日本国のために命を捧げた人たちのみが靖国に祀られているのなら、そこに首相以下が参拝するのは当然である。しかし、無計画に戦争を遂行し、多くの若者を無駄死にさせた指導者も同様に靖国に祀られていることが問題なのである。
昨日のブログに書いたように、勝てる訳がない戦争(太平洋戦争)を始め、稚拙な戦略で日本国を荒廃に導き、民族の間に亀裂を作った日本の当時の指導者たちは、靖国神社に祀られる資格はない。それは気持ちの問題ではなく、能力の問題である。いかに国を思い、必死に考えて国家の舵取りをしたとしても、結果が惨憺たるものであった以上、靖国に祀られる資格はないと思う。
奇襲攻撃をせざるを得無いような戦争(補足1)、そして、その最初の戦い(真珠湾攻撃)において既に自爆攻撃(甲標的9軍神)を行わせるような戦争の指揮者は、全て日本国民の前において犯罪人である。「生きて虜囚の辱めを受けず」という戦陣訓を用いて、兵士を消耗品のように扱った戦争指導者は、靖国に祀られる資格はない。
占領軍指令長官が日本に到着したとき、日本の庶民の多くは歓迎した。それは、あまりにも悲惨な戦争を強いられたからである。日本国民の心を深刻な分裂に導き、ほとんど反日分子が野党として国会で多数の議席を占有し、未だに国家としての体裁をなしていないのは、あの戦争の結果である。(補足2)
あの戦争を含めて、日本の近代史が総括できないのは、現在でも国家の指導層が戦争時の指導層の子孫であるだけでなく、明治維新以来、同じ一派が国の指導者として力を持っていることと関係しているからかもしれない。
日本国民の全てが、靖国神社になんのためらいもなく参拝できるようにすべきである。
補足:
1)戦後長い間、真珠湾攻撃が奇襲になったのは、在米大使館員が翻訳とタイプに手間取ったためであるという説が政府により流された。(半島一利著、昭和史)しかし、現在では最初から奇襲の方針であったことが明らかになっている。実際、当時の在米大使館員はその後全て出世している。
真珠湾攻撃についてまとめたサイトがありました=> http://kenjya.org/nichibeishinjyuwan.html
2)もちろん、占領軍の日本骨抜き政策(片岡鉄也著、「日本永久占領」参照)が日本から独立国のDNAを破壊したという考え方もある。当然、両方が協奏的に働いた結果であり、片方のみに帰すのは間違いだろう。本文では、話の筋に従って簡潔に表現した。
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