2016年8月15日月曜日

芥川賞受賞作「コンビニ人間」の感想

芥川賞受賞作が掲載されたので、文藝春秋を久しぶりに買った。早速、受賞作「コンビニ人間」を読んだ。面白いと思う一方、非常に不自然な感じがした。理系人間ではあるが、不遜なる感想を書いてしまうことになる。

1)あらすじを簡単に書く:
主人公は小学生から高校生までは、病的というべき性質であり、友達もできずいつも一人で黙っている女の子だった。それは、人間が普通に持つ人の痛みや命の尊さなどに対する感覚を持たないサイコパス的性質である。カウンセリングを受けた結果は、家族の愛情で普通に戻ることを期待しようというものだった。

大学生になり、親元を離れ仕送りを受けて通学することになる。沈黙と孤独の生活は変わらない。一年生の時にアルバイトに興味を覚え、ビルの一角にできたコンビニを見つける。そこに応募し、簡単な面接ののち採用され、結局20年近くそこで働くことになる。それまで社会人としては白紙状態だった主人公は、そこでコンビニでの仕事である、挨拶の仕方、客の気持ちの推察、レジ業務、商品の配列など全てを学び、優秀な「コンビニ人間」として作り上げられる。

また、男性に興味はなく、その他の社会性を一切持たないままであった。その結果、正業につくべく他社に応募しても、全て採用試験は不合格だった。しかし、「コンビニ人間」として自分が作り上げられたことで、一旦は家族や田舎の同級生からノーマルな社会人と認められるようになる。その後、主人公は年の経過とともに変化しないので、再びノーマルな社会人として見られなくなり、風変わりな男性を家に入れることで年齢相応の姿を偽装することになる。男性に全く興味がないが、二人でいる方が社会の好奇の目から逃れられるからである。

その後、その仮面夫婦的な役割の夫役を引き受けたニート的な男性の要求で、もっとまともな仕事を変わることを考え、コンビニを止めて職をさがす。ほとんど書類選考でおとされるが、一社に奇跡的に面接に呼ばれることになったので、二人は電車で出かける。面接までの僅かの時間にふと近くのコンビニに入ってしまう。その店は人手不足なのか、非常に管理の悪い状況であった。それを見た主人公は、店員でもないのに体が勝手に動き出し、商品の並び変えなどをしてしまう。そこで自分は、「コンビニ人間」以外では生きていけないことを自覚して、その男性とその場で喧嘩別れをしてしまうのであった。

2)感想であるが:
「コンビニ人間」という発想は面白いし、コンビニを水槽のように記述し、コンビニ人間をその中に飼われて居る生物のように思わせるのも新奇である。社会を一つの機械と考えて、人間をその部品を構成する一個の歯車と見る見方も、一定の支持はあるだろう。

しかし、コンビニ店員として優秀な人は、機械の歯車とは違ってその他の接客業においても十分適応できると考えるのが普通である。「コンビニ人間として生まれた」という記述は、機械にはめ込まれた歯車のように他に転用できない人間として作りあげられたと主張している。コンビニ人間になるのが、人間としての柔軟性に由来するのなら、それ以前の病的な人格と矛盾する。従って、コンビニ人間にしかなれないDNAを持ったこの世に生まれたことになる。しかし、そんなことなどあるわけがない。

小説の中では、コンビニでアルバイトを始めて、そこで「コンビニ人間として生まれた」と書かれている。そして、それ以前は回想として書かれており、「コンビニ人間として生まれる前は、どこかおぼろげである」と書かれている。そこまで読んだ時は非常に新鮮な感じがして期待したのだが、その後の「コンビニ人間誕生」の物語は、ごく普通の研修であったり、先輩の姿を真似ることであったりする。誕生というからには大きな誕生の苦しみや雷光に打たれるような痛みが書かれていなければならない。

また、コンビニ人間となったのちには普通に同窓会へ参加し、友人と話を繕う姿には普通の人間としての柔軟性を感じ異常を感じない。なによりも、「普通の社会人」という考えを押し付ける周りからの防御を考える姿は、「普通」を証明している。

幼少期からのサイコパス的な性質を含め、30代になっても変わらないという設定だが、それはコンビニ人間として客の嗜好を正しく推測するまで“成長”する姿と矛盾するので、「コンビニ人間としての誕生」でなくてはならないという書き手の事情は分かる。また、主人公以上に社会性を持たない異常な男性を飼うことになる(同棲することになる)のも一連の事情の延長線上にあるのだろうが、そのプロセスももっと異常でなくてはならない。主人公ではなくその男性の記述の方に、妙にリアリティーがあるのみである。

つまり、小説はどのように書くことも可能であるが、あまりにもこの主人公と話の進行には小説的リアリティー(読者が納得する話の筋)がない。サイコパスでもなんでも、緻密に書けばリアリティーが出てくる筈だと思うのである。同じ号に記載されている芥川賞選評のなかで、島田雅彦氏の評価が当たっているのだろう。(8月16日朝編集)

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