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2016年8月20日土曜日

植松容疑者は精神異常なのか?

相模原事件の殺人犯、植松容疑者の衆議院議長などに充てた手紙や手記にメモなどを読んだ。読売新聞7月28日朝刊12版には、公開されたもののほぼ全文が掲載されている(補足1)。それを基に頭に浮かぶままに、いろんな考えを書いてみた。

§1:
植松容疑者の手紙にあるように、車椅子に一生縛り付けられていて、保護者からも見捨てられている状況では、障害者は社会の重荷であることは事実である。そこから、短絡的に人間をふた通り:社会にとって完全な重荷になる人間と社会に何らかの寄与をしている人間に分けて、前者を物理的に排除するというヒトラー的思想を持ち、大量殺人に至ったのである。

この手紙(補足1)は何箇所か論理的に飛躍しているが、これだけの手紙を書く能力のある人間はそれほど多くはないだろう。精神異常や精神錯乱者のものとして簡単には片付けるのは間違いだと思う。論理に飛躍のある箇所とは、①「自分の行いが世界経済の活性化や第三次世界大戦の防止に役立つ」と書いているところである。ただ、社会的弱者に対する福祉予算の拡大により財政的に身動きがとれない社会が、世界経済の足を引っ張っていると考えたのなら、全く的外れというわけではない。また、経済の低迷が世界戦争の引き金になる可能性があるという考えも歴史的に正しい。

そして、②「今こそ革命を行い、全人類の為に必要不可欠である辛い決断をするときだと考えます」と書いている。この意味は、彼の行為をスタートにして、優性思想を基礎においた社会をつくるという革命だろう。革命という言葉から、彼はその行いが合法的ではないと十分判っていることを示している。①と②の中で、自分が火付け役になって、政治が動くかもしれないと考えるところは、異常である。精神異常なのか、薬物依存の結果なのか、あるいは、それらとは無関係に精神的孤立の中で醸成された異常なのかは、専門医の領域である。

§2:
ただ、彼の犯行には別の動機があるようだ。それは手紙にも書かれているように、自分の容姿や自分の現実に対する不満である。およそ人間の企みの本質的動機はほとんどが私的なものである。政治家でも、多くは私的な動機をうまく公的な動機にすり替えて(あるいは融合させて)、公的な支援を得て公的な貢献を行う。そして、その公的貢献と並行して私的目標を達成するのである。(補足2)

その不満の源泉が、彼の生まれにあるのかもしれない。インターネットでは、彼は大陸系の人間であるとの指摘がある。それが真実だとすると、羊の喉をかっ切って殺すことに抵抗を感じない感覚の由来がわかるような気がする。微妙な問題なので控えるが、異文化の下に育った人間には感覚的に大きな違いがある。それは、子孫の平安と引き換えに自爆攻撃を仕掛けた日本の英霊(補足3)を、米国人は決して理解できないであろうということと相似的である。

植松容疑者の行為は許されない。それは、一旦生まれた以上、障害者になった者も当然生きる権利がある。彼らが重荷になったとしても、最後まで面倒を見る社会こそ、障害のない人間にとっても住みやすい社会だからである。病気になって長期入院などが確定的になった段階で、安楽死処分されたのでは健常者も安心して生きることができない。

しかし、この植松容疑者の考えを完全否定するのは理想論的である。資本は、より便利な介護装置や、全ての癌にある程度効く可能性のあると言われる薬品をびっくりするくらいの値段で売りつけようとする。その一方で、有限の資源を余命幾許もない人間に重点的に配分するのを現実の社会は防止しようとする。つまり、裏の見えないところで、表では処理できない難問を分散的に処理をして帳尻を合わすのである。裏の帳尻合わせは極めて不公平であるのが常である。

具体的には、老老介護に疲れ果てた夫婦に無理心中を強いたり、動けなくなった親を見捨てたり殺したりするまで放置するなどで、社会は個別に問題を処理していくのである(裏での処理)。悲劇のニュースソースを提供することでGDPの増加に寄与させ、生き残ったものは犯罪者として処理することが、社会の表での関与である。骨までしゃぶり尽くすのが資本の論理であり、見て見ぬ振りをして放置するのが政治(特に日本の政治)の論理である(補足4)。植松容疑者の容疑を明確にして、死刑にすれば済むことではない。人間に知恵があるのなら、もう一度必死に考えるべき問題である。

補足: 1)植松聖が渡した手紙というのがA4のレポート用紙に合計で10枚にもなる内容だったそうだ。その内3枚の内容が公表された。新聞掲載の手紙は少し編集されているようだ。
http://hiroron.info/%E6%A4%8D%E6%9D%BE%E8%81%96%E3%81%8C%E6%9B%B8%E3%81%84%E3%81%9F%E6%89%8B%E7%B4%99%E3%81%AE%E5%85%A8%E6%96%87%E5%86%85%E5%AE%B9%E3%81%8C%E6%98%8E%E3%82%89%E3%81%8B%E3%81%AB%EF%BC%81%EF%BC%81%E7%8A%AF-1002
2)典型的な例は、米国大統領だろう。優れた政治家には、これは当てはまらない人は多いだろう。彼らは、自分の信じる政策を、リスクをとって実行する。そのタイプの政治家として、最近では、安倍総理や前大阪市長が当てはまるかもしれない。
3)そのような攻撃を計画した日本の大本営やその下の軍令部の人間、そのような戦争を始めてしまった帝國の指導者は、決して許されるべきではない。靖国神社が英霊を祀るのであれば、日本国民が全ての霊に向かって参拝できるようにすべきである。歴史を裁くのは愚かなことだというのは事実だろう。しかし、あの戦争は未だ歴史の中にはなく、現在の我々日本人の未決着の問題である。 4)スイスなど世界の一部では、安楽死希望者には合法的にその希望に沿うシステムがあるという。http://healthpress.jp/2015/04/70-2.html

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