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2019年1月5日土曜日

「友好国間で事実を争う外交はやらない」のは何故か:事実は一つとは限らない

1)火器管制レーダーを照射したとか、していないとかで、日韓が争っている。しかし、元外交官の佐藤優氏は、その解説動画で以下のように言った。「こう云う話になった時には、基本的には友好国間では事実関係を争わないのです」 https://www.youtube.com/watch?v=Ur0F4YPnFOw

この言葉は最初理解できなかったが、昨日紹介した伊藤貫氏の動画の内容を考える途中でその深い意味が理解できたと思った。専門家には、長い間に蓄積したその“専門としての知恵”があると思う。佐藤氏はそれをサラッと言っただけだろうが、一般にはわかりにくい。

佐藤氏は更にその理由として、友好国間で事実関係を争わないのは、国家と国家の上にその争いを決着させる権威などないからと言う。ここで、「友好国間では」は、「その争いの後も友好国関係を継続する合意が両国間に存在する二つの国の間では」という意味である。

これらの言葉にも拘らず、実際はその事実を争っている。従って、①日韓は果たして友好国なのか、そして、②米国は日韓の上の権威ではないのか、などという疑問を持つことになるだろう。(補足1)

ここで友好国とは、今後も国際政治においてひと塊となって、共同歩調をとる関係、或いは、仮想敵を共有する関係である。現在日韓は、米国とともに東アジアでの民主国家の連合を形成する友好国の関係にある筈である。

昨日の記事で紹介した伊藤貫氏の話の中で、アイデンティティー・ポリティックス(以下、IPと省略)に言及した際、伊藤氏はそのIPの行き着く先として、「あなた達にはあなた達の真実があり、私達には私達の真実がある」ということになるという話をした。つまり、日韓の間で問題が生じたとして、事実を争う時の問題は、「日韓は一つの民主国家連合として、真実を共有できる関係にあるか」という問題に帰着するのである。

この段階では、佐藤氏の最初の言葉「友好国間ではこのような場合事実関係を争わないのです」の意味がわかるだろう。つまり、アイデンティティーと呼ぶほどの統合的な関係ではない友好国間では、仮想敵に関する真実ならともかく、両国間に生じた問題においてそのような問い詰め方をすると、つまり共通の真実を追い求めると、統合関係が崩壊する可能性があるのだ。

日本には日本の事実があると言えば、それに韓国には韓国の事実があると答えることになる可能性が高いからである。実際、そのようになっている。その延長上には、友好国関係の崩壊が待っているのである。トランプ政権は、歯止め措置を施さないだろう。

この話がわかる人は日本には少ないかもしれない。何故なら普通、事実は一つであるという宗教に我々は囚われているからである。(補足2)それは日本人に特に顕著である。しかし、我々が事実と言うのは、「言葉にした事実」に過ぎない。「事実を争う」という文章を、これまで「言葉で事実を争う」の意味で使ってきた筈である。言葉が違えば、その争いを続けても、泥沼化してしまうだけである。

例えばソシュールの言語学の入門書には、『言葉の体系は、カオスのような連続体である“世界”に、人間が働きかける活動を通じて産み出され、それと同時にその連続体であった“世界”もその関係が反映されて不連続化し、概念化するという“相互異化活動”が言葉の働きである』と書かれている。 つまり、アイデンティティーの異なるグループでは、その人間としての活動も異なり、従ってその相互異化活動も異なるだろうから、言語(ソシュールの用語でラング)が異なることになる。 このアイデンティティーを、例えば日本国民或いは韓国民と考えれば、それぞれの国の中では事実に容易に到達する筈である。しかし、国を跨いで共通の事実に到達するかどうかはわからない。そこで、互いに友好国であり続けるという意思があれば、事実関係を争わないということになるのである。

2)本音と建前について再考

「本音と建前」の一対は、それは単に異なるアイデンティティーの間の異なる事実を棚上げして不完全な統合をするとともに、その関係の補修と将来のより完全な統合のための言葉かもしれない。

つまり、純粋に一つのアイデンティティーの中では、そのような言葉は不要であり、他のアイデンティティーに属する者から建前に過ぎないと言われた言葉も本物の本音であり、そのような分裂は真面目な話の中にはない。

