今朝の時事放談のゲストは武村正義氏と石破茂氏であった。6時15分頃、この番組のことを思い出して久しぶりにテレビのスイッチをいれた。そこで、トランプ大統領の白人至上主義を批判しなかったというテレビ報道の件について、少し議論があった。
武村正義氏の話は、マスコミ報道と同様、リー将軍の銅像撤去に反対するグループのデモと、そのデモを批判する人たちの衝突を、”白人至上主義”を周ってそれに賛成するグループと反対するグループの衝突に、完全に取り違えている。マスコミの取り違いは作為的であるが、武村氏はそれを一片の疑いも持たずに受け入れている。
この問題把握の段階で間違ったのでは話にならない。トランプ氏が両方共悪いといったのは、その歴史的な記念物に対する姿勢に関する両派の衝突を言ったのだが、それが全く判っていないのである。勉強も新聞の読み込みも十分していないのか、或いは武村氏個人の知性の問題なのか、どちらかだろう。
一方、石破茂氏は、一度もあって話をしたことがないので批判する立場にないがと前置きして、間接的なトランプ批判を行った。その根拠として上げたのが、トランプ氏が大統領になった時の演説に、歴代の大統領就任演説に必ずあった「自由とか平等とかの言葉」(オバマ氏が好きな言葉)が無かったということである。トランプ大統領になんとなく違和感を感じたと発言して、武村氏の発言に一定の配慮を行った。
この件に関して、米国共和党高官らが武村氏と同様に反応しているのは、政治的な態度であり、沈没船からは逃げた方が得だというポピュリズムの時代の政治家の行動であると思う(補足1)。日本の政治家はもう少し客観的に発言できる立場にあるが、それでも現職の政治家は慎重でなくてはならない。石破氏の発言は、敢えて直接的なコメントを避けている風に見えた。
一方、武村氏は既に退職していて、自由な立場にあるのだから、純粋に自分の意見を述べる事ができる。それでも、上記のような発言に終わるのは、この方には知性が欠けているということになる。その程度の知性と予備知識でテレビに出演するのは、止めてもらいたいものだ。
南北戦争の時の南軍の英雄であったリー将軍の銅像撤去問題と今回の騒動についての議論は、昨日のこのブログサイトに掲載しているので、そこを見て欲しい。まあ、何時もながらこの程度の番組なので、スイッチを切った。
補足:
1)人種差別やナチスのユダヤ人虐殺行為については、西欧の政治家は思考の枠外に追放しようとする姿勢がある。「大衆の気持ちの揺れ」をまるで怪獣の様に恐れ観測するのが、西欧の政治家として生きるイロハなのかもしれない。その件について、2年ほど前に考察したことがある。https://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42302353.html
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