マイケル・サンデル氏のトランプ批判は間違っていると思う
読売新聞第1面と6面に、政治哲学者マイケル・サンデル氏による、行きすぎたグローバル市場経済に対する、今後の政治の役割についての議論が掲載されている。そして、次期米国トランプ大統領の米国第一の政策はショック療法的な効果はあるが、成功するとは思えないと結論している。(補足1)
サンデル氏の議論の特徴は、市場経済と市場社会を分けて考える点である。サンデル氏の考えを要約すれば、「市場経済は生産活動を系統立てる有効な手段である。しかし、なんでも市場での価値に還元してしまう市場社会は、国家の介入により変更を加える必要がある。そのために、国家の機能を増大して(補足2)、家族、地域社会、そして国家への帰属意識の回復とそれによる安心感を人々の心に創出する。その上、国家間の協力で行き過ぎた資本主義を是正し、グローバル経済の恩恵を万民に及ぼす工夫をすべきである。」となると思う。
市場経済と市場社会を分けて考えるということにどういう意味があるのか?市場経済と市場社会は従属関係にあるので、市場経済を守りながら市場社会を排斥することは、政治の経済への強い関与、市場経済の部分的制限を意味している筈である。それはトランプ氏の、アメリカンファーストの別表現にすぎないのでは無いのか?
私は、サンデル氏の社会改革の考えは、綺麗な言葉を用いているが、結局トランプ氏の”方向”と大して変わらないと思う。ただ、トランプ氏はその出発点で庶民の怒りと恨みを吸い上げて統合し、庶民の地域的な連帯のエネルギーとし、それを最終的に国家の連帯にまで高めようとしていると言えると思う。
サンデル氏は民主主義には正義(補足3)が大切だという。しかし、現在ポピュリズムが世界を覆う背景には、正義が大切にされなかった長期の過去の政治が存在する。ポピュリズムを批判する前に、ポピュリズムに至った、これまでの不正義に満ちた“民主主義”を非難すべきである。
ポピュリズムの時代になれば、大衆の意見を最大限吸い上げることをスタートとし、信頼されるリーダーになり、これまでの支配層の正義に反する部分と、支配層となった大衆の正義に反する要求を相殺する形で、まともな民主社会に誘導するしか能率的方法はないと思う。それを実行するのが、望まれるリーダーの姿である。
サンデル氏はトランプ氏の手法について、「トランプ氏は人々の怒りと恨みを理解したが、人々の連帯感を生み出し、資本主義の果実が皆に行きわたる様な社会が今必要なことを理解していない」と切り捨てている。
しかし、政策の詳細を見ていない現時点では、人々の怒りと恨みを集めて政治的力とし、行きすぎたグローバル経済、行きすぎた市場経済にブレーキを駆けようとするトランプ氏の政策を非難する根拠も権利も無い筈である。政治手法の過激さに惑わされて、何か勘違いされているとしか思えない。
補足:
1)「トランプ氏は、極端なナショナリズムを掲げて、移民を敵視し国内の不法移民1100万人の追放やメキシコ国境に壁を築くと発言している。」を引用して、トランプ氏の異常さを印象つけている。しかし、不法移民を追放することは合法だし、メキシコ国境に壁を築くというのは、不法移民の流入を防ぐ壁であり、中国の万里の長城の様なものを築くわけでは無いだろう。
2)サンデル氏は、「国家が公共財を増大させる」と表現している。
3)正義とは何か?正義とは、国民が全体として正当な利益をえることだと思う。国家が異なれば正義を実現する具体的政策は大きく異なる可能性がある。米国の「正義」は、歴史的発展段階や政治的背景のことなる国家にはそのまま当てはまらない。米国の勝手な定義と具体的手段を含めて世界にばらまかれた“正義”は、実は当該国にとって不正義であったことも多いと思う。
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