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人類史の本流は中華秩序なのか、それとも西欧型秩序なのか

1)米国が露呈させた中国共産党政権の真の姿と日本の課題   日本が抱えている最重要な課題は、コロナ問題や拉致問題等ではなく、表題の問に対して明確な答えと姿勢を持つことである。短期的な経済的利益に囚われないで、現在が世界の歴史の方向が決定される時なのかどうかを考えるべきである。...

2017年8月31日木曜日

北朝鮮問題:チキンレースの終結は、米国がアメリカファーストを具体化することで行うべき

1)北朝鮮問題が、一昨日のミサイル発射により時間軸上をかなり進んだ。それに対してトランプ大統領は29日、隣国や国連に対する「侮辱」を意味するもので、国際社会での孤立を深めるだけだと批判し、米国の対応には「全ての選択肢がテーブルの上にある」と述べた。http://www.bbc.com/japanese/41091853

安倍晋三首相は30日深夜、トランプ米大統領と電話で約30分間会談し、弾道ミサイル発射を繰り返す北朝鮮にさらなる圧力が必要との認識で一致した。http://www.sankei.com/politics/news/170831/plt1708310003-n1.html

金正恩朝鮮労働党委員長は、「恥辱的な韓国併合条約」が発効した1910年8月29日から107年に当たる29日に「日本人を驚がくさせる大胆な作戦計画」を立て、発射を承認したという。そしてその発射訓練は、「米国グアム島をけん制する前奏曲となる」と強調したという。https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170830-00000007-jij-kr

更に、国連安保理は緊急会合を開き、北朝鮮による日本上空を通過した弾道ミサイル発射を非難し、発射の即時停止を求める議長声明を全会一致で採択した。https://www.nikkei.com/article/DGXLASGN30H26_30082017000000/

これらの北朝鮮問題を巡る各国と国連の反応は、全て従来の姿勢の延長上にある。時間軸を進めたにも関わらず、全てが従来の延長上にあるということは、それだけ選択肢の幅を狭めたことになる。それを各国や国連は、どう考えているのか?

2)直線上を動くことは、パチンコ玉でも出来る。慣性の法則に従えば良いだけである。それぞれの国の内部での、思考も計算もいらない。それで良いのか? 北朝鮮、米国、その衛星国である韓国と日本、ロシア、中国や国連に、何か最終的な図面ができているのか?

金正恩は若い世襲の指導者である。いままで、同じ方向を進んできたので、方向を徐々に変えることの難しさを実感しているだろう。おそらく打つ手がないのではないか。世間ではチキンレースというが、別の路に飛び移る方法を当事者が知っている場合がチキンレースである。本当にチキンレースなのか?両方とも、飛び移るべき別の道がわからずに、ただ前に進んでいるだけではないのか?

金正恩は国内での権威を保つために側近の粛清を繰り返して来た。張成沢など中国との太いパイプを持つ者も失っている。そのような状況では、金正恩個人が天才的であれば良いが、いろんな意見を周囲から聞き、それをヒントに道を選ぶというタイプの政治家なら、新しい発想に至らないのではと心配する。

ひょっとして、米国の大統領も類似の情況にあるとした場合、結末は非常に深刻なことになるのではないだろうか。つまり、トランプ大統領は、大統領になるまで東アジアでのこれまでの米国の政治には知識がなかった。それは、「韓国も日本も核兵器を持つのなら持てば良いではないか」と安易に発言したことからも明白である。そして、次々と側近の名前が変わるところを見ると、ギリギリのところまで“チキンレース”が進んだ段階では、国防長官や国務長官の助言も機能しないのではないのかと心配する。

3)解決のシナリオ:

私は、以下のよう考える。つまり、①北朝鮮を核兵器保持(中距離ミサイルまで)のまま国家承認することと、その後のシナリオが書けていないのなら、はっきり言って、金正恩の暗殺以外にこの“チキンレース”から降りる道はないのでは。

①のシナリオで、日米韓がNATOと同じように、②韓国と日本を対象に核兵器の共有を持ち出す場合、金正恩の暗殺は中国によってなされる可能性もあると思う。なぜなら、中国およびロシアは自分たちが巨大な核軍備を持つことで、日本などから得られる間接的利益を、既に予定利益として計上している可能性があるからである。

もちろん、①と②をそのまま中露が受け入れるのなら、北朝鮮問題は半ば解決したも同然である。また、トランプ大統領が当初考えていたアメリカファーストの政策、在外米軍の縮小も同時に達成できるのである。更に、米国は核兵器共有の代金を日韓に請求して、毎年固定した利益を計上できるだろう。

米軍が日韓両国に存在するのは、米国の西太平洋地域における覇権確保が理由である。冷戦が終結して、その最後の象徴的な朝鮮戦争を完全終結してしまえば、米国が西太平洋に残留する理由はない。http://www.mag2.com/p/money/290808?utm_medium=email&utm_source=mag_W000000204_thu&utm_campaign=mag_9999_0831&l=qux0596bfd

しかし、覇権を中国に移動させることは、新たな悲劇を産む可能性が高い。そこで、その覇権の空白を埋めるのが核兵器の共有であり、西太平洋条約とでも呼ぶべき条約再編だと思う。一方の中国やロシアには、北朝鮮という核保持国が緩衝帯として温存され、安全保障上の問題は大きくはならない。(補足1)

ロシアと日本は海を隔ててではあるが、直接国境を接っしている。そこで、北海道の一部と北方4島を非核ゾーンとして、平和条約を締結する。また、北方4島は、日露経済協力特別区として、日露の経済協力の基地的存在にすれば、ロシアにも日本にも利益は大きい。この際、領土問題などは小さいと考えて、日ソ共同宣言時の取り決めをそのまま両国が受け入れるので良いと思う。(上記、非核ゾーンを非核&非軍事ゾーンに改正;9/2/am)

この新しい覇権構造における中国と日本の関係は別途交渉すべきであるが、おそらく尖閣諸島の譲渡ぐらいは日本もすべきであると思う。

以上、素人の意見をそのまま書きました。適当に読み飛ばしてください。

補足:
1)この場合、文在寅韓国大統領は、今までの韓国の反日プロパガンダの真相を韓国国民に説明する必要がある。京城が火の海になり、100万人が死亡することを考えれば、出来るはずである。

ある原爆被爆者の死と日本の平和主義

これは前回の記事の焼き直しです。一定期間後、前回記事は削除の予定です。

1)30日に十二指腸乳頭部がんで亡くなった日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の代表委員、谷口稜曄さん(88)は癒えることのない傷を負いながら核兵器廃絶を訴え続けてきた。時事通信の配信したニュースである。https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170830-00000052-jij-soci

1945年8月9日、16歳だった谷口さんは郵便配達の途中、爆心地から1.8キロの長崎市住吉町で被爆した。背中一面に大やけどを負い、生死の境をさまよった。2010年に米ニューヨークで開かれた核拡散防止条約(NPT)の再検討会議で、被爆者代表として「核兵器は人間と共存できない」と訴えた。(30日19時のNHKニュース他)

上記時事通信の記事には谷口さんの言葉:「アメリカではなく、核兵器が憎い。二度と被爆者を生まないために運動してきた」が引用されている。核兵器で一瞬の内に数万人を焼き殺す爆弾を同じ人間対して使うことを決断する指導者が、この世界にいるということがどうしても信じられないのだろう。

しかし、核兵器は日本人が憎くて、天から落ちてきたのではない。落としたのは紛れもなく人間なのだ。勿論、アメリカを憎むのは何の解決にもならないし、現在のアメリカ人の半数以上も核兵器の日本への使用を正しいとは言わないだろう。しかし、戦争を早期に終わらせる為に正しかったという人も大勢いることも事実である。

昨日の文章では、「日本人ほど論理的思考が出来ない民族はいない」と書いた。しかしその後、それは大半の日本人には当てはまっても、谷口氏には当てはまらないと思うようになった。あれほどエネルギッシュに核兵器廃絶運動が出来た人が、その程度の知性の筈がないからである。ただ、「世界の人も日本人と同じように考えてくれる」と思って、上記のような発言をしたのだろう。

17条憲法の第一条に「和を以て尊しと為し、さからうことなきを宗とせよ。人みな党あり、また悟れるものは少し」と書かれている。これは2000年近く言い伝えられた言葉であり、現在の日本人の骨となり血となっている。何度もブログ記事でそれは甘い考えだと言及してきた。

この言葉の意味を敢えて言い換えて見る。「人々は現時点では十分知恵がなく真理を知らない。その結果、異る主張のままグループに分かれている。だから、今の知恵のままに争うのは得策ではない」と説いている。聖徳太子は、一方が他方に屈するべきだとは考えていなかったのではないだろうか。

つまり、谷口氏の発言は、「米国が憎いと言ってしまえば、自分の運動の目的である核兵器廃絶は出来ない。米国も日本人も共に同じ人類の仲間であり、協力して核兵器廃絶に向かわなければならない」という戦略的なものなのだろう。それは、上記17条憲法第一条の考え方そのものである。

しかし、米国を始め一神教の文化圏の人たち、つまり世界の先進国の大半は、異る主張の者たちを抹殺してしまえば問題は解決すると考える傾向があると思う。それは、17条憲法と数百年しか違わない時に編纂された聖書の中の記述として屡々出てくる、“異教徒”との戦いと同じものである。日本国民一般も、性悪説と力の論理、或いは「戦争にチャンスを与えよ」が依然として国際政治の標準であると理解すべきである。(補足1)

核拡散防止条約は単に核兵器保持国のエゴイズムを裏書きするための条約である。そうではなくまともな条約なら、核保持国の核兵器保持の特権に等価な重い責任が無ければならない。つまり、北朝鮮への核兵器拡散を防止する責任があるのだ。しかし、それはできないだろうし、そのことはNPTは欺瞞的条約であることの証明となるだろう。

2)エドワード・ルトワックの「戦争にチャンスを与えよ」と言う本の中身は、欧米が中東やアフリカでの戦争に介入するのは得策ではないという意味である。それは単に“戦争ビジネス”に協力することに成ってしまうという警句であった。https://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43331789.html

19世紀のクラウゼビッツの戦争論にある、“戦争は外交の延長上にある”という考えは、今でも良く使われる。上記ルトワックの本の表題にある“戦争”も、そのような意味の戦争であり、それは現代発展途上国にのみ残された戦争だと思う。

何故なら、20世紀後半になって、核兵器の使用と国家体制の破壊が日本において行われ、“戦争”の意味が先進国では全く異なったものになったからである。第二次大戦は、ハルマゲドン的な21世紀型戦争への、遷移的な戦争だったと思う。

その巨大な武器による戦争と日本の徹底的な敗戦、そしてその後のマッカーサーの統治(補足2)は、明治維新以降自分のものだと思っていた国家の枠組みが、本当は偽物だったということを明らかにした。つまり、大日本帝国は西欧からの貸衣装を着ただけで、江戸幕府の日本と本質的に変わらなかったのである。(補足3)そしてその証明は、マッカーサー憲法を変更すら出来ない現在までの国会と日本国民の姿により為された。

谷口氏の考えは、経済のみならず世界政治までがグローバル化されていたのなら、有効だったかもしれない。未だ経済的にも政治的にも、世界は混乱の中にあり、唯一国家のみが民を“溺死”から守る船的存在である。従って、「アメリカではなく核兵器が憎い」という言葉は、日米の同盟関係強化の為なら、非常に有効だろう。

何故なら、米国の日本に対する憎しみと哀れみが混在した複雑な感情を消し去るのに寄与する可能性があるからである。米国にそのトラウマ的感情がなくなれば(補足4)、日本からは憧れと親和的感情が既に勝っているので、日米関係はより一層深くなる可能性が高いと思う。

兎に角、日本は平和的解決を全ての紛争や戦争において期待する国である。お目出度い国だというのも当たっている。しかし、日中和平交渉のときに鄧小平が田中角栄に言った言葉「今我々には尖閣問題を解決する知恵がない。将来の優れた知恵に期待しよう」的な対応、或いは上記17条憲法第一条の精神を、一神教の国も学ぶべきだと思う。

補足:
1)後述のようにルトワックの本の表題から採ったが、意味は多少ことなる。
2)第二次大戦後の連合国軍というか、実質的に米国軍の日本統治は、ある意味温情的なものであった。連合国軍司令長官のマッカーサーは、自分の考えた理想的な憲法を日本に与え、最終的には米国議会で日本の戦争動機を自衛の為だったと証言する程になった。
3)日本の再出発は、明治維新以降の歴史を再点検することに依ってのみ可能である。これは多分原田伊織氏の最近の雑誌サピオの記事の内容と同じだろうと想像する。(読みたいとは思っても、内容が想像の範囲だろうと思い買えなかった。)
4)第二次世界大戦は米国にとっても大変な戦争だったと思う。それは、日米ともにトラウマを抱えることになったとしても不思議ではない。しかし、日本国民が、憲法の非武装中立にしがみつく姿勢はトラウマではなく、上記のように江戸以前への本来の日本に戻ったと私は考える。

2017年8月30日水曜日

北朝鮮のミサイル発射は何故重大な脅威なのだ

昨日の北朝鮮のミサイル実験を、安倍総理も菅官房長官も、重大な脅威のように言っていた。しかし、日本の上空(100km程度以上)を通る物体は人工衛星など色々あるが、元々問題でもなんでもない。北朝鮮も日本を標的にしたとは言っていないし、その理由もない。何故なら、日本はこの件の直接的な当事者ではない。朝鮮戦争の北朝鮮以外の当事国は米国(名目は国連軍)、韓国、中国である。

日本にとって北朝鮮の核は重大な脅威というが、中国の核の脅威の方が大きい。北朝鮮が吠える犬だというのなら、それを吠えさせたのは米国なのだから、米国が北朝鮮を国家承認すれば、すぐおとなしくなる。北朝鮮が国連に加盟した段階(1991)で、国家承認しておれば問題は大きくならなかっただろう。北朝鮮の核武装も防ぐことができただろう。

核兵器の放棄は、中国、米国、ロシアが大量の核兵器をミサイルに乗せて仮想敵国に向けて居る限り、説得力はない。もし、北朝鮮の核兵器が脅威だと日本が感じるのなら、日本も核開発すれば良い。もちろん、実際に着手すれば米国は猛烈に反対して、経済制裁などで日本経済は潰れるだろう。しかし、その前に北朝鮮の核開発はつぶされていただろう。中国も米国も日本の核装備ほど恐ろしいものはないからだ。

要するに、北朝鮮と対立しているのは米国などの核保時国である。自分たちの軍事的優位性を守ることを目的としたものであり、日本とは無関係である。わざわざ、北朝鮮の核兵器の標的になるべく、米国の飼い犬として、最初に撃たれる国として名乗りを上げるのは馬鹿馬鹿しい。何を考えているのか日本政府は。

国民を北朝鮮の核兵器の標的として並べることで、政治家たちは米国から一定の評価を貰いたいのだろう。もちろん、米国は強大な国で、現時点では日本は米国の言うとおり動くしか無い。しかし、徐々に米国離れを味方を得ながら実現するのが政治だろう。吉田茂、池田勇人、佐藤栄作、(中曽根康弘)らのエゴイズムと無策が日本をこのようにしたのだ。

マスコミも朝鮮戦争の歴史との絡みで、今回の問題を議論しない。休戦協定にはどのような記述があるのか(特に外国軍の撤退など)、国連が休戦協定に対してどのような声明をだしてきたか、それに対して米国や中国はどう対応したかなど、しっかりとまとめて国民の前に出すべきだが、一切そのような努力はしない。

この国の政治と歴史敎育は、連携して国民を白痴化している。それはどうも、薩長の新政府に始まる古い政治家とその家系の者たちを中心とした「政治貴族」の私的利益と関係しているのではないのか。

兎に角、日本の近代政治の歴史を考える上での鍵は、明治維新以降の政治家の質の低下だろう。その原因は、世襲政治と仲間内政治である。それを可能にしたのは、国民に歴氏の真実を隠したことである。第二次大戦との関連で言えば、日露戦争後に日本は列強の一角を占めたと考えたのが原因であり、その間違いを分析して冷静に国民に明らかにしていれば、中国本体への侵略などはなかっただろう。それが出来なかったのは、政治家の質がそれほど低下していたのだろう。勿論、憲法の統帥権に関する部分の修正すら出来なかったのも、政治家の質が低かったからだろう。

日本の再興を考えるのなら、明治維新以降の歴史の再評価を、例外を一切設けず、明治維新の際に薩長が利用した天皇の評価もふくめ、徹底して国民とともに行うことだと思う。

2017年8月29日火曜日

言葉の記述には時間的空間的限界がある:一神教の人たちと言葉の無限適用

1)「言葉」の伝達範囲には、時間的空間的に一定の限界がある。つまり、言葉には刹那的な言葉や永遠の言葉、自分や家族の範囲の言葉や全人類に向けた言葉など様々な言葉が存在するということである。それら範囲は通常言葉の中に示されているか、受け取る人間が容易にそれを感じ取る。

例えば、ジョンレノンの歌にイマジンというのがある。「想像してご覧、天国なんて存在しない。地の下には地獄など存在しないし、上には(天国ではなく)空があるだけ」で始まる。3番の歌詞で「あなたは私を夢を語る人だというだろう」と歌う通り、ジョンレノンは夢を語っている。

それは:
Imagine there’s no Heaven (all the people living for today)
Imagine there’s no countries (Nothing to kill or die for)
Imagine no possessions (Sharing all the world)
国家なんか存在しないとしたら、殺したり殺されたりの戦争などない。何かを所有するということがなくなれば、皆が世界を共有すれば良い。

このジョンレノンの言葉は、広い範囲を対象にし、長い時間を生きる言葉である(ただし、未だ訪れていない時が起点であるが)。勿論、それが価値の証ではない。

井上陽水の有名な歌に、「傘がない」がある。
都会では自殺する若者が増えている、
今朝来た新聞の片隅に書いていた。
だけども問題は今日の雨傘がない。
行かなくちゃ、君に逢いに行かなくちゃ、
君の町に行かなくちゃ、雨に濡れ

この歌詞は、ジョンレノンの歌と違って、言葉は自分の中だけか、或いは広くても「君」までしか存在する空間は広がらない。意味を持つ時間も今日だけかもしれない。しかし、だから利己主義で刹那主義の価値の低い言葉という訳ではない。

