今回の自民党総裁選では、靖国参拝問題が再度話題になっている。今日のMOTOYAMAさんの動画でも、その点を取り上げていた。中国の元記者の方だが、総理の靖国参拝に理解を示して下さるのは日本人として有り難いと思う。しかし、総理大臣は公式には、靖国に参拝すべきではない。https://www.youtube.com/watch?v=I6zjl2D9TtQ
その理由は、サンフランシスコ講和条約(以下講和条約)11条にあるように、連合国の戦争犯罪裁判を受け入れることで、日本国は連合国との講和が出来たからである。一般に、敗戦国が戦勝国の考えを受け入れることで、講和が可能となる。一旦合意した講和条約に違反する行為は、戦勝国の合意がなければ許されない。
その原点には、国家と国家の間の利害調整をする法律はなく、本質的に野生の関係にあるという事実がある。「カラスは白か黒か?」で戦争になり、「カラスは白い」という主張の国が原爆を使って勝ったとしたら、そして講和条約の条件に「カラスは白い」と認めることだと言ったなら、それに同意して講和を実現し、原爆で皆殺しに成らないようにするのが、現実的な政治が出来る総理大臣である。
そのように考えて、上記の動画にコメントを書いた。以下にそれを一部編集して引用する。
外交では、日本の価値観を優先することは出来ません。外国に見える形で靖国参拝を首相が行うのは、サンフランシスコ講和条約第11条違反になります。それは、戦争犯罪者として同意した人達を、神として崇めることになるからです。
その戦争犯罪者として裁かれた人の中には、日本が独自に裁いても戦犯になる人も居るでしょうし、その一方、神として祀るべきだという人も大勢いると思います。現在、靖国はどちらも区別なく祀っています。前者の神として祀るべきと思う人達の霊に、尊崇の気持ちを捧げられないのは残念ですが、戦争に負けたから仕方ありません。その悔しさを噛みしめるべきです。
ただ、その区別を未だ日本は明確にしていませんので、明確な形で悔しがることさえ出来ません。再度強調します。講和条約では、敗戦国が戦勝国の戦争とそれに関する歴史の解釈を受け入れる形で成されます。もし、それを受け入れないのなら、戦争を継続しなければなりません。実際、サンフランシスコで日本は全ての条項に合意したのです。
ドイツが卑屈とも見える形で、ナチスの下で働いた93歳の見張り番を懲役に処したのは、そのような理由があってのことです。悔しく思った人が大勢いたに違いありません。
2)メルケル首相の安倍総理への進言:
ドイツ首相のメルケルが日本に来た時、「(ナチスドイツの)過去の総括は和解の前提になっている。和解の仕事があったからこそ、EU(欧州連合)をつくることができた」と話し、安倍総理に戦争時の総括を勧めた。
このことに関して、記事を執筆した木村正人とかいうジャーナリストは「ドイツは謝罪していない」というセクションで以下のように書いている。
メルケル首相は「過去の総括」と「和解」を強調したが、「謝罪」という言葉は使わなかった。なぜか。ドイツは戦後、明確な「謝罪」を行っていないからである。
ユダヤ人大虐殺をはじめナチスの戦争犯罪について「謝罪」し「法的責任」を認めてしまうと、損害賠償のアリ地獄に追い込まれる。国際社会で「謝罪」は「懲罰」「補償」を伴うのが常識だからだ。https://news.yahoo.co.jp/byline/kimuramasato/20150312-00043760
この解説者は重要な点を見逃している。それは戦後ドイツの政権は、ナチスが暴走してユダヤ人の大虐殺を行なったとし、ヒットラーとその下でユダヤ人虐殺を働いた人たちを犯罪者として総括したことである。
その結果、戦後のドイツ国家はナチス・ドイツの延長上にはなく、新しく生まれ変わり、謝罪する側ではなくなったのである。(補足)つまり、謝罪すべきはナチスであり、戦後ドイツではないという姿勢を貫き、それを戦勝国も講和条約で認めたのである。謝罪しないのは当たり前なのだ。
終わりに:
靖国参拝問題について、上記のような不完全な解説がマスコミに掲載され、そして、それを丸呑みする日本の右側の人たちが、日本の国際社会への復帰を困難にしているのである。日本が独自に防衛軍を持てず、外国の軍隊の常駐を頼りにして、国民の安全を委ねているのは、この戦後の総括をせず、一括して戦争犯罪を許し、戦争関係者全員の霊を靖国に神として祀っているからである。
補足:
この論理が成立するのは、国家と国民は別だからである。国家と国民を別々に考えるのは、別段特別なことではない。現在の国際政治でも、一昨年だったと思うが、米国のトランプ政権は中国共産党政権と中国国民を分けて、前者のみを政治的に攻撃の対象としている。
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