1)日本は情報分析が苦手な国である。
人も国も、行動の基本パターンは、「情報を得て解析し、それに基づいて戦略や戦術を立てて行動する」というものである。全ての行動を、「戦いとそれにおける勝敗」でモデル化し、「蓄積した勝利の成果の合計」でその人や国を評価するのがわかりやすい。この情報の分析と伝達において、日本は大変弱い国であると思う。その根本原因の一つに、“この世界の事象”に対する理解の広がりと深みにおいて、西欧に劣っていることがあると思う。世界の理解の際に必要な多くの概念は、西欧との交流の際に輸入された。情報という言葉も、明治時代に新たに作られたのである。(補足1)
出来事や物が存在しても、それをそのまま伝達できない場合がほとんどなので、言葉にしなければならない。情報は“伝達すべき物や出来事を言葉へ変換したもの”である。その言葉にする段階で、言語の優劣が決定的に影響する。言語に信頼がある西欧と、言語の出来が悪く言語表現に信頼を置かない東アジアとで大差があると思う。つまり、西欧から多くの概念を輸入してもなお、東アジアでは情報化の段階、情報伝達の段階などにおいて障害を生じやすいのである。
2)太平洋戦争で、日本は適切な戦況分析とそれを生かした戦術が立てられなかったのでは:
たとえば、日米戦争で勝敗の分かれ目として言及されるミッドウエー海戦において、日本海軍は4隻の空母(赤城、加賀、飛龍、蒼龍)を撃沈され大敗したが、それは陸軍には知らされていなかったという(補足2)。その大敗の原因は、南雲長官の采配ミスだったという説がある。しかし、その采配に関する評価も、そして南雲長官自身の評価も全く出来ていない(補足3)。失敗や成功から何も学ぶことができないのである。日本に、情報処理能力において根本的な弱点がある証拠の一つだと思う(補足4)。
陸軍も海軍も日本の勝利のために協力する気持ちは当然ある。しかし、その目的を共有する仲間に自分の失敗を隠す様では、相手に勝てる筈がない。その失敗を今後の戦術に生かすことが出来ないこと、従って失敗を知らせることが仲間から信頼を失うというマイナスの効果しかないこと、などが軍令部には分かっていたのである。失敗を分析し解析し、そこから敵の能力や弱点を見出すということを最初から考えていないのではないだろうか。
最後に蛇足であるが: 仕事において成功や失敗について、評価解析が出来ない社会では、すべての人事はその社会に入った時の成績などできまる。つまり、人の能力に対する評価が高校3年生での成績で決まる。同様に、海軍兵学校の卒業席次が、その後の海軍での出世を、大きなミスがない限り決定するのである。それでは失敗から教訓など得られる筈がない。
補足:
1)有益な解説として次のサイトを紹介したい。
http://www.ncn-t.net/kunistok/1-1-chugoku%5Enihongo-.htm
2)これは「永遠のゼロ」に書いてあった。またネット検索によると、保坂正康「東条英機と天皇の時代(下)の49頁にその記術がある。
3)南雲長官の真珠湾での指揮(第三波攻撃を行わなかったこと)に問題があると、書かれている記事も多い。また、レイテ沖海戦での栗田長官の謎のU-ターンも、ミッドウエーでの輸送船置き去り事件などで、栗田長官の評価が正しく行われていれば防げたかもしれない。
4)「成功と失敗の評価と情報化なんて関係ないだろう」という反論があるかもしれない。しかし、それは全くの間違いである。負けたのが失敗ではない。失敗したから負けたのである。では何故失敗したのか?それを明らかにすることは、自分と相手の能力の解析と数値化など、情報の世界の作業である。
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