条件としない限り、絶対に成功しないだろう。また、日本の独自制裁の解除だけでは、北朝鮮は納得しないだろう。安倍内閣は、おそらく、韓国や周辺諸国からの日本と北朝鮮への圧力を視野にいれて、北朝鮮と交渉をしていると思う。拉致問題の解決という点では、米韓の連携に日本は破れることも予想しているだろう。その際、日本国の置かれた情況をあぶり出して日本国民に見せ、日本の憲法と日米安保体制だけでは、22世紀に向けての日本の平和的存続が危いことを示すことを最低限の目標にしているのかもしれない。
 5月30日、日本の反発にも拘らず、米国内に7つ目の慰安婦の像が米バージニア州フェアファックス郡庁舎に設置された。連邦政府と州政府は違うと米国は言うだろう。しかし、諸外国に強い圧力をかけうる米国連邦政府が、自国の州政府に教唆(つまり強要)することは比較的に容易であると思う。現在、米韓両国は徐々に反日姿勢を更に強めていると私には見える。ただし、韓国は表から、米国は心の中においてである。(注6)安倍内閣が拉致問題の進展を模索しているのは、仮に懸案の拉致問題を除けば、北朝鮮が日本の周辺諸国の中ではむしろ反日度が低い国家になっているからだと思う。
 日本を取り囲んでいる、米国、中国、韓国の三角形の一角を崩すとしたら、安倍さんとは逆かもしれないが、私は中国だと思う。中国は脅威ではあるが、日本に対して持つ歴史的感覚は、比較的単純である。先の大戦で日本が中国を侵略したのは事実であるし、尖閣諸島も冷静に地図を見れば、中国に属していてもおかしくはない(注7)。それに対して、日本からみての米国との蜜月関係は、日本が保護すべき児童であることを前提としている。日本が普通の国になったとしたら、注5に書いた様に”小さく見えていたステンレスの棘”が益々二国間関係に大きく影響することになる。また、韓国の反日姿勢は遺伝子レベルの話であり、翻ることはないだろう。

注釈:
1)ヤフーの知恵袋に金ジョンウン体制が出来た時に、以下の題で投稿した。 ”http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n205130”:北朝鮮と関係を改善し、拉致被害者を取り戻すのは今である。
2)以下のサイト参照:”http://japanese.joins.com/article/917/185917.html?servcode=500§code=500&cloc=jp|article|ichioshi”
3) 2年以上前になるが、以下の題でヤフーに投稿した。珍しく2万件を越えるアクセスがあった。"http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n62832"; 北朝鮮は日本国にとって大きな脅威か?
4)経済協力金は、現在の体制のままでは核軍備を含む軍事費に使われ、北朝鮮が国際的テロ国家としての性質を変えないで延命する可能性が高くなる。
5)米国は日本の国際的な舞台での活躍を、北朝鮮の核保持よりも嫌っていると思うからである。米国が日本に対して持つ感情は複雑である。旧敵国であったという恨みは壊滅的な打撃を加えたことで消滅しているが、逆に原爆投下という罪を犯してしまったことが、日米間に深く刺さった棘として永久に残るからである。日本は忘れることが得意でも、米国は日本が消滅するまでは決して自分の犯した罪を忘れないだろう。
6)安倍内閣は、普通の国家を目指している。米国は、それを警戒しているのだろう。
7)これは尖閣諸島がどうなっても良いと言っているのではない。”絶対”死守すべきという考え方が、思考の範囲を狭くすると言いたいだけである。仮に、中国を民主化し、敵対する理由の無い国にする経費だとすれば、尖閣は安い代償である。
 共産党独裁体制は何れ崩壊するだろう。その時に、如何に日本の、そして、日本国民の被害をすくなくするかという視点で、尖閣問題も考えるべきである。なぜ安倍さんは、日本を米国の警察犬としての地位に縛りつけようとしているのか?何故、日本国を危険の前面に立たせるような言葉を、敢えて繰り返し発するのか判らない。

金ナノ粒子の触媒能について=その発見は意外ではないと思うが?

 ちょっと、現在ネタ切れ故、自然科学系に戻って専門外ではあるがコメントを期待して一件書いてみる。東大の春田元教授の金ナノ触媒の研究がノーベル賞候補だという話をよく聞く。今日、中日新聞の中日春秋にも中日文化賞と関連して、その紹介がなされていた。金という安定な金属に注目したのは、意外性と言う点で素晴らしいと思う。しかし、ナノ粒子にすれば、反応にもよるが大抵の物質に触媒能が出るのではないだろうか。
 金は塩化物や酸化物をつくるので、当然、化学的に全く不活性というわけではない。また、金は通常の化学的環境では、化学結合を作る相手が少ないので、回収性に優れている。従って、金ナノ粒子がマイルドであるが回収性に優れた触媒能を持つことは十分考えられる。
 表題に書いた文意は以下の様な理由による。つまり、ナノ粒子にすれば全ての単体(単一元素のもの)のエネルギー(自由エネルギー)があがる。それはナノ粒子になると、結合する原子の平均数が減少するからである。一般に固体表面は、結合する原子は全て内側にあり、内部の原子より結合の数が減少する。つまり、表面では結合による安定化が減少し、原子は高エネルギー状態になる。(固体の表面張力は、この単位表面積当りの増加自由エネルギーで定義される)ナノ粒子では、この結合する方向が内側の180度でなく、もっと減少するのである。高エネルギー状態は、高結合性と殆ど同義である。分子が吸着すれば、その表面原子のエネルギーが低下するが、その分、吸着分子の立体構造などを変化させ、化学反応性を増すのである。

<どなたか、コメントを下されば幸いです。>

2014年5月28日水曜日

名張毒ぶどう酒事件の再審請求を認めるべき

 名張毒葡萄酒事件は1961年名張市の公民館で起こった毒葡萄酒事件である。被告の奥西死刑囚の死刑が確定しているが、新しい証拠とともに再審請求がだされた。新しい証拠とは、毒物のクロマト分析の結果である。
(http://blog.goo.ne.jp/lazybones9/e/5d0c40fc9dc5a06d2e682930bae85ef0) その結果、奥西死刑囚が持っていた農薬と葡萄酒に混入されていた農薬が異なることが判ったということである。主成分は同じでも、ロット或いは製造元が異なっているということになる。ところが裁判官は、自白を重視して、再審請求を退けた。今日、8度目の再審請求に対する判断が名古屋地裁で出され、今回も再審は認められなかった。理由は、前回の再審請求と提出された証拠が同じであるので、前回の判断を覆す訳にはいかないという。
 私は元化学分野の研究者であり、主として米国の化学会の研究雑誌を舞台に研究発表して来た者である。クロマトグラム上で、不純物ピーク(ペーパークロマトではドット)の分布が異なることが分析化学者により確認されたのなら、それは自白よりも遥かに証拠能力のあるものである。おそらく前回の裁判官は、クロマト分析について十分な知識を持っていなかったから、再審請求を退けたのだろう。同じ証拠だからといって、同じ判断を下すというのなら、その裁判官は仕事をしたことにならない。再審請求を受理した限り、裁判官は過去の判断をコピーペーストするのではなく、オリジナルな判断をしなければならない筈。そんなこと、論理に価値を置く、法律学を収めたものなら当然ではないのか?
補足はQ-kazanさんのご指摘により削除しました。

