一昨日の午後3時頃のテレビ番組ゴゴスマで、田原総一朗氏が安倍総理と会って、“政治生命をかけてみないか”と話したと報道された。それが何かということは当然極秘であるが、何人かのコメンテーターが推理していた。そこで最も多かったのが、北朝鮮の電撃訪問であった。この意見に私も賛成であったが、その後30分程後にテレビ局の要請で出席した田原氏自身は、その推理をほぼ否定する発言をした。その際、田原氏は「そんなことは安倍さんの周りでは誰でも考えている」と発言した。しかし、やはり安倍総理に話したこととは、拉致問題解決に動くことと、それを切掛に利用した米国と北朝鮮との和平の仲介だと思う。そこで、それについて考えてみた。尚、筆者は政治の素人ですので、適当に読み飛ばしてください。
1)現在、米国と北朝鮮のチキンレースが、最終地点に全面的な戦争(第三次世界大戦)を見ながら進められているように思う。当然のことだが、両方終着地点は望まない。相手方がギブアップして呉れることを期待しながら、他に方法を持たずにそれを続けている。終着点では、数十万人レベル以上の死者がそれぞれ北朝鮮国民、日本国民と韓国民、そして千人規模の米国軍人とその家族からでる可能性が高い。
ただ、一般市民の命の値段は米国、日本、韓国では高いが、北朝鮮では安いので、最終点到達までの損害のバランスが北朝鮮有利なため、核兵器搭載型のICBMまで開発を進めることが出来る。(補足1)“終末時計”の針は北朝鮮が進めている。トランプ大統領は100日間の間に何とか出来ないかと中国の習近平に貿易不均衡での攻撃猶予の条件をつけて依頼したが、それが成功するとは思っていなかっただろう。
米国の諜報機関は、中国内部を完全掌握していないと言われる習近平の情況を知っていると思う。江沢民派が北部戦区で強いため、制裁が自由にできないのだろう。(河添恵子氏:https://www.youtube.com/watch?v=7t2A5TVruW0&t=918s)
ロシアは米国との経済関係が薄く(政治関係は当然敵対)、また、米国が北朝鮮と平和条約を早期に結んでおれば、こんなことには成らなかったと考えているのか、経済制裁に協力的ではない。また、経済制裁は北朝鮮の暴発を招くだけだと、ロシアの大統領に言われたら、米国は反論できないだろう。
この様な事態になると、当事国(北朝鮮、米国、韓国、中国、ロシア)だけでは解決は不可能である。そこで、米国と北朝鮮の和平には、仲立ちが必要である。その役割ができるとしたら、どこの国の誰か?その一人として、安倍総理の可能性があると私は思う。安倍総理は現在の日本で、リスクを取って何かをする覚悟と能力のあるほとんど唯一と言っていい政治家である。そして、2002年の小泉政権の時に日朝平壌宣言の締結に関係しており、北朝鮮の事情に詳しい。
また、米国トランプ大統領は選挙戦の時から、アメリカ人が朝鮮半島に関与することを好ましい状況ではないと考えていたのだから、信頼できる第三者が調停役として名乗りを上げれば、話し合いに積極的に応じる可能性がたかい。昨年末に報じられたように、北朝鮮が既に核兵器をミサイルに搭載できるレベルまで小型化しているとすれば、平壌宣言当時のブッシュ政権の時と比べて問題が大きくなっており、米国も問題解決に向けて調停役が現れることは期待していると思う。
北朝鮮もロケット打ち上げで気勢を上げているが、その先に問題の解消が見えている筈はない。どの様に加速度的に軍備を増強しても、米国との実戦には勝てないのだから、できるだけ有利なところで米国と妥協し、現在の体制保障と国家の承認を得るべく、平和条約締結を考えている筈である。
もし、米国が中心になり、北朝鮮の基地攻撃などを強行すれば、何十万人という死者が韓国、日本、米軍関係者で出るだろう。そのような強硬手段をとる理由もメリットもない。(万が一中国が参戦することになれば、第三次世界大戦となる。)ただ、北朝鮮を米国が承認するまで話が進んだ場合、韓国と北朝鮮との関係、さらに米韓同盟をどうするのか、更に日米同盟にも影響がでるだろう。
それら全てを考えた上で、安倍総理が特使を北朝鮮に送ることを手始めにして、米国と北朝鮮の間の軟着陸を成し遂げることができれば、全ての関係国にとって差し当たりは、大きな成果となると思う。
2)朝鮮戦争は東西冷戦の残り(remnant)の一つである。東西冷戦の東側とはソ連と中国であり、その東西の極東での境界が朝鮮半島の38度線近くの国境であった。西側の覇権国である米国が、日本と韓国に基地を持つ理由として朝鮮戦争があったと考える。
東西冷戦が終結したあとに、依然として中国やロシアと米国は仮想敵国の関係にあるので、未だに在韓米軍や在日米軍には類似の存在理由が存在する。北朝鮮との平和条約の締結は、この地域での冷戦の残りの消滅と米国軍事力の急激な東方へのシフトを伴うと考えられる。(補足2)
それは、現在の日本の周りに存在する準安定なバランスを崩し、日本にとって重大な結果を招く可能性があると思う。日本は、東西冷戦などではなく、第二次世界大戦の重大な後遺症に、始めて直面する可能性がある。例え話を用いれば、家畜化されてしまった動物である日本の飼い主が、突然何処かに去り、野生を取り戻すか死かの境目を放浪することになると思う。それは、丁度南極大陸に取り残された太郎と次郎の境遇とも言える。
喩え話から元に話をもどす。日米安全保障条約は日本への第三国の軍事的侵略を防止する上で、現在不可欠である。しかし、日本が独自軍を未だ十分な形で保持していない現在、北朝鮮と米国との講和条約、更に、日本と北朝鮮との基本条約と一定の経済協力などを取り決める付属協定の締結は、上述のプロセスにより日本にとって非常に危険な、歴史の急激な変化を伴う可能性があり、それを心配するのである。