言葉は、本来の存在すべき空間と時間の中で解釈すべきであるし、そのように限定されていれば問題は起こらない。しかし、その範囲を超えて主張したり、働いたりしては問題の原因となりうる。前者のジョンレノンの歌では、イマジン(空想)の世界に限定されるべきであり、現実の世界に出てくれば大きな問題の原因となる。また、井上陽水の歌では、二人の間に存在する限り、その言葉は生き生きと若者の気持ちを表し伝達する能力を持つが、広い社会の中に出てもらっては困る。

そして、これらの言葉を発する(歌う)人は、それを十分に理解しているので、実際には問題にはならないし、立派な芸術作品として後世に残る。それは暗示的に、これらの言葉には時間的空間的限界があると示されているからである。

決して明示的ではないとしても、言葉の時間的空間的限界を、それを話す人間は意識しなければならないというのが、ここで言いたいことである。(補足1)

2)ところがこの言葉の暗示的“原理”を全く受け入れない立場が存在する。それは原理主義に染まった人たちや一神教を信じる人たちの立場である。

一神教の場合、教祖の言葉にもそれが発せられた時には、同じ限界があった筈である。それにもかかわらず、信者たちはその限界を時間的にも空間(人間社会の)的にも無限大に拡大して理解している。それは信者個人の問題ではなく、宗教の本質である。

また、社会主義思想や民族主義などを信奉する原理主義の人たちの立場がある。これも思想や主義に問題があるわけではなく、それを永遠不変の真理と考えてしまう無理解がそのような立場の原因である。従って、国民全てを対象に政治を考える議会の席に、これらを信奉する人たちは席を得る資格などない。

具体例を挙げると、人間社会の中で善と悪という重要な言葉がある。社会の偉大なリーダーが善と悪について語ったとしても、それはその時代のその地域或いは人たちの間の善と悪であり、他の民族や他の時代にはそのまま通用するとは限らない。

その結果、そのリーダーに率いられた部族は、他の部族などにより迫害を受けることになる。古代はそのような部族衝突の時代であり、部族の生き残りはリーダーの資質と戦略的思考力に懸かっていただろう。そこで、道は二つに別れる。迫害を跳ね除けて、自分たちの善と悪の基準を死守するか、或いは、迫害するものと平和共存を選ぶかである。

非常に優れたリーダーに率いられた部族は、前者の道をとる可能性が高いだろう。そして、その教えは信者の団結を一層固くし、心と頭の中に絶対的真理として徐々に変質するだろう。それが多くの一神教の発生の原点ではないだろうか。

つまり、教祖は一神教の種ではあるが、本体ではない。キリスト教の場合、イエスが教祖だが、パウロとその一派がそれを協会という組織を持つ大きな宗教に育てたのだろう。(補足2)

多くの宗教において、教祖とされる人は一般に聖典を残さない。聖典はその後その宗教を育てた人が、教祖やその教えを語る弟子の言葉をまとめて作るのが普通である。何故、教祖は聖典を作ったり作らせたりしないのか。それは教祖の時代には、その考え方は宗教にまで成長していなかったからだろう。

つまり、一神教は常に戦いの中にあった、或いは戦いの中で一神教が発生し成長したのではないだろうか。(補足3)その一神教の戦いの遺伝子が、豊かな時代の現在でも残る多くの戦いの重要な原因なのかもしれない。

3)全ての異教徒とその言葉の多くは、彼ら信者の中では悪の中に放り込まれ、自分たちの言葉は永遠の言葉、地の果てにまで通用する言葉と考えるのである。極端な言い方だが、人間としての条件が同じ宗教の信者であることなのである。従って、異なる宗教の者や全く土着の宗教の者は、人間では無いという感覚があるのだろう。(補足4)

神が決める善悪は、永遠普遍であり、変更の余地はない。それに従わないものは、暴力で従わせる以外に方法はない。それが一神教の世界で、争いが絶えないことと関係がありそうである。一方、日本では何が善で何が悪かは、人が決めるのである。従って、善悪は時代によって変化する。17条憲法の第一条の「和を以て尊しと為し、さからうことなきを宗とせよ。人みな党あり、また悟れるものは少し」の部分は、まさにそれを言っている。

北朝鮮問題の主なる原因も一神教の世界の人たちが作った。(補足5)事情がわかった人たちが仲介に入らなければ丸くは収まらないだろう。「島根、広島、高知の上空を通ってミサイルと飛ばす」という言葉の中に、「日本よ仲介を引き受けてくれ」という意味が含まれていると私には思えるのである。

一神教の方達は、議論という戦いが得意である。どんなに偉大な国の人達でも自分が受け持つのは弁証法の片方(テーゼかアンチテーゼ)であり、統合する役者が居ないと話がまとまらないようだ。

補足:
1)このことを考えれば、自民党議員たちの多くの失言は、その発言の場所を考えれば(正確に報道すれば)問題にすべきでないケースが相当含まれている。
2)ニーチェ著「アンチクリスト」ブログ、3月31日の記事参照(3・31)
3)武田邦彦氏の動画、私はこの考え方に反対(コメントと残した)だが、この方の知識は我々より遥かに多いので参考になるかもしれない。 https://www.youtube.com/watch?v=J1c-5SzzfGk
4)日本人は、米国人を猿やゴジラといったことはない。しかし、彼らは日本人のことを黄色い猿としばしば言った筈である。聖書の中の異教徒という響きは、同じ人間という考え方には共鳴しない。
5)今年5月18日に朝鮮問題を解決する第一歩は、米国が踏み出す義務を持つという記事を書いた。

2017年8月28日月曜日

日本人は国内の報道だけに頼るべきではない。英語の力をつけて海外の報道にもアクセスするべき

時々BBCニュースの画面をパソコンで見る。今朝のホーム画面では、ヒューストンでの洪水がトップニュースだった。その下にいくつかのニュースへの入り口(ヘッドライン+写真)があった。

一つ目はコロンビアのFarc( Revolutionary Armed Forces of Colombia;コロンビア革命軍)が和平交渉の結果、議会に参加することになったニュース。二番目がミャンマーの暴力事件で数千人がバングラデシュに逃げ込んだというニュース。そして、インド人の女性だけのメンバーが、世界一周の航海に出発するというのと、英国の化学ガス漏れの事故のニュースである。

それらの内の一つを開いた時に、サイドに元日本の慰安婦だという韓国の老婦人の写真が、中国の人気のSNSでバカにしたように映され、それに対して大勢の人が怒っているという記事があった。(Chinese users of the popular social network QZone are furious after stickers, or memes, that seem to poke fun at World War Two "comfort women" emerged on the platform.)

そこを見ると慰安婦の説明があり、「推定で20万人(その多くは韓国人)の女性が、第二次大戦中日本軍の性奴隷にされた」と記されている。http://www.bbc.com/news/world-asia-china-41026049 

腹立たしいが、韓国による慰安婦の宣伝が完全に国際的に認知されている。日本の評論家たちの多くは、国内で嘘だとか捏造だとか言っているが、そんなことは外国まで聞こえない。(英語で説明している人も少数いるが、量的に負けているだろう)

米国が戦後韓国人捕虜に聞き取り調査したが、殆どが父親など家族に売られて慰安婦になったと書かれている。また、給与も士官以上の額がでていた。

上記二つ目の記事は、コロンビアの武装ゲリラが、交渉の末武装を解除し、政党をつくって来年の選挙に候補者を立てるという話である。Members of the Farc in Colombia have begun discussing the group's future in its first congress since the conclusion of a historic disarmament process.

その次の記事は、ミャンマーの西海岸Rakhine地方で暴動が起こっているらしい。その結果数千人が隣国に逃げ込んだという話である。日本では、ミャンマーと言えばアウン=サン=スーチーしか知らないだろう。私も、そんな深刻な地域があるとは全く知らない日本人の一人である。

日本の報道といえば、ヒューストンのハリケーンについては書いてあるが、他の記事はどこにもない。タイの前首相がドバイに逃げ込んだというのがニュースになっているが、ちょっと美人だからだろう。

兎に角、日本の報道機関は、隣国など他国に牛耳られているとしか思えない。日本人を国際情報からシャットアウトし、国家の危機感から遠ざけ、国内の下らない政治劇とエログロナンセンスのみ報道している。

また、兎に角を連発するが、俳句や短歌、それに。漢文や下らない小説などの敎育時間を減らして、英語教育に充てるべきだ。英語を徹底的に敎育して、日本国民の全てに外国のメディアにアクセス出来る程度に、最低限の英語力を着けさせるべきだと思う。

2)蛇足: もう10年ほどになるが、ノースウエスト航空で名古屋からデトロイトの便に乗った。私の斜め後ろの方で、米国の旦那を訪ねての旅なのか、一人の夫人が赤ん坊をつれて搭乗していた。我々の周りの他の乗客の大半はフィリピン人(マニラからだろう)のように見えた。その婦人が赤ん坊にミルクをやったり、世話をしていたところ、アテンダントの女性は言葉が通じないのだが、それでも赤ん坊と彼女を助けるべく頑張っていた。

ところが、どうしても意思が通じない場面となり、同じく一人旅の私に日本人らしいと気付いて、通訳を頼んできた。そこでその方の意思を何とか伝えたが、その通訳もあまりスムースでなかったのか、フィリピン人が何かヒソヒソと話して笑っているように見えた。その対象が、その英語が喋れない日本人女性なのか、通訳に苦労している様子の私なのか、日本人全体の英語能力の無さなのか分からないが、どれかだろう。プライドを傷つけられた苦い経験であった。

空港とホテルを結ぶ交通手段は、ホテルのシャトルバスであった。来る時は泊まるホテルのバスが出発したあとで、次の日に泊まる予定のホテルのバスに乗せて貰った。帰国の時には、早朝の飛行機に乗るので、タクシーしか手段がない。フロントで予約したのだが、乗り込んだタクシーには料金メーターがなく、途中から別の客を拾っていくのにはびっくりした。日本の様に公的バスや電車があると思い込んでいたのは、甘い考えだった。下手な英語でも、救命胴衣のようなものであった。


2017年8月25日金曜日

中国の習近平は何を目指しているのか?:一帯一路構想と腐敗追放の目的

1)先日の「世界は今、21世紀の新しい勢力均衡に向けて最終局面に入ったかに見える」と題した読売新聞のコラム記事の中で、JR東海の葛西敬之氏は中国の一帯一路構想は新しい中華共栄圏の構築を目指すものであるとしている。

そして、一帯一路構想の実行によりインフラ支援の名目で、周辺国へ失業者と在庫の排出を行う一方、戦略的に重要な港湾などをその経済支援のプロセスの中で、中国の支配下に置いている。更に、西太平洋とインド洋への海洋進出に乗り出し、いわゆる第二列島線までを中国の覇権下に置く計画のようである。その時尖閣はおろか沖縄まで中国の支配下にする計画のようである。

また、これらの中国の世界戦略構想について、葛西氏は国内の矛盾から目を逸らせることが主要な目的であり、国際的にトラブルの種になる可能性が大きいと見る。この記事について、このブログでも議論した。https://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43383117.html 純粋に国内問題なら、別の解決手法がある様に思う。

何故、中国はこのように拡大しなければいけないのか。

それについて明確な答えが、石平氏がある動画で語った話の中にあった。 https://www.youtube.com/watch?v=fTKYx5hfoIs (32分から) それは、習近平が中国の毛沢東以来の英雄になること、そして長期独裁体制を目指しているというのである。

中国共産党の最高指導部には、68歳で定年というルールがある。それによれば、習近平は2022年の政権2期終了時点で定年となる。その定年制の枠を超えて更に長期の独裁政権を習近平は目指していると言うのである。そのためには、習近平は毛沢東に並ぶ実績をつくり、それを習近平思想の実践という形に作り上げたいのである。それは、鄧小平の改革解放路線で国を富ませたという実績以上のものでなくてはならない。それが葛西氏が言う、新中華共栄圏構想、つまり一帯一路構想や西太平洋での覇権拡大である。

その前に、もう一つ重要なことを達成する必要がある。それは、政敵の追放である。

2)中国は現在、集団指導体制にある。現在7人いる中央政治局常務委員会の常務委員が、集団で国を率いている。この常務委員は江沢民時代に7人から9人に増やされ、2012年までチャイナ9と呼ばれていた。習近平が主席になった5年前に、それが二人減らされチャイナ7に戻ったのである。

今年9月には5年に一度の共産党大会があり、そこで習近平と李克強以外の5人が定年になるが、そこで定員が7人のままなら、入れ替え組の5人の内出来るだけ多くを習近平派で抑えたいのだ。常務委員には、現在18名いる政治局委員の中から選ばれるとすると、その有力候補で習近平が気に入らない人を追放して置く必要がある。

今回も共産党大会の前に、長老を集めて行う長老会議、「北戴河(ほくたいが)会議」が開かれた。この会議で人事の概略の了解を長老から得て、公式の会議である共産党大会で決定するのである。

その北戴河会議が開催される直前に追放された人物がいる。次期国務院総理の最有力候補(李克強の後任)と見なされていた孫政才である。追放の理由やはり腐敗である。全てのお偉方は腐敗しているので、事実上周囲の人間の強い反発を避けることができれば、罪状は既に準備されている。(補足1)北戴河会議の前にそれを実行したのは、そこで孫政才は政権の中枢に引き上げられる可能性があるからである。

習近平は江沢民とその派閥により引き上げられて、主席の地位を得た。そして、自分が江沢民の操り人形にならないために、習近平は江沢民派の有力者まで腐敗追放運動の一環で追放した。石平氏は、「権力闘争では恩人一派こそ、早めに追放するのが鉄則だ」という。

遠藤誉氏によると、江沢民派は元々腐敗の巣窟だったので、単に共産党政権の安定のために追放されただけだと言う。その考え方の正否も十分考察しなければならないので、石平氏の「」内の言葉を受け入れるのは、もう少しあとにしたい。http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/07/post-8058.php

その共産党幹部の腐敗摘発運動を指揮したのが、政治局常務委員の王岐山(党中央規律検査委員会書記)であった。そのため、王岐山は江沢民派など粛清の対象になった人たちとその周囲の恨みを買う一方、影で大きな権力を得た。そこで、習近平は王岐山を腐敗しているということで追放する動きを始めているという。

王岐山の腐敗情報の発信は、既に米国に住む元中国共産党幹部関係者からだという。今回の党大会での人事の焦点は、王岐山にある。上記遠藤氏の理論では、この動きは説明できないだろう。

敵対者とライバルを追い落とす一方、習近平は自分への向心力をつける必要がある。そのための偉大な構想が一帯一路構想であり、西太平洋やインド洋への海洋進出など、新中華共栄圏の建設である。そして、それを習近平思想の具現化とすることで、習近平は毛沢東以来の偉大な指導者になれるというのである。

以上、素人であるが、中国の政治を考える取っ掛かりを得た気がする。今後もう少し、勉強したい。
 (以前、腐敗追放運動の元祖薄煕来の失脚について書いた記事を引用しておきます。 http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2015/10/blog-post_10.html) 補足:
1)遠藤誉氏のブログでは、孫政才の腐敗はそれほどひどいのだと書かれている。石平氏の考えと全く異なっているようだ。 遠藤氏は、次の様に書いている。「習近平がやっていることは、腐敗によって、共産党の一党支配体制が崩壊するか否かの闘いに過ぎない。ラストエンペラーになりたくないだけだ。だから一帯一路やAIIBなど外に向かって突っ走り、人民の不満をかわそうとしている。それを見誤ると、中国の大局を見間違え、日本の国益を損ねる。」
しかし、遠藤氏は習近平自身が腐敗しているという事実をどの様に説明するのだろうか。習近平の腐敗摘発を人民は応援している筈である。それなのに、人民の不満をかわすために対外進出するという論理は、私にはわからない。 https://news.yahoo.co.jp/byline/endohomare/20170718-00073393/

急上昇する日本のエンゲル係数と一人当たりGDPなどのデータ紹介

最近、日本のエンゲル係数(食費の消費支出に対する割合)が上がっている。株価やGDPの統計値と異なり、日本は豊かになっていないように思う。図にこの10年ほどの2人以上世帯のエンゲル係数を示す。
この変化は、食料品価格の上昇、高齢者世帯の増加など、説明はいろいろ考えられる。しかし、図中のサイトに紹介されている世代別のエンゲル係数では、30歳以下の世帯で急上昇していることから、やはり、日本は貧困化しているのではないだろうか。その他分析はそのサイトを見ていただきたい。

諸外国のエンゲル係数がどの程度なのかを次の図に示す。これは2011年のエンゲル係数とその中身、飲食料費、外食費、酒類費を示したものである。米国の低いエンゲル係数が目立つが、ヨーロッパの先進国は大体20%くらいであり、日本の23.6%と大差ない。米国の低い値は、近代産業とともに農業も強い国であると考えれば、理解できる。例えば、米国では牛肉などは非常に安いのだ。このグラフで、エンゲル係数が大きくなるに従い、比較的貧しい国が現れる。
ここで、注目すべきは日本の外食費比率の低さである。日本は豊かな国なのだろうかという疑問が生じる。その点を明らかにする目的で、一人当たりGDPとジニ係数を前のグラフと同じ国順で並べてみたグラフが下図である。これは世界経済ネタ帳などから数値をとり、今回グラフ化したものである。
大凡の傾向であるが、一人当たりGDP(青い棒グラフ)が小さくなるに従って、エンゲル係数が高くなっていることがわかる。この図の中で、周囲と比較してGDP/人の値が飛び出ている4カ国であるが、これらは食品価格あるいは物価全体の価格が高いことが予想される。例えば、ビッグマックの値段は日本では380円だが、ノルウエーでは669円、アイルランドで525円もするのだ。

ジニ係数富の分配の不公平性を表す指数であり、一般に開発途上国では大きな値になる。それは、資本家とその周辺が富を独占するからである。図中ではメキシコ、アメリカ、ポルトガル、日本、イスラエルの順で高く、日本は富の分配が不公平な国ということになる。

このグラフにない国で、ジニ係数が大きい主な国をあげると、南アフリカ(63%)、香港(54%)、ブラジル(52%)、中国(47%)などがある。一人当たりのGDPが小さくジニ係数が大きい国は、おそらく治安も悪いだろうと想像される。先進国では、数値だけの比較だが、イタリア、日本、イスラエル、スペインなどがその候補である。日本の最近時々起こるテロ的な行為は、経済データ的には十分予想される範囲の出来事だと思う。