2014年5月27日火曜日

女性役員増加を企業に要求する社会主義的内閣の本質

 今朝の中日新聞によると、上場企業の役員にしめる女性の割合を有価証券報告書で開示するよう義務付けるということである。この内閣は、政治が何でも口をだすべきだという、社会主義思想の持ち主で占められていると、海外のメディアは思うかもしれない。しかし、最後に書いた様にそうではないだろう。
   昨年からの(1)企業へ給与の引き上げを要請(指導)し、先日は麻生氏が(2)「法人税を下げた場合、その金は内部留保に回るべきでない」と発言し、企業活動の細部にまで口をだしている。そして今回、(3)女性役員の割合の有価証券報告書への記載を義務付けるということである。
 (1):自由主義経済の元で、賃金を会社が決める場合、利益ではなく生産性により決まる。また、労働の価値は市場によって代わるという側面もあり、それは具体的には労使交渉という形になる。政府の入る余地はない。(2)会社の税引き利益(純益)は会社が決めることである。株式会社「麻生」の大株主である麻生太郎氏は内部留保という言葉をどう理解しているのだろうか?余ったお金という様に聞こえるが、株式会社、麻生フォームクリートを含め、一般に多くの企業にお金は余っていない。例えば人気のソフトバンクなどは借金の塊のような会社である。日本の看板である優良企業のトヨタでさえ、負債は流動資産を越えている。
 (3)女性役員の割合を一定以上にするよう圧力をかけることも、異常としか言い様が無い。本来、女性が役員になり難い原因として、行政上の障壁などがあればそれを撤廃するというレベルのことが、政治が関与すべきことである。管理企画能力の無い女性役員が増加しては、日本経済を悪化させるだけである。そして、名前だけの女性役員をつくることで、会社の経費が増加するだけである。
 いったい、この内閣は日本経済を強くしたいのか?弱くしたいのか?どっちなのだ。全く一貫性がない。否、国民に諂うことで、自分達の内閣の寿命を、自分達の国会や内閣における地位を長く保つという姿勢には一貫性があった。

2014年5月26日月曜日

日本と中国の危険な類似点

 昨日の自衛隊航空機への中国戦闘機の異常接近は、東アジアが非常に危険な雰囲気に包まれつつあることを示している。その一方、日本国内に緊張感はあまりなく、国民の多くは平和主義という幻想に未だに支配されている情況である。そこで、安倍総理も憲法改正が出来そうにないと考え、解釈改憲という非常手段をとろうとしている。
 戦後70年の今まで、日本が米国の属国に甘んじて来たのは、優秀なる多くの人材を戦争とその後の東京裁判で失ったことと、国民が無能な国会議員を選んで来た結果であると思う。例えば、国家の骨組みよりも肉付きを良くする事を優先するという吉田茂の方針は、国家の遺伝子はその体裁を整える間に埋め込まれるべきであるということを十分理解していなかったからではないのか。そして、約70年間続いた、過度な米国依存と偽りの平和主義(それらは、夫々米国により植え付けられマスコミにより宣伝されたが、互いに表裏一体をなす)は、国家を本来の遺伝子を欠いたものにしてしまった。(注釈1)そして、その“戦後体制”は、国民が悲惨な戦争に巻き込まれたことの反動としての深い厭戦気分から目覚めることの無いままに、自己保身に汲々とする(そして、反日思想に毒された)国会議員たちにより温存(つまり無視)されつづけた。
 人類も他の動物同様、厳しい生存競争の生き残りとして存在している。そしてマクロに見れば、人口は過去数十万年の間、その時の生産能力により決定されて来たのである。しかし、ミクロにみれば、その人口調節のメカニズムは、醜い殺しあいであり、国家間の戦争であった。偽りの平和主義は、このミクロの視点しかとり得ない者の、夢想に過ぎないのである。
 中国は経済は自由化されたとしても、政治的には共産党の一党独裁である。鄧小平ら指導者は、やがて行き詰まるであろう共産党下の自由主義経済という理解が難しい国家をつくったのである。その本質を見ないで、多くの企業が中国に投資し、多くの国家は中国との付き合い方を発見せずに現在に至っていると思う。いつかはその政治の遺伝子と経済の遺伝子が異なるタイプであるという自己矛盾から、大きな政変を迎える様な気がする。(注釈2)そして、その余波は周りの国家の存亡に拘るかもしれないと思う。

注釈:
1)国家の骨組みは国家の基本であるが、成熟した段階では国民は日常を重視する様になり、変更が困難であるという意味で、遺伝子により決められるという比喩を用いた。
2)国家の枠組み(”遺伝子”)が不完全であると言う点で日本と中国は似ている。何れの場合も、成熟した段階で国家の枠組みを変換する、つまり体制を大きく転換するのには、大きなエネルギーと周辺国家にまで影響する余波を生じると思う。
(5/26朝投稿、同日夕刻改訂)

時事放談での野中広務氏の発言について

 日曜の朝、何時もの様に時事放談を見た。冒頭野中広務氏は、米国オバマ大統領が日本などを訪問した時に、(1)プルトニウムや濃縮ウランを日本から米国に移送したいと言った件について、オバマ氏が安倍日本の軍国主義への方向転換を危惧したものだと解釈している。野中氏は、その解釈を安倍さんの右傾化を批判するために用い、(2)戦後70年間の平和は、日本が平和憲法下で軍事的でなかったからである;また、その(3)安倍さんの最近の姿勢は世界での孤立の原因になりつつあると、議論している。これらの話を聞いて、昔優秀なる政治家であった野中氏が、老齢故か、まともな考察が出来ない様になったと思った。
 先ず(3)について:集団的自衛権行使を現行憲法内で可能だとする所謂解釈改憲は、安倍総理は普通の国にしたいという考えからのものであり、決して軍国主義や右傾化を目指したものでないと思う。それは、日本に住むまともな感性の人なら判る筈である。
(2)について:戦後の平和と日本国憲法とは直接関係ないと思う。戦後の平和は日米安保条約の存在と、周辺諸国が脅威と言える程に、巨大な軍事力を持つに至っていないからである。もちろん、野中氏が自衛隊員戦死ゼロを平和の定義とされるなら、話は別である。つまり、憲法9条を改訂して自衛隊が自衛軍と呼ばれていれば、湾岸戦争等の時に何人か犠牲者がでていたかもしれないからである。(注1)
(1)について:オバマ氏も日本が直ぐに軍国主義に進み米国の脅威になるとは思っていないだろう。むしろ、尖閣諸島は安保条約5条の対象であるという発言が中国を刺激しない様に、そして、米国が中国と対立することを望んで言っているのではないことの証明として、中国にとっての将来的脅威:日本の核武装には、米国も反対であるとの意志表示だと思う。
 世界は混乱の時代に入ろうとしている。そこでは、世界のリーダーとなる数カ国が、将来消滅させるべき国を悪の枢軸国というラベルを貼って孤立させる戦略をとる。(注2)そこで最も選ばれる順位が高いのは、経済的に大きく世界の資源を多く消費する国で、且つ軍事小国である。つまり、日本が最有力候補だろう。世界のリーダーとなる国とは、核保有国であり強大な軍事力をもつ国である。
  野中氏は過去優秀な政治家であっただろうが、老化とともに戦争での恐怖体験が脳を占有する状態になっているのだろう。そして、今憲法改訂してまともな国にならなければ、数十年先になるかもしれないが、日本が直面するであろう困難な情況を、想像することさえ出来なくなっているのだろう。
(5/25ヤフーブログに投稿;5/26修正ここに投稿;こちらも老齢故、文章になっていない部分がありました。)
注釈:
1)自衛隊は、英語でself defense force、つまり自衛軍である。”自衛軍において殉死ゼロでなければならない”と考えるのは、論理矛盾である。それは、警察官に殉死者が多数でていることからも明らかだと思う。
2)ローマクラブの出版した2冊の本における指摘を待つまでもなく、世界の人口が現在の72億人でも、平和裏に生活するには地球は狭すぎる。有限な資源の奪い合いが、いろんな形で起こる筈である。その中で最も普遍的な構図は、強者が弱者に悪のラベルを張り、殲滅することである。

2014年5月25日日曜日

大相撲について気になること:

 今日、大相撲夏場所が場所前の予想通り、白鵬の優勝で終わった。稀勢ノ里や遠藤の活躍など、最後まで見応えのある場所であった。ただ、何時も千秋楽に疑問が湧き起こる。それは、日本相撲協会が公益法人である必要があるのか、と言う疑問である。日本相撲協会が公益法人である理由は、日本古来の神事である奉納相撲を執り行なうことにあるのだろう。しかし、横綱が全て外国人で占められている今の大相撲に、伊勢神宮などで奉納相撲を行なう資格があるのだろうか。
 今日の優勝が決まった後、表彰式の前に君が代斉唱がある。その際、優勝力士である白鵬は、口を一の字に結んだままだった。(注釈1)外国人力士の場合は、日本国家を斉唱するのには、抵抗があるのは当然である。ほとんど毎場所外国人力士が優勝するので、千秋楽は非常に不自然な感覚でテレビを見ることになる。気を遣って口を開く場合が多いが、声が出ている様には見えない。多くの点で、不自然な大相撲の現状を象徴している様に思う。
 周知の様に公益財団法人は、課税において特別扱いがなされている。その所為ばかりでは無いと思うが、協会のHPによると、その貸借対照表における純資産比率は約90%であり、超優良企業のものである。

 これら全ての事実を、国民は、そして財務情況の悪化に苦しむ中小企業や日本政府財務省は、どう考えているのだろうか?

