”苛め(いじめ)”による中高生の自殺が続いている。その原因の一つとして、“苛め”が社会において十分理解されていないこと、及び、法的にも定着していないことがあると思う。
”苛め”は法律用語として存在しなかったが、2013年いじめ防止対策推進法(平成25年法律第71号)が制定され、“いじめ”の定義がなされた。その第二条にある定義は:“この法律において「いじめ」とは、児童等に対して、当該児童等が在籍する学校に在籍している等当該児童等と一定の人間関係にある他の児童等が行なう心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行なわれるものを含む。)であって、当該行為の対象となった児童等が心身の苦痛を感じているものを言う。”
この定義の第一の問題は、苛めを心理的なものと肉体的なものに分類はしているものの、それを包括した形で定義していることである。しかし、児童であれ大人であれ、「物理的に影響を与える行為で、対象となった人が心身の苦痛を感じるもの」は刑法の対象である「暴行」であり、この定義にはその重要性が十分意識されていない。
今回の岩手・矢巾町の男子中学生のケースでは、教師との連絡ノートに自殺をほのめかす書き込みがあったものの、教師は紋切り型の応答しか出来ていなかった。その後のテレビ報道などでは、学校長などの謝罪会見や教育委員会の意見などが放送されていたが、具体的には生徒の死を無駄にするだろう。何故なら、“苛め”の本質的理解がなされていないからである。
今回のケースでも、自殺した中学生の悩みの種は、“苛め”という暴行であった。暴行をしても警察が関与しないのであれば、学校は治外法権の区域となってしまうが、そんな初歩的なことをこの国指導的立場にある人たちやマスコミの人達は知らないのだろうか?
ここで、“いじめ”を私なりに定義しておく。「いじめとは、ある共同体において、特定の構成員を孤立した状態及びそれに近い状態に置いて、集団での心理的圧迫や肉体的暴行を加える行為である。」 つまり、“苛め”は、共同体内で行なわれると言う点が特徴である。
このように現在”いじめ”と言われている行為に、なるべく近くなるように定義すれば、自ずとその対策が見えてくる。心理的圧迫には、個人のその集団からの離脱を勧めることを含めたカウンセリングを、暴行には警察を利用することで、解決される。
もちろん、解決とは言え、当事者“双方”に負担となることは当然である。その負担が苛めを減少させることになると思う。全ての中高生達にも、たとえ平手打ちでも法的には暴行になり得、刑法208条に従って刑事事件として処罰される可能性があることを教えるべきである。また、苛めが絶えないのなら、そのような問題校には、一時的に警察官を常駐させることも考えるべきである。
苛めによる自殺が示唆する、根本的なもう一つの問題点は、個人と共同体(ここでは学校のクラス)の関係を、被害者を含めてその構成員が重く考え過ぎていることである。幼少期には仕方がないが、中学生以降は個人の自立を教育の一つの主眼とすべきである。大人の社会を含め、日本では個人が共同体に依存する割合が高すぎるのではないだろうか。
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