経済的な豊かさのもっと広い範囲で、家計支出の比率を示した興味あるグラフを見つけたので最後に紹介したい。
一番右にある食料品と、次の飲酒、最後から二番目の外食・宿泊などを足せば、ほぼエンゲル係数が出ると思う。この図では、日本はまだまだ豊かな国であることがわかる。いろいろ面白いことがわかるが、その一例をあげる。先進国で被覆・履物への出費の割合が大き国をみると、英国、ドイツ、韓国、イタリアなどが5.0%を超えている。韓国の方がフランス(4.2%)よりずッと大きいのが印象的である。貧しい国で被覆費が大きいのは、単に必須品だからだろう。

以上、データを並べただけだが、参考になれば嬉しい。

2017年8月23日水曜日

日本人は戦争に向かない(百田尚樹氏の言葉)のか:日本人と言霊信仰

1)百田尚樹氏が、最近「戦争と平和」という題目の本を出版した。その本の説明をラジオ(you tube)でしている。その中で百田氏は、日本は戦争に向かない国であると語っている。その根本的理由として、日本人は最悪の場面の想定をしない性質があるからだという。

米国などは戦争を攻撃と防御を含め総合的に捉えて、その戦争全体が有利になる様に、戦争の構成要素である作戦や道具だてなどを考える。それに比べて日本は、構成要素を独立に最適化するという。その違いは例えば、太平洋戦争の時の日米の戦闘機である零戦とグラマンの全く異なった設計方針として表れたという。https://www.youtube.com/watch?v=KWVi0dnka6M

グラマンは戦争全体を視野に入れて設計されており、戦闘中のパイロットの保護や製造時間を短くして補給と改良をし易くすることなどまで考えてあった。ゼロ戦は戦闘、中でも攻撃に成功することに集中して設計されていたので、撃たれた時のパイロットの保護などはあまり考えられていない。そして、戦闘の場面ではゼロ戦はグラマンより強かったが、一発の流れ弾でゼロ戦のベテランパイロットの命が無くなる事もあったという。

その結果、戦争初期にはゼロ戦は活躍したが、そのうちベテランパイロットの多くを失い、機体数も減少して補給が間に合わず、特攻作戦でしか相手にダメージを与えられないようになったのである。

何故、そのように攻撃性能だけを考えて、防御に弱い戦闘機を設計することになってしまったのか。百田氏は、日本人は悪い場面、その中でも最悪の場面を想定することを嫌がるのだという。つまり戦闘員が打たれてしまうことまで考えない(嫌う)からだという。

それに対して米国人は、撃墜されてもパイロットを助けて、グラマンの弱点をその証言から得て、短期間に最新式のグラマンを作れば、やがて有利になると考えるのである。以上が百田氏の話の概略である。

2)私は、最悪の場面の想定を避ける日本人社会の性質&文化はその通りだと思う。しかし、それは組織として何かを考える時の話である。個人では、日本人は最悪の場面を考えすぎる位に考える悲観的な人がむしろ多いだろう。また、最悪の場面を考えることを嫌うのは西欧人でも日本人でも同じだろう。

日本社会では、単に最悪の場面だけでなく、全てにおいてまともな議論が出来ないのだと思う。最悪の場面を想定しての議論は、一層その傾向が強いだけだろう。

新しく戦闘機を設計製作する場合、エンジン、機体、計器など多くの専門家の知恵を集めてなされるだろう。その際、部下或いはその部下、更に現場の搭乗員などの設計チームの全ての考えが、意見を述べた人に無関係に純粋な情報として全ての人に伝達され、設計が最終的に多くの知恵を結集する形でなされなければならない。

言葉が純粋に情報伝達の手段として存在するのなら、人の口から出た後にその言葉の意味は誰から出ても同じでなければならない。また、議論の場にある人は平等に抵抗なく、自分の考えが発言できなければならない。しかし、日本ではどうもそうではないらしい。一つは百田氏の指摘の最悪の場面など、①縁起の悪いことばは避けられる傾向にあること。もう一つは、②言葉がそれを発した人により意味が大きく異なるということがある。

つまり、②のケースは、例えば現場で働くパイロットが、「撃たれた時に搭乗員を守るために、この部分の鋼板をすこし厚くすべきだと思う」という意見がなかなか出せない。その言葉はパイロットの分身であり、自分可愛さの言葉として発言されたと取られるからである。日本社会では、言葉はそれを発した人間と対になって人の間を伝搬する(補足1)。

その傾向は多分何処の国でもあるのだろうが、その程度は社会の中での個人の自立の度合いにより異ると思う。日本では、一人の人間を取り出してみて、プライベートな部分と社会に属する部分を分けると、後者の方がずっと大きい。たまたま同じ会社の取締役の隣に住むことになった課長さんは、一生その地位の差がつきまとうだろう。会社の関係はプライベートな時間にまで及び、その結果、退社後の一杯が会社での出世を決めることになるのだろう。

そのような社会では、言葉はそれを発した人の分身となる。それでは、議論にはならない。日本では議論がその役割を全く果たしていないのは、国会中継を見ても分かる通りである。その社会で支配的な教訓は、「沈黙は金」であり、「口は災いの元」である。衆知を集めてグラマンを設計する様なことは不可能であり、個人の職人芸として究極の戦闘機ゼロ戦をつくるのがやっとである。百田氏が言うように、「ゼロ戦は日本刀に似ている」という動画の中での言葉の意味が分かると思う。

3)日本社会が最悪の場面を想定できない理由は、言葉がそれを発した人の分身であり続け、純粋に情報伝達のためだけの言葉にならないからだと上に書いた。それは、別の表現を用いれば、言葉にはそれを口にした人の霊が乗るからである。つまり言霊である。

素人であるが、私が理解したところによると、ソシュールの言語学に以下のような考えがある。「言葉の体系(ラング)は、カオスのような連続体である世界に、人間が働きかける活動を通じて産み出される。それと同時にその連続体であった世界もその関係が反映されて非連続化し、概念化する。この“相互異化活動”が「言葉(ランガージュ)」の働きである」

ソシュール的に考えれば、日本人の言語とその(相互異化活動の結果生じた)世界は、西欧のそれらとは全くことなる。言霊とは、西欧の言語感覚で日本文化&日本語を見た場合、あたかも言葉に霊が存在するように見えると言う意味である。日本人は言霊を信じないし、そんなことを言い出すと異端者扱いされるのがオチである。日本語とそれが記述する対生成された“日本人の世界”の中で生き思考する日本人が言霊なんかに気づかないのは当たり前である。触った感覚がないのだから、気づく筈はない。(補足2)

しかし、受験生がいる家庭では、「落ちる」という言葉を嫌う。また、合格祈願の饅頭(合格饅頭)が東京大学の近くの店で売られており、かなりの東大受験生やその家族が買う。しかし、日本人はそれを不思議な現象だとは思わない。「言霊信仰ですか」と問えば、「言霊なんかある筈ないじゃないですか」と、怒られるだろう。http://www.enjoytokyo.jp/kuchikomi/297179/__ngt__=TT0d6c8123c002ac1e4a5ba59J5vHfUHv7A8QDlJslp3uN (補足3)

そして、最悪の場面を想定して議論する場合、議論するメンバーがその前提となる場面に、言霊故に立てないのである。そして、「縁起でもないことを言うな」という言葉が、発せられるだろう。仮にそれらのメンバーが沈黙した状態で、議論が始まったとすると、その場の空気が徐々に重苦しく変化してくるのである。その息苦しさに辟易として居る頃、「撃墜された場面まで考えて戦闘機の設計など出来るか!」という上司の一喝で、その議論は中断してしまうだろう。

論理を軽視するのは、日本語(日本語という言語活動)が一つ一つの言葉に価値(=言霊)を持たせてしまう結果、それらを繋ぐジョイントである論理が上手く機能しないのである。その日本語の発生と同時に出来た日本人の世界(ソシュールの相互異化プロセスで生じた世界)は、当然言霊による支配を受けるのである。

その結果、仮に米国大統領が広島に現れても、原爆が憎いが米国やその代表には、その憎しみは全く投影されないのである。大勢の人間を焼き殺した原爆、その原爆を投下した者、原爆を投下されるまで戦争を継続した者、その戦争を始めた者、その戦争を始めさせた者、それらの間を論理で繋ぐ言語環境にあれば、オバマ氏が訪問した時のあのような光景はなかっただろう。

また、日本は戦争に負け何百万人が殺されたたが、そのプロセスに関する上記論理展開はないため、戦争が全ての責任を取らされ、日本人の敵となったのである。日本人の敵は原爆であり戦争である。日本人が一億人いても、ルトワックの「戦争にチャンスを与えよ」(文春新書2017年4月)という発想は誰ひとりとしてもたないだろう。

補足:
1)You Tubeのコメントなどで、喧嘩的になる場面をよくみる。それは言葉が発言者の分身だからである。
2)不思議なことだが、言霊信仰を西欧風の「論理」を重視して分析すれば、あまりにも非合理的であり、それ故、そんなものに縛られている筈がないと信じてしまう。それは、「論理的に言霊信仰の実態を考える」のは、所詮借り物の道具をぎこちなく使うことであり、その上手く行かない経験はすぐに頭から消え去るからである。つまり、言霊を信じることは、あまりにも日本人にとって自然なことであり、それ故気がつかないのである。
3)プロ野球の選手の背番号に4や42はない。それは「死と死に」だからである。何十年のプロ野球の歴史の中で、4番や42番を着けた日本人選手は居ないだろう。それは4や42は元々無色中性の言葉ではないからである。一方、上述のように元々無色中性であっても、発言した人の霊が着くタイプもある。上記背番号のように、語呂合わせ的な要因で言霊が生じるのは、元の死という言葉に強い言霊が乗っているからである。このような単語だけでなく、文章となって始めて言霊を帯びる場合が、最初の「もし撃たれた場合」など多いだろう。

2017年8月20日日曜日

中国の「天動説」的国際戦略に対抗する為には何が必要か:読売朝刊一面の葛西敬之氏の論文を考える

1)今朝の読売新聞一面の「地球を読む」に、中国の世界戦略についてJR東海名誉会長の葛西敬之氏の解説記事が掲載されている。「世界は今、21世紀の新しい勢力均衡に向けて最終局面に入ったかに見える」で始まるこの解説では、中国の世界戦略の概略とそれに関する中国内外の不確定な部分、それに対抗する日米の取るべき戦略などが議論されている。ただ、その妥当性については衆論の一致を見るまでにはなっていないだろう。

中国の基本的戦略は一帯一路構想である。国際的には、2014年11月に中国北京で開催されたアジア太平洋経済協力首脳会議で習近平主席により提唱された。
https://thepage.jp/detail/20150511-00000006-wordleaf
一帯とは21世紀のシルクロード、一路とは21世紀海のシルクロードである。(上図参照)

葛西氏は、この構想を中国を中心としたユーラシア大陸及びアフリカ大陸に広がる「中華共栄圏」を建設する計画と見る。そして、その特徴を「民主主義、自由主義、法治主義、人権尊重と言った価値観を標榜することなく、巨大な経済力と軍事力により支配圏拡大を志向する点にある」と解説する。

その一帯一路と共に、中国は海洋進出、つまり太平洋とインド洋への進出、の意思を明確にしている。中国が米国に提案している太平洋を米国と二分するという構想は、日本には受け入れがたい話である。(補足1)

ただ、これらの中国の世界戦略構想について、葛西氏は国内の矛盾から目を逸らせることが主要な目的であり、国際的にトラブルの種になる可能性が大きいと見る。

中国は平等が原点の共産主義を標榜しながら、国家資本主義とも言える体制で国を運営し、大きな経済格差と大勢の失業者や無戸籍者を生じるという矛盾を抱えている。それによる国民の不満を吸収するためには、高い経済成長を実現しなければならないが、国家の計画で独力でそれを達成することは、世界のデフレ傾向や国内賃金の上昇などもあり困難である。

そこで、一帯一路構想の実行によりインフラ支援の名目で、周辺国へ失業者と在庫の排出を行う一方、戦略的に重要な港湾などをその経済支援のプロセスの中で(債務が履行できない場合などに付け込んで)、中国の支配下に置いている。一帯一路構想は新しいタイプの植民地支配の構想とも言える。(補足2)そのように、葛西氏は書いている。

更に葛西氏は、北朝鮮の核兵器・ミサイル開発も、中国の世界戦略の中でその一翼を担っていると考えている。つまり、中国の太平洋進出戦略の地ならし的役割を果たしているというのである。

以上のような中国の「天動説」的国際戦略(一帯一路構想、太平洋及びインド洋への強引な進出、北朝鮮の核武装への協力と利用)等に対応するためには、日米の同盟強化(とそれによる中国への圧力)が唯一の方策であるとしている。

2)私には、葛西氏の北朝鮮問題の解釈が当たっているとは思わない。この問題は、このブログ・サイトでも何度も書いたように、朝鮮戦争の終結と講和を渋っていた米国に主な責任があると思うからである。一方、それ以外の中国の世界戦略については、上記の通りだと思う。

太平洋方面への海洋進出については、中国はどのような利益を目指しているかを慎重に考えるべきだと思う。また、現時点でその対策を考える際には、中国の覇権に対抗するという視点ではなく、日本の領土領海にたいする防衛という視点で考えるべきだと思う。その様なレベルでの米国との防衛協力でも、日本と米国、双方の太平洋諸島の防衛に役立つだろう。

具体的には、尖閣諸島周辺での侵略行為や、沖縄に対して独立を促すという政治干渉で、日本は中国から大きな脅威を受けている。それに対抗するために、日米関係の一層の強化は大切であると思う。

また、一帯一路構想が新しいタイプの植民地支配の構想だとしても、或いは、民主主義、自由主義、法治主義、人権尊重と言ったことを政治の枠組みとしていないことに奇異な感じを受けるとしても、現状では、日本は自国が直接関係する部分においてのみ、その様な考え方の受け入れを拒否すべきだと思う。つまり日本には、世界の警察官的にそれに対抗する姿勢を明確にする必要も実力もない。そして、米国との同盟関係を強化してそれに対抗する立場にも現状では無いと思う。

植民地支配的な関係で国際的なトラブルが生じたときには、国連の場でそれに対抗すべく諸外国と協力して行動すべきだと思う。南シナ海での中国の軍事的進出に対抗するために、日本ができることは限られている。また、他国の港の運営権を得て軍港化するなどの不穏な動きが見られた場合にも、日本は国際社会を巻き込んだ形での対策を考えるべきである。(補足3)

もし、現状を超える形で、アジア地域全体での中国の覇権拡大を監視及び制御する役割を日本が米国と共に果たすのなら、従来の形での日米同盟の強化だけでは、日本の外交的リスクを担保するものにはならない。

つまり、戦後の日本と米国の間の同盟関係は、敵対関係であった過去の関係の修復を十分行った後に結ばれたわけではなく、いわば基礎工事なしに掘立小屋的に構築しただけの同盟関係である。従って、日本側にはいつ何時ハシゴを外されるか分からないという不安が常に残る。

具体的には、太平洋戦争になった時の経緯(補足4)や、米国の戦中戦後を通した中国との密接な関係、戦後占領政策におけるWGIPなどによる日本政治の破壊、40年ほど前のニクソン大統領とキッシンジャー補佐官及び国務長官と中国の対日密約、更に、日米安保条約は日本の軍国化を防ぐ瓶の蓋であったという在日海兵隊司令官の証言(補足5)などを考えれば、日米同盟には確固たる基礎が欠けていることは明白である。

そのような歴史を持ちながら、日米が本当の意味で巨大な「共産党中国」に対抗できる同盟関係を現在の同盟関係の強化だけで築けるかといえば、誰もが疑問に思うだろう。

仮に、米国との関係を共産中国の世界戦略に対抗できる程度に深化させる方向に両国が舵を切るとした場合、日米同盟も新たな段階に進めることが必須だと思う。その一つとして、日本の他国による核攻撃に対する防衛に対して、米国が本格的な協力をすることなどが考えられる。それは、他の核保有国により警戒される程度のものでなければ、意味がないだろう。従来の核の傘は、全く不十分だと思う。

以上から、現状の延長上での日米同盟強化と対中国世界戦略への対抗という葛西氏の考えは、危険だと思う。

(以上は国際政治の素人によるメモです。適当に読み飛ばしてください。)

補足:
1)その構想の最初の目標が尖閣の占領だと考えられる。更に、沖縄を独立させて中華圏に抱き込むことや、小笠原諸島を支配することが次の段階である。第二列島線以西は、中国が支配するというのが最終目標である。周知の様に、小笠原支配の演習は既に済ませている。
2)日本の大東亜共栄圏構想を思い出す。
3)スリランカの港の運営権を99年間中国企業が借りる契約を結ぶようである。そこが軍港になる可能性もある。 https://mainichi.jp/articles/20170208/k00/00m/030/129000c
4)最近のフーバー元大統領の著書「裏切られた自由」などに書かれていると言われる日本に対する戦争誘導戦略(渡辺惣樹著、「誰が第二次大戦を起こしたのか」に記載)、マッカーサー司令官の帰国後の米国議会での証言など。
5)1990年3月27日付ワシントンポスト紙に日米関係の歴史に残る発言が載っている。「瓶のふた」発言である。在日米海兵隊ヘンリー・C・スタックポール司令官(少将)による次のような発言である。「もし米軍が撤退したら、日本はすでに相当な能力を持つ軍事力を、さらに強化するだろう。だれも日本の再軍備を望んでいない。だからわれわれ(米軍)は(軍国主義化を防ぐ)瓶のふたなのだ」。http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK0302S_Z00C12A2000000/

TV番組「時事放談」のゲスト達の知性は劣悪

今朝の時事放談のゲストは武村正義氏と石破茂氏であった。6時15分頃、この番組のことを思い出して久しぶりにテレビのスイッチをいれた。そこで、トランプ大統領の白人至上主義を批判しなかったというテレビ報道の件について、少し議論があった。

武村正義氏の話は、マスコミ報道と同様、リー将軍の銅像撤去に反対するグループのデモと、そのデモを批判する人たちの衝突を、”白人至上主義”を周ってそれに賛成するグループと反対するグループの衝突に、完全に取り違えている。マスコミの取り違いは作為的であるが、武村氏はそれを一片の疑いも持たずに受け入れている。

この問題把握の段階で間違ったのでは話にならない。トランプ氏が両方共悪いといったのは、その歴史的な記念物に対する姿勢に関する両派の衝突を言ったのだが、それが全く判っていないのである。勉強も新聞の読み込みも十分していないのか、或いは武村氏個人の知性の問題なのか、どちらかだろう。

