中国の政治では、共産党が国家組織より上位にある。共産党の中央政治局常務委員が党の最高幹部であり、国家主席や全人代(国会)議長など国家の要職は、彼らの中から選ばれる。現在7名で、チャイナセブンと呼ばれ、国家の方針はその会議で事実上決定される。
独裁になるのか合議制で決定されるのかは、常務委員の間の力関係、及び中国共産党の歴史が関係する。(補足1)毛沢東時代には長期独裁が続いた。それは、毛沢東の“創業者”としての特別な地位と、その地位を守るための「努力と策略」があったからである。
長期独裁は国を衰退させる。それでも国家が独裁に陥るのは、①権力の分散が制度化していないことと、②最高権力者に成れば、国の発展よりも地位保全に関心が向かうからである。それは、権力を得るまでに多くの敵を作って来たことと、その地位を失うと、名誉だけでなく自分と家族の生命までも失う危険性が高いからである。一旦独裁に向かえば長期独裁を目指すのは必然である。(補足2)
最高幹部に一定の安心を与える一工夫として、常務委員となったものは訴追されないという伝統が出来ていた。それにより、中身のある議論を可能にしようという知恵である。しかし、2015年4月に前政治局常務委員の周永康が刑事訴追され、その伝統も破られた。習近平は一層孤独な独裁者となった。
来年習近平は第二期の5年目を迎える。憲法を改正したので第三期以降も国家主席を務めることは可能である。しかし、第三期目になれば、そこからは明確な独裁と見なされ、その席から降りたくなっても、無事には降りることは出来ないだろう。(下に最近の中国トップの周辺についての動画を示します。)
一人の人間の能力には限界がある。巨大な量の広い分野に亘る情報を受け、その正確な実時間処理が必要な国家の方針決定に、独裁者一人で対応できる筈がない。上に到着する情報は、聞くに心地よい良いものばかりになり、どれが嘘でどれが真なのかさえ解らない情況になる。その結果、国家は迷走することになるが、その責任は独裁者が負うべき負債として蓄積する。従って、独裁者がその地位から落ちるときは、常に悲惨である。
2)独裁政治の例:毛沢東の大躍進運動と文化大革命
権力が一人に集中すると、政権は一定期間安定化するが、時間が経てば国民の生活は荒れる。例として中世の絶対王制や現代の北朝鮮キム王朝が挙げられるだろう。武力革命により出来上がった共産党政権は、スターリンや毛沢東という独裁者が支えた。神格化された毛沢東が、国の惨状を一挙に解決することを夢見て大躍進運動を行なった。その結果、中国は経済的困難に陥り、数千万人とも言われる死者を出したという。(補足3)
どん底の情況下で、政権が劉少奇と鄧小平らに移行したのは、その失敗に上から下まで疲れ果てたことと、最初に記した政治システムの集団指導機能が隙を見て働いた結果だろう。それでも数年後、権力奪回を目指し、毛沢東は文化大革命(1966~1976)を行なった。
毛沢東は、大躍進運動の失敗が自分の終着点となる恥辱に耐えられなかったのだろう。その後の国民の苦悩と引き換えに毛沢東が死後得たのは、天安門広場に肖像画が掲げられたことと、全国民に対する“英雄毛沢東”という“刷り込み”だった。(補足4)
文化大革命は、“精緻に計画された体制内の権力闘争”であり、毛沢東は紅衛兵という少年の純粋無垢且つ無知の強烈なエネルギーを、敵対する知識人らの排除に用いた。(補足5)独裁政権再構築の企みが成功するには、神格化された毛沢東像の確立と、知識層を中心に多くの国民が不幸の渦に巻き込まれることが必要不可欠だった。
文化大革命に関しては、8年前の本ブログに書いたように、ユン・チャン(張戒;Jung Chang)が著した「ワイルド・スワン」という本に著者の実体験が記されている。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12466514061.html
3)習近平の独裁政権樹立への努力
この毛沢東の独裁を模倣しているのが、習近平である。毛沢東のように、神格化された習近平像を作り上げる様々な政策を行なっている。今年から習近平思想を小学校で教育するのもその一つである。https://www.afpbb.com/articles/-/3364311
対外政策として習近平は、中華秩序を世界に布く新バージョンの中華帝国創設を目指している。具体的には、一帯一路政策とアジアインフラ投資銀行などで、西と南の方向に中華秩序を広げる戦略をとり、技術的な面で世界のリーダーとなるべく中国製造2025や千人計画を立案し、実行しようとした。
国内での地位を絶対的にするため、将来の有力者を「ハエも虎も叩く」と称する腐敗撲滅運動の形で、次々と葬り去る方法を用いている。このような欺瞞的な口実でも、政敵の排除には有効だということは、如何に大衆は無知なのかを示している。
政敵を言論の力ではなく物理力でねじ伏せることの代償は、協力者が殆ど居なくなることと、命の危険に晒されることなくトップの座から降りることが不可能になることである。このような手法を用いても尚、大虎を叩くことは現在まで出来なかったことは、習近平政権の基盤の弱さを如実に示している。兎も角、習近平は最初から独裁を目指した筈である。
中国共産党政権が成長し、中央アジアからアラブ諸国をその勢力圏に収めることは、米国の支配層グローバリスト達にとっては、中国も最終的には飲み込むことが可能だと考える限り、歓迎すべきことであった。その共通項は、マルクス主義である。
そこで米国支配層らは、オバマ政権のときには、習近平政権に融和的であった。副大統領バイデン父子や国務長官ケリーに近い者が、中国において経済的利権を手にすることができたのは、そのような背景があってのことだろう。
