1)科学の本質:
最近の天気予報は全くあたらない。昨日の予報(愛知)では、今日は曇りと雨のマークが付いていたはずであるが、今朝の予報は晴れ時々曇りであり雨マークはない。気象は自然現象であり、科学の研究対象である。予測が難しいのはわかるが、その理論が十分発達しておれば、もっと予報の確度が上がる筈である。
ここで思い出すのは、スパコン開発予算を審議する際に、気象のシミュレーションの刻みが細かく出来、天気予報の精度も上がるという主張がなされたことである(下の知恵袋記事参照)。しかし、その主張は正しくないことが、この当たらない天気予報で証明されたのではないだろうか。
どんなに高速のコンピュータを用いて詳細なシミュレーションをしても、人の頭でつくるモデル(つまり理論)が本質を捉えていなければ、明日の天気も正しく予報できないのである。科学研究は、自然現象の理解のためにより本質をついたモデルをつくることであり、コンピュータがいくら高速になっても科学の発展には直接関係がないのだ。
2)政治の世界で科学の本質が理解されていないこと:
ここで理化学研究所に「京」という大型コンピュータを作る際の国会審議について復習したい(2009年)。この件、蓮舫議員による「何故世界一位の計算能力を持つコンピュータをつくらなければならないのでしょうか?二位では何故いけないのでしょうか?」という質問で大きな話題になった。
科学の本質がわかっていないとしか思えないピンボケ批判が、理研所長の⚫⚫を筆頭に文部官僚や自民党議員らから出され、それが日本を席巻した。そのような雲行きのなか、私は蓮舫議員を擁護する記事を書いた。http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n70418
その後、2010年6月17日、蓮舫議員は産経新聞などのインタビューで答えて「(日本が)科学技術の分野で一番を目指す。あるいは他の分野でも一番を目指すのは当然だ」と発言。何を勘違いしたのか産経新聞は、「上記事業仕分けの時の発言を修正した」と評した。(補足1) 日本を代表する産経新聞の幹部も科学の本質が全くわかっていないのである。(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%93%AE%E8%88%AB)
ここで、科学技術という単語であるが、科学と技術という意味であり、一つの意味を表す単語ではない。深山幽谷のように関係が深い二つの単語を並列につないだだけの単語である。(その関係も、科学技術と深山幽谷とでは全く異なる。日本語は非常に出来が悪い言語である。だからこそ=>3)) (補足2)
3)理系人間を優遇して、政府や報道機関の幹部に登用すべき:
化学専攻だった理研所長、文部官僚達、その尻馬にのる自民党議員達(文教族というらしい)、それに産経新聞等の報道機関などの多くの人は、科学技術とスパコンの性能を切っても切り離せないものと考えていることがわかる。つまり、これら日本の表舞台で活躍する人々は、科学も技術も科学技術もわかっていないのである。
日本では、理系一種採用の官僚は技官とよばれ、今でも第一線に出るまで出世するのは困難である。文系一種の官僚だけで、霞が関は抑えられている。しかし、この世界の政治において、理系の知識人抜きに、日本が生き残れると考えるのは非常に甘い。
今後日本も優秀な理系官僚を増やして、政府中枢に登用すべきである。もちろん、現在政府機関で働いている理系人間は、悪い待遇のもとで集められたのであり、それほど優秀ではないだろう。20年程度の長期間を想定して文系幹部官僚のかなりの部分の入れ替えを行うべきであると思う。
因みに、原爆投下の記念日にBSフジのプライムニュースで、歴史家の秦郁彦教授が「原子爆弾が投下された時、政府中枢の中で唯一理系だったのは昭和天皇であり、その天皇のみが原爆の恐ろしさを正しく理解されていた」と話していた。上記スパコンの話では、政府中枢にはまともな理系人間は一人もいなかったのだろう。
補足:
1)科学とは何の関係もないのは科学は頭でするものであり、スパコンでするものではないからである。スパコンの技術も、如何に大規模にするかという問題であり、お金と排熱などの問題だけだろう。革新的な技術、例えば量子コンピュータのような発展は、何もない。
2)ここも論理に飛躍があったので、補足します。要するに言葉を厳密に使えるのは理系人間であるという意味。言葉は定義をしてから使うことが大事で、その点に理系が敏感である。例えば、文系の人は力(ニュートン)、エネルギー(ジュール)、単位時間当たりのエネルギー(ワット)の区別すらできない人が多い。つまり、理系の方が数学や物理学の法則を勉強する分、多くの言葉を知っているからだと思う。
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