注目の投稿

人類史の本流は中華秩序なのか、それとも西欧型秩序なのか

1)米国が露呈させた中国共産党政権の真の姿と日本の課題   日本が抱えている最重要な課題は、コロナ問題や拉致問題等ではなく、表題の問に対して明確な答えと姿勢を持つことである。短期的な経済的利益に囚われないで、現在が世界の歴史の方向が決定される時なのかどうかを考えるべきである。...

2017年3月11日土曜日

感覚(感情)が論理に優先する東アジア圏の国々:裁判所がデモ隊に阿る韓国と教育勅語を暗唱させる幼稚園教育を批判できない日本

1)東アジアの国々では、公の空間でも論理が感覚に優先しないようである。その一つの具体的現象として、これらの国々では法治主義がまともに機能しない。法を運用するのには、論理に最高の価値を置くことが肝心である。そして、法が実情に合わなくなれば、いい加減な解釈で誤魔化すのではなく、法を改正することが大事である。

それらの国々として我々に身近なのは、韓国であり日本である。ほかの国々も同様だろうが、この二つの国について考えてみる。この表題を思いついたのは言うまでもなく、昨日の韓国大統領弾劾罷免の決定である。昨夜のBSフジでのプライムニュースでは、韓国に詳しいゲスト二名の意見はともに世論に圧された形で憲法裁判所が弾劾妥当の判決をだしたと発言していた。

それ以前に韓国の論理軽視感覚や感情重視の国柄は、対馬の仏像の件もそうだが、 “親日とラベルされた者の財産を没収する法律”が韓国に存在するという信じられない事実で明らかである。この様な法律を定め運用しながら、日本と国交を結び外交をおこなっている無神経さ、更にそれを国内問題であるからと特に外交上の障害と考えない日本の無神経さは、当に両国には法を制定し用いるだけの論理や知性がないと言える。

日本での例をあげると、”平和憲法”の現実無視条文とその非論理的解釈だろう。憲法前文や憲法9条の条文は、人類の歴史など無視して理想論を書いている。その第9条第二項を無視して、自衛隊という名の軍隊を持っている。更に、それが問題になった最高裁判所では、論理に従って違憲判決を出して行政に憲法改正を促すという司法の役割を放棄し、自衛隊合憲という判決をだしている。昨日の件で韓国を笑う日本人が多いだろうが、そのような人々は天に唾するという言葉を思いだした方が良い。

2)日本に関して言えば、その原因は言語の出来が悪いことと、そのために言語を軽視する文化が定着したということである。韓国のことについては韓国語を知らないので考察の対象外であるが、ほぼおなじ分析で解釈可能だろうと想像する。この件、何度も同じことを書くので抵抗を感じるのだが、敢えて繰り返す。

その一番わかり易い例は、読経の文化である。死者の霊を慰めるのか極楽往生を助けるのか知らないが、例えば三回忌などの法事のときには、坊主と親族が経を故人の位牌の前で上げる。しかし、その内容については坊主以外はほとんど理解していないし、坊主の理解も怪しい。

一般に“言語の出来が悪い”とは、読んだだけで、或いは、聞いただけでは、語られた文章の内容(論理)を瞬時に理解できないことを意味する。その結果、日本の文化の一つとして、文章を先ず暗唱させる教育が古来行われてきた。江戸時代には寺子屋で論語などを暗唱し復唱する姿がよくテレビドラマなどで出て来る。

そこでは、意味の理解は次の課題であり、最初に暗唱することが必須である。これほど愚かな教育があるだろうか?記憶力の悪い子供は、その文章に関してその時点では門前払いに等しいのである。そして、その内容についての解説や生徒同士の議論で理解を深める教育は、皆無である。

3)もう一つ、元々単独に書く予定だったのだが、ここで例として上げる。最近のテレビのワイドショーは、森友学園の国有地不正取得の問題で独占されている。そこで屡々話題になったのが、そこが経営する塚本幼稚園の運動会での異様な宣誓の場面である。例えば、そのなかで「有事法制国会通過よかったです。安倍総理がんばれ」と園児に言わせている。その場面については、出演者が声を揃えて異常だと言うが、もう一つの「教育勅語の暗唱」については誰も何も言わない。

一昨日だったか、籠池理事長が自分の幼稚園の優れた教育について記者団の前で自己宣伝をする場面があった。そこで、教育勅語の中の文章を引用して、(教育勅語などを暗唱させることを含めて)学園の教育のどこが悪いのかと居直っていた。それについて、現場およびスタジオで、誰も何も言わなかった。一般紙(新聞)も、この事件が明らかになって以来、教育勅語を幼稚園児に暗唱させることの異常性についてあまり書いていないのではないだろうか。

この異常な事態は、日本国は韓国同様、ナショナリズムの空気が醸成されてきていること(補足1)の証明でもあるが、日本国は文章に人を支配する力がない国だからでもある。

戦後日本の政治は、皇国史観から抜け出した筈である。その皇国史観を真正面から唄い、それを子どもたちの人格の中に叩き込むのが塚本幼稚園の教育勅語暗唱教育である。それは、人格権の侵害であり、憲法違反である。そのような教育をしている本人を前にして、記者やレポーターと呼ばれる人たちは何も言えないのである。

現在、天皇と国民の関係は、君主と臣民の関係ではない筈である。そして、教育勅語の中の「一旦緩急あれば義勇公に奉じ、以て天壌無窮の皇運を扶翼すべし」という文章を現代語にすれば、「戦争になれば、勇ましくあなたの命を捧げて、永遠に続く皇室の運命を助けなさい」という位の意味になる。それを現代の幼稚園児に暗唱させ教える異常さに、どこのメディアも何も言わないのである。

補足:

1)天皇を元首とする憲法改正案が自民党でつくられている。安倍内閣の下で憲法改正が議論されるとした場合、その草案がたたき台になるだろう。その憲法草案作成の中心になったのが、日本会議という自民党国会議員の主要メンバーが参加する団体だ。

0 件のコメント:

コメントを投稿