注目の投稿

人類史の本流は中華秩序なのか、それとも西欧型秩序なのか

1)米国が露呈させた中国共産党政権の真の姿と日本の課題   日本が抱えている最重要な課題は、コロナ問題や拉致問題等ではなく、表題の問に対して明確な答えと姿勢を持つことである。短期的な経済的利益に囚われないで、現在が世界の歴史の方向が決定される時なのかどうかを考えるべきである。...

2019年8月11日日曜日

知的能力について:

下記は、以前「知的能力について:」と題して、2015年9月17日に投稿した文章を改訂したものである。元々ヤフーブログの記事としてある程度閲覧されていたのだが、ヤフーブログの廃止により検索にかからなくなった。従って、その再録を目的とし、若干の修正とともにアップロードする。

1)人間の知的能力には多くの面があるが、それらは例えば、1。記憶力、2。論理・分析力、3。想像力(及び創造力)、4。直感力、5。空間的時間的感覚、6。美的感覚、などだろう(補足1)。知的能力は、生命体としての能力の一つであり、従って生命力の一側面であると思う。 

上記6つの側面は思いつくままにリストアップしたまでであり、他にもいろんな組の捉え方があるだろう。また、更に何種類かの能力に細分されるだろう。例えば記憶にも、概念の記憶、事項や事実の記憶、図形・パターンの記憶、論理の記憶、感覚の記憶などがある。更に、脳の記憶場所によって長期記憶と短期記憶に分類される場合もある。(補足2)

また、記憶された情報について、分別及び階層化する能力と総合&統合する能力なども重要な別次元の記憶能力である。つまり、雑然とした情報の倉庫と整理整頓された倉庫では、情報抽出や情報操作(脳内での情報の演算など、補足2)の能力に差がでるだろう。これらは、分析力や直感力と重なる部分だろう。

他にも、論理の記憶は、論理展開の能力と重なる部分である。このことで解る様に、知的能力はある種の多次元空間での情報の貯蔵と抽出、想像や創造、個体内および個体間の伝達などの能力と言える。つまり、知的能力は”多次元のベクトル空間(補足4)を張る”とでも言えるだろう。 

6番目に美的感覚と書いたが、これは、生命力と知的能力の境界に位置する重要な能力である。自己の生命にプラスになる部分を美と認識し、マイナスになる部分を醜と認識するのだと思う。この美醜の定義は、芸術(美術)の美醜とは異なる。芸術で良し(美)とする基準には、思想や道徳などの価値基準も含まれる場合も多いからである。

知的活動のための情報収集は、感覚器と神経系、更に脳の記憶領域からの引き出しにより行われる。それらの処理と最終的な出力すべき情報の組み立てと円滑な出力までが、知的能力だろう。

これらの知的能力にも、生命体固有の能力の部分と、文化により調整される部分があり、それは上記美的感覚と同様だと思う。

2)脳のエネルギー源は体液循環供給された糖分と脳内代謝であるから、知的能力は年齢や健康状態、更に、日々の生活の様子により相当異なるだろう。

従って知的能力には、生まれた時に持つ潜在能力(あるいは生来の能力)に、これまでの知的活動により蓄積された情報が関係する二次的(副次的)な部分が加わる。教育は、この副次的な知的能力を追加するプロセスである。

人は、生命維持(社会の維持も当然含まれる)と再生産(子供を産み育てること)を能率的に行う為に、様々な能力を使っている(つまり行動している)。知的能力は、その行動の方針を脳内で組み上げて、準備する能力である。

知的能力は、自分自身と他の生命体(社会も含む)、そして自然などの周囲・環境に働きかけるための作戦を立てる能力である(補足5)。

それらを実行する能力として、目や耳などの感覚器を使った社会や環境の状況を把握する能力、更に顔の表情と口舌を使った対話・説得能力、四肢を使った運動能力などが付け加わる。これらすべてが総合されて、人間の能力を成す(補足6)。

結語:常々思うのだが、最近テレビでクイズ番組が多く放送されており、クイズ専門の芸能人も多い。その状況を見ると、日本の現代は非常に貧弱な文化の中にあると思う。その中で中心的な活躍をし、半ばスターとなっているのが、最高学府(T大学)の学生たちである。彼らを見ると、日本の将来は本当に暗いと思う。それに協力している大学の某教授(T大卒でM大教授)には、腹立たしさを感じる。青年よ、大志を抱けと言いたい。

(結語は、翌朝編集) 補足: 

1)知的能力を鍛えるのが学校であり、途中の成果を試験するのが大学入試だとすると、それらの現状が如何に不完全であるか解るだろう。特に入試では、主に最初の二つの能力をテストするに過ぎない。

2)コンピュータも短期記憶と長期記憶を区別して設計されているだろう。つまり、CPUからアクセスの早いメモリと、ハードディスクのようにアクセスの遅いメモリである。用途的には、ネット閲覧の際のキャッシュなどは短期メモリに入るのだろう。

3)例えば、誰かに必要な情報を提供する際、情報のパッケージを脳内で作り上げる必要がある。さらに、記憶を強調し直したり、逆に忘れたりすることも必要である。そのような情報に関する脳内での操作一般を示す。

4)ベクトルとは長さと方向を持った量であり、矢を思い浮かべれば理解できる。我々が生きる物理的空間は、x軸、y軸、z軸の3つの方向があるので、3次元ベクトル空間といえる。

5)自分自身に働きかける行為として、学習や休息・娯楽も含まれる。

6) 上記はロボットを思い浮かべて書いた文章かもしれない。内臓コンピュータは、CPUと記憶装置、更にそれに組み込まれたベーシックソフトで構成される。アプリケーションソフトは、記憶装置に貯蔵され、必要に応じてCPUに近いメモリにロードされる。人間の築いた文明は、自分の体の作りや自然を、別途再構成することなのだろう。

0 件のコメント:

コメントを投稿