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2019年8月10日土曜日

長崎市長の平和宣言に思う:空疎な理想論はいい加減にすべき

1)核兵器廃絶運動というのは、日本政治の標語であるが、現実的な言葉では語られることはない。通常、世界中での核拡散を嘆く、お経か無意味な民謡のように、その言葉は繰り返される。あたかも、祈りを捧げる儀式のようである。その言葉は、あとで山本七平の理論に沿って考察するように、空虚な理想論(空体語)である。

核兵器の不拡散条約は、核兵器を独占するための核保有国の戦略である。何故、かれらが核兵器独占を目指すか? それは世界の覇権国としての利益を確保するためであり、国防のためである。米国の中央銀行であるFRBは、その通貨に利子をつけて、世界の中を循環する「お金」の一部を(悪く言えば)掠め取っているのである。(補足1)勿論、国際決済通貨を供給して、国際間の経済的取引の円滑化に貢献しているという論理は成立する。

日本人は、核攻撃により15万人虐殺されながら、核兵器廃絶運動の先頭に立つという、バカな役回りを演じている。しかも、米国から、例えばドイツなどのように核共有という制度で、核の脅威から自身を守る具体的手段も供給されているわけでもない。

今後、北朝鮮の核兵器廃絶を米国は諦めるだろう。そして、出来れば北朝鮮を米国の友邦として受け入れ、中国やロシアを睨む拠点にしたいと考えているだろう。それは夢想であり実現しないだろうが、日本を北朝鮮の核兵器から守る保障は、口約束以外の何ものでもないだろう。

科学の教える原理は拡散であり、消滅ではない。つまり、人間の力では核兵器の廃絶は出来ない。砂糖水が自然に真水になり、隅に角砂糖が析出するなんて、自然科学の大原則に反する。それと全く同じ状況を核兵器に期待するのは、欧米なら、無知な12歳児でもやらないだろう。

我々が考えるべきなのは、①核兵器の攻撃を受けないこと、②どこかの核保有国の奴隷的国家になったり、国土を取り上げられたり、虐殺されたりしないこと、それに、③核兵器による攻撃を免れることとの引き換えに、大きな経済的負担を強いられないこと、これら三つの実現を如何にして成し遂げるかである。

これを考えれば、究極的な答えは核保有以外に答えはないだろう。ただ、それを成すには、降って湧いた幸運か、遠大な戦略が必要である。(補足2)一方で、空疎な理想論は妨げになる。もし、核保有の準備を始めたら、卑怯者日本という国際的避難と世界的な経済制裁が用意されている筈である。

2)日本人は、非常に社会性の強い民族であり、従って、平均として個人の自立とその人格への投影である利己主義から遠い。問題は、世界はそれを受け入れるほど、豊か且つ平和(安全)ではないということである。日本人の理想は、長崎市長の平和宣言の通りであるが、その実現は現状不可能である。

何故、実現不可能なことを長崎や広島の市長が平和宣言とか言って繰り返すのか? それには日本人独特の文化がある。そのヒントが、上記山本七平の分析による「空体語」という言葉である。

山本七平は、「日本教について」の中で、「実体語」と「空体語」の組み合わせで、何かを主張する日本人(=日本教信者)の習性を指摘した。「実体語」とは現実的な言葉であり、それは、核の脅威とそこからの逃避や防備の言葉だろう。一方の「空体語」とは、実体語ではどうしても解決できない問題についての、理想論で掲げる解決目標である。

つまり日本人は、実現不可能と思われる理想を廃棄するのではなく、標語や宣言文として高く掲げることで擬似的解決として、一種の恍惚感を得て安心するのである。それは問題解決を諦めることの欺瞞的表現である。その標語や宣言文などを山本七平は「空体語」と呼んだのである。

空体語で問題解決から逃避する習慣の原因として、日本語は論理の運びを円滑にできるほど、整備された言語ではないことだと考えて来た(山本七平もそう記述している)。しかし、その考えは修正する必要があると今考えている。日本語でも論理的思考をする上で必要な道具建は存在する。実際にその習慣が日本人の間に広がれば、日本語は自動的に十分な言語に発展するだろう。

日本語よりも問題なのは、日本人の平和ボケ文化であり、そして、結果としての淡白な思考である。その原因は、広い背景から粘り強く思考して解答を見つけるような文化(思考法)を現状持っていないことである。これら言語上の原因と、文化という結果は、相互作用して現在の形となったのだろう。

3)概して平和な島国であったことは、皇室が2000年近く続いたことで証明されている。その歴史的背景もあり、それぞれの専門分野での世襲型の匠を高く評価することで、文化の維持はできた。つまり、各専門分野に日本民族全体から人材を選んで供給し、常に新旧の闘争のある形で、全体力の強化を目指す必要がなかったのである。

その結果、日本にはGeneral(全体分野)が知識を評価する文化がない。司馬遼太郎はその点に着目して、立派なGeneral(将軍)がいないことが戦争に負けた原因の一つだと考えている。https://www.youtube.com/watch?v=sSNV0Mnh-WY&t=1s

Generalの居ない所に、戦略など有り得ない。Generalの居ない所に、難問を解く思考も、それを戦略化する思考も存在しない。全ての難問は理想論を語った標語(山本七平の空体語)として、バスケット(同、空体語バスケット)の中に投げ込むことで擬似的解決のカタルシスに浸ってしまうのである。

現実的な武士の世界が1000年間存在したが、それも「士」という字が示すように専門職であり、Generalなものを目指して居ない。その一部は、薩長新政府として生き残ったものの、そのほかは明治の時代に滅んだのだろう。それが、日本国民全体とは隔離されてヤドカリの宿のごとく、国民とは離れて存在している。一票の格差と地方の利益と絡んだ選挙区制度でそれが温存されていることも、国民は気づくこともない。

歌舞伎は第12代、市川團十郎が活躍し、焼き物は15代柿右衛門が守る。(補足3)政治は、元総理大臣の岸信介から数えても、元衆議院議員の安倍寛から数えても3代目の安倍晋三が受け持っている。次には、第2次若槻内閣で逓信大臣を務めた曽祖父小泉又次郎から数えて4代目の元小泉純一郎総理の次男小泉進次郎が待っている。

そんな下らない政治で、世界の中で今後100年間、日本の立ち位置を見つけることは不可能だろう。
(軽微な編集あり:翌朝)

補足:

1)通貨はもともと金の預かり証である。貸借対照表ではLiabilityつまり負債の項目に入る。負債でありながら利子を取るという恵まれた位置にあるのが、国際決済通貨の米ドルである。それを守る背後に歴然と(目の見える人にしか見えないが)存在するのが、世界一の核攻撃能力である。

2)米国は、過去何度か日本に憲法改正と核武装を勧めたという。(片岡鉄哉、「核武装なき改憲は国を滅ぼす」、ビジネス社、35ページ)米国は自軍の負担軽減を考えたのだが、日本にとっても一人前の国に戻るチャンスであった。それに乗らなかったのは、自民党官僚政治家特に佐藤栄作の無能なところだと思う。

3)日本のお家芸の一つ磁器の製造は、秀吉が高麗や中国から職人を連れ帰った(韓国では拉致という)人たちにより、九州の有田地方(佐賀県)で始まった。その大元は中国の景徳鎮である。17世紀に有田で製造された磁器は、西洋に輸出され、マイセンからウエッジウッドまでの磁器製造の元となった。その結果、至る所に伊万里(IMARI)のパターンが現在でも残っている。その伊万里焼きは、現在の日本のあらゆる磁器よりも美しく高度な技術となっている。


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