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2016年8月6日土曜日

広島に原爆が投下された日に考える:今放送中のウエイクでの池上さんの発言について



今放送中のウエイクでの発言池上さんは言った。「広島の人々が、原爆投下された時から70 年たち、オバマ大統領の広島訪問時の演説を聞いたのちに、”憎むべきは敵国ではない、憎むべきは戦争であり、絶対悪である原爆である”という結論に至った」と。

”憎むべきは戦争であり、絶対悪である原爆である”というのは、大きな間違いである。歴史は戦争と戦争の当事者の物語である。戦争を憎むのなら、戦争の生き残りである我々現存人類を憎むことになる。また、原爆は絶対悪ではない(補足1)。それを一般市民の殺戮に用いるのが悪なのだ。

原爆は単なる非常に強力な一兵器なのだ。ロスアラモスで核兵器開発に携わった元研究者が言っていた。「原爆はその後70年間の戦争を防止した。平和に役立つ兵器である」と。この理屈は、原爆を搭載した強力なミサイル兵器を多数保有する国だけの真理である。原爆を持たない中東の人に、この言葉をどう思うか聞けば判る。

平和はありがたい。しかし、これまでは力と力の平衡としての平和しか存在しない。完全な平和は死の世界であり、絶対零度の世界なのだ。力と力の平和は、力のない者である弱者の死滅を意味する。弱者が平和を享受できるのは、強者の邪魔にならない間だけである。そんなこともわからんで、テレビで発言してほしくない。

補足:(8/7追加)
1)物体に善悪のラベルを貼るのは、汎神論が支配する国に特有の現象である。日本人には、物質的存在である山や川が信仰の対象になる。人格神を信仰する欧米人には絶対にない現象である。未だピンと来ないかもしれない。つまり、原爆は物であり善悪とは無関係である。原爆を投下して人を殺すことが悪であるが、使わないで世界の戦争を防ぐ道具にすれば、その行為は善となる。ピストルが悪ではない。ピストルをぶら下げて、街の治安を維持することは善であるのと同様である。

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