 日本の相撲は、スポーツとしては柔道よりも判りやすく、ルールを国際的なものに整備すれば、オリンピックに相応しい競技だと思う。フランスのミッテラン元大統領が相撲フアンとして知られていた。その事が暗示するように、相撲は基本的な人間の運動能力を競うスポーツとして、国際的に見ても価値の高いものだと思う。それだけに、実態と本質が一致した相撲協会(注釈2)になった方が、相撲を観戦する側も何かとすっきりするとおもう。 注釈:  1)白鵬はこれまで国歌斉唱の際に口は動かしていたそうである。今回は更に、全国に放送される表彰後のNHKのインタビューには答えたものの、その後のインタビュー特に翌朝の恒例のインタビューも拒否したということである。おそらく、千秋楽の取り組みの際、例えば稀勢ノ里との優勝決定戦を望む観客の心ないヤジのようなものに、反発したのだろう。これも歪んだ相撲協会の現状を反映するものだろう。 2)相撲協会を、伝統的な奉納相撲部門と国際競技部門に分けて、国際競技部門では丁髷にふんどしのスタイルから再考するなどの大改革をしたらどうかと思う。夫々を別部門にして、奉納相撲部門を、公益法人としても良い。 (5/26夕刻改訂;あくまで素人の意見ですので、ご批判コメントなど歓迎します。)

2014年5月23日金曜日

抑圧される側の不満爆発と抑圧する側による鎮圧=繰り返される悲劇と歴史

 タイの政変は上記表題の構図で起こっているようである。そして、それは政治的混乱の普遍的な一つの構図でもある。タイの場合、選挙で多数派を占める側が披抑圧者である点が、現代では特異であり、混乱の原因をより判りやすくしている。つまり、江戸時代の農民一揆とよく似ている。  ウイグルでのテロリズムの場合は、人種や宗教が中国の他の地域と異なるウイグル人が被抑圧者であり、それを大きく包含する中国の支配層漢民族が抑圧者である。タイの場合はクーデターと言い、ウイグルの場合は、中国首脳部がテロリズムと呼ぶ。しかし、両者とも同じ構図で説明できる。  テロリズムという言葉に、英米は悪のラベルを張ることに成功しているように見えるが、その根本を考えれば、非抑圧者の絶望的な反抗であることが判る。(注釈1)テロリズムを悪と呼ぶなら、それは瞬間的になされる"反作用としての悪"である。一方、その犯人を作り上げた抑圧は長期にわたる”作用としての悪"といえる筈である。ただ、瞬間的な出来事は強烈な印象を与えるので、悪のラベルを貼って宣伝するのが容易である。作用がなければ反作用が無いのは、物理学的真理である。(注釈2)
 ある者(或いは国)の”生存とその為の欲望”が、他の者(或いは国)の”生存とその為の欲望”が同じ空間で両立しない場合、両者に争いがおこる。既に多くを手に入れた方が当然強い力を持つ。そして、弱い方が更に抑圧され、最後には滅びる。勝者は、テロリストを滅ぼした、或いは、邪悪な国家を殲滅したと、善の勝利として歴史に一頁を加えその子孫に残す。これが有史以来の人類の姿である。

注釈:
1)クーデターは、外国の力を借りた政変の場合もある。テロは、クーデターと異なり、一般に政権を獲ることを目的に計画されたものではなく、もっと絶望的且つアングラ的な行為である。弱いものほど無計画&無差別な反抗をする。
2)別のブログサイト参照:http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2013/12/blog-post_5.html

2014年5月21日水曜日

新しい冷戦構造の萌芽、日本に比べて賢明な韓国の対応

 最近、国際関係が非常に流動的になって来たと感じる。昨日の習近平とプーチンとの会談も、その流れの中にあり、世界に新しい冷戦構造を創る切掛となる可能性が高いと思う。一方の米国は、経済的な停滞と同期して、ヨーロッパからもアジアからも引き下がる姿勢であると言われている。

 日本は、戦後米国の披保護国的な立場にあって、自国軍抜きで平和を維持できた。そのような時代はもうすぐ終わりになるだろう。米国は、その後日本が繁栄するのではなく、むしろ、衰退或いは消滅するのを望んでいる筈である。(注1)日本はこの30年経済的に米国の競争相手であったし、歴史的には米国の敵国であった。そして日本という存在は、原爆投下や都市部無差別爆撃という人類史上稀な米国の犯罪に対する“告発書”だからである。「日本に対しては戦後80年間十分面倒を見て来た。後は、自立してくれ」という米国支配層の陰での台詞と供に、日米安全保障条約は実質的に終焉を迎えると考える。それに対する日本の準備は、上記のような理由で、なるべくさせない様に米国は企むだろう。

 安倍総理は、多くの国に出かけ外交活動に熱心に見えるが、今後最も外交上重要になる日中関係を悪くしたことで、収支はマイナスである。ロシアとの関係強化は2月のウクライナ政変までは進みそうだったが、ナヤヌコビッチ大統領が追放されてからは、米国の圧力で安倍総理は原点に戻ることを選択した。もし、ウクライナ政府転覆に対して、米国の関与があり(注2)、それは主に西欧とロシアの間に、そして付録的に日本とロシアの間に、楔を打ち込む意図があったとの読みがあったのなら、もう少し別の対応がとれたと思う。その間、日本は如何に優秀な米国の保護児童になるかという事について、具体的には集団的自衛権という問題で、政府与党が議論している。堂々と、憲法を改訂して自衛隊を現状に合わせ国防軍とするという、当たり前のことが議論出来ないのは、安倍政権や自民党の実力の無さを示している。

 韓国の朴大統領は、既に新しい冷戦構造の萌芽に気付いており、その為の布石を着々と進めている様に見える。韓国は新冷戦構造においては大陸側に入り、草狩り場と予想する日本に、先頭をきって対峙する道を選んだのではないか。そうすることで、北朝鮮との統一も容易になり、核兵器保持国の仲間入りも出来、中国、ロシア、朝鮮の強力な同盟関係が出来る。中国が共産党一党独裁から、議会制民主主義的国家に生まれ変わらなければ、ロシアにとっても韓国にとって心地よい同盟関係ではないだろう。ロシアも国家としての繁栄の道を(或いはプーチン政権の安定の道を)、国際環境の変化に対応して模索しなければならないのである。中国もまた、共産党の旗印のかわりに、反日本という幻であれ3国共通の旗印ができれば、その後議会制民主主義への転換が可能かもしれない。

 一方、日本政府はいつまでも歴史に拘る韓国や中国という批難をするが、第一次内閣の時に靖国参拝が出来なかったことを「痛恨の極み」と言った安倍総理も、同様に歴史に強く拘っているのではないか。靖国に祀られている多くの兵士は、子孫の安寧を願って戦死したのであり、徒に核兵器を持つ国ややがて核兵器を持つ国との関係を悪化させて、国の将来を危うくすることのきっかけにはなりたくない筈である。いったい総理の靖国参拝にどういうメリットがあるのか、さっぱり判らない。(注3)日本は、薄くなった米国の影を埋める様な存在感のあるASEAN諸国やインドとの関係を作り上げなければならないが、リーダーシップを執るだけの外交的存在感の無い日本には無理なように思う。インドには、そのような繋がりのリーダーとなるだけの理由はない。
 我々国民はこのような問題を表に出して、世論に混乱の渦を起こす様に声を大きくして議論し、その渦の中に無能な政治家を落とし入れ、その渦の中心を培地にして、日本の新しいリーダーを育てなければならないと考える。霞ヶ関の古い頭では、今後の日本が非常に心配である。