一方、石破茂氏は、一度もあって話をしたことがないので批判する立場にないがと前置きして、間接的なトランプ批判を行った。その根拠として上げたのが、トランプ氏が大統領になった時の演説に、歴代の大統領就任演説に必ずあった「自由とか平等とかの言葉」(オバマ氏が好きな言葉)が無かったということである。トランプ大統領になんとなく違和感を感じたと発言して、武村氏の発言に一定の配慮を行った。

この件に関して、米国共和党高官らが武村氏と同様に反応しているのは、政治的な態度であり、沈没船からは逃げた方が得だというポピュリズムの時代の政治家の行動であると思う(補足1)。日本の政治家はもう少し客観的に発言できる立場にあるが、それでも現職の政治家は慎重でなくてはならない。石破氏の発言は、敢えて直接的なコメントを避けている風に見えた。

一方、武村氏は既に退職していて、自由な立場にあるのだから、純粋に自分の意見を述べる事ができる。それでも、上記のような発言に終わるのは、この方には知性が欠けているということになる。その程度の知性と予備知識でテレビに出演するのは、止めてもらいたいものだ。

南北戦争の時の南軍の英雄であったリー将軍の銅像撤去問題と今回の騒動についての議論は、昨日のこのブログサイトに掲載しているので、そこを見て欲しい。まあ、何時もながらこの程度の番組なので、スイッチを切った。

補足:
1)人種差別やナチスのユダヤ人虐殺行為については、西欧の政治家は思考の枠外に追放しようとする姿勢がある。「大衆の気持ちの揺れ」をまるで怪獣の様に恐れ観測するのが、西欧の政治家として生きるイロハなのかもしれない。その件について、2年ほど前に考察したことがある。https://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42302353.html

2017年8月19日土曜日

「白人至上主義者を非難しない」というトランプ大統領に対する難癖

1)南北戦争の南軍の英雄であるロバート・リー将軍の銅像を撤去する件で、米国が揺れている。この8月12日には、撤去に反対する人たち(白人至上主義者だと言われている)とその反対勢力との間で衝突が起き、死傷者をだした。

トランプ大統領はツイッターで「偉大なるわが国の歴史と文化が、美しい彫像や記念碑の撤去によって引き裂かれるのを見るのは悲しい」と発言。更に15日、シャーロッツビル(バージニア州)の事件は白人至上主義者と反対派の「双方」に責任があると発言して批判を浴びている。

トランプ大統領は17日夜(日本時間)更に書き込んだ。「歴史は変えられないが、そこから学ぶことができる。ロバート・リー、ストーンウォール・ジャクソン、次はだれだ。ワシントンやジェファーソンか? 本当に下らない。(筆者の訳)」(補足1)

トランプ批判の理由は、白人至上主義を徹底批判しないのはおかしいということである。 その背景には、南北戦争の目的=奴隷解放=人種差別主義の克服、という単純な理解がある。つまり、この騒動の原因のには、南北戦争に対する解釈が米国民の間で十分共有されていないことがあると思う。

現在の通説では、南北戦争は綿花を作り自由貿易主義を主張した南部と産業成熟を目指し保護貿易主義を主張した北部の戦いであった。リンカーンが突然、戦争目的に『奴隷解放』を置いて宣伝したため、南部を応援する欧州エリート層は戦意を萎縮させ、北軍の勝利となった。つまり、奴隷解放はリンカーンが利用した“錦の御旗”にすぎない。つまり、上記の単純な南北戦争の目的=人種差別主義の克服という理解は成立しない。(補足2)

確かにリー将軍が戦った相手は、奴隷廃止を旗頭にした北軍であった。そして、嘗て黒人を奴隷として持ち、それを米国は廃止した。内戦の中で奴隷廃止が片方の旗頭になった歴史を持つ。その歴史を経て、現在のアメリカが存在する。国家を一人の人間に置き換えれば、今回の騒動が如何に馬鹿馬鹿しいかがわかる。善悪の堺で揺れた男が、心の葛藤を経て善を選んだ。その当時の悪の方向に揺れた自分の思い出を全て捨て去ることが正しいのか?

現在のアメリカは、当時の南北アメリカを引き継いで存在している。歴史は紆余曲折を経て今日の世界につながっていると思う。その曲がりくねりは解釈する者によって千差万別であるので、その歴史と文化を独自に裁くことはしてはならないと思う。つまり、当時の視点から離れて歴史上の事件や人物を現在の視点から評価するのは全くの間違いである。(補足3)

像の撤去に反対してデモを行ったのが、白人至上主義者だったので、リー将軍が白人至上主義の象徴になってしまったようだ。そこで、人種差別に反対する人が集まって衝突したのである。2日程前のツイッターで、トランプ大統領は両方を批判したのは、歴史を簡単に現在の視点で勝手に裁くなという意味だと思う。

南北戦争を奴隷解放の戦争と考えるのは間違いであるにも拘らず、両方のグループが、南北戦争の南軍の英雄であるリー将軍の像が、現在この時空で奴隷制度賛成をとなえている様に錯覚しているのではないだろうか。

2)この件に関して外務省主任分析官だった、作家の佐藤優氏はこの時の白人至上主義者の行動(デモ)に反対しないトランプ大統領を非難している。https://www.youtube.com/watch?v=pUIrj-RWtGo (8:40以降)

このラジオ番組では、先ず事件の概要が東京新聞の記事から引用して以下のように紹介されている。
「トランプ米国大統領は17日、南北戦争で奴隷制存続を主張した南軍兵士らの記念像などを撤去する動きが各地で広がっている現状につき、ツイッターに偉大な我が国の歴史と文化が引き咲かれるのを見るのは悲しいと書き込んだ。更に、歴史はかえられないがそこから学ぶ事ができると主張し、南軍司令官のリー将軍などの記念像撤去を例示し、次は誰か、初代大統領ワシントンか、本当に馬鹿げていると批判している」。

この紹介には、リンカーンの戦術であった「奴隷解放の旗を掲げること」をそのまま、南北戦争の目的ととらえる誤解(多分作為的)がある。

この紹介に基いて、歴史的建造物の破壊を主張するグループとそれに反対するグループの衝突を、衝突した二つのグループの特徴から、白人至上主義者とそれに反対するグループとの衝突と捉え、白人至上主義者の方を非難しないのはおかしいと言っているのである。これは論理的に破綻していることを補足に示す。(補足4)

南北戦争の理解や今回の衝突に関するトランプ大統領の指摘は、恐らく米国の知識層には常識的だろうし、博識の佐藤優氏も理解しないはずはない。しかし、佐藤氏は「トランプ氏が大統領にになって、アメリカで克服されたはずの人種差別主義が吹き出し始めている」と言ってトランプ批判をしている。更に佐藤氏は、聞き手との対話で、ロシアとイスラエルは白人の国だから、トランプ大統領は親和的であると言って、トランプ大統領を白人至上主義者と乱暴に決めつけている。

3)南軍のリー将軍の銅像が現在まで存在したのは、それなりに偉大な人だと考える人がかなりいたのだろう。その銅像をこの時期に撤去することを決めたのは何故なのか。それは、おそらく上記のような騒動を起こすことや、それに対するトランプ大統領の態度を予想して、トランプ氏を大統領の座から引きずり下ろそうとする一派の企みの可能性が高い。 それをそのまま認める佐藤氏の言動には、その一派と同じ政治的な意図を持っているのだろう。

トランプ大統領の指摘は、「奴隷制度は歴史的事実であり、ワシントンは奴隷を使役する大農場をもっていた。その理由でワシントンの銅像を破壊するのは愚かなことだ」という極めて常識的なことである。歴史的な記念物の撤去は、慎重にやるべきであり、現在の政治に影響しないようにするのが鉄則だろう。

佐藤氏は、米国は人種主義を克服した筈だというが、そんな筈はない。何故、今でも丸腰の黒人青年が白人警官に射殺されるのか? そして、その警察官が重罪に問われることは殆ど無いのは何故なのか? 米国は異る人種が混ざって住み、時々人種間の憎しみが事件として現れる。しかし、米国民はそれを克服して、全体としてまとまろうと努力している。

人種差別主義との戦いは、世界の人間が共有する問題でもある。そして、今後も人類はそれと戦い続けなければならない。それは異なる人種が存在する限り、永遠の戦いである。その戦うという気持ちの共有が大事なのであり、人種主義の象徴を破壊することが大事なのではない。

「人種差別主義との戦い」を安易に政治利用することは、慎むべきだ。

補足:
1)ワシントンやジェファーソンが出てきたのは、それなりにエピソードがあるからである。つまり、米国の初代大統領のワシントンは、大農場で大勢の奴隷を所有していた。3代大統領のジェファーソンは、政治姿勢は奴隷制に反対だったが大勢の奴隷を所有していた。そのほか、微妙な話があるようだ。
2)元々奴隷の少ない北部が、命をかけて南部の奴隷を解放するために戦争を行ったというのは、民主党的美談ではある。
3)イスラム過激派が、占領地の異教の歴史的建造物を破壊するのは従って間違いである。
4)交通法規の厳格化を主張する人たちとそれに反対する人たちが衝突したとする。前者が老人たちであり、後者が若者達であったとした時、その本来の問題を捨て去って、「どこそこで、老人と若者の衝突があり、けが人がでました」と報道しているようなものである。だからといって、そこで敬老精神のない若者を非難しない安倍総理はおかしいと、流石の佐藤さんも言い出す筈はないだろう。

2017年8月18日金曜日

大学授業料無償化は、学生と大学の両方をスポイルする

1)安倍政権が大学の無償化を考えているらしいが、本当に愚かな人だ。大学無償化で喜ぶのは加計学園の理事長だろう。くだらない大学に無限大の補助金を与えるような政策には断固反対する。安倍さんはやっぱり何もわかっていない。こんな政権は早く潰れた方が良い。https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170817-00050040-yom-pol

全ての人が大学教育を受ければ、それだけで社会の平均の労働生産性が高くなると思っているのだろうか?多くの人が安易に大学に行くことになり、大学教育にふさわしくない人は単に遊び癖をつけることになるだろう。それは社会に役立たない人の大量育成になってしまう。現状では、高い授業料を払ってでも行きたいと思う人のために、各大学は教育に特色をつけたり、高度な看板学部を持つなどの努力をしているだろう。大学授業料無償化は、学生と大学の両方をスポイルするだろう。米国の大学を考えれば良い。一流の大学はその高度な教育研究環境にふさわしい授業料をとっている。

この大学授業料無償化は元々、維新の政策らしい。こんなことを言い出すとは思わなかった。橋下徹氏は本当にその政策を正しいと考えているのなら、これまでの橋下氏に対する評価を取り消さなくてはならない。大学授業料の無償化ではなく、奨学金の拡充という形で、教育費負担軽減を考えるべきだろう。一部は給付型にし、残りについては、卒業後の給与にかかる所得税相当分をそのまま奨学金返還金とするなどの方法により、優秀な学生の負担を軽減すると良いと思う。

2)現在日本は知的デフレスパイラルにある。その原因は正に大学のレベル低下である。2013年1月27にヤフーの知恵袋にこの件について投稿したことがある。https://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n150047ここにその考えを再録するが、その結論は、「大学への助成金を大幅に減額すべし」である。無償化の全く逆である。「大学への進学費用は、それにより得る利益を受ける側が負担すべきであり、それにより、まともな大学のみが生き残り、従って大学はその人事(教員の人事が知的デフレの元凶だと考えている)を必死に考えるだろう」と結論している。

今朝のニュースステーションでは、桜宮高校での体罰事件から、小学校からの英語教育、更に学校の教育行政まで広範な議論がなされていた。その最後の部分で、出席者の一人である大学の先生から、今一番改革を要するのは大学であるという意見もあった。つまり、大学が終着駅と見なされているから、その終着駅がいい加減だから、高校以下の教育が上手く行かないのだという考えである。

大学で教育を受けた人が社会に出て、その一部が小中学校から大学の教員になる。大学でいい加減な教育を受けた人間が小中学校の教員になるのだから、そこでの教育レベルは低下するのは当たり前。つまり、日本国は知的デフレスパイラルになっているのである。つまり、大学を改革出来れば、そのデフレがインフレに転換できるかもしれないという意見だと思う。

日本の経済対策として聞いた話に似ている。更に、日本の小中学校長には人事権や予算執行権がないので、組織のトップとして何もすることが出来ない。その原因は米国が戦後作った教育行政の枠組みがそのままにされているからであるとの話。あれもこれも全て、戦後の枠組みから脱却しないで米国依存を決めこみ何もしなかった自民党政治と、その中で育まれた霞ヶ関官僚たちの独裁体制の相互依存制に問題の根幹があるようだ。

この知的デフレスパイラルも経済的デフレスパイラルも、今まで何もしなかった自民党が生まれ換わって改革できるというのだろうか?このような議論を展開すると最後は、日本の文化にまで話が及んでしまう。

元に戻って、日本の知的デフレスパイラルの原因としての大学の能力低下(注1)であるが、その原因は大学の人事にある。大学教員の実質的な人事権を教授会が持つことがこの知的デフレの出発点である。より具体的には、その人事制度により、助教(昔の助手)が出身講座の大学院修了者から選ばれることになり、その大学助手が最終的にどこかの準教授や教授になり、大学のレベルを決めることになるのである。一旦レベルが低下し始めると、際限なく低下する。

そのプロセスは、英語の諺「一級の人間は一級の人間を選び、二級の人間は三級の人間を選ぶ」(注2)を思い出すと容易に想像できる。問題は、その大学出身者が大学だけでなく日本の全ての分野でのレベルを決める点である。 このデフレスパイラルを改革するには、出発点である助教の人事を、例えば客観的指標を決めるとともに人事プロセスを公開するなどで改革する必要があると思う。更に、もっと根源的な部分で、大学行政への国の関与の仕方である。

私は、大学への助成金を大幅に減額することを提案する。大学への進学費用は、それにより得る利益を受ける側が負担すべきである。それにより、まともな大学のみが生き残り、従って大学はその人事を必死に考えるだろう。

注釈:
注1) 日本はノーベル賞をかなりとっており、大学のレベルが低くないのではないかという意見が出てくるかもしれない。しかし、ノーベル賞の大半は数十年前の業績に与えられているのであり、現在の大学のレベルを繁栄していない。また、東京大と京都大だけが大学ではない。現在の大学のレベルは、世界の大学ランキングが参考になる。
注2) First rate mathematicians choose first rate people, but secondrate mathematicians choose third rate people. ネット検索ではこの言葉しか出てこないが、NHKビジネス英会話の中で数学者ではなく単に人のpeopleが使われていたと思う。

朝鮮人徴用工問題:強制連行と奴隷労働のでっち上げ

1)戦争の時の徴用工問題では、特別の場合をのぞいて、日本側雇用者に支払い義務はない。特別な場合とは、給与の未払いとか、その企業で特別に半強制的に給与の一部を寄付させられたなどである。

日韓基本条約と付属する協定により、個人補償の問題は韓国により放棄されている。つまり、日本本土の人と同様に徴用工として働かされたというだけでは、日本企業は賠償要求に応じる必要はない。ただし、上記のように私的な貸し借りの清算などがなされていない場合には、国家の枠組みが大きく異なった戦前と戦後の間であってもその債務関係は消えないだろう。

以下のサイトには朝鮮人徴用工の給与等の支払いデータを元に、そのような問題は存在しないと記述している。十分説得力がある。元々この問題は軍艦島のユネスコ世界遺産への登録申請の時に出たようで、その際、韓国が反対するための口実に徴用工問題を出した。http://www.thutmosev.com/archives/36682630.html

この世界遺産登録の際、日本が韓国の申請してきた百済遺産に賛成し、韓国は日本の明治遺産(軍艦島など)に賛成する事前合意がなされていたという。ところが世界遺産委員会で、韓国側が突然日本側申請の施設で朝鮮人が強制労働をさせられていたという主張を出し、外務省役人が日本の明治遺産登録への賛成を得る目的なのか、それを認めてしまったということである。

韓国と何かを協力するという件では、政府高官レベルで慎重に話を詰めなければ、朝鮮系スパイが大勢日本の社会全体にいる現状では失敗する可能性大である。それは今や、外務省の常識のイロハだと思うのだが、要するに役人も人材劣化が進んでいるのだと思う。

2)今年8月8日にも、三菱重工に対して、朝鮮人徴用工の訴訟の判決が韓国で出た。第2次大戦末期に三菱重工に動員された元朝鮮女子勤労挺身隊の韓国人女性と遺族の計2人が、同社に損害賠償を求めた訴訟の判決が韓国地裁であり、地裁は同社に日本円で約1200万円の支払いを命じた。http://www.sankei.com/world/news/170808/wor1708080019-n1.html

この新聞報道によると、“原告女性らは中学生ごろの1944年、名古屋にある三菱重工の航空機製作所で、賃金なしに「強制労役」させられたとして、女性と遺族がそれぞれ、1億5千万ウォンと3千万ウォンの損害賠償を求めて提訴していた”と書かれている。

この場合、賃金が支払われていなければ、通常の未払い賃金の支払い要求として認められるだろう。民法上の時効があるが、国が分割されて三菱重工本社とは別の国に居住するので、今まで諦めていたのかもしれない。その場合でも、「強制労役」についての補償は、通常の徴用工だったのだから根拠はないので、その部分については支払い分は減額されるべきである。

新聞報道では、「給与は支払われていたのかどうか」という重要な問題に対して、何もコメントしない。おそらく、日韓基本条約と付属の協定を十分読んでいないので、その重要なポイントに気づいていないのだろう。こちらは新聞記者の人材劣化である。

2017年8月16日水曜日

中国共産党の街宣車が“解放”を訴える沖縄の現状

日本本土の人たちは、筆者を含めてあまり沖縄の現状に詳しくない。それは日本の報道機関があまり報じないからである。表題に書いたように、沖縄では中国共産党の街宣車が“沖縄解放”を訴え、本来尖閣だけでなく沖縄も中国の一部であると堂々と宣伝しているのである。以下に概要を記す。

現在、沖縄県知事の翁長氏は、中国福建省にある福州市の名誉市民であり、筆者には沖縄を中国の一部にすべく反日及び反日米安保活動を続けている様に見える。勿論、いきなり併合は出来ないので、先ずは琉球を独立させ、その後実質的に併合することを考えているのだろう。実質併合とは、昔の朝貢国のような形にして、中国と琉球との間の安全保障条約などを結ぶ関係の構築である。(補足1)

