昨日の自衛隊航空機への中国戦闘機の異常接近は、東アジアが非常に危険な雰囲気に包まれつつあることを示している。その一方、日本国内に緊張感はあまりなく、国民の多くは平和主義という幻想に未だに支配されている情況である。そこで、安倍総理も憲法改正が出来そうにないと考え、解釈改憲という非常手段をとろうとしている。
戦後70年の今まで、日本が米国の属国に甘んじて来たのは、優秀なる多くの人材を戦争とその後の東京裁判で失ったことと、国民が無能な国会議員を選んで来た結果であると思う。例えば、国家の骨組みよりも肉付きを良くする事を優先するという吉田茂の方針は、国家の遺伝子はその体裁を整える間に埋め込まれるべきであるということを十分理解していなかったからではないのか。そして、約70年間続いた、過度な米国依存と偽りの平和主義(それらは、夫々米国により植え付けられマスコミにより宣伝されたが、互いに表裏一体をなす)は、国家を本来の遺伝子を欠いたものにしてしまった。(注釈1)そして、その“戦後体制”は、国民が悲惨な戦争に巻き込まれたことの反動としての深い厭戦気分から目覚めることの無いままに、自己保身に汲々とする(そして、反日思想に毒された)国会議員たちにより温存(つまり無視)されつづけた。
人類も他の動物同様、厳しい生存競争の生き残りとして存在している。そしてマクロに見れば、人口は過去数十万年の間、その時の生産能力により決定されて来たのである。しかし、ミクロにみれば、その人口調節のメカニズムは、醜い殺しあいであり、国家間の戦争であった。偽りの平和主義は、このミクロの視点しかとり得ない者の、夢想に過ぎないのである。
中国は経済は自由化されたとしても、政治的には共産党の一党独裁である。鄧小平ら指導者は、やがて行き詰まるであろう共産党下の自由主義経済という理解が難しい国家をつくったのである。その本質を見ないで、多くの企業が中国に投資し、多くの国家は中国との付き合い方を発見せずに現在に至っていると思う。いつかはその政治の遺伝子と経済の遺伝子が異なるタイプであるという自己矛盾から、大きな政変を迎える様な気がする。(注釈2)そして、その余波は周りの国家の存亡に拘るかもしれないと思う。
注釈:
1)国家の骨組みは国家の基本であるが、成熟した段階では国民は日常を重視する様になり、変更が困難であるという意味で、遺伝子により決められるという比喩を用いた。
2)国家の枠組み(”遺伝子”)が不完全であると言う点で日本と中国は似ている。何れの場合も、成熟した段階で国家の枠組みを変換する、つまり体制を大きく転換するのには、大きなエネルギーと周辺国家にまで影響する余波を生じると思う。
(5/26朝投稿、同日夕刻改訂)
0 件のコメント:
コメントを投稿