注釈:
1)英国がインドから撤退するときに、紛争のたねをインドとパキスタンに残したと言われている。これを手本として、米国が沖縄を返還する時に、尖閣諸島を日中間の棘として残したと言う説が常識化している。米国が日本から徐々に撤退して行く時、同じ様な戦略をとるのではないだろうか。自国の国益は、一般に他の要因を抜きにすれば、他国の国益と対立する。
2)米国のウクライナクーデターにおける関与(http://sun.ap.teacup.com/souun/13850.html)
3)靖国参拝に対する反対意見はブログに何回か書きました。(http://bolgs.yahoo.co.jp/mopyesr/41369336.html; http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2013/12/blog-post_26.html)

2014年5月20日火曜日

朴大統領の涙の会見:票に支配された涙腺

 韓国の朴大統領は、先月チェジュ島へ向かうフェリーの沈没事故に対する謝罪を、テレビカメラの前で涙を浮かべながら行なった。そして、その際に海上警察の解体を発表した。この演説にたいして被害者の方は、「海上警察の現場に不安と混乱を招き、捜索に悪影響がでる。最後の一人まで捜索するという気があるのか」と批判した。この会見と遭難者家族の批判とを比べれば、明らかに遭難者家族の言い分が正当であると思う。朴大統領の涙は何の為なのか?彼女は誰に対して語っているのか?
 もし彼女の涙が遭難者の家族の気持ちを思ってのことなら、執って代わる組織ができるまで、海上警察は解体するなどとは発表はできない。そして、彼らを鼓舞する言葉を投げかける筈である。朴大統領は、投票権を持つ一般国民は騙せても、遭難者家族は騙せない。何故なら、悲しみと苦しみの中にいる彼らに届くのは、本当に遭難者を心配する気持ちだからである。大統領の涙は、一般国民の同情を買うだろうが、本当の被害者には、政治家のしたたかさを強烈に印象付けるものにすぎない。

2014年5月17日土曜日

集団的自衛権行使へ向けて舵をきる自民党:石破氏のインチキ説明

 ウエークで石破さんが喋っています。集団的自衛権が必要であるという主張をしていますが、そんなことは、独自防衛が成立しなのなら当たり前のことです。(補足1)そんな説明で、国民を騙そうとするのは二流政治家のすることです。それが憲法に抵触することについて、懸念されているのです。石破さんはその点について誤摩化そうとしています。
 日本語を知っている人なら、憲法の解釈拡大は無理でしょう。自衛隊も違憲であることは多くの方の指摘がありますし、言語的に明らかです。また、吉田茂氏が既にそう発言していたと辛抱さんは番組で言っていました。これまでの嘘により、こと国防政策においては、国際的信用を無くしていると思います。そして、集団的自衛権を行使可能と政府が憲法解釈を拡大しても、憲法に抵触する方針である以上、友好国も信用できますか?また、国民も嘘の上塗りの繰り返しにより、政府を信用していません。政府に信用がないため、その政府の年金政策をあてにできず、国民は金を貯め込み、デフレの原因の一つになったのです。政府に信用がないため、マッカーサーが来た時、敵軍の将軍であるにも拘らず、ほとんどの国民は歓迎したのです。この100年間、日本国政府は内外双方から信用がないのです。信用回復なくして、日本の将来は無いのです。
 その第一歩として、集団的自衛権が必要なら、憲法改正に挑むべきです。否決されたのなら、そして、例えば尖閣諸島が中国に接収されたのなら(補足2)、それが防衛に関して戦後思考停止状態にあるとしても、国民の選択なのです。
 法律は文章通り解釈するのが、法治国家として当たり前です。法治国家の出発点である憲法すら、まともに解釈しない政府など、外国も自国民も信用できますか? 信用は国家においても個人においても、もっとも大きな財産です。その大赤字で、日本国は政治的破産状態ではないでしょうか。
補足: 1)独自防衛できないかもしれないが、戦争は嫌だ。だから集団的自衛権行使には反対だ。マッカーサーのような占領軍なら、戦争せずに占領された方がましだ。そう考える人も多いだろう。優秀なる若者を、負けると分っているのに、零戦や回天に載せて自爆させた国家なのだから。そのような人には別の説明が必要です、石破さん。 2)日中国交回復の際に、尖閣諸島は国内的には双方が、自国の領土とするという密約があったといいます。大前研一さんのブログに書いてありますが、野中広務氏も時事放談でそういっていました。

2014年5月16日金曜日

安倍総理の暴走とマスコミの無能

1)安倍総理は、現憲法の解釈を変えることで集団的自衛権を行使する方向に、舵をきった。自分の考え方に沿う専門家を集めて、有識者会議と称する訳の判らない組織を作り、自分の暴走に対する印象を薄める為に用いた。
2)今朝の中日新聞一面に上記記事とともに、安倍総理の方針を批判する論説主幹の文章が掲載されている。その最初のパラグラフは以下のようである。「安保法制懇の憲法解釈変更による集団的自衛権行使容認は、戦後の平和主義を捨て、戦争のできる普通の国への提言だ。国を守る気概は持たねばならないとしても、国民は戦争をする国を望まない。」
1)と2)供に、日本国はレベルの低い東アジアの一国であるとの印象を与える様に思う。

法治国家は人類の偉大な発明だという考え方に異存のある人は殆どいないと思う。1)の安倍総理の政治は、法治国家のものには思えない。もちろん、これまでの政府も、憲法9条をそのままにして、軍備を増強してきたのであるから、程度の差はあっても同じである。

自衛隊(英語で、self-defense force; つまり自衛軍)は憲法9条に示されている「陸海空軍やその他の戦力」にあたらないという解釈は、憲法が暗号などではなく、言語を用いて書かれているのであれば、狂気の沙汰である。これまでの政権による憲法9条の解釈は、「相手を殴る場合の身体的能力を「腕力」というが、殴りかかってくる相手を組み伏せるのに用いる身体的能力は「腕力」とは呼ばず、「自衛力」とよぶ。」という比喩で理解できる。要するに言語を無視する、猿人的解釈である。

安倍総理が自分の考え方に沿って政治の方向を変えるのなら、或いは、これまでの欺瞞的憲法解釈を改めたいのなら、憲法改訂しかない。それをしないで、嘘の上に嘘を上塗りすることは、法治国家の看板を捨てることになる。

次に2)の論説であるが、「国を守る気概は持たねばならないとしても、国民は戦争をする国を望まない。」とはどういう意味なのだ。おそらく、「戦争をする」に、「こちらから戦争を仕掛ける」の意味を持たせて、この文章を意味のあるものにしたつもりだろう。国を守る気概とは、国を守ると念仏を唱えることなのか?国を守るには、軍を持たねば不可能なのは、腕力を持たねば暴漢から身を守れないことと同じ理屈ではないのか?

