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2015年7月28日火曜日

ドイツのナチ協力者裁判は酷すぎ

今朝の中日春秋は、ナチスの施設で経理係として働いていた94歳のドイツ人男性が、ドイツで殺人罪ほう助の罪で禁固4年の判決をうけたことをとり上げている。時の政治組織の末端に位置するこの老人の裁判結果に関連して、「時流に流された歯車の歯の責任をどう問うべきか。これはいつまでも考え続けなければならぬ問いだろう」と、自分の考えを披露する事なしにコラムを終わっている。コラムを担当しながら、自分の思想を披露しないのは、卑怯な態度であると思う。

ナチスのユダヤ人虐殺は、日本では人道の罪で裁かれたと聞くことが多い。本当はそうではなく、普通の殺人罪として裁かれて来たとウィキペディアに書かれている。(https://ja.wikipedia.org/wiki/ドイツの歴史認識)実際、上記ドイツ人オスカー・グレーニング氏の裁判に関する昨日の新聞記事にも、普通の殺人ほう助と言う罪名がかかれていた。

この件、私には疑問点が多く浮かぶ。過去ナチスが行なったユダヤ人虐殺が、延々と殺人罪で裁かれてきたと思う。しかし、それを指揮したヒトラーを国の指導者として選んだのは、ドイツ人である。ドイツ人が収めた税金によりドイツの公務として殺人が行なわれたのだから、上記オスカー・グレーニング氏が殺人ほう助で裁かれたのなら、当時のドイツ人納税者が殺人ほう助で裁かれないのは何故なのか?その件に関してドイツ人一般とオスカー・グレーニング氏との違いは、単に、必要な金を税金で収めたことと、その金の使われた方の計算をしていたことの違いであり、そして、殺人現場からの距離の違い、の二つだけではないのか。

また、ナチス時代に適法と解されていた行為を変更された法解釈により事後的に処断することは、遡及処罰にあたる。刑法の遡及適用は、民主主義下の刑法の基本である罪刑法定主義を否定することになる。また、一般の殺人罪ほう助でも、94歳の男性が70年以上経ってから裁かれるというのは、異常である。ドイツには、殺人罪や殺人ほう助罪に時効はないのか?

私には、超法規的に同胞の血を、ヨーロッパ諸国を始め戦勝国への謝罪の儀式に使うだけのためだと思う。そんなことをするのなら、ドイツ国民全てが罪を認めて、テレビの前で頭を下げるとか、土下座するべきではないのか。報道機関に長く務めた中日春秋氏は、素人の私と違って、同様のことを瞬時に頭にうかべただろう。しかし、何も書かないのだ、この種の日本人は(私も日本人)。

一昨日ブログに書いた、東京裁判の時の米国人ブレイクニー弁護士は、担当したケースの日本人被告が殺人罪に問われるのなら、原爆投下時に米国の大統領であった人も、殺人罪に問われるべきではないのか?と、弁護したのである。

社会の第一線の然るべき立場の人間は、既存の権力や風潮に抵抗してでも、可能な限り自分の考えを述べるべきである。それは彼らの義務であり、知識階級がその義務を果たすことが、民主主義の成立条件であると思う。そして、日本においてそのような文化が欠損していたことが、あの戦争に踏み込んだ主なる原因の一つだったと思う。

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