恐らく、現在の日米関係と相似の琉球中共関係を考えているだろう。その時には、嘉手納から飛行機がとんでも、また、仮に墜落したとしても何にも住民には言わせないだろう。

表題に書いた中国の街宣車のメッセージを一度聞いて貰いたい。https://www.youtube.com/watch?v=lg3XgbM9gJc 私が聞き取った内容の一部は以下のようである。

「中国共産党の最終目標は差別のない格差のない平和な沖縄を作ることです。中国共産党人民軍とともに沖縄を解放しましょう。こちらは尖閣諸島だけでなく、沖縄全体も自分のものだと本気で考えている中国共産党沖縄街宣部の友の会です。オスプレイを配備して基地機能を強化するのは差別以外の何物でもありません。中国共産党友の会と一緒になって、オスプレイ配備を撤回させ、差別のない世界をつくりましょう。普天間飛行場の周辺は住宅が密集しています。オスプレイが墜落したら大惨事になります。」

以下のブログサイトに、街宣車の放送内容の詳細が書かれている。 https://ameblo.jp/the-snark2/entry-12240222439.html

上記内容の内、下線部分の文章は日本人のものではないだろう。特に「本気で」を此処に用いるのは、日本人の発想にはない。つまり、明らかに外国人による作文であり、この街宣活動は沖縄県人や本土の活動家が、中国共産党を名乗って行っているのではない。日本国は、このような街宣車すら取りしまる事ができない情けない国なのだろうか。

そのほかに、日本人でも中国共産党に協力的なデモや騒ぎを起こす連中も多い。その一人が沖縄平和運動センター議長(補足2)の山城博治被告である。彼は米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設の反対派のリーダーで、その運動は暴力的であり、現在、器物損壊、威力業務妨害、公務執行妨害、障害などの罪で裁判中である。

ジュネーブにある国連の人権理事会では、山城博治氏が「自分の逮捕は人権侵害であり、抗議活動からの離脱を迫られた」と演説した。同じ人権理事会で(今年の6月14日)、沖縄県名護市出身の専門チャンネルキャスターである我那覇真子氏が、彼のような暴力的な運動に反対して、「沖縄では地元住民の人権と表現の自由が外から来た基地反対活動家や偏向したメディアに脅かされている」と訴えた。http://www.sankei.com/politics/news/170615/plt1706150037-n1.html

その中で、我那覇真子氏は「(山城被告は)威力業務妨害、公務執行妨害、不法侵入、傷害など複数の犯罪で逮捕され、現在保釈中である。日本政府が人権と表現の自由を脅かしていると演説しても、それは真実ではない」と主張した。(補足3)つまり、山城被告が公判中にも拘らず、国連で演説することを許されるのは、日本が人権と表現の自由を重視している証拠なのだ。

沖縄の現状は以上のようであり、国連を利用して米軍を追い出そうという企みにまで事態は進んでいることを、日本国民は真剣に考えるべきである。 ちなみに、昨日リリースされたyoutubeでは、我那覇真子さんが靖国神社で感動的な演説をしている。私はこの意見に完全には同意しない(補足4)が、堂々と国家の防衛を口にする彼女の姿に感銘を受けた。https://www.youtube.com/watch?v=hEZ15p6QOls 

補足:
1)朝貢国は、実質的には中国の属国ではない。中国に貢物をする使節を派遣することで、その時の中国王朝の正統性を認める国である。それは中国の王朝にとってはありがたいので、土産物として貢物よりも多く持たせて帰したと言われている。
2)沖縄平和運動センターは、沖縄に存在する日本の社会運動団体である。社民党、沖縄県教職員組合、沖縄社会大衆党などに支援されている。前衆議院議員の杉田水脈氏(次世代の党所属)は、この団体の構成員の多くが社民党所属であり、代表の山城の後援会の活動資金の多くが「社民党からの寄付」で運営されていると述べている。http://www.sankei.com/politics/news/170402/plt1704020001-n3.html
3)そのような我那覇真子氏の国連人権理事会での演説を、琉球新報などの沖縄左翼系新聞は無視して掲載しないと、参議院議員の青山繁晴氏は指摘している。http://japan-plus.net/724/
4)私の意見は、以下のブログに記している。https://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42916105.html

2017年8月15日火曜日

トランプ大統領が北朝鮮に吠える目的

1)「何故トランプ大統領は北朝鮮を挑発するか:3つのシナリオとその共通項」と言う題目の話を、国際政治学者の六辻彰二という方が、ヤフーニュースに書いている。https://news.yahoo.co.jp/byline/mutsujishoji/20170812-00074441/

3つのシナリオとは、ロシア疑惑などの国内問題の比重を小さくさせる、ミサイル防衛システムのテストを含めて改良の機会とする、姿勢の異る二人で北朝鮮を話し合いの座につかせる計画で、トランプ大統領が硬派を受け持つというもの。それらの共通項として、北朝鮮はすぐに米国本土をミサイル攻撃しないという目算が存在するという。

素人の私には一番最初のシナリオ以外は、可能性としては無視できると思える。それよりも、これを機に、ミサイル防衛システムの売上をあげようという目論見の方をシナリオに加えるべきだろう。その視点からは、ミサイル防衛システムの実践的試験はやりたくない筈である。

米国の基本的戦略は、自国の防衛は敵地核攻撃能力で達成し、ミサイル防衛システムの整備はそれを補完することと軍需産業の育成が目的だと思う。日本や韓国などの同盟国にミサイル防衛システムを高値で売りつけ、設置したシステムを共同管理して、仮想敵国のミサイルのレーダー検知能力を高めるのである。

「北朝鮮を米国との話し合いのテーブルにつかせる」のが、本当の目的なら、この数十年間何時でもできた。北朝鮮が米国との直接話し合いを要求してきたにも拘らず、それを避けるために、6カ国協議を作ったことを、米国は棚上げにしている。ICBMらしきものを発射したからという理由で、急に「北朝鮮を話し合いのテーブルにつかせる」なんて、よくも言えたものだ。

その言葉を借りて、硬軟二人組の刑事役の硬派をトランプ大統領が演じるなんて、そんなことを言う国際政治評論家がいることが不思議だ。

2)「北朝鮮にとって最善の策は、これ以上アメリカを脅さないことだ」とトランプは米ニュージャージー州にある自分のゴルフ場で記者団に語った。「彼(北朝鮮の金正恩党委員長)の脅しは常軌を逸している。北朝鮮は世界が目にしたことのないような炎と怒りに直面するだろう」

この話を聞いて、そのまま受け取る人は全くこれまでの経緯に無知な人だろう。このような言葉をゴルフ場で語ったことが全てを象徴している。米国民はもっと真面目にこの事態を、歴史的事実の復習から始めて考えるべきである。

ティラーソン長官は「我々はあなた方の敵ではない。我々は体制転換を求めておらず、体制の崩壊を求めておらず、半島の再統一の加速を求めておらず、38度線の北側に米軍を送る口実を求めていない。我々はあなた方の敵でなく、あなた方の脅威でもないが、あなた方は我々を受け入れがたい脅威にさらしており、我々は対応しなくてはならない」と述べたという。そして、どこかの時点で対話をしたい考えも示したという。http://www.bbc.com/japanese/40798738

しかしである。下線部分で、北朝鮮との見解が全く一致しないということを、ティラーソン国務長官は認識している筈である。つまり金正恩に言わせば、「これまで脅してきたのはどっちなのだ」というに決っている。軍事力で言えば、北朝鮮は未だに火縄銃であり、米国は機関銃で装備している。北朝鮮は中国と組んで、38度線近くで毎年演習をしているわけではない。韓国と組んで、毎年演習を繰り返しているのが米国の方である。

因みに、日本国はアメリカ親分の庇護のもとにある。強い親分の下にいることは差し当たり安心だが、その親分が倒れた時、或いは、親分に見放された時には、周囲からのイジメは過酷を極めるだろう。また、親分が行けと言ったら、地獄の中にも飛び込まなければならない。兎に角、親分が一目置く位の存在感を持つ子分に早くならなければ、未来は真っ暗である。

3)同盟国である韓国と日本が、北朝鮮の核ミサイルから受ける脅威について、米国もようやく考えてくれるのなら歓迎である。本当は、日本にも核武装の権利を認めてくれるのなら、もっとありがたい。しかしその前に、北朝鮮との互いに鉾を相手に向むけた対決の姿勢から、両方とも鉾を納めて、話合いにつくのが良いかもしれない。(補足1) 

ところで、話し合いのテーブルに就くつもりなら、鉾を先に納めるのは強い方であることが、米国に分かっているだろうか。それは、農村で生きてきた日本人の文化では当たり前のことだが、遊牧民の文化を持つ米国などでは理解不能かもしれない。 

日本では、相手の面子を考えて、姿勢を低くして相手が望むものを差し出す文化がある。空腹である人に食物を裾分けする時などには、「もし良かったら、貰っていただけませんか?」と言って差し出す。それは、欲望を満たす行為は動物と同じ行為であり、人間であるというプライドを保持できない瞬間を作ってしまう可能性がある。自分のその瞬間を想起させるような形で、食物を差し出されたのでは受け取れないからである。 

つまり、トランプ大統領が吠えるのは、ティラーソン国務長官の一見優しい話し合いの申し出を、「お前が屈服するのなら、話し合いの開始始も考えないわけではない」という言葉に翻訳しているのである。米国が、話し合いなどやりたくないのでなければ、日本人の文化、農村の文化に学んでもらいたい。

このままではトランプ大統領の吠え声は、「ティラーソン長官の言葉は、世界に向けたメッセージであり、北朝鮮向けの言葉ではない」という意味であると、世界は受け取るだろう。  (以上、素人の分析です。適当に読み飛ばしてください。)

補足;(17:20追加)
1)「かもしれない」としたのには訳がある。それについては既に論じた。https://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43365154.html
再度エッセンスをここに書く。北朝鮮と米国が無事講和した場合、必然的に朝鮮半島は連邦制かどうかしらないが統一に向かう。その結果、核保有国で中国よりも遥かに反日的な国家がすぐとなりに出来る。北朝鮮とは日朝基本条約をその前に結び、経済協力金をたんまりむしり取られる可能性が高い。更に、朝鮮半島中のバスの中に慰安婦像を載せて、ゼロから作り上げた慰安婦問題の風化を防ぎ、「歴史認識が足らない」と脅すことで、必要な時に上納金を脅し取られる羽目になる可能性もある。米国は東アジアに居残る根拠(=朝鮮戦争)をなくし、グアムより東に後退しており、日米安保条約も存在するのかどうか怪しい。日本国民はそれでも、非核三原則と非武装こそ平和への道だと議会と放送局を抑えた半島系の人たちのプロパガンダを信じているだろう。

2017年8月14日月曜日

誰が日米戦争を始めさせたのか:現在まで続くゾルゲや尾崎秀実ら共産スパイの日本国に与えた影響

1)元朝日新聞記者で、リヒャルト・ゾルゲ(コミンテルンのスパイ;ドイツ人)グループの一員だった尾崎秀実が逮捕されたのが、1941年10月15日であった。米国との戦争回避のために日米交渉をしていた近衛文麿が、交渉が暗礁に乗り上げたために総理大臣の職を投げ出したのが、翌日の10月16日(事務的にはゾルゲが検挙された10月18日;半島一利著「昭和史」p164)である。

尾崎秀実は総理大臣秘書官であった牛場友彦(補足1)の斡旋で第一次近衛内閣(1937/6/4-1939/1/5)で内閣嘱託となる。その地位は、第二次、第三次近衛内閣(1940/7/22-1941/10/18)まで続く。

近衛文麿は何故、突然総理大臣を投げ出したのか? 半島一利さんの上記昭和史には尾崎のことは書かれていない。しかし、本当はこのゾルゲ事件の発覚だったのではないだろうか。(補足2)何故なら、日米戦争を避けるべく駐米日本大使の野村吉三郎を通じて交渉をしていたが、日本側の考えの全てが、尾崎、ゾルゲ、米国のスパイであるハリー・ホワイトを通して、国務長官ハルに筒抜けだったからである。(この話は、近代史研究家の落合道夫氏の動画による。https://www.youtube.com/watch?v=h4UjCTktbrw

渡辺惣樹氏のフーバー元米国大統領の自伝の解説書「誰が第二次世界大戦を起こしたのか」の中にも、日華事変を終結させることが出来たかもしれない(つまり、日米戦争が避けられたかもしれない)トラウトマン和平工作を、尾崎秀実の工作で近衛文麿が潰してしまったとの記述がある。副島隆彦の「仕組まれた昭和史」の中にも、米国の工作で日華事変が拡大したとの記述がある。

当時の米国政府内にはソ連のスパイが大勢(数百名)いたことは事実であり、後赤狩り旋風が起こるまでその状態が続く。このハリー・ホワイトが実質的にハルノートを書いたことは、多母神氏の講演でも述べられている通りである。https://matome.naver.jp/odai/2130527430107993901

つまり、米国などにあった国際共産主義運動の一環として、中国に共産党政権を実現するため、蒋介石など国民党と日本を戦わせたという筋書きである。この記述は馬渕睦夫氏の「国難の正体」にあったと思う。その作戦で駒として使われたのが、ハリーホワイトであったり尾崎秀実であったりしたのだろう。巨大な陰謀の渦が、米国を中心にして世界に渦巻いていたのだろう。

現在、テレビなどで活躍している米国盲従の外交評論家の人たちは、上記のような陰謀論をまるでインチキ宗教のように毛嫌いし、孫崎享氏や馬渕睦夫氏らという自分たちの先輩までも、落ちぶれ外交評論家のように言う。

そして、現在その最終段階にある朝鮮戦争も、馬渕睦夫氏の本では米国が作った戦争であると書かれている。つまり、マッカーサーによる朝鮮半島を自由主義圏として統一してしまおうという提案を、トルーマン大統領が拒絶したのである。そして、マッカーサーを連合国司令長官の職から解雇した。

どちらが真実なのかは明らかだろう。反日メディアであるテレビなどマスコミに頻繁に出る方が、正統派ぶったインチキである可能性が大きい。 

2)馬渕氏らの本によると、米国の支配層は同じ勢力である。その後戦略は国際共産主義運動ではなく、グローバリズムになっただけである。それらの本質は、国境のない地球国家を目指すものである。オバマ政権までは、米国の戦略はその延長戦上にあった。トランプ政権はそれを180度変更する予定だったが、抵抗が強いようである。つまり、現在の米国に国際共産主義運動はもちろん残ってはいないが、コアを共有するグローバリズムは普遍的である。その時代に作られた考え、その後遺症や破片などは、容易に無くならない。世界で敵なしの状態では尚更である。

先週金曜日に書いたブログで言及したが、北朝鮮がグアムに向けたミサイルに言及する際、何故わざわざ島根、広島、高知の名をあげたのか。これは米国と北朝鮮の合作の可能性もあリえる。つまり、高度の関係で破壊が不可能であっても迎撃ミサイルを日本に撃たせ、北朝鮮の敵国として日本を矢面に立てる戦略である。

北朝鮮は、同じ民族であり、且つ、親北朝鮮の文在寅が大統領になった韓国を攻撃したくない。しかし、振り上げた拳をそのまま下ろすのでは、金正恩はメンツを潰す。もちろん、米国を真正面から攻撃したのでは北朝鮮が潰れてしまう。そこで、北朝鮮と韓国の共通の敵である日本を攻撃するのである。しかし、日本は朝鮮戦争の当事者ではないので、口実がない。その口実を作るのに、丁度良いのがグアム近くの公海に打ち込むと言ってミサイルを発射し、それを迎撃させるのである。

一方の米国であるが、米軍はおそらく自衛隊と共同演習などをしているうちに、青山繁晴氏がしばしば言うように、両軍は互いに信頼感をもっているだろう。しかし、米国の支配層には未だに日本に対する嫌な気分が存在するだろう。それは憎しみというより、生理的嫌悪感的な感情の可能性がある。つまり、日本は米国にとって非常に目障りである可能性がある。

それは、日本が唯一自分の醜さを写す鏡かもしれないからである。日本が存在する限り、毎年8月になると原爆を無防備な都市の無垢な子供や女性までを皆殺しにした、自分たちのナチス以上の人道的犯罪が宣伝される。この感情は、米国人の心の奥底に存在するハードコア(The hard core)だろう。日本は大変な国と戦争をし、その飼い牛になったと思う。

北朝鮮のミサイルを迎撃すれば、日曜朝のサンデーモーニングで、韓国系の二人の評論家の方々が心配された事態(日本にとって悲劇的な事態)を招くだろう。それに比べて、日本の評論家岡本行夫氏は、届かなくても日本は迎撃すべきだと言っていた。この様な米国の犬的人物(ソフトバンクの宣伝の犬:白洲次郎的な犬)が外務省には大勢いる。彼らのような学校秀才のバカが日本を滅ぼすのだろう。

米国は多くの渡来人からなる人工的国家である。そのため、多くの民族と人種を持つ人類が、平和的共存を実現するための戦いのフロントである。その意味で、米国に対し尊敬と期待を持つ人は多いだろう。多民族が互いに理解し合うためには、できるだけ情報をオープンにし、個人の自由と民主主義の原則を守ることが必須条件である。

その正に近代国家(未来国家というべきかも)としての条件を実現しようと、世界で先頭に立って努力している国である。昨日バージニア州であった白人至上主義者とそれに反対する群衆の衝突事件でもわかる様に、米国はその本来人類共通の課題である筈の戦いに対して、日々犠牲も払っている。そのような米国と歪んだ関係しか持てないのは、日本にとって本当に残念なことである。
(これは素人のメモです。適当に読み飛ばしてください。)

補足:
1)実弟は外務事務次官(1967/4/14-1970/7/10)、及び福田赳夫内閣の時に対外経済担当大臣を務めた牛場信彦である。
2)半島一利氏の本では、近衛首相は、ルーズベルト大統領との直接話し合いを希望したが拒絶され、日米和平の試みが消えたと書かれている。

2017年8月13日日曜日

池上氏の「戦争を考えるスペシャル」は、戦争を考えていない

今テレビで「池上彰戦争を考える、特攻とは何だったか」をやっている。先程から見ているが、この番組では戦争を考えていない。戦争を考える時、その中心課題は、一般論なら「何故戦争になるのか」「戦争を避けるにはどうすべきだったか」「戦争が避けられない時には、どうすれば負けずにすむか」「負ける戦争に巻き込まれたのなら、講和を如何に有利にするか」などであるべきである。