この国では、憲法9条を堅持する派も、実際に自衛隊と称する軍隊を違憲状態で持つ政権側も、まともに言語を用いないで、議論してきたつもりになっている。

「国を守るべきであるが、軍はもつべきではない」の論理と、「人は生きるべきであるが、植物や動物を殺して食べるべきではない」の論理は同じだと思う。しかし、それを全く違うと、政権側と護憲派左翼(と一部マスコミ)のどちらも異なった屁理屈で言い張って、ほぼ60年経ったのである。政権側は「食べる植物や動物は、生き物ではない」(注1)と言い、所謂左翼は「輸入しているのだから、動植物とは平和共存している」と言い張って来たのだ。

ただ、その誤摩化しには“賞味期限”があると考え、国民を再び覚醒させようと政権与党側は不十分ながら努力して来たと思う。しかし、その企てを邪魔し続けたのは、所謂左翼とその片棒を担ぐマスコミだった。つまり、後者の“護憲派”は、戦争の痛手に思考停止してしまった国民を、思考停止したままにしておくことに努力したのである。

 私は、どちらかという選択の問題になると、政権与党側を支持せざるを得ない。 安倍さんには日中友好関係を演出した上で、改憲に向かって欲しかった。(注2)

注釈:
1)西欧も似た様なごまかしをしていると思う。旧約聖書には、家畜とその他の動物は神によるこの世界の創造の段階から明確に区別されている。そして、その聖書が考え方の根底にある西欧の人たちは、牛や豚を殺すことに罪悪感はないが、くじらやイルカを捕獲することには頑強に反対するのである。(一般人のその感覚を利用して、自分達の利益の為に日本のクジラ捕獲に反対しているのだろう。)
2)米国は日本が周辺諸国と友好関係を強めることを望まない。そのために、北方領土、竹島、尖閣諸島問題を未解決問題として残す様振る舞ったという説がある。米国もスノーデン氏によるまでもなく、陰謀を好む国家である。民主党政権下の方が、日米関係を友好に保ちつつ、周辺諸国と友好関係を築くことが比較的容易だと思う。安倍さんの政治家としての実力の見せ所だったと思うのだが。
=これは理系人間の素人考えかもしれません。不十分な点についてのご指摘、歓迎します。=

2014年5月15日木曜日

すき家社長の勝手な言い分

 すき家の決算は昨日発表された。経常益で40%以上の減益であった。その原因は、吉野家などとの激しい価格競争だろう。また、すき家のバイトがキツいのか、人材不足で現在28店舗(毎日新聞を引用した記事では184店舗)が休業しているとのことである。それに対するすき屋の小川賢太郎社長は、「日本人はだんだん3K(きつい、きたない、危険)の仕事をやりたがらなくなっている」と嘆いているとのことである(ヤフーニュース)。
 勝手で傲慢な発言に思える。 日本人だけでなく、小川氏を含めて何処の人間でも、3K仕事はやりたくないのだ。待遇や条件次第で、つまりそれ相当の給与を支払えば、人は集まる筈である。その上で、吉野家とか松屋とかと価格競争すればよい。価格競争のシワ寄せを、人件費にもってくるという経営方針が間違っているのである。上記発言は、それに対して何の反省点もないという、小川社長の考え方をしめしている。(補足)
 このような発言を聞いて、移民がやっぱり必要だなんて、政府首脳に思ってもらっては困る。現在、日本の失業率は4%足らずではあるが、この数字に入っていない潜在失業者も大勢いるので、労働人口の絶対数が不足しているとは思えない。上記社長の考えているような安い賃金で人が集まらないだけである。国際競争にさらされない外食産業や建設業などの分野では、失業率が一定以下になるまでは、人手不足は給与のひき上げで対応すべきである。それはデフレ脱却の一つの方法だと思う。
 こんな簡単なことを置き去りにして、単純労働の為の移民受け入れに、政府与党は傾いている。それでは、日本の貧困層は更に貧困化し、貧富の二極化が進むだろう。
補足:  たしかに、社長の言う傾向は最近の若者にあるかもしれない。しかし、それは相当の報酬で募集してからのセリフであると思う。(13:40追加)  

2014年5月12日月曜日

従軍慰安婦問題で韓国と米国の利益が一致する

 日米同盟は現状では日本の生命線である。しかし、その同盟関係の感覚は特に米国において徐々に変化してきているのではないだろうか。そして、1)日米同盟は日本の生命線であっても米国の生命線ではないという非対称なものであること、2)米国の東アジアでの経済パートナーが日本よりも中国にシフトしたこと、の二つが日米同盟に今後どのように影響するかを日本は常に心に留め置くべきである。2)に関しては、日本は多くの経済分野で米国の競争相手であるが、米国と中国の経済関係は相補性が日米間よりも強いこと(注1)、そして、中国は現在米国国債の世界一の保持国であり、それを売ることは米国への経済的兵器にもなりえることなどが、その理由である。
 中国にとっても、米国は重要な経済パートナーであると同時に、世界の中心に位置する国家であるという敬意のようなものを持っている筈である。

 現在、共産党独裁という政治体制の大きな違いに対する異質感と、ウイグルなどで現地人の人権無視や自由束縛といった米国の国家としての基礎概念(つまり独立宣言)に反する統治が、米国を中国から遠ざける理由である。しかし、それらはかなり遠いかもしれないが、中国の更なる経済発展のある段階で消える可能性がある。その際のモデルとして、ソ連が解体されてロシアと幾つかの周辺国になった歴史がある。

 一方、決して消えない暗い日米間の歴史的関係として、太平洋戦争がある。米国は、世界のリーダーから滑り落ちる時には、広島と長崎に対する原爆投下やその他の大都市空襲による民間人の大殺戮を行った国(西欧近代文明の最も嫌うべき“人道に対する罪”の犯罪国家)として、世界から背後攻撃されることを危惧している筈である。

 その様な状況に陥らない為には、一つには米国が世界一の地位を未来永劫保つこと、そして、日本を“人道に対する罪”の加害者に仕立て上げることである。米国を世界一に保つことは、軍事面では容易である。経済面でも課題が多いものの可能だろう。そして、米国にとって幸いなことに、日本を人道に対する罪の加害者に仕立て上げることに、韓国と中国が非常に協力的である。

 上記の考えに沿って米国政府が行動しているとは言わない。それは米国の一部にあり、モザイク模様の様に米国の中に織り込まれていると考えるのである。既に、上記シナリオにそって韓国をその尖兵として用いている機関があるかもしれない。日本政府中枢はそんなこと考えているだろうか?(注2)

注釈:
1)中国は世界の工場であり、米国は世界の技術創出国である。そして、互いに大きな市場である。
2)可能性のふろしきを広げておくことは、生き残る智慧であると思う。

補足:
 米国の一つの州とはいえ、慰安婦の像がつくられたとき、私はこの考えを持った。更に、先日のオバマ大統領が、日本訪問のあと韓国で、「第二次大戦中の従軍慰安婦の制度はおぞましい人権侵害だ」と述べたのを聞き、その思いを強くした。米国の大統領は日本の首相と違って、仮に中国であっても、相手に迎合するようなことは殆ど言わない。人気の経済ブログ(4/28)の中で小笠原誠治氏は、米国は慰安婦をsex slave(性奴隷)だと思っているからだと書いている。私はむしろ、米国はこの件既に詳細に調査済みであり、性奴隷ではなく戦地売春婦であったという事実を正確につかんでいると思う。
 しかし、米国は「日本は朝鮮の若い女性を多数強制連行し、性奴隷にした」と思いたいし、歴史に韓国同様、そう残したいのだ。従って、今回の様な政府の姿勢では、カリフォルニアの慰安婦の像は、撤去されることは無いだろう。
 尚、軍の末端で一部強制連行の様な行為(犯罪的な行為)はあったかもしれない。しかし、慰安所では奴隷ではなく、かなり高い報酬を支払われた売春婦だったという。それを日本軍が組織的に強制連行で女性をあつめ、性奴隷としたという物語にして歴史に定着させたいのである。一部末端の行為と日本軍の組織的行為の間には、天と地程の差がある。「ナチスのホロコーストは、ナチスの一部軍人がユダヤ人を故無く殺したことではない」という文章で理解してもらえると思う。(5/13/6:00)(5/13/6:00)

2014年5月10日土曜日

土木作業員、介護士、保母などの仕事の輸入には100%位の関税をかけよ。

 今夜の激論コロシアムはたいへん内容のある番組だったと思う。竹中平蔵氏の論理明解な話には、何時もながら感心する。話し合われた中で中心的な課題の一つは、労働者と企業の関係についてであった。それは、労使のベストな関係は時代によって変化し、現在の法規制はそれに対応していないということである。つまり、経済発展まっただ中の時代には終身雇用制が、企業と労働者の双方に良い制度であったが、最近の日本のような先進国に於いては、互いに良い制度ではなくなったのだという。(注1)

