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2021年9月30日木曜日

明治以降の天皇君主制にトラップされている日本の政治と天皇家

小室圭氏と真子内親王の結婚が発表されてから、天皇に関する関心が増加したと思う。その中で、右系の方々に根強いのが、「天皇君主制という政治システムの日本を、日本そのものと考える思想」である。例えば、磐田温氏がWill増刊号で、「日本にとって皇室とは日本そのものだと思う」と言っている。政治体制についての話なので、岩田氏の言う日本とは、日本国のことだと思われる。

 

 

言葉の定義をしっかりしておかないと、インチキ議論に巻き込まれるので注意が必要である。①「日本=日本国、つまり行政組織としての日本国家」なのか、あるいは「②日本=日本列島を中心とした地域と、そこに棲む住民つまり日本人達が持つ歴史と文化との総称」なのか、その峻別が(論理的)議論には必須である。

 

岩田氏らは、天皇家が神話の世界から続いている家系であるということに言及し、この「天皇制=天皇君主制」を日本(①の意味での日本)の有史以来の伝統として、それは日本そのものであるから大事にすべきだと言っている。そして、本来水と油のような異国の思想であるエドモンドバークの保守主義に言及して、それが日本の保守主義だと言っている。

 

それとの比較において、河野太郎氏の合理的考え方と河野氏の女系天皇容認論を、天皇君主制を崩壊に導く可能性故に排斥しておられる。恐ろしく粗雑な思考を信じておられると最初感じた。しかし、それは粗雑な思考と言うよりも、巧みな誤魔化しなのかもしれない。 

 

天皇君主制は、明治の革命或はクーデターの時に薩長下級武士と京都の貴族の一部が、統幕と日本国支配のための戦略として利用した政治制度であり、それは有史以来の伝統ではない。つまり、岩田氏と司会の山根氏は、天皇君主制というクーデター政権の国家制度を守ることが保守主義であると、インチキ説を流布しているのである。

 

私も、女系の人たちから新天皇を選ぶのは、伊勢神道に親近感を持つ者の1人として、問題であると思う。それは日本一の名家である天皇家と伊勢神道を精神文化の中心に置く日本の伝統に反するからである。しかし、ここでの日本は、あくまでも②の非常に広い意味での日本である。

 

つまり、岩田氏の意見が、女系の人を天皇にすることは天皇が日本の精神の中心にあるという伝統を破壊するという批判なら、全く同感である。ただ、彼らの天皇君主制を維持することこそ保守主義という論理、更にそれが日本国民の近未来の平安にとって不可欠だと言う論理は、明らかに破綻している。

 

何故なら、あの第二次世界大戦における日本の悲劇は、天皇君主制が主なる原因の一つだったからである。天皇君主制を、日本を普通の国にする上で不可欠と考えるのは間違っているし、あの戦争で死亡した300万人余(平和の罪として連合国に殺された少数の人たちを除く)の命を軽視することにもなる。それにも拘らず