「長崎原爆の戦後史をのこす会」事務局の山口響という方が、長崎新聞に掲載した"朝鮮人徴用工 「終わった話」ではない”という記事は、基本的な部分で間違っている。悪意ある反日記事としか思えない。一地方新聞といっても、世界的に著名な地区の新聞であり、コメントを書くことにした。この記事は、https://this.kiji.is/500468475798815841にあったものである。
1)そのコラムは、日本による韓国併合と徴用工問題を、日本と韓国を入れ替えて考えてみようという提言で始まる。つまり、韓国が日本を併合し、日本人を徴用したという物語を作って、韓国人の感情と徴用工問題を考えると、韓国人の云うことも分からないではないという主張だろう。
その主張の主要部分を引用する:
韓国はA国との戦争を始めた。A国の圧倒的な戦力の前に劣勢となった韓国は、労働力不足の埋め合わせのため、日本人を強制的に徴用し、韓国内の工場などで働かせた。
しかし、韓国は結局A国に敗北した。韓国企業に徴用されていた日本人は、未払い賃金を支給されることなく、放逐された。
敗戦から20年たって、かつての宗主国であった韓国は日本と新たな協定を結ぶことになった。①韓国の過去の行為が違法であったかどうかについては問わないまま、韓国が日本に対して一定の経済協力を行う玉虫色の解決だった。②日本人が過去の韓国の行いに対する損害賠償の請求権を持つかどうかは、あいまいなままだった。
当時の日本は③民主主義国ではなかったため、被害を受けた日本人が政府間交渉への意見を述べることは一切できなかった。
さらに数十年がたち、存命中の元日本人徴用工のほとんどは90歳を超えた。彼らは、最後の力を振り絞り、かつて勤めた韓国企業に対する損害賠償請求の裁判を日本国内で始めた。
ここまでは、山口響氏の間違った歴史認識に基づいて、日本と韓国を入れ替えた話である。この①ー③のところの間違いは後で指摘する。このコラム記事は以下の文章で終わる。
これ(日本による韓国企業財産の差し押さえ)に対する韓国内の世論のほとんどは、「もう終わった話を蒸し返すな」「日本人はまともに話ができる相手ではない」「日本とは断交だ」といった空気である-。あらためて聞く。あなたは、日本人として、この韓国人の態度をどう感じるだろうか。
2)このコラム記事は故意に日韓基本条約と日韓請求権協定(前節山口氏の文章中の新たな協定)を曲解して、日本人を思いやりのない人間として攻撃している。曲解部分は前節の①と②である。①で日韓併合を違法といいたいのかもしれないが、国家と国家の関係を縛る法はない。(補足1)基本的に野生の関係であり、強者が弱者を支配するのは有史以来の人間の歴史であった。そんな中で、日本政府は韓半島を植民地化せず、同じ日本国としてインフラ投資などを行ったことを想起してもらいたい。簡単に植民地支配と云うべきではない。
国際間に法に似たものがあるとしたら、それは国際的慣例である。国際的慣例に違反した場合、第三国は承認しない。しかし、日韓併合に関して不承認を表明した主要国は無い。その慣例とは、その国の統治者と条約を締結して、二国間の関係を決定することである。その手続、つまり条約に瑕疵がない以上、日韓併合は正当である。
前節②の文章だが、過去の日本の行い(行政)に対して、韓国人が請求権をもつと言いたいのかも知れないが、国家の行政にたいする請求権は、明確に請求権協定第二条で放棄している。更に、法人を含めて国民の間の請求権も放棄している。債権や債務の未調整部分は、当時国が担当することになっている。
この日韓請求権協定は、サンフランシスコ講和条約第4条(a)の規定を基礎に、締結された。(補足2)それを見ればわかるように、そして、請求権協定第二条を見ればわかるように、双方向に財産や請求権を放棄したのであり、韓国側が一方的に財産権を放棄したわけではない。日本人がもっていた資産や請求権も放棄したことに留意すべきである。
前節の文章の③には、著者が条約という国際文化を全く理解していないという印象を読んだ人に与える。日韓基本条約と請求権協定は、韓国が軍政であったので、条約が無効或いは見直しが必要だという主張に読める。それはもはやまともな知性の持ち主の言葉とは思えない。人類の歴史のほとんど全てを反故にする類の暴論である。
この筆者が、「長崎の証言の会」に所属し、被爆証言誌の編集長である。更に、「長崎原爆の戦後史をのこす会」事務局も務める長崎大学等非常勤講師である。日本の原爆被害に関する政治運動を、非常に稚拙で歪んだものにしている原因の一端を見た気がする。これについては、8月10日のブログ記事を見てもらいたい。
https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2019/08/blog-post_10.html
補足:
1)国際法は「法」という名称がつけられているが、国際関係に関する慣習である。ここでは「法」という用語を厳密に、権威と権力を伴ったものとして、用いている。つまり、法があると言っても、違法行為を罰することができない文章は法ではない。
2)サンフランシスコ講和条約第4条(a)の内、「日本国及びその国民の財産で第二条に掲げる地域にあるもの並びに日本国及びその国民の請求権(債権を含む。)で現にこれらの地域の施政を行つている当局及びそこの住民(法人を含む。)に対するものの処理並びに日本国におけるこれらの当局及び住民の財産並びに日本国及びその国民に対するこれらの当局及び住民の請求権(債権を含む。)の処理は、日本国とこれらの当局との間の特別取極の主題とする」と記した部分。
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