対象が太平洋戦争なら、それらのテーマを具体的に考えるべきである。つまり、日華事変というターニングポイントで、日本に何が欠けていたかが重要である。しかし、この番組では単に戦争の悲惨な場面を見せて、人を恐怖に陥れているだけである。これでは戦争について何もわからない。非常に愚かな番組である。池上さんの知性を考えると、要するに反日敎育をしたいだけのようである。

現在のタイミングなら、戦争を考えるスペシャルを放送するのなら、如何にして北朝鮮の脅威から逃れるべきかを放送すべきである。明日にも、日本が第二次朝鮮戦争に巻き込まれる可能性がある時に、何を下らない放送をしているのか。

先日の北朝鮮高官の発表にあった、「島根、広島、高知の上空を経てグアムから30-40km離れた公海にミサイルを打ち込む準備をしている」という表現の裏に何があるのか、それを考えるべきである。国民が十分考えて、日本政府に何らかの意思を表明すべきである。

それが現在、「戦争を考える」という場合のメインなテーマであるべきである。池上は何を考えているのか。

北朝鮮のミサイルがグアムに向かって発射された場合、高度的に日本の迎撃は不可能である。もし、米国が迎撃して誠意を見せろと言って来た時、どうするのか難問である。つまり、日本が無駄な攻撃をすれば、その後は北朝鮮の核の脅威に曝される。その言葉を無視すれば、サンデーモーニングで岡本行夫氏が言っていたように、日米安保体制が崩壊する可能性がある。

しかし、もし米国が不可能な迎撃をしろと強硬に言うのなら、上記「島根、広島、高知」という不可解な言葉の挿入は、米国と北朝鮮の合作の可能性があると思う。その点について熟考すべきであると私は思う。

追加:9:30 1) 今気がついたらNHKでは、731部隊の生物兵器開発の場面をやっている。池上氏の番組より遥かに酷い内容である。研究者向けのビデオなら、このような番組はあり得るが、一般向けに放送すべき内容ではない。つまり、手術や屠殺の場面を一般人に放送してみせることなど、考えられないのと同様の理由である。この件、武田さんが非難しておられ、それに同意する旨のコメントを書いた。NHKは反日分子が放送局を牛耳っているらしいので、総務省が監督官庁なら、早急に解体すべきである。何処もかしこも放送局は全て、反日分子に牛耳られているようだ。嘆かわしい。

2017年8月11日金曜日

米国と北朝鮮の抗争の深部に何があるのか(覚書)

ヤフー知恵袋に投稿した回答を修正加筆し、北朝鮮問題の覚書を歴史的に記します。

1)北朝鮮が核兵器の開発を開始したのは、米国が朝鮮戦争終結の話し合いに応じなかったからである。現在休戦状態だが、休戦協定の中に外国軍の朝鮮半島から引き上げを記した条項があり、それに違反して(補足1)米軍は韓国に居座った。そして、毎年、朝鮮半島有事にそなえて米韓軍事演習をして北朝鮮に圧力をかけている。(http://tafuo.com/archives/441

そこで、核兵器をもって実力をつければ、米国も朝鮮戦争を終わって講和の話し合いに応じるだろうと金日成は考えた。その後を継いだ金正日、金正恩も同じ路線で、核開発を加速度的にすすめているだけである。まるで金正恩を狂犬のように言及する日本のマスコミは、以上の事実にあまり言及しない。

北朝鮮は国連に加盟しており、世界の殆どが承認している。米国韓国日本だけが承認していない主な国である。北朝鮮の核兵器開発に対する国連制裁も、大量破壊兵器を持つのは常任理事国だけだという勝手な理屈を前提にしているだけである。(補足2)

米国は何故、朝鮮戦争を終結しないのか?それは東アジアに楔を打ち込み、それが抜けないように監視するためだと思う。つまり、朝鮮戦争は、米軍を韓国と日本に駐留させる根拠である。

何故そのようなことを米国は考えるのか? それは、東アジアが将来の米国の脅威となると考えているからだと思う。米国が避けたいのは、日本、中国、朝鮮が団結することである。(補足3)それを避けるべく、中国と日本の間、日本と韓国の間に夫々楔(くさび)を打ち込んでいる。日本と韓国との間の楔は、反日の李承晩を韓国の初代大統領にすることで作られた。李承晩は、徹底的に反日宣伝を国民に向けて行った。

ニクソンとキッシンジャーが中国との関係改善に動いた時、田中角栄は素早く日中国交回復を成し遂げた。それをキッシンジャーが「ジャップの裏切り者め」と悔しがったという話を聞く。http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_he/a6fhe650.html そのキッシンジャーが、トランプ政権の外交アドヴァイザーとして居ることに注意が必要である。

米国が日本に対して恐怖を持っているなんて、何を馬鹿なと言う人が殆どだろう。しかし、その感覚は未だ米国一般民からなくなっていない。そのあたりは、元米国海兵隊員のマックス・フォン・シューラー氏の「「太平洋戦争」アメリカに嵌められた日本」に書かれている。そして何よりも、キッシンジャーやクリントンが親近感を持っている(補足4)中国は、経済大国となりいまや米国の第一の脅威でもある。

そして、日本がまともな国家になれば厄介なので、日本のまともな政治家はことごとく失脚させている。(補足5)その結果、吉田茂以下の米国盲従派が日本の与党となっている。尚、日本の官僚は米国従属主義である。それは官僚たちの利益に叶うからである。それについては田中宇さんの記事を読んで貰いたい。http://tanakanews.com/160511trump.htm (最後の2文節)

2)朝鮮人民軍の金絡謙戦略軍司令官は「朝鮮人民軍が発射する『火星12』は日本の島根県、広島県、高知県の上空を通過する。そしてミサイルはグアム沖30─40キロの海域に着弾する」と発言した。わざわざ「日本の島根、広島、高知の上空を通過する」と言ったのはなぜか。それを分析しなければならないと思う。

差し当たり二つの解釈が頭に浮かんだ。一つ目:日本に対する警告であり、事態が急変しないように米国へ働きかけることを催促する意味がある。二つ目:米国に対して日本に集団的自衛権の行使という形で迎撃を要求する根拠を明確にするためかもしれない。

一つ目の解釈であるが、私は北朝鮮の脅しが有る無しにかかわらず、日本は米国に対して朝鮮戦争の終結と講和条約締結を勧めるべきであると思う。北朝鮮が日本の地名をあげて計画を発表したのは、それを日本に進言(依頼)したとも取れる。講和条約と国家承認の後、北朝鮮と韓国は何らかの形(多分連邦制の合併)で合併するするだろう。そして、合併後に核兵器の廃棄を前提に、米軍は韓国から撤退すべきだ。その話は、既に日本を除いた国々の間で出来上がっているかもしれない。(韓国、北朝鮮、中国、米国)

それが現実なら、北朝鮮だけが考えた作戦でないだろう。既に、キッシンジャーの弟子である元国連大使のJohn Boltonらがノルウェーで北朝鮮関係者とこの4月ごろ会見しているという。その際のネットワークで、キッシンジャーらが立案した可能性もある。

後者の場合を以下考えて見る。
朝鮮戦争には日本は無関係である。しかし、文在寅政権になって、北朝鮮に融和的になり、何れ朝鮮半島は統一するだろう。従って、北朝鮮は“米国一味”に対して攻撃をする場合でも、韓国への攻撃はやりたくない。そのために、日本を今回の敵国にしたいのだ。それが日本上空を通ってグアム公海にミサイルを打ち込むという作戦であると思う。

日本は米国の要請に従って迎撃するだろう。しかし、公海上にミサイル発射実験した場合、それを撃ち落とすのは国際法違反である。(昨日の記事にも書いた)従って、ミサイルを日本海で撃ち落とした瞬間に、日本は北朝鮮の明確な敵になる。そこで、北朝鮮の攻撃は韓国ではなく、日本に向かうことになる。キッシンジャーやクリントンが憎む日本(補足4)に制裁を加える良い機会となる可能性が高い。

最後に今日配信され、先ほどみた西村幸祐氏の動画を紹介したい。戦前も今も、日本の敵は同じだという内容である。その敵とは米国の国際資本の影響下にあったコミンテルンとその影響下にあった人たちである。現在の北朝鮮問題も同じ日本の敵の工作である可能性大であると思う。https://www.youtube.com/watch?v=mRK2iInrF1k

補足:

1)朝鮮戦争を戦ったのは国連軍である。しかし、韓国に駐留したのは米国軍である。米国は、一旦国連軍は解体された段階で、休戦協定に記載の条項は実行されたというだろう。尚、中国人民軍は休戦協定に従って半島から引き上げている。
2)その背景にある五大国の了解事項は、日本やドイツに核兵器を持たさないことだろう。尚、国家の存立危機事態では、核拡散防止条約から脱退することが可能である。従って、北朝鮮の核開発が違法かどうかは議論を要すると思う。
3)つまり、大日本帝国が描いたプランである、大東亜共栄圏構想が実現しては、米国の覇権は無くなる可能性が高くなる。
4)クリントン財団やキッシンジャーの財団などの中国関連の稼ぎについての記述は、ネットに多く存在する。
5)孫崎亨(元外務省)著「アメリカに潰された政治家たち」参照。

国家を単一の人格的存在とみるのは間違いである

ニュースやその解説において、「米国は」とか「中国は」とかで始まる文章を使い、まるで国家が単一の人格的存在のように扱うが、それは間違いである。その間違いを今回の北朝鮮危機で犯してはならない。

ヤフーで配信されたBBCnews Japanの記事「北朝鮮と米国との緊張、しんぱいすべきか?」でも、夫々の国家に対しても、大凡そのような扱いが為されている。https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170810-40883753-bbc-int

記事の中で、3つのポイントを上げてこの問題を解説している。最初のポイント(1.戦争をしたい人など誰もいない)では、「北朝鮮政府が主に目指しているのは、生き延びることだ。米国との戦争は、その目標を深刻な危険にさらすだろう」と最初に楽観論の根拠を述べている。北朝鮮政府のこれまでの姿勢はその通りである。米国の大統領も、「戦争などしたくない」と言うだろう。しかし、米国は「北朝鮮の生き延びたい」という話し合いを拒否して来たから、問題はこのように大きくなったのである。それについて何も述べないこの文章は、記事というよりプロパガンダである。

「生き延びたい」という、いい加減な表現を用いているが、それは朝鮮戦争の終戦とその後の講和条約&国家承認のことである。その話し合いを米国は拒否し続け、六カ国協議という朝鮮戦争と無関係なメンバー国を加えた訳の分からない組織を作り、そこに北朝鮮の非軍事化という命題を丸投げし、その解決を遅らせた。しかし、その歴史は米国歴代大統領の意見に基づいたのかどうかは分からない。おそらく、朝鮮戦争終結の方向で動きたかった大統領も居たと思うが、動けなかったのだろう。 

また、現在の情勢だが、トランプ大統領の強硬論的発言とティラーソン国務長官の話し合い路線の発言が、単一の人格的存在である米国の硬軟両方の意見であるとの解説も真実なのかどうか怪しい。また、北朝鮮の今回の「グアム周辺へのミサイル発射の準備は出来た。金正恩の命令があれば何時でも発射する」という発表は、金正恩の指示のもとに出されてのかどうかわからないのだ。金正恩の意向を「忖度」するフリをし、金正恩に究極の選択を強要すると同時に、ある勢力の利益を考えてだされたかもしれない。

つまり、国家とは単一の人格的存在ではなく、幾つかの意思ある勢力が国家の方向へ力を発揮し、そのベクトル和で国の方向が決まるキメラ的存在なのだ。従って、国家のとる方向は常に予測不可能な部分が存在し、それが国家の状態により大きくなったり小さくなったりする。米国は典型的なキメラ的存在であり、現在の北朝鮮も殆ど予測不可能な情況なのかもしれない。それを念頭において、観測と分析をしなければならないと思う。

最後に、日本はミサイルが上空を通過したとしても、迎撃すべきではない。北朝鮮は公海に落とすと言っているのだから、もし米国からの要請があっても、国際法を重視して迎撃しないという姿勢を米国に通告すべきである。(補足)米国にとことん付き合うのは危険である。ある時点でゴミのように日本を捨てるだろう。米国の戦後の戦略は、日本を徹底的に無力化するためであり、その一つの道具が朝鮮戦争の継続である。つまり、米軍が東アジアに駐留することである。アホな政治家ども、もっと複眼的にものを考えろと言いたい。 補足:これは前回の記事で言及したように厳密には準攻撃とみなして、迎撃することは国際法に違反するわけではないと思う。(しろうとなので、責任持てないが) しかし、北朝鮮は攻撃ではないというだろうし、それと同じように日本もミサイルのテストであるから、迎撃できないというべきである。米国はグアム近海で迎撃するだろう。日本は、何とかこの機会に自立すべきである。韓国もその路線を現在模索している。日本の方が困難なのは、政界与党には米国の犬状態の人で占められているからである。

2017年8月10日木曜日

北朝鮮のグアム島に向けたミサイル発射計画の深慮遠謀:北朝鮮は敵対国として韓国よりも日本を選びたいだろう

1)グアム近海への軍事ミサイル発射計画の意味:
北朝鮮は昨日、グアム島近くの公海上に四発のミサイルを打ち込む可能性を公表した。そして、アナウンスした北朝鮮高官は、金正恩主席の命令があれば、その計画を実行に移すと宣言した。

軍事ミサイルをグアム島から30-40km離れた公海上に落とすという脅しが、予告の上で実行に移されたとして、それは軍事攻撃なのかどうか明確でないという人が多いだろう。しかし、落下点の予測精度が狂った場合にはグアム直撃の可能性もあるので、米国は迎撃を考えているだろう。

テレビ番組“ひるおび”で、今回の場合公海上へミサイルを落とすのだから、米国による迎撃は国際法に違反すると弁護士の人が言って居た。しかし直感的には、この弁護士は間違っている。国際法はこのようなケースを想定していない可能性もある。つまり、単なる飛翔体を飛ばすということではなく、敵対行為として軍事ミサイルを発射すると、北朝鮮が宣言しているのである。そのことを、その弁護士は判断材料にしていない。

米国は、「公海上に落とす予定と宣言しておけば、国際法の直接的解釈では迎撃は違法になるので、迎撃を避けることができる可能性がある」と北朝鮮側の考えを推測するかもしれない。そこで、「元々彼ら北朝鮮側は、グアムを直撃する予定であり、公海上に落とすという宣言はその爆撃効果を高めるための策略だろう」と推測する権利を米国は持つだろう。つまり、国際法はこのようなケースを想定していないと思う。

それに国際法など第二次大戦以後、違反しながら何の制裁も表向き受けなかった事例が山ほどある。(補足1)国際法など、米国やそのほかの超大国にとっては紙切れのように軽くなっている。

2)迎撃作戦とその効果:
何れにしても、その推測に基づいて米国は日本へ迎撃要請する可能性もある。そして、発射されたミサイルを日本海で迎撃し、日本がミサイルを撃ち落とす可能性も出てくる。その場合、北朝鮮は日本を敵国とすることに成功する。

その結果、主戦場は38度線付近やソウルではなく、米軍基地のある日本という可能性もある。(補足2)その後講和の話になったとしても、日本側の多大な人的並びに諸施設の被害は、植民地支配の酬いであると北朝鮮や中国は主張し、韓国も賛成し、米国は口先だけの日本応援演説をするにとどまるだろう。その結果、北朝鮮とともに多大の損害を受ける国は、韓国ではなく日本となる可能性がある。

平和の時が訪れたとしても、日本国は消滅の危機を物心両面から迎えるだろう。

北朝鮮は既に、韓国を吸収合併することも考えている筈である。韓国の大統領はそれには反対しないだろう。米国と対立して戦端を開くのなら、近い将来自国の一部となる38度線近辺はふさわしくない。

その結果、北朝鮮は威嚇を続けることになるが、万が一戦争になるとしても、その攻撃相手は韓国ではなく日本を選びたい。今回威嚇のために発表した作戦は、そのために工夫されたものではないだろうか。
補足:
1)例を挙げる:広島長崎の原爆による攻撃、都市部の無差別爆撃、ベトナム戦争介入、ウクライナへの介入やクリミヤ問題、イラク問題、南シナ海埋め立てによる軍事基地建設など。
2)共同通信によると、米国共和党のリンゼー・グラム上院議員は8月1日、トランプ大統領が北朝鮮の核弾頭搭載のICBM開発を阻止するため、北朝鮮との戦争も辞さないと述べたとNBCテレビの番組で発表した。グラム氏が話したことによると、トランプ氏が「戦争が起こるのなら向こうでやる。大勢が死ぬが、米国ではなく向こう側で死ぬ」と語ったという。

貧乏国の子沢山は世界の傾向

1) 昔から言われている「貧乏人の子沢山」という言葉が気になり、世界の一人あたりのGDP(GDP/h)と合計特殊出生率(=一人の女性が平均何人の子供を産むかという指数;以下単に出生率と呼ぶ)の関係を調べた。データは主に世界経済のネタ帳からとった。http://ecodb.net/ranking/imf_ngdpdpc.html

  図(1) 世界各国の合計特殊出生率と一人当りGDP(横軸/1000US$)

GDP/h(名目)が2万ドルを越えると、イスラエル(GDP/hが37000ドルで出生率3人)を例外として、全ての国で2人以下となっている。日本では、GDP/hが38900ドルで出生率1.4である。

出生率4以上の国は殆どアフリカの国々であり、GDP/hは全ての国で2300ドル以下である。出生率の最高はニジェールであり、7.6人であり、GDP/hは411ドルである。この部分の拡大図を以下に示す。
  図(2)世界各国の合計特殊出生率と一人当りGDP(横軸拡大図)

同じくGDP/hが低くても出生率に大きな差がある。しかし、それぞれの国の特徴を見ると、同じ条件では、表題の貧乏国の子沢山は真実であることがわかる。以下にそれを説明する。

2)データの解析

集団から離れて出生率の低い国:
GDP/hが少なく出生率の小さい国として、東欧圏がある。モルドバ、ウクライナ、アルメニア、ジョージアは4000ドル以下で出生率2以下の4カ国のすべてである。ヨーロッパの文明を持ちながら、旧社会主義圏であり、産業の停滞が低いGDP/hの原因である。

その他、GDP/hが少なくて出生率が低い国として、アジアの国がある。ネパール、カンボジア、ミャンマー、バングラデシュ、インド、ラオスの六カ国が、GDP/hが2000ドル以下で出生率3以下の全ての国である。恐らく、出生に対する人工的制限が為されているのかもしれない。これらの国では貧富の差(ジニ係数)は小さいので、同じGDP/hでもアフリカ諸国に比較する場合は、右に多少シフトさせて考えるべきである。この中で唯一イスラム教の国は、バングラデシュである。イスラム圏は、仏教圏やキリスト教圏に比較して出生率は高い傾向にあるので、このバングラデシュの小さい出生率は今回の考察では謎である。