 発展段階の国家では会社の進むべき方向はほぼ決まっており、各個人の愛社精神による熱意と会社の業績が正比例する関係にあったのだろう。その後、先進国になった段階では、創造性や高度な専門性を持つ人材と比較的単純な仕事につく人材とに、労働の二極化が起こる。また、会社に必要な人材の種類と量が、会社の動くべき方向の変化により、人のライフスパンと比較して短期間に変化する場合も多くなる。この様な情況下では、もっと近代的なドライな関係が全体的にみて双方に利益をもたらす。(注2)つまり、正社員を終身雇用により過剰に保護することは、待遇における二極化を増幅固定することになるし、会社の営業分野の転換が容易でなくなる。そこで、労働市場での人材流動化を促進する規制緩和は、日本の経済発展維持には不可欠になったのである。(注3)
 以上は、ほとんど企業の視点に立った考え方であるが、その理屈はよくわかる。つまり、適切な人材が最も適した企業に入ることにより日本国の経済は生き残れる。そして、その人材を必要とする企業も数年経てば変わる可能性が高いのである。その様な厳しい要求に適応できる柔軟性をもてと、竹中氏は労働者である国民を鼓舞するのである。竹中氏と三橋氏の議論は、近年のグローバル化した経済環境における、労働者に対する要求の厳しさをめぐるものであり、多くは竹中氏に利があった様に思う。

 ただ、専門性の低い労働力不足を解消する為の移民受け入れに関しては、私は完全に三橋氏の側にたつ。つまり、土木現場で労働力が不足しており東北の復興もままならないこと、或いは、適当な賃金でのメイドさん(注4)が見つからないことなどの理由で、一定数の移民を受け入れるという竹中氏の考えには反対である。以前のブログでも書いたが、土木工事はテレビの製造とは異なり日本以外に発注することは出来ないのだから、労働賃金を上げるだけで、解決出来る筈である。(注5)また、メイド(保母さん介護士)さんを雇いたい人は、ある程度の給与を出せば、人材派遣業者が必ず人を探すだろう。宗教や文化の異なる国から、安価な労働力を入れることは、必ず禍根を将来に残すことになる筈である。(注6)
 つまり、米作は必死に守るべきであると考えて700%以上の関税をかけるのなら、土木作業や保母さんの仕事の輸入にも100%程度の関税をかけてもよいのではないだろうか?(注7)竹中さんには、その明晰な頭脳をもう少し、一般国民側に向けて欲しいと思った。

注釈:
1)藤井内閣官房参与はその古い制度にこだわり過ぎておられる様に見えた。
2)経済のグローバル化により、一般に企業間の競争が厳しくなり、企業は生きる空間を探して短期間に変化せざるを得ない。例えば、富士フィルムは写真フィルム事業から液晶フィルムやカメラ、更には化粧品まで営業範囲を多角化して、見事に生き残った。一方、ソニーは営業内容として所謂白物家電に拘泥してしまい、変化しきれず、2008年には2兆円あった利益剰余金が数年続いた赤字により、半減した。そして、損保事業の高収益がなければ、もっと悲惨な情況だっただろう。
3)更なる経済発展は、日本のような先進国でも必要であると思われる。たぶん、樹木と同様に、成長無ければ死があるのみなのだろう。
4)たぶん竹中氏は、保母さんや介護士さんの意味で、この言葉を使ったのだろう。
5)三橋氏は工事の予定価格だけを言ったが、それだけでは駄目である。完成までの時間を契約にいれ、それに遅れた場合は違約金を企業に厳しく要求することが大切である。財政の問題は、無駄な工事(e.g.東北沿岸の無人島に高く聳える防潮堤は要らないとの指摘もある)を省けば解決可能だと思う。
6)竹中氏もこの危険性には言及していたが、認識が甘いと思う。フランスのイスラム教徒のケースを深刻に受け止めるべきである。
7)キャッチフレーズで読者を増やそうと考えた結果であり、単に国際比較してのそれらの職業の賃金を上げよといっているだけです。

開業医を優遇する政策に反対する(大病院での初診を困難にする政策)

 今日の中日新聞32面の記事によると、政府は紹介状の無い場合、大病院での初診料を全額患者負担にするという。この制度には、1)個人病院と大病院との役割分担を明確にする;2)セカンド・オピニオンの医療文化を日本において確実にする、3)疾病や年齢性別に、各病院の治療日数(治癒までの日数)や全経費の統計を病院毎にとり、効率治療を勧告する制度をつくること(報道機関などの請求があればそのデータを開示すること)、という三つの条件が成立しない場合、反対である。もし健康保険の健全化を目指すのなら、現在の医療環境下では、今回予定の制度は逆効果だろう。何故なら、患者を個人病院に縛りつけることになり、個人医院においては過剰治療が横行していると思われるからである。2)については、患者が希望する医療を選択できる自由を保証する為に必要である。これは、双方に心理的抵抗感なく、他の大病院への紹介状を患者が要求して、医者が書く習慣であり、現在部分的に定着しつつある医療文化であると思われる。(注1)
 健康保険制度を守ることと、より効率的な医療を実現することは、国家の大きな問題である。従って、原点に立ち戻って考えるべきである。私は、歯科を含めて保険治療は全て、患者とその治療歴に関する健全なデータ管理が可能であり、且つ行政との接触が容易な大病院で行い、個人病院では応急治療と大病院に紹介状を出すことを主な目的にした総合医療と、自由診療だけにすべきだと考える。このような根本的な医療改革には、大学医学部などの改革や大病院の増設なども必要であり、厚生労働省ではなく内閣官房が中心になって行なうべきだと思う。(注2)
 これから高齢者人口が増加するので、老人が不定愁訴的な症状で個人病院を訪れた場合、長期に亘る検査と治療の繰り返しが行なわれる可能性がある。また、歯科医院では米国などに比べて一般に治療が長期にわたり、過剰治療になりがちに思われる。それらを防止する制度を持たないで、安易に小手先の改革らしきことを行なうのは何故なのか、理解に苦しむ。「開業医は、何故一億円を超える初期投資をしながら、なお並外れて経済的に恵まれているか?」の答えを国民は全て知っていることを忘れるなといいたい。

注釈:
1)自信のある病院ほど、セコンドオピニオンに抵抗感がないようである。
2)医師不足の解消は、厚労省では難しいだろう。
 (これは理系人間の素人の意見です。コメント期待します。)

2014年5月9日金曜日

宇宙太陽光発電研究の無駄

 中日新聞(H26/5/9)によると、経済産業省が宇宙太陽光発電の実現に向けて研究が開始されるとのことである。6平方キロの太陽光パネルで発電して、マイクロ波で送電するとのことで、総費用は2兆円だという。安倍総理の経済対策における金一封の矢を、各省庁が奪い合っている姿が目に浮かぶ。文部科学省と経産省で、特定研究法人を立ち上げる計画については、理研のスタップ細胞騒動で実現が怪しくなって来ている様に見えるが、何れゴリ押しするのだろう。この研究予算奪い合いの第二幕として表れたのが、この宇宙太陽光発電である。静止衛生に巨大な太陽パネルを載せるのだろうが、その経費などを考えると、馬鹿げているとしか思えない。
 だいたい研究というと、金の無駄遣いにならないような錯覚を起こす人が大半だと思うが、事実はそうではない。その昔、サンシャイン計画、ムーンライト計画、ニューサンシャイン計画などという、自然エネルギーの活用研究が、通産省が中心になって行なわれたことがある。ウィキペディアによると、4400億円という巨額の国費を使いながら、殆ど新しい技術を生まなかった。その歴史を国民に広く知らしめてから、特定研究法人やこの宇宙発電のような話は始めるべきだと思う。
 宇宙太陽光発電計画の有利な点として:温暖化ガスの放出がほとんどない;地上の天候にあまり左右されない;昼夜を問わず発電できる、などがあるとのこと。しかし、宇宙からエネルギーを持ってくるのだから、当然地球は温暖化する。熱力学の第一法則さえ理解していないか、嘘で誤摩化そうとしているのかどちらかである。
 新聞社であれば、取材で得た情報を、咀嚼する程度の智慧を持てといいたい。

