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2021年3月31日水曜日

日本には言論の自由がないのか?:森元総理の発言は性差別発言ではない

今年2月3日、森喜朗氏が女性差別的発言をしたとして非難され、それが森氏の五輪組織委員会会長からの辞任につながった。この問題となったケースは、日本文化と日本政治の問題であり、森氏の発言は非難されるべきではないと、記事に書いた。 https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12655371695.html
その時の森氏の発言は、「女性理事を4割というのは文科省がうるさくいうんですね。だけど女性がたくさん入っている理事会は時間がかかります。これもうちの恥を言いますが、ラグビー協会は今までの倍時間がかかる」であった。

彼がトップのラグビー協会では、「女性理事が増加した結果、理事会の時間がかかるようになった」という感想と、協会に女性理事を増加させるように行政指導したのは、文科省であるという事実について発言したのである。素直に感想を述べることを非難し、役職の辞任に追い込むのは、言論の自由の封殺である。

森喜朗氏(83)が3月26日、再び“女性差別的発言”を行ったとしてネットで大炎上しているという。読売新聞によると、森氏は河村建夫氏の政治資金パーティーに参加し、そこで「(河村事務所に)①大変なおばちゃんがいる。女性というには、あまりにも、お年ですが」と述べたというのだ。

この“おばちゃん”とは、河村議員の女性秘書のようだ。森氏は、河村氏よりも昔から議員会館で働いていた方だと紹介し、「私が河村さんの所を通ると、その女性が外を見ていて『森さん、ちょっといらっしゃい』と呼ばれて、ああだこうだといろいろご注意を頂いた」とも言っている。 https://www.tokyo-np.co.jp/article/94020

この中で特に発言①が、女性差別だと批判されている。上記発言の主旨は、森元総理など政界の実力者を相手に注意するほどの発言力のある方という意味のようだ。この「女性というには、あまりにも、お年ですが」が女性差別にあたるということらしい。これは、「男性が性的魅力を感じる年齢を超えている」という意味で発言しているのだろう。

男性であれ女性であれ、年をとれば性的魅力が減少するのは、哺乳動物としての人の宿命である。「森さん、そのお年で女性があなたを男性として魅力を感じると思って居られるのですか?」と聞いてみたい気がするが、上記森氏発言が女性差別発言だとは思えない。勿論、公的な場では、個人の性的魅力に言及する理由はないので、その公的場での発言であったのなら、その意味で批判の対象になるだろう。

マスコミが、政界の重鎮の発言を取り上げて、女性差別主義者だという風に弄ぶのは、衆目を他にそらす目論見があるのかと疑う。何故なら、現在日本が置かれている国際政治的情況は極めて危ういものだからである。

日本の現在の女性差別撤廃運動は、米国のポリティカル・コレクトネス重視の一環で生じた。女性差別の解消を逆差別の方向で強要する日本政府は、国際的に自己主張できない日本の国家としての脆弱さに起因する。

2)一般論:

男女の別は、旧約聖書にも書かれている。最初の女性であるエバが、アダムの肋骨から作られたという記述に始まり、そのエバが人類最初の悪を為したことも、男女の差として記述されている。男女差別を厳しくいう欧米の方々の神が、このように男女の差に言及されていることを、欧米人はどのように理解しているのだろうか?非常に不思議である。

それは兎も角として、人間社会は「分業と協力」で成り立っている。当然、女性と男性も分業している。例えば、女性兵士や女性警官の数は、男性のそれらの数より少ない。組織のリーダーとしての指導能力も、個人差の方が大きいかもしれないが、平均すれば男性の方が高い。

その結果、一流企業のCEOは、圧倒的に男性が多い。それは差別でも何でも無い。機会均等であっても、男性が相応しいポジションに男性が多いのは自然である。「4割は女性にすべきだ」という類の強制をすれば、企業であっても公的組織であっても、運営の能率は低下する。

「女性理事4割を強要すること」は、逆差別で国際社会(米国のポリコレ)の圧力を躱そうとする日本政府の安易な姿勢、国民を馬鹿にした姿勢が作り出した男性差別である。森氏発言が問題になった時、このことこそ大きく問題として議論すべきことだった。

本来行うべき運動は、性差別撤廃ではなく、機会均等の実現を目標としなくてはならない。つまり、能力のあるものを、能力に従って、協会理事などの重職に採用することである。もし、候補者の女性に能力がなければ、採用しないのは当然である。

(8:45文章数カ所修正)

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