集団から離れて出生率の高い国:
イスラエルの高い出生率(3.0)が印象的である(図1参照)。赤道ギニアも集団から離れているが、この国は2017年にOPECに参加した新しい産油国である。また、首都が本土からかなり離れた島にあり、且つジニ係数が65%と極めて高く(南アフリカは0.62)、大半は貧困層である。この非常に高いジニ係数は図(2)で出生率が高くGDP/hの大きいアンゴラ(ジニ係数0.62)にも共通している。尚、ジニ係数(補足1)の出所は以下のサイトである。http://top10.sakura.ne.jp/CIA-RANK2172R.html

もう一つ出生率が高くなる原因として考えるべきファクターは、新生児死亡率(最大約5%)及び乳児死亡率(最大約10%)である。こられは貧困国では高いので、それが出生率を高くする可能性がある。しかし、それらは無視できないが、それぞれの最大値を見る限り上の統計値を決める主原因ではなく、補正項だろう。

上記特殊例とジニ係数や新生児死亡率などの補正を考えた上での結論は、GDP/hと出生率は逆相関であるということである。

3) 貧困国で出生率が高い理由:
その理由として、バース・コントロールがあまり為されないことや、大家族制で生きる場合には子供は経済的な負担よりも寄与の方が大きくなることなどが考えられる。あまり学校に行かないので就学コストが掛らず、少年期から働き手になる。また、非常に痛ましいことだが、売買の対象になる。女性は性奴隷として、男性は兵士として、夫々売買されて来た。それは現在の先進国では考えられないことだが、人間の歴史である。(補足2)

先進国と貧困国が共存する現代、更に痛ましい例として臓器売買に絡む人身売買もあると言われている。http://blog.goo.ne.jp/grandemperor/e/df1c23e1a03b3f60c9c85b2d55c4eb5c もちろん、これらは出生率をあげる原因なのか結果なのか判らない。

先進国で出生率が低い理由:
先進国ではGDP/hが高くて経済的余裕がありそうだが、出生率が低い。その理由は、やはり子供を育てる経済的メリットがなく、デメリットが多いからだろう。先進国では社会に出るまでに、子供は最低限の敎育を受ける必要がある。もし、高等教育までとなると、親の経済的破綻の原因にもなりかねない。また先進国では、余暇を持つことで生活の幅が広くなるが、子供を持つことによる経済的や時間的な束縛はその恩恵を受けられなくするだろう。バース・コントロールが容易であるので、それを禁ずる厳格な宗教の国(イスラム教やユダヤ教)以外では出生率が低いのは当然だろう。

補足:
1)ジニ係数:所得の低い順に人を並べ、横軸に人口の割合を、縦軸に各人の合計の収入をとり、それぞれを1.0に規格化する図を作る。
上の図で 、ジニ係数はA/(A+B)である。パーセント表示の場合は、これに100を掛ける。なお、上図のAとBの境界を表す曲線をローレンツ曲線と呼ぶ。
2) 現在でも少年が兵士として売られるケースが多いだろう。一例として、ペルー日本大使館人質事件での犯人の少年をあげたい。500ドルでテロリスト集団に売られ、事件では日本人人質の見張り役になった。ペルー当局の強行突入の際、日本人人質に対して銃の引き金を引けずに居たが、当局に射殺された。ペルー事件の真相についての話が非常に興味深いので、是非ご覧いただきたい。報告者は、日本人として唯一真相を知る青山繁晴氏である。https://www.youtube.com/watch?v=ajp41I2p4Ao

2017年8月9日水曜日

北朝鮮リスクは本格的になる可能性が出てきた

1)先日来、米国による北朝鮮の攻撃はないだろうとブログに書いてきたが、その見通しは甘い可能性が出てきた。

今朝六時頃に出されたワシントン・ポストの臨時ニュースでは、米国は北朝鮮は既にICBM搭載可能な核の小型化に成功しているらしいと発表した。そして、トランプ大統領は火曜日の8日「北朝鮮の米国への脅迫が続けば、世界が未だ経験したことのない憎しみと攻撃に曝されるだろう」との厳しい警告を報じている。 http://www.bbc.com/news/world-us-canada-40869319?ns_mchannel=social&ns_campaign=bbc_breaking&ns_source=twitter&ns_linkname=news_central

恐らく、この北朝鮮へのトランプ大統領の強硬姿勢は、先日のティラーソン国務長官の談話にあるように、今後ミサイル実験をしなければ話し合う用意があるとの対話路線と対をなすと考えられる。

北朝鮮がそろそろ潮時だと考えるべきであり、あまり楽観しすぎると本当に爆撃があるかもしれない。先の世界大戦は、ポーランドの実力を顧みない強硬姿勢が、ドイツの侵攻を生み始まった。その裏には、英国首相のポーランドの独立を保障するかのような発言があった可能性が知られている。今回は、ロシアや中国の北朝鮮支持がそれに当たる。

しかし、ロシアや中国も米国と核戦争をするつもりなど毛頭ない筈である。それに、米国は手順を踏んで、今回の警告を出している。つまり、国連の安全保障理事会での北朝鮮制裁決議に、ロシアと中国も賛成も取り付けているのである。これは、米国が今回の警告に対して裏書きの意味をもたせることを考えて居ると思う。

そのように考えるのは、最も効果的な制裁は石油の禁輸であるが、今回はそれを封印して、中国とロシアの賛成を取り付けているからである。更に今回、核の小型化に成功しているとのアナウンスは、攻撃する根拠を世界にアナウンスしているのである。

チキンレースを継続するには知性など不要であるが、戦略的に動く方向を変えるには知性と指導力が必要である。心配なのは、金正恩はまともに助言を与えるスタッフを持たないかもしれないことである。このまま衝突まで直進すれば、その結末は北朝鮮の完全な崩壊と韓国や日本での多大な犠牲である。金正恩に知的な判断を期待したい。

2) ワシントン・ポストが報じたブレイキング・ニュースの56分後に、北朝鮮は脅しに屈する姿勢を嫌って、米国の戦略爆撃機の拠点であるグアム周辺に、中長期ロケット弾を発射する計画を検討していると語った。。http://www.bbc.com/news/world-asia-40871416

元々対等に渡り合うことなど不可能な相手に対して、即座にこのように反応する北朝鮮の姿勢は、事態が急変する可能性を示している。つまり、北朝鮮高官は米国の攻撃の恐怖と金正恩に対する恐怖を比較して、後者の方を重視したと考えられる。

このことは非常に深刻である。金正恩にとっても、米国による攻撃の恐怖と下に大勢いる政府高官たちの裏切りの恐怖とを比較している可能性が大だからである。つまり、北朝鮮政府では、外からの信号をまともに受信して、それを元に戦略を立てるという体制が崩れている可能性がある。

株式市場も完全にリスクオフの雰囲気が覆ってしまった。

2017年8月8日火曜日

米国は北朝鮮問題にやる気をなくしたのか?

北朝鮮のICBMは米国の脅威ではない。北朝鮮がもし一発撃てば、100発返されて、北朝鮮は即潰れる。それに、ICBMに搭載出来るまでには核の小型は進んでいないだろう。しかし、それは時間の問題だろうが、米国はあまり重要視していない可能性が高い。

昨日放送のテレビニュースでは、北朝鮮の外相は笑顔で国際会議に出ている。自信をもって核開発に邁進できそうな雰囲気を感じ取っているのだろう。ASEAN関連外相会談の合間に日米韓の外相が会談し、河野外相が「今は北朝鮮に圧力をかける局面であり,日米韓で緊密に連携していきたい」旨を述べ,両長官から賛同を得た。河野さんもサラリーマン外相だから、オリジナリティなど何もないことを明確に示した。

これまで、米国が北朝鮮に空母などを派遣し、大げさな対応をして来たのは、日本及び韓国(特に日本)が北朝鮮の核の脅威を理由に、核装備を言い出す可能性を恐れたからだと思う。

しかし、日本は沈黙をしており、憲法改正の声すら上がらない。そのような日本相手だから、北朝鮮のICBMに核弾頭が乗っても、米国政府は”米国の核の傘は有効だ”と言えば良いのだ。それで安心した米国は、真面目に北朝鮮に対応する気持ちがなくなったのだろう。形だけは北朝鮮の脅威を宣伝し、それを日本へのプレゼントとしている。

中国は、「米国の制裁だけのやり方ではこの問題は解決しない」と発言している。それは、北朝鮮にこれ以上の核開発をやめさせるには、米国が北朝鮮と朝鮮戦争の終結と、米国による国家承認の話し合いをスタートすることだという意味だろう。その時期はやがてくるだろう。

その後の北朝鮮の経済復興の為の財布は、日本にある。日韓基本条約と同じプロセスで、日朝基本条約の締結交渉と拉致被害者の返還交渉、更には日本で引き起こした犯罪の実行犯の引き渡しの交渉をすれば良い。韓国の文在寅政権は、そのための日韓基本条約の修正交渉に喜んで同意する筈である。(補足1)

現在の北朝鮮と太平洋戦争直前の日本との違いは、北朝鮮には中国という親分とロシアという親戚が味方していることである。それに、北朝鮮は防衛力を付けているだけで、他国を侵略している訳ではない。核保有国である米中露にとって、放置しても何の問題もないのだ。唯一の気がかりは、それを口実に日本が核開発の意思をもつことだった。

中国にとって、北朝鮮に対する援助の肩代わりを日本にさせるのは、非常に経済的だ。戦前併合していた朝鮮半島に対する手切れ金を2度支払うことになるが、そんな理不尽に気付く日本の政治家は居ないだろうし、居ても諦めて支払うだろう。外国に対する金の払いっぷりは立派だ。

北朝鮮は核兵器を持つので、その後何度も慰安婦問題とか何とか適当に難癖をつけて、金を要求することになるだろう。

日本の政治の実力は、江崎真澄の息子が沖縄北方領土担当大臣になった直後の発言で明確に諸外国に発信された。(補足2) 小池東京都知事の下に、日本ファーストという国政向けの政党を作ることになったが、若狭弁護士のアナウンスも面白かった。あの小池知事の都政を見て集まる連中にろくなのは居ない筈。

非常に残念なことだが、日本ファーストが国会に数名の政治家を送るころには、日本からの逃避が金持層や国際的に進出している企業に起こるのではないかと思う。(以上、素人の意見として読み飛ばしてください。)

補足:
1)日韓基本条約では、韓国を朝鮮半島唯一の政権としている。その部分の修正が、日朝基本条約を締結する場合必須となる。
2) 「国会答弁ではしっかりと役人が作った原稿を読む」と記者会見で言った。冗談ではなく、本当にそう言ったのである。そのような大臣が日本には存在するのだ。これは安倍総理が作った奇跡である。http://news.tv-asahi.co.jp/news_politics/articles/000107134.html

2017年8月7日月曜日

戦争の悲惨さを強調する新聞の知的退廃

1)今朝の読売新聞の一面には、北朝鮮への国連制裁決議、広島原爆忌、戦争文学「野火」の映画化作品が紹介されている。

国連安保理の北朝鮮制裁決議には、北朝鮮からの石炭と鉄鉱石の輸入禁止が盛り込まれたが(補足1)、北朝鮮への石油の輸出禁止は盛り込まれなかった。中国とロシアも賛成出来るように工夫されていたのだが、国連は北朝鮮が何処に軟着陸すべきかという着地点は与えていない。軟着陸は米国等の視野にはないのかもしれない。その指摘などは一切記事の中にはない。

「話会う前に武器を捨てろ」と国連(米国)は言う。しかし「武器を捨てれば、話の前に滅ぼされる」と北朝鮮が言う。この延長上に解決など見えない。戦前の日本に例えれば、くず鉄禁輸の段階なのだろう。

広島原爆忌についての記事は以下の様である:平和記念公園で平和記念式典が開かれ、約5万人の参列者が犠牲者を悼んだ。松井広島市長は、各国政府に対し核兵器の非人道性(補足2)を認識した上で「共に生きるための世界をつくる責務」を自覚するように求め、核兵器禁止条約の重要性を訴えた。

そもそも、兵器を作らないことで、この地球上で全ての人が共に生きることが可能になると、市長は考えて居るのだろうか? 戦争とは、単に人間の悪が為したことだと、この人は考えているのだろうか?

何故、米国の原子爆弾による無防備な一般都市の破壊と、市民の大量無差別殺害の記念式典を、平和記念式典と呼ぶのだろうか? 原爆の犠牲者になった人たちのお陰で、平和な世の中になったことを、記念する式典だというのだろうか? 

映画「野火」の概略と作者へのインタビューは、六面に続く形で掲載されている。映画「野火」は大岡昇平原作の小説を映画化したものである。戦争末期、フィリピン・レイテ島で、日本軍は米軍の攻撃(反撃)で総崩れとなった。補給のない状態で、生きる日本兵の悲惨な姿を描く。飢餓の中で、生き残る為に人肉食まで行う光景を描いているのだという。

毎年8月になると、この種の映画の上映など反戦行事が多くなる。戦争の悲惨さを訴える記事や評論なども増加する。私は、文学作品の評価とは別に、この現象に政治的プロパガンダの匂い感じる。

2)一面全体を通して、戦争を単純に悪とし、それを平和の対義語のように用いる単純さには、強い違和感を感じる。私には戦争を賛美する気持ちなど全く無い。しかし、我々現代に生きる人間は戦争における勝者の子孫であり、戦争を避けた民族の子孫ではないという冷厳な事実を、現代人は先ず理解すべきである。(補足3)

「野火」の中で紹介されている悲惨な光景には、戦争、飢餓、人肉食の3つの要素がある。戦争は舞台であるが、その悲惨さの責任全部を戦争に押し付けることは出来ない。それは、原爆で焼き殺された広島の人たちが、原爆だけにその責任を押し付けることが出来ないのと同じである。そして、「野火」の悲惨な世界を戦争の責任とし、広島の悲惨な戦禍を原爆の所為にして利用する、政治プロパガンダには気をつけるべきである。

戦争は悲惨であり絶対に避けねばならないと宣伝する人たちは、詳細且つ冷徹な戦争の分析とそこから真理を導き出すことを拒否するのだろう。太平洋戦争の悲惨な結末の原因となった、海軍陸戦隊や関東軍による中国侵略を明らかにされたくない人達も居るだろう。また、何故負けることが分かっている対米戦争を始めることになったのか、その原因分析を嫌う人たちも居るかもしれない。

「真理は細部に宿る」という言葉がある。詳細に検討した結果、今までの善人が悪人に、悪人が善人になる可能性があることを恐れていいるからかもしれない。単純な善人は、そのような緻密な思考力を持つ悪人に利用されることがある。太平洋戦争では、海軍の米内光政や山本五十六が善人として取り扱われている。しかし、話は逆であり、その背後に巨大な権力が存在すると言う人がいる。(補足4)

また、原爆の惨禍を記念する式典において、原子爆弾そのものを攻撃する(ひたすら核兵器廃絶法案の成立を主張する)人たちは、核兵器の拡散を防止することで、単純に平和に貢献していると思う人が大半だろう。しかし、それは核保有国の特権を守るために働いていることになり、その特権を守るべく働いている人たちに使われているのかもしれないと考えるべきである。

戦争全体を記述しないで、その中の一つの戦いの悲惨な光景をまるで顕微鏡で拡大する様に記述したものやその映像は、それを評価できる準備の出来た人、つまり戦争全体に一定の知識を持つ人のみに公開されるべきだろう。

一般に公開すれば、全体に知識のない人はそこから安易に結論を導き出すかもしれない。そして、その結論は別の部分の詳細な分析から、安易に導き出した結論と正反対かもしれないからである。それは、悲惨な殺人現場や、専門的な外科手術などの映像を一般に公開しないのと同じである。

補足:
1)北朝鮮に輸出を禁止するという制裁なのかどうか、原文がないのでわからない。つまり、北朝鮮への輸出禁止なら、北朝鮮が国連決議に反して(国連からの除名を覚悟で)輸出した石炭や鉄鉱石を中国が買うことは可能になる。制裁を実効性の有るものにするためには、国連加盟国が北朝鮮から石炭や鉄鉱石を買うことの禁止である。
2)この米国による原爆攻撃は、ハーグ陸戦条約の付属規則の23条(残忍兵器の禁止)や25条(都市、集落、建物の砲撃など禁止)に違反するというような指摘は、新聞には殆ど書かれない。
3)人間の歴史には、経済的困難による領土争いが日常的に存在した。それらのかなりの部分は、当事者間の平和裏の話合では解決不可能であった。その時、兎も角前進するために戦争で決着を付けることが屡々あった。その多くの戦争の経験から、戦争において犠牲者を最少にするために戦時国際法が出来た。ハーグ陸戦条約などである。
3)副島隆彦著「仕組まれた昭和史」参照。

2017年8月5日土曜日

東京裁判(NHK)再放送を見た:東京裁判という茶番

1)NHKスペシャルで放送された東京裁判の第二話(再放送)を見た。そこで、ウェップ裁判長以下11名の判事が「侵略の罪」について、敗戦国日本の政治家個人を裁けるのかという議論がなされていた。

インドのパール判事の「侵略の罪」で個人を裁くことなどできないという主張は最初孤立していたが、やがてオランダのレーリンク判事もその意見に同意するようになる。話は第3話で完結するのだろうが、良い機会を与えられたので、以下に私の東京裁判に関する考えを記す。

結論を言えば、この裁判は法的論理性を確保しながら報復したいという、戦勝国のエゴにより為された戦争の延長戦であると考える。つまり戦勝国は正義の戦争に勝ったのだという歴史を作りたいと考えて、帰って汚点を歴史に残したと言えるだろう。

この時代までの戦争に関する国際条約として、ハーグ陸戦条約(補足1)とパリ不戦条約(補足2)があった。「侵略の罪」とはパリ不戦条約に対する違反である。日本国による中国への侵略行為が、パリ不戦条約違反ということで起こったのがあの戦争であった。つまり、パリ不戦条約違反に対する国際的制裁があの戦争であり、その結果が日本の敗戦であった。

そして、日本の領土はポツダム宣言に書かれたように日本列島に限定され、併合していた朝鮮と台湾は剥ぎ取られることになった。不戦条約はそこで役割を終わった筈であり、その時の侵略を指揮した軍人や政治家個人を裁くことが可能な罪があったとすれば、それを裁くのは日本国であり、連合国ではない。