そして、「本音と建前」の分裂を互いに無くするように努力し、そのような人を多数派とする努力は、一応統合できている不完全なアイデンティティー(補足3)の保護や、完全な統合に向けた行為なのだろう。

例えば、昨日の記事で、独立宣言で「人は生まれながらに自由で平等である」と謳ったジェファーソン大統領が、黒人奴隷をたくさん抱えていたという事実を、本音と建前の違う嫌な人間と考えてきた。しかし、ジェファーソンらのアイデンティティーの言葉では、黒人は人ではなかったのなら、独立宣言の言葉と黒人を奴隷として抱えたことになんの矛盾もない。

この例は非常にわかりやすい例であるが、そうとは気づかなかった多くの疑いも同様に考えると消えるだろう。つまり、本音と建前を使い分ける嫌な奴という感覚は、実は厳密に言えばアイデンティティーが異なり、自分とは言葉の違う世界に彼らが住んでいると考えられる可能性が高い。

後の世になって、ほとんどの人がジェファーソンの「本音と建前」を批判し、そのような使い分けをしなくなった時、黒人たちも米国の市民として統合されたと考えられる。また、ウィルソン大統領が、本音と建前を使う嫌な言動や行為の人だったと定着した時、日本人も同じ人間と認識されるようになったと考えられる。その段階では、人間という統合的アイデンティティーが構築されたことになる。(補足4)

しかし、本音と建前の使い分けの攻撃は、双刃の剣である。本質として融合可能なアイデンティティーの間なら、その攻撃から上記のようにアイデンティティーの融合に向かう可能性がある。しかし、どうしても本音と建前の使い分けに我慢がならないということになると、不完全ながら統合されていたアイデンティティーが破壊されることになる。(捕捉5)ポストモダンの風潮とは、そのような傲慢な人たちが多くなった現代の別角度からの形容なのだと思う。

つまり、ポストモダンの風潮の中で明確になったアイデンティティー・ポリティックスは、「本音と建前」に許容的でなくなった時代の必然であると言える。近代からポストモダンへの移行は、社会の発展により経済的な自由度が増した個人、そして異なるアイデンティティーの人たちが、文明がなし得たことを自分たちの能力だと誤解して許容の精神を失った結果である。それは、これまで人類が構築した大きな社会を崩壊させることである。

人は動物として独立していた時には持っていた自然の権利(自然権)である生存権や所有権など様々な権利の一部を返上して、群に管理部門を作りそれを引き渡すことで、社会ができる。ここで権利は、この社会の管理部門(公空間と公機関)に自分の何かを引き渡す際に考え出された概念なのだろう。

人間解放とは、その引き渡した権利の一部を返還する運動だと考えられる。その際、限度を設けなければ、社会が崩壊する。その部分的に崩壊した社会が、現代でありアイデンティティー・ポリティックスであり、ポストモダンの動きなのだろう。
(学術的権威など期待しない私的メモです。批判等歓迎します。)

補足:

1)オバマ政権のときに、日韓で「慰安婦問題での最終合意」を行なった。その時まで事実関係を争っていたが、上の権威である米国の指示で、両国は事実関係を争うことを止め(棚上げして)最終合意をした筈である。日本国内では、保守系で特に反対意見が多かったが、それが外交だという諦めがあった。トランプ政権はそのような権威ではなく、日韓両国の関係は、現在もっとも独立国間の関係に近いということだろう。

2)”北方4島は日本固有の領土であるの”と云う言葉は、事実はひとつであるから、ロシアはそれらを返還すべきであるという、強い信仰の表現である。ロシアは、ロシアには別の真実があると応じることになるだけであり、外交などそこには存在しない。

3)アイデンティティーは同一性の意味。不完全なアイデンティティーとは意見の相違を乗り越えて同一のグループを一応作っている状態と定義する。

4)これは楽観的な考えかもしれない。留学中などの際、嫌な思い出を持つ人は多いだろう。夏目漱石の時ほどでないにしても。

5)これが今回の日韓の情況だろう。日本と韓国では、感情のものさしも約束や法という言葉の意味(役割など)もすべて違うし、その差は時間とともに拡大している。そもそも米国という圧力がなければ友好国の仮面をかぶることさえ、無理なのだろう。(捕捉5は、1月7日早朝追加)

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