昨日は広島に原爆が投下されてから74年目である。広島市長による平和宣言全文は、ヤフーニュース上の読売新聞の記事で読んだ。そこでも当時の経験者の歌や言葉には力を感じる。ただ、それをどのように行政に活かすかという視点で評価するとしたら、貧弱な内容でしかないと思う。以下にその一節を引用する。http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/1110537278566/index.html
世界に目を向けると、一人の力は小さくても、多くの人の力が結集すれば願いが実現するという事例がたくさんあります。インドの独立は、その事例の一つであり、独立に貢献したガンジーは辛く厳しい体験を経て、こんな言葉を残しています。「不寛容はそれ自体が暴力の一形態であり、真の民主的精神の成長を妨げるものです」。
更に:
日本政府には唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約への署名・批准を求める被爆者の思いをしっかりと受け止めていただきたい。その上で、日本国憲法の平和主義を体現するためにも、核兵器のない世界の実現に更に一歩踏み込んでリーダーシップを発揮していただきたい。
そのガンジーの言葉に学んで何をなすのか。寛容の精神、非暴力の精神で本当にインドは独立できたのか?
理想主義の延長上には「寛容の精神で団結して、支配者の横暴を説得で放棄させる」という方法論があるだろう。しかし、それに立ちはだかるのは「寛容のパラドックス」である。つまり、規律のない寛容は、不寛容により破壊される。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%9B%E5%AE%B9%E3%81%AE%E3%83%91%E3%83%A9%E3%83%89%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9
インドでの独立運動を主導したのは、マハトマ・ガンジー、ジャワハルラール・ネルー、チャンドラ・ボースらが指導者とするインド国民会議であった。その後、非暴力の限界を悟ったチャンドラ・ボースは、ガンジーの下を離れて、インド国民軍を組織して、独立のための戦いを考えて。そして、インパールで日本軍とともに英国と戦い、大きな打撃を与えるが最終的に敗退した。敗戦後、日本からソ連に逃れ組織を再構築するつもりだったが、台湾での飛行機事故で1945年になくなる。
終戦後、英国は国民軍の兵士を裁判にかけようとするが、民衆は愛国者である国民軍兵士を護ろうと反対運動に参加し、それが独立運動に発展した。そしてインドは1947年8 月に独立を果たす。
「インドの英雄としてのチャンドラ・ボースの位置づけは、ガンジーと同等でネルーより上位であり、国会での写真の飾り方はチャンドラ・ボースが最上部になっている」とウィキペディアの「インド国民軍」の項には書かれている。つまり、インドの人々は、独立を寛容の精神と非暴力で達成したと考えるより、最終的には命をかけた戦いにより勝ち取ったと考えているのである。
カルカッタの国際空港の名が、ネータージー・スバース・チャンドラ・ボース国際空港と改称されたこと、インドではその英雄の死を信じない人が最近まで多く、インド政府が公式に認めたのは、「1945年8月18日、飛行機事故のため台北で死亡した」と市民団体に対し回答した2017年5月30日のことであったこと、1998年にはネータージー・スバース工科大学が設立されたこと、などを考えても如何にインドの人々がチャンドラ・ボースを尊敬しているかがわかるだろう。
ガンジーの非暴力不服従路線と違い、日本やドイツと手を組み活動したことから否定的な見方も存在するのは確かである。独立後のインドを主導したネルーは10年以上ボースの話題を口にせず、ラジオでも極力報道しないよう指導していたという。このことを少し考えれば、真の英雄は誰か明らかだろう。
暴力で抵抗を抑えつける側にとって、押さえつけた者たちの非暴力や寛容の精神は都合が良い。同じ平和でも、差別の平和には価値はない。核兵器で破壊された広島の人々が、核兵器で自衛しようと考えないとしたら、その平和主義は核兵器で世界の覇権を握ろうとする中国、ロシアなどには誠に都合が良い。韓国にとっても北朝鮮にとっても都合が良い。真の安全保障を考える日本人以外の全ての人にとって都合の良い歴史感に従った市長の平和宣言だったと思う。
補足: RAJとは大木の名称、ここでは初代首相ネルーだろう。
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