米国と北朝鮮の国交を開くことが出来れば、周辺諸国の差し当たりの被害は最小に抑えられるだろう。しかし、それと同時に日本独自の国防体制を、米軍の沖縄等日本国内基地からの撤収が早くなる分だけ、早期に整える必要がある。それが出来ないのなら、調停工作などは諦めて見守るだけの方が良いかもしれない。
3)現在の緊密な日米関係は、戦後の吉田茂とマッカーサーの間で構築されたと思う。しかし、日本国はその過程で未だ十分習得していなかった国民国家の体制を完全に失ってしまったと思う。
それは、明治維新の革命が薩長の下級武士や京都の貴族らにより独自に達成されたものではなく、英国等からの支援と教示により為され、自分のものとなっていなかったことと関係する。その後の民主化の動きも西洋の真似に過ぎなかったと思われる。つまり、もし独自革命の後明治憲法をつくって国家体制を整えたのなら、その憲法の弱点である権力の在処が明確でないという箇所を、早期に修正していたはずである。(補足3)
占領軍の司令長官である、ダグラス・マッカーサーが解任されて米国に帰国する際、20万人の民衆が沿道に出て見送り、時の総理大臣はまるで親父か親友が去ってしまうような声明を出した。本来なら、外交辞令的な見送りがふさわしい筈である。この現象一つとっても、日本の国家としての基本的遺伝子が喪失していることを明確に示している。
マッカーサーは日本の戦後復興を助けてくれたことは事実であると思う。しかし、アメリカの国益にかなった国家の建設が目的であったと知っていたのなら、つまり独立国家としての遺伝子を保持していたのなら、平和条約の後直ちに憲法を改正していただろう。マッカーサーの日本人に対する高い評価が全てを語っている。マ将軍は、日本を大人としてでなく、学校の生徒レベルに見て評価したのである。(補足4)
日本はこの100年間、成長していないし、マッカーサー帰任後65年間経っても、12歳以上にはなっていない。日米安全保障条約は、日本の防衛にとって必須であるが、それは米国にとっては「瓶の蓋」でもあることも米国の将軍から聞いて知る始末である。http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK0302S_Z00C12A2000000/
米国が日本に軍事基地を置くことには、二重三重の意味があることすら、日本の代議士連中は知らないだろう。
補足:
1)命の値段という表現は不謹慎かもしれないが、それを承知の上で話をわかりやすくするために用いた。ここでの意味は、一般市民の死亡に対する為政者の認識の程度である。独裁国家での一市民の命は軽い(安い)が、民主国家の米国等では、国民は無駄に兵士の命が亡くなることを許さない。民主国では、”Remember the Main!"とか”Remember Pearl Harbor”と国内プロパガンダで、怒りによる民族意識の高揚(醸成)を利用して、人命の値段を下げる。勿論、為政者本人がつける本人の命の値段は非常に高いので、第二次大戦のような戦争になれば、命を失うのは北朝鮮の為政者の方である。和平後の北朝鮮国内での金正恩の政権維持のプロセスが分かり易く説明できれば、仲介は成功すると思う。
2)ヨーロッパ諸国はエドワード・ルトワック氏の考え方「戦争にチャンスを与えよ」と思って見ているだろう。我々は「戦争にチャンスを与えてはならない」であり、そのためには日本人の覚醒(§3を参照)と米国の決断の二つが同時に成立しなければならない。https://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43331789.html
3)既に米国海兵隊は沖縄からガム島へ一部移転することが決定している。
4)天皇を国家元首とするのは、明治維新の時には薩長の下級武士たちにとって必須であった。しかし、体制が完成し、下級武士も明治の元勲となる風格を持った時には、象徴天皇制にするべきであったと思う。
5)http://www.nybooks.com/articles/1999/10/21/macarthurs-children/
If the Anglo-Saxon was say 45 years of age in his development, in the sciences, the arts, divinity, culture, the Germans were quite as mature. The Japanese, however, in spite of their antiquity measured by time, were in a very tuitionary condition. Measured by the standards of modern civilization, they would be like a boy of twelve as compared with our development of 45 years.
アングロサクソンが、科学、芸術、神学、文化の発展において45歳と言えば、ドイツ人はかなり成熟していました。 しかし、日本のそれらは時代が古いにもかかわらず、未だ将に授業中の段階でした。 現代文明の基準によって測ると、私たちの発展段階が45歳だとすると、彼らの(文明)は12歳の少年に喩えられるでしょう。
0 件のコメント:
コメントを投稿