 コメント頂きましたので、それについて追加します。発表元は地球温暖化(インチキ説だというのが専門家の見方です。1月23日の記事参照)は二酸化炭素排出で起こるとしか考えていませんが、太陽からくるエネルギーが増加しても同じ様に起こるのです。つまり、宇宙太陽光発電は、本来通り過ぎる太陽光のエネルギーを地球に送るのですから、地球に降注ぐ太陽のエネルギーが増加することに等価です。因に、熱力学の第一法則と言いましたが、エネルギー保存則の意味です。

2014年5月8日木曜日

元首相2人の狂気

 中日新聞の本日(h26/5/8)一面トップの記事が、「小泉・細川両氏が新団体「自然ネネルギー推進会議」を政治団体ではなく社団法人として設立し、脱原発を目指す」というものである。2人の元首相が政治団体でなく社団法人として、脱原発団体を立ち上げるというのは今一つ動機不純の感がある。いったい彼ら過去の政治家が、原子力反応、放射線化学・医学生物学、原子力工学の何を知っているというのか?自然エネルギーの何を知っていると言うのか?日本国が経常赤字に転落している現状を、そして、高いエネルギーコストに苦しんでいる企業の姿をどう考えているのか?
 日本はマスコミが極めて貧困な国である。このような三面記事になるべき話題を、一面トップに持ってくることや、テレビがトップニュース的扱いで報道する事をかんがえれば、そう評価せざるをえないのではないか。すこし冷静に、テレビでマイクを握る空気を読む天才と評価された元総理の姿を眺めれば、彼が社会の空気が読めていないで、一人芝居(羽織の中の人の意味)を演じていることが判る。「東京都知事選で3位になった老人2人のコンビの、屈しない姿に感銘する」とでも報道すべきだったと思う。

 元々「脱原発」を含め、「自分は何々をやらない」と宣言することは、幼児的である。親に叱られた3歳の幼児が、「僕、もう何何をやらない」と云う場面を思い出すべきである(いったいこの子供達の親はだれなのだ)。その台詞は、自分の手足を自分で縛るという宣言だからだ。独立国の政治家は、広い角度で世界を見、あらゆる手段を考えて、国の進路を決定するのが本来のあり方である。その元政治家、しかも、元総理大臣の2人が、狂気の形相で脱原発を宣言し、社団法人を設立するということは、異常というしかない。
 
 マスコミの人たちに、プライドなど無いのかと言いたい。  

2014年5月7日水曜日

世界のインチキ雑感:

 中国裁判所が、戦前のトラブルに関して、当事者としての会社ではなく、既に代替わりした会社である商船三井に賠償金を支払う様判決を出した。時効という近代的制度も日中共同宣言も、どこふく風。これでは、中国から漢字の使用料を請求されるかもしれない。
 習近平主席はドイツで、日本軍が先の大戦で中国人3500万人殺したと演説したという。毛沢東と日本軍を取り違えているのではないかと川口マーン恵美氏はWillの六月号に書いている。(注1)
 韓国が、従軍慰安婦の悲惨な姿を宣伝するときは、当時の韓国の悲惨な経済状態や軍の将校の何倍も収入を得ていた慰安婦の方々の話はスッポリ抜けている。もちろん現在の視点からは、非常に悲惨な情況であることには異論は無い。しかしその責任を日本だけに帰すべきではない。これでは、「何もかも私の不幸はあなたの責任よ」と離婚直前のアホな女の言いぐさとそっくりだ。
 ウクライナの紛争の原点は、ソ連からロシア、ウクライナ、カザフスタンなどの国に別れる際、ウクライナはEUに入らずに、緩衝地帯的な位置にとどまるという了解があったと何処かで読んだ。(注2)そして、合法的なウクライナの政権担当者がテロリズムで国外に追い出されたあとの政権が、クリミヤなどでの独立運動家をテロリスト呼ばわりする資格があるのか? そんなことはおかまい無しの経済制裁とウクライナ暫定政権の支援は、米国の独善的態度ではないだろうか?
 日本でも、体を健康にする或いは保つという根拠など何もないものを、堂々と多くの会社が高い値段で売りつけている。また、プラズマクラスターとかマイナスイオンとかいう化学専攻の私には全く判らない化学用語を用いて、エアコンなどを売っている大企業。行政はなんにもしないのは、梅の木のカイガラムシか(注3)。
 何もかも世の中インチキだらけ。研究者のインチキが話題になっているが、そんな小さいインチキなど当事者に任せておけばよいのにと思う。(注4)

注釈:
1)同じ号に、西村真悟氏の「中韓の武器は嘘と捏造」と題して、面白い文章を書いています。
2)田中宇氏のブログ(一部有料)だろうと記憶している。
3)カイガラムシは木の幹にびっしりとくっ付いて、樹液を吸い取る害虫。
4)STAP論文の問題は、このブログでも何度も書いた様に、学会内で解決すべき問題である。また、一般人には理解困難で、且つ、ほとんど理解不要と言って良い。ただ、人件費(該当研究者の雇用)と研究費に関連する、税金の適正使用という側面だけで、一般社会と関係を持つ。

2014年5月5日月曜日

スタップ問題に関する”どさくさ劇”と科学界の変質

 今日の5チャンネル(TBS系)の番組で、依然としてSTAP捏造疑惑を報道していた。この件は現在混乱を極め、理研の調査委員の論文調査にまで話が及んでいる。理研もマスコミと政府文部科学省の両方をにらみながら、戸惑っている様子である。関係の無い研究者たちは、お笑いの領域に入った事件を薮睨みしている感じかもしれない。しかし、社会の不浄な関心により科学に危機が訪れようとしているのかもしれない。
 
 前にもブログで書いたことであるが、一般に、科学論文は学会が評価することであり、所属機関が審査することではない。そして、信用のない論文は評価されないために総説にも単行本にも引用されず、いずれ研究者の記憶から消えるだけである。
 小保方氏から共同研究者の若山氏に渡された細胞の遺伝子が、本来のものでないことを若山氏が知ったことをきっかけに、STAP細胞に関する論文における捏造疑惑が大きくなった。その実験結果が(つまり小保方氏が)信じられない為、論文を取り下げるよう若山氏が主張した段階で、STAP論文の価値はなくなっている。写真の切り貼りなどは、論文の信用を低下させることにはなるが、決定的ではない。決定的なのは、共著者が論文取り下げを主張していることと、その理由となった実験試料の受け渡しの段階で、細胞の遺伝子が変わっていたことである。

   STAP細胞があるかないかは、理研の調査が明らかにすることではなく、次に誰かチャレンジしてその作成に成功して論文を書くまで、あのNature論文が投稿される前の段階にとどまる。ただ、Nature論文が取り下げられない限り、それにエネルギーを注ぐ研究者は他のグループには出ないだろう。そして、今のような情況で論文を取り下げなければ、その研究に拘った人の科学界における信用は無くなるだろう。(注1)また、信用のない研究者を抱えることは、理研が科学を研究する機関ならば、研究資金の無駄使いである。

 科学は、研究者間の”同好会的な付き合い”によって発展してきたのであり、論文の内容に関する著者の法的責任などという問題とは遠い世界に存在した。(注2)しかし、科学的成果が技術とそれによる社会における経済活動と密接に関係する様になって、科学を取り巻く環境が世俗的になった。学会にも世俗の風が吹き、科学の世界が異質なものに変わりつつある。インパクトファクターとかでの雑誌のランク付けをすることや、著者として含まれる論文の数とそれらの被引用回数などで、研究者評価を数値化することなどもその例である。また、学会誌発表よりも新聞やマスコミに発表することに熱心な著者が多くなったことも問題である。マスコミも評価する能力もないのに、その研究の価値が判らないまま著者の宣伝を鵜呑みにして記事を掲載している。これらについて、異常だと聞こえるように発言する研究者があまりいない。これらのこと全てが、科学界の変質を証明している様に思う。(注3)