ところが計算が狂ったのは、トランプが米国大統領になったことである。中国が目指して来たのは共産主義大国ではなく、西欧の文化に見向きもしない(法治の原則も人権も無視する)グローバルな中華帝国であることを、世界に明確に示す羽目になったからである。そして、グローバリストが目指す統一世界と最終的には敵対することが明らかになった。それが、ジョージ・ソロスが最近中国非難を繰り返す理由だろう。https://courrier.jp/news/archives/259762/?gallery
4)新版文化大革命
米国が民主党になって、再度融和的になると習近平中国は予想していただろう。今年4月ごろまでは未だ余裕があり、習近平のブレインと思われる中国人民大学翟東昇教授は、新型コロナのパンデミックを、一帯一路構想をバージョンアップするチャンスだと主張する講演をしている。(補足6)新型コロナを良い機会と捉えるのは、世界経済フォーラムと同じである。(HaranoTimesさんの動画:https://www.youtube.com/watch?v=jDm2cz8JRQU)
しかし、米国支配層は、オバマ政権の時のように融和的姿勢には戻らなかった。危機感を抱いた中国の元幹部らは、多分6月ごろから、習近平を替えなければ中国に将来がないことを悟った。その結果として、北戴河会議(8月下旬)で汪洋の名前が現れたとすれば辻褄があう。
第三期の国家主席になって、習近平が来年以降も政権を維持するには、独裁強化が必須である。国民の支持を失った独裁政権は、広く国民も締め上げることで、暫くの間安定化する。逆方向には道がない。(補足7)しかし、それは独裁者自身も強烈な圧力を感じながらの作業となるだろう。
その独裁強化の一環として、“ニューバージョンの文化大革命”が始まったようだ。具体的には、芸能界を圧殺し、教育産業を潰し、習近平思想の小学校教育への導入(上述)、IT関連銘柄から多額の罰金を召し上げるなどである。https://www.jiji.com/jc/article?k=2021090500179&g=int
この最後のものは、共同富裕という社会主義政策の実現という名目で行われているようだ。共同富裕と名付けたのは良いが、それは共同貧困への道だと普通の知性は見抜いている。資本主義経済が壊れれば、中国は貧困化するのは当然の成り行きである。
上記記事で環球時報の編集長が、「今回の変革で、(中国の)市場は資本家が一晩で大金持ちになれる天国ではなくなる。われわれは一切の文化の乱れを整理する必要がある」と主張したとある。
その習近平の「共同富裕」なる方針により、中国の一流企業は国家に富を吸い上げられることになる。今日6日のCNNは、“中国アリババ、2025年までに1.7兆円拠出 「共同富裕」実現へ”と題する記事を掲載した。
多くの一流企業のトップが、自分の命の保障を得るべく、共同富裕実現のために多額の寄付をするとの声明を出しているのである。これは、大躍進運動で、各家庭の鍋釜を供出させて鉄地金をつくり業績をあげる地方の共産党幹部のやり方と同じである。中国経済は極めて困難な情況になるだろう。それをジョージ・ソロスも指摘し、習近平を攻撃する文章を寄稿しているのである。
独裁政権では、統治者と非統治者の間に全く信頼感がないので、その維持には現物を示す必要がある。習近平が、第三期の国家主席につけば、いよいよ独裁政権が完成する。貧困化する中国で独裁政権を維持するには、強烈な名目が必要になる。それは台湾の併合である。それは日本にとって悲劇となるだろう。(10:45編集)
補足:
1)毎年8月に東北部の北戴河に、これまで政権中枢を担った長老たちと現役の首脳が避暑を兼ねて集まり、非公式に会議を開く。その中で、共産党政権の今後が話し合われる。今年、将来の指導者として汪洋というチャイナセブンでは序列4位の人物の名前が浮揚したと言われる。この「北戴河会議」も伝統の力の一つである。
2)権力の分散の制度として、一つは三権分立の民主主義のような近代制度がある。更に、最高権力者が、国家行政組織の外に存在する場合、政治のトップによる独裁が生じにくい。例えば宗教指導者が国家元首になる場合、或は、宗教の教義がその役割をする場合などがある。その宗教が“まとも”で、それによる束縛が問題にならなければ、良い政治制度が得られる可能性がある。
3)大躍進運動(1958~1961)の場合、「鉄は国家なり」を信じて毛沢東は大増産を命令し、部下は民衆から生活必需品の鍋釜などを取り上げ地金にしてまで、供出する鉄の量を競ったという。鉄だけでは国家はなりたたないことを諭す部下は、居なかったのである。
4)ソ連時代のレーニンも同様の栄誉を得て赤の広場に霊廟が置かれ、24時間衛兵が警備するという栄誉を得た。しかし、ソ連の崩壊により、それらは取り除かれた。
5)少年の純粋無知を用いる戦略は、イラク戦争の開始する際の少女ナイラさんや地球温暖化を攻撃する際の少女グレタ・トゥーンベリさんの利用と同じ類の戦術である。
6)東昇教授の動画は、米中関係の背後にユダヤ系資本家の協力があったこと、バイデンの資金供給に中国が協力したこと等を暴露した。https://www.youtube.com/embed/gTcWNnYltaU;(このブログ・サイトでは12月7日に紹介した)
7)勿論、中国は未だ集団指導体制に戻る可能性が残されている。それには、習近平が地位も名誉も失った自分を許す決断と、李克強を筆頭に現在のチャイナセブンの残り6名が、優れた忍耐力を示すことの両方が最低限揃う必要があるだろう。
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