つまり、国際法は本質として各批准国の法律に基づいて履行されるものである。そして、批准国の国内法よりも高位に存在する訳ではない。(補足3)この点が、東京裁判が茶番であるという根拠であると思う。

これらの国際条約は、独立した国家群をメンバーとする“国際社会”で制定された条約であり、その履行を要求する相手は国家であり、加盟国の個人ではない。つまり、国際条約を根拠にしてある国の個人を処罰することなど、不可能なことは素人でもわかることである。

敗戦国である他国の個人を裁判の振りをして殺すのは、紳士的体裁を取り繕った報復である。こんなことを長々と議論する、各国のエリートたちの頭の中は一体どうなっているのだろうか。

2)東京裁判に関する考えは以上であるが、一言追加したい。

①パリ不戦条約は、理想論を述べただけであり、恣意的に適用されるのは目に見えている。20世紀に入り、戦争が野蛮化したのはこの条約の所為であるか、戦争の野蛮化のプロセスの一環として存在するかのどちらかだろう。

②ハーグ陸戦条約の違反行為である捕虜虐待なども国際軍事法廷で裁かれている。これも、A級犯罪とされるケース同様に、他国が裁く権利などない。もし、他国がさばくことができたのなら、その後の残虐行為を行なったとする中国や韓国の日本批判は根拠が無い筈である。それは、同罪で二度裁くことになるからである。

③日本国は国体護持という希望がマッカーサー(米国)により認められ(補足4)、新しい憲法も大日本帝国憲法の改正する形をとった。ただ、連合国の東京裁判が根拠のないものと考えるのなら、日本国独自に戦争に至った経緯と、その際犯罪的行為があったのならその処罰をすべきであったが、何もしていない。  兎に角、何もかもむちゃくちゃである。

補足:


1)ハーグ陸戦条約は、1899年にオランダ・ハーグで開かれた第1回万国平和会議において採択された「陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約並びに同附属書「陸戦ノ法規慣例ニ関スル規則」のこと。1907年第2回万国平和会議で改定され今日に至る。

交戦者の資格として、指揮官が存在し、公然と兵器を携帯し、徽章(バッジなど)をつけていること、戦争法規を遵守していることを規定。また、捕虜は敵政府の権内に属し、捕らえた個人や部隊に属さない。捕虜は、人道をもって取り扱うこと。更に、毒を兵器に使うこと、不必要な苦痛を与える兵器などを用いないことなどが規定されている。 この根底に、戦争を外交の延長と考える文化が存在する。

2)パリ不戦条約:第一次世界大戦後(1928年)に締結された多国間条約で、国際紛争を解決する手段として、締約国相互での戦争を放棄し、紛争は平和的手段により解決することを規定した条約。

第一条:締約国は国際紛争解決の為戦争に訴えることを非とし、且つ、その相互関係において国家の政策と手段としての戦争を放棄することを、その各自の人民の名において厳粛に宣言す。
第二条:締約国は、相互間に起こることあるべき一切の紛争又は紛議は、その性質又は起因の如何を問わず、平和的手段によるのほか、これが処理又は解決を求めざることを約す。(一、二条は、旧文体を平仮名表示にしたもの。句点は追加。)
第三条:批准は憲法の要件に従い行う。他国の加入に関して条約をオープンにしておく。批准書等は米国が管理する。(三条は要点のみ)

https://ja.wikisource.org/wiki/%E6%88%B0%E7%88%AD%E6%8A%9B%E6%A3%84%E3%83%8B%E9%97%9C%E3%82%B9%E3%83%AB%E6%A2%9D%E7%B4%84

3)国際法が国内法よりも高位の法になるのは、世界連邦ができた時である。つまり、世界連邦の司法と警察が整備され、有効に機能する時である。この番組映画でも、インドのパール判事はそのような発言をしている。

4)ポツダム宣言を受諾した上での降伏であるから、一応条件付き降伏である。しかし、米国国務省は国家元首たる天皇を処刑すべきだと考えた。マッカーサーが反対しなければ、国民だけでなく元首さえ殺される可能性があった。完全に占領されて国家主権がなかったのだから、所謂降伏とは言い難い。ほとんど国家が消滅したと考えなければ説明がつかない。逆に、日本国が継続的に存在していたと考えるのなら、東京裁判は日本国から見れば連合国による犯罪行為になるだろう。(ハーグ陸戦条約に付属する規則43条違反である。)

以上、素人の意見です。コメント歓迎します。

2017年8月3日木曜日

太宰治「人間失格」の感想

この小説は、作者太宰治の経歴を考えると著者自身の生涯がモデルだと思われ、単なる作り話ではなさそうである。つまり、読む気がしないタイプの小説だが、モデルがあるとすると、ある種重要な問題を我々に投げかけているに違いない。最後まで読んで考えても、どうしても非現実的に思えるのだが、それが現実ならどう解釈するかを無理矢理考えてみた。(補足1)

1)人間は、野生の本能を持つが、社会という人工的な空間でも生きる能力を持つ。その二つの能力を一定のバランスを保って持つ必要がある。そのバランスが欠けると、人の作る人工的空間で窒息したり溺れたりするのではないだろうか。この小説は後者の溺れるタイプの人間を描いていると思う。

人が高度な社会を作って生きるプロセスに伴い、他人との間に潤滑油的な空気をつくる能力を持つ様になったと思う。その人の間の特有の空気は、野生としての人の行動を制御する。これら社会を作る能力と動物としての能力の両方のバランス点は、民族により異なる。つまり、極端な言葉を使えば、野生人の家畜化のレベルは民族文化の一部であると思う。

人は、その社会化を受ける性質を遺伝子的に持っていて、それは民族により異なるだろう。それに加えて社会化教育のレベルも方向も、民族に固有のものだろう。この個人の社会的性質と民族の文化は互いに協奏的でなければならない。そうでないと、個人はその社会で浮き上がってしまう。

「人間失格」の主人公は、特有の性質と幼少期の環境等により、日本という社会的規制の多い社会で浮き上がったというか、不適応となったのだろう。ただ、通常の場合よりも病的なほどの不適応状態だったと思う。

私の想像だが、日本民族は家畜化されやすい性質を強く持っているのではないだろうか。それが社会と協奏的であるという上記の考察から、日本ほど社会的規制の強い国(民族)は無いだろうと思う。つまり、「人間失格」の様な小説は外国には無いのではと想像する。(補足2)

2)この小説で、主人公は非常に自堕落な性格である。その原因として、人並み外れた知性と容貌、それに恵まれた家庭経済、末っ子であり自分の周りの空間は常に自分自身のために存在するという状況などにより、欠乏や失敗とそれに伴う教育がない幼少期を送ったことが考えられる。

その結果、人からの認知欲求、知識欲など、全てにおいて幼少時に十分形成されなかったのではないだろうか。人の目は常に自分に注がれており、知識は努力などなしに、自然に頭に流れ入ってくる。不足のない日常は食欲さえ忘れる生活だったのだろう。

大人たちの性質、訓練を経て得た処世術なども、全て並外れた知性の主人公には丸見えである。その結果、人間一般を侮蔑する様になり、やがて自分自身の疎外感にまで発展してしまったようだ。

その疎外感により出来てしまった他人との間の溝を埋めるために、主人公が得た技術が道化なのだろう。その道化による人気、優れた学業による尊敬の目、優れた容貌による女性の憧憬など、全ては内向的な主人公には他人との深い溝と感じられたようである。

その中で得たと思われた安らぎは、同程度に世間の規格からずれた女性や、無垢で無防備と感じる少女との同棲や結婚生活だったのだと思う。しかし、幸せの感覚は、結婚した少女の優れた包摂的性格が招いた“裏切り”、或いは彼女の知り合い男性による“犯罪的事件”なのか(補足3)わからない出来事により、脆い性格でもあった主人公の人生と供に、破壊されてしまった。

そのような感想をもった。

補足:
1)短編小説であることと、書きにくい内容なので、あらすじは書かなかった。
2)あまり小説を読まないので、これは理系人間の勝手な解釈の可能性があります。詳しい方のご教授をいただきたい。
3)現場を偶然覗き見た友人もどきの堀木の証言は、「電気がついたままで、二匹の動物がいました」とあったことから、裏切りである。

2017年8月2日水曜日

安倍総理は北朝鮮問題の解決に一肌脱ぐべきか?

一昨日の午後3時頃のテレビ番組ゴゴスマで、田原総一朗氏が安倍総理と会って、“政治生命をかけてみないか”と話したと報道された。それが何かということは当然極秘であるが、何人かのコメンテーターが推理していた。そこで最も多かったのが、北朝鮮の電撃訪問であった。この意見に私も賛成であったが、その後30分程後にテレビ局の要請で出席した田原氏自身は、その推理をほぼ否定する発言をした。その際、田原氏は「そんなことは安倍さんの周りでは誰でも考えている」と発言した。しかし、やはり安倍総理に話したこととは、拉致問題解決に動くことと、それを切掛に利用した米国と北朝鮮との和平の仲介だと思う。そこで、それについて考えてみた。尚、筆者は政治の素人ですので、適当に読み飛ばしてください。

1)現在、米国と北朝鮮のチキンレースが、最終地点に全面的な戦争(第三次世界大戦)を見ながら進められているように思う。当然のことだが、両方終着地点は望まない。相手方がギブアップして呉れることを期待しながら、他に方法を持たずにそれを続けている。終着点では、数十万人レベル以上の死者がそれぞれ北朝鮮国民、日本国民と韓国民、そして千人規模の米国軍人とその家族からでる可能性が高い。

ただ、一般市民の命の値段は米国、日本、韓国では高いが、北朝鮮では安いので、最終点到達までの損害のバランスが北朝鮮有利なため、核兵器搭載型のICBMまで開発を進めることが出来る。(補足1)“終末時計”の針は北朝鮮が進めている。トランプ大統領は100日間の間に何とか出来ないかと中国の習近平に貿易不均衡での攻撃猶予の条件をつけて依頼したが、それが成功するとは思っていなかっただろう。

米国の諜報機関は、中国内部を完全掌握していないと言われる習近平の情況を知っていると思う。江沢民派が北部戦区で強いため、制裁が自由にできないのだろう。(河添恵子氏:https://www.youtube.com/watch?v=7t2A5TVruW0&t=918s

ロシアは米国との経済関係が薄く(政治関係は当然敵対)、また、米国が北朝鮮と平和条約を早期に結んでおれば、こんなことには成らなかったと考えているのか、経済制裁に協力的ではない。また、経済制裁は北朝鮮の暴発を招くだけだと、ロシアの大統領に言われたら、米国は反論できないだろう。

この様な事態になると、当事国(北朝鮮、米国、韓国、中国、ロシア)だけでは解決は不可能である。そこで、米国と北朝鮮の和平には、仲立ちが必要である。その役割ができるとしたら、どこの国の誰か?その一人として、安倍総理の可能性があると私は思う。安倍総理は現在の日本で、リスクを取って何かをする覚悟と能力のあるほとんど唯一と言っていい政治家である。そして、2002年の小泉政権の時に日朝平壌宣言の締結に関係しており、北朝鮮の事情に詳しい。

また、米国トランプ大統領は選挙戦の時から、アメリカ人が朝鮮半島に関与することを好ましい状況ではないと考えていたのだから、信頼できる第三者が調停役として名乗りを上げれば、話し合いに積極的に応じる可能性がたかい。昨年末に報じられたように、北朝鮮が既に核兵器をミサイルに搭載できるレベルまで小型化しているとすれば、平壌宣言当時のブッシュ政権の時と比べて問題が大きくなっており、米国も問題解決に向けて調停役が現れることは期待していると思う。

北朝鮮もロケット打ち上げで気勢を上げているが、その先に問題の解消が見えている筈はない。どの様に加速度的に軍備を増強しても、米国との実戦には勝てないのだから、できるだけ有利なところで米国と妥協し、現在の体制保障と国家の承認を得るべく、平和条約締結を考えている筈である。

もし、米国が中心になり、北朝鮮の基地攻撃などを強行すれば、何十万人という死者が韓国、日本、米軍関係者で出るだろう。そのような強硬手段をとる理由もメリットもない。(万が一中国が参戦することになれば、第三次世界大戦となる。)ただ、北朝鮮を米国が承認するまで話が進んだ場合、韓国と北朝鮮との関係、さらに米韓同盟をどうするのか、更に日米同盟にも影響がでるだろう。

それら全てを考えた上で、安倍総理が特使を北朝鮮に送ることを手始めにして、米国と北朝鮮の間の軟着陸を成し遂げることができれば、全ての関係国にとって差し当たりは、大きな成果となると思う。

2)朝鮮戦争は東西冷戦の残り(remnant)の一つである。東西冷戦の東側とはソ連と中国であり、その東西の極東での境界が朝鮮半島の38度線近くの国境であった。西側の覇権国である米国が、日本と韓国に基地を持つ理由として朝鮮戦争があったと考える。

東西冷戦が終結したあとに、依然として中国やロシアと米国は仮想敵国の関係にあるので、未だに在韓米軍や在日米軍には類似の存在理由が存在する。北朝鮮との平和条約の締結は、この地域での冷戦の残りの消滅と米国軍事力の急激な東方へのシフトを伴うと考えられる。(補足2)

それは、現在の日本の周りに存在する準安定なバランスを崩し、日本にとって重大な結果を招く可能性があると思う。日本は、東西冷戦などではなく、第二次世界大戦の重大な後遺症に、始めて直面する可能性がある。例え話を用いれば、家畜化されてしまった動物である日本の飼い主が、突然何処かに去り、野生を取り戻すか死かの境目を放浪することになると思う。それは、丁度南極大陸に取り残された太郎と次郎の境遇とも言える。

喩え話から元に話をもどす。日米安全保障条約は日本への第三国の軍事的侵略を防止する上で、現在不可欠である。しかし、日本が独自軍を未だ十分な形で保持していない現在、北朝鮮と米国との講和条約、更に、日本と北朝鮮との基本条約と一定の経済協力などを取り決める付属協定の締結は、上述のプロセスにより日本にとって非常に危険な、歴史の急激な変化を伴う可能性があり、それを心配するのである。

米国と北朝鮮の国交を開くことが出来れば、周辺諸国の差し当たりの被害は最小に抑えられるだろう。しかし、それと同時に日本独自の国防体制を、米軍の沖縄等日本国内基地からの撤収が早くなる分だけ、早期に整える必要がある。それが出来ないのなら、調停工作などは諦めて見守るだけの方が良いかもしれない。

3)現在の緊密な日米関係は、戦後の吉田茂とマッカーサーの間で構築されたと思う。しかし、日本国はその過程で未だ十分習得していなかった国民国家の体制を完全に失ってしまったと思う。

それは、明治維新の革命が薩長の下級武士や京都の貴族らにより独自に達成されたものではなく、英国等からの支援と教示により為され、自分のものとなっていなかったことと関係する。その後の民主化の動きも西洋の真似に過ぎなかったと思われる。つまり、もし独自革命の後明治憲法をつくって国家体制を整えたのなら、その憲法の弱点である権力の在処が明確でないという箇所を、早期に修正していたはずである。(補足3)

占領軍の司令長官である、ダグラス・マッカーサーが解任されて米国に帰国する際、20万人の民衆が沿道に出て見送り、時の総理大臣はまるで親父か親友が去ってしまうような声明を出した。本来なら、外交辞令的な見送りがふさわしい筈である。この現象一つとっても、日本の国家としての基本的遺伝子が喪失していることを明確に示している。

マッカーサーは日本の戦後復興を助けてくれたことは事実であると思う。しかし、アメリカの国益にかなった国家の建設が目的であったと知っていたのなら、つまり独立国家としての遺伝子を保持していたのなら、平和条約の後直ちに憲法を改正していただろう。マッカーサーの日本人に対する高い評価が全てを語っている。マ将軍は、日本を大人としてでなく、学校の生徒レベルに見て評価したのである。(補足4)

日本はこの100年間、成長していないし、マッカーサー帰任後65年間経っても、12歳以上にはなっていない。日米安全保障条約は、日本の防衛にとって必須であるが、それは米国にとっては「瓶の蓋」でもあることも米国の将軍から聞いて知る始末である。http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK0302S_Z00C12A2000000/ 米国が日本に軍事基地を置くことには、二重三重の意味があることすら、日本の代議士連中は知らないだろう。

補足:
1)命の値段という表現は不謹慎かもしれないが、それを承知の上で話をわかりやすくするために用いた。ここでの意味は、一般市民の死亡に対する為政者の認識の程度である。独裁国家での一市民の命は軽い(安い)が、民主国家の米国等では、国民は無駄に兵士の命が亡くなることを許さない。民主国では、”Remember the Main!"とか”Remember Pearl Harbor”と国内プロパガンダで、怒りによる民族意識の高揚(醸成)を利用して、人命の値段を下げる。勿論、為政者本人がつける本人の命の値段は非常に高いので、第二次大戦のような戦争になれば、命を失うのは北朝鮮の為政者の方である。和平後の北朝鮮国内での金正恩の政権維持のプロセスが分かり易く説明できれば、仲介は成功すると思う。
2)ヨーロッパ諸国はエドワード・ルトワック氏の考え方「戦争にチャンスを与えよ」と思って見ているだろう。我々は「戦争にチャンスを与えてはならない」であり、そのためには日本人の覚醒(§3を参照)と米国の決断の二つが同時に成立しなければならない。https://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43331789.html

3)既に米国海兵隊は沖縄からガム島へ一部移転することが決定している。
4)天皇を国家元首とするのは、明治維新の時には薩長の下級武士たちにとって必須であった。しかし、体制が完成し、下級武士も明治の元勲となる風格を持った時には、象徴天皇制にするべきであったと思う。
5)http://www.nybooks.com/articles/1999/10/21/macarthurs-children/
If the Anglo-Saxon was say 45 years of age in his development, in the sciences, the arts, divinity, culture, the Germans were quite as mature. The Japanese, however, in spite of their antiquity measured by time, were in a very tuitionary condition. Measured by the standards of modern civilization, they would be like a boy of twelve as compared with our development of 45 years.
アングロサクソンが、科学、芸術、神学、文化の発展において45歳と言えば、ドイツ人はかなり成熟していました。 しかし、日本のそれらは時代が古いにもかかわらず、未だ将に授業中の段階でした。 現代文明の基準によって測ると、私たちの発展段階が45歳だとすると、彼らの(文明)は12歳の少年に喩えられるでしょう。