   科学を大切な人類の文化と考えるのなら、マスコミは面白半分で、この問題を含めて科学的研究の紹介を何処かから得た情報を鵜呑みで取り上げるべきではない。また、今回の疑惑の件、最初の一報以外に取り上げて放送することは何も無いはずである。
 
注釈:
1)笹井氏が論文を出版することが成果100%とすると、論文を取り下げることは、成果ゼロになるのではなく、-300%になることであると言った。しかし、疑惑が深まった段階で取り下げに同意しないことは、それまでに蓄積した科学研究者としての信用が全て無くなることになるのである。
2)法的云々に直接関係するのは特許である。しかし特許は、研究論文として公知になった段階で申請できないので、科学の問題ではない。より下流域に存在する技術分野の話である。
3)科学と経済は昔は仲良しだった。経済の援助で、多くの人間がお金を使って科学研究ができた。しかし近年、経済や一般社会が科学に期待するものが大きくなり、且つ、経済と科学の対等関係が無くなった。その結果、科学界の人間の数が多くなり、質が低下して、金と名誉に汚い世界になったのである。

2014年5月3日土曜日

空虚に聞こえる日本国憲法

 今朝の中日新聞一面のトップ記事のタイトルは、「平和憲法崖っぷち」である。その記事によると、「戦後の歴代政権が維持して来た現行憲法下の平和主義は岐路にたっている」らしい。現在安倍政権が進めている、現行憲法下で集団的自衛権を持とうとする「解釈改憲」に対して反対するというスタンスで記事はかかれており、同じ趣旨から「中日春秋」が自衛隊発足時の国会での議論を紹介している。法制局長官は「昔は満州が日本の生命線であるということで、(中略)満州に兵隊をだしたことも自衛権と言っていたわけであります」と国会で釘をさしたというのである。この新聞社の方向から見た現在の安倍政権のもくろみは、この記述の通りだと思う。私は、解釈改憲よりも憲法改正の方向で議論すべきだと思う。(1)
 そこで憲法を改めて読んでみた。憲法前文の最初のパラグラフに、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、」という文章が挿入されており、戦争責任者として罰せられた者の反省文をそのまま憲法にしていることが判る。二番目のパラグラフの始めに、「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」という文章が来る。これまでの壮絶なる国家間の生存競争を無視した現実性に乏しい憲法である。
 「平和憲法」というのは山本七平の「日本教について」の言葉で言えば「空体語」である(注2)。ここで、空体語とは「純度の高い人」(つまり単純で理解しやすい人)が述べる言葉である。「恒久の平和を祈願し、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、安全を保持する」という言葉は、宗教における「正義を信じて善をなし、極楽往生をとげる」のようなものであり、どちらも実際には死ななければ(滅亡しなければ)到達しない世界の話である。
 日本教については、別にブログに書いた。(注3)私は、日本教という考え方を用いなくても日本の諸現象は解析可能だと思う。以下、実体語と空体語という言葉をそのまま借用するが、日本教の教義は用いないで議論する。
 日本において、実体語と空体語の表れ方は例えば以下の様である:何かの問題を解決するための具体策を「実体語」として練り上げたとして、それを行なった際に生じる不都合について、その解析から解決までの論理的な道筋が日本語で構築出来ない(注4)。そのため、その実体語表現を真っ向から否定する者が、より単純な理想論を持って現れる。そのことばを、「空体語」とよぶことにする。そして、空体語派と実体語派の間にまともな議論の無い、従って論理的でない戦いの末に、国家の方向が決められる。ただ、空体語の方が単純で判りやすく、国民の人気も高い場合がおおい。論理的思考により方向を適宜調節すれば、運動は曲線運動になるが、この国では「実体語派」と「空体語派」の議論により、修正案を創りだすというプロセスが無く、どちらかで記述される方向に直線上を動く。そして、壁にぶつかり、そこで方向を変えてまた直線運動で動くという繰り返しだったと思う。(注5)。
 私は、日本語はあまり出来の良い言語ではないと思うが、それでも論理的な議論は可能である(注4)。まともな「ことば」を用いて議論し、法を定め、不都合が生じればそれを改正し、政治を実態に沿って動かす国家になってもらいたい。そして、あらゆるレベルで、人と人の和や人脈だけではなく、論理と客観性を尊び、議論により物事を決する文化を構築すべきだと思う。その結果、日本語が徐々に論理的思考に適した言語に変質していくだろう。

注釈:
1)ただ、安倍内閣の下での憲法9条廃止などの改憲には反対である。少なくとも、中国との友好関係を演出することに成功する政権でなければ、憲法9条の廃止は出来ないし、してはならないと思う。
2) これに対抗する実体語表現は、例えば「軍事力で現状を変えようとする他国の圧力に対して、こちらも軍備を整えて対抗しその野心を放棄させる」ということになるのだろう。もちろん、経済的な利害関係や外交上の友好関係などを築き上げて、問題の発生そのものを防止するという戦略がなければならないのは云うまでもない。
3)一月18日と21日のブログ記事参照:(http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2014/01/blog-post_18.html)
4)http://island.geocities.jp/mopyesr/kotoba.html
5)このように考えると、朝日新聞の終戦を境にしての論調の変化が理解できると思う。

2014年5月1日木曜日

TPPなどでの食料安全保障=自民党議員達の票田保障

 TPPやFTA交渉などで、日本側の譲れない線として何時も残るのが、農産品の関税である。今回の豚肉などの関税は少ない方で、交渉のテーブルに載らない、米の関税は700%以上だそうである。また、コンニャクの場合はその倍以上と言うから呆れる。日米安全保障条約という紙切れ一枚に、国家の安全保障を任せてきた自民党議員たちが、安全保障という言葉を「食の」という形容詞付きでも使う資格があると思っているのは、そして、そのいい加減な論理を有権者が許して来たのは不思議というしかない。もし、農業を食料確保の問題として考えるのなら、農地法などを改正し、大規模化や株式会社化を進めて、生産性を上げることが第一になされるべきことである筈(注1)。
 農業などの集約化がなされれば、食料価格は低下し、戸別保証金も小額になる、更に、特別職の農業委員に支払う給与も要らなくなる。これらは、全国民の可処分所得を増加させ、日本国の労働人口の実質増加につながる。それは、それ以外の産業の国際競争力を増すことにつながり、実質的に食の安全保障確保につながるのである。また、不必要な移民受け入れをしなくてすむ。(注2)
 ところで、食料安全保障であるが、上記の農業の生産性を上げることが大切であるが、それと同様に大切なのは外交である。その理由は、日本の農地により生産される食料で生きて行けるのは、せいぜい6000万人位であるからである。宮沢賢治の「雨ニモマケズ」にあるように、パンや肉などの輸入品か輸入飼料で生産するものに頼らなければ、一日5合(約700g)の米と他に少量の副食が必要なのである。それが、江戸時代までの日本の人口(注3)を決定してきたのである。つまり、1億2000万人の人口を抱える日本国に、貿易と国際的に強い工業以外に、食糧安全保障は実現出来ないことを知るべきである。その観点からすれば、自民党政府のこれまでの農家保護の政策は、票田確保政策以外には見えないのである。

注釈:
1) 土地の移転を市町村の農業委員会の許可性にして、それに違反したら、3年以下の懲役か300万円以下の罰金に処せられる。その農業委員会においては、10アール以上耕作している成人が選挙権及び披選挙権を持つそうである。
2) フランスなどでは移民として受け入れた外国人のテロなどの犯罪に苦しんでいる。文化や宗教のことなる国民が同居する困難を十分知った上で、移民は受け入れるべきである。日本にそのような知識も覚悟も現状では無いと思う。明治の後期に、日本では十分な食料を生産出来ないので、ブラジルなどに多量の移民を送り込んだことを忘れてはならない。
3) ウィキペディアによると江戸時代の人口は3000万人程度(明治3年で3300万人程度)であったという。