太平洋戦争時に、日本国内で不足する労働力を補充する為に、中国人を動員することを定めた「華人労務者内地移入に関する件」を閣議決定し、1944年に重労働の為に中国人労務者3万人の動員計画が盛り込まれた。
花岡事件は、1945年6月30日に秋田県の花岡鉱山で動員された中国人労務者が蜂起し、集団脱走をはかり、その後鎮圧された事件。戦後、過酷な労働環境について損害賠償請求裁判が提訴された。
秋田県花岡川の改修工事などの為に鹿島組で戦争末期に使役についた中国人約1000人のうち、事件までに137人が亡くなった。彼らは過酷な労働条件に耐えきれず、1945年6月30日夜蜂起し、日本人補導員4人などを殺害し逃亡を図ったが、憲兵、警察、警防団の出動により、多数の労働者が拷問などを受け弾圧(殺害)され、総計419人が死亡した。
連合国によるBC級戦犯横浜裁判では、鹿島組の3名が絞首刑の判決を受けた後、終身刑等へ減刑されている。
今年大館市の十瀬野公園墓地で中国人犠牲者の慰霊式が、日中の関係者100人以上が出席して開かれた。大館市長や父が花岡鉱山に連行された遺族代表の王敬欣さんが慰霊の言葉を述べた。
この事件、日本側の担当者が戦犯として裁かれ、そして、日中が平和条約を締結したからと言っても、それでおしまいという訳にはいかないだろう。安倍さんの戦後70年談話を控えて、この談話のあるべき内容について考える為の材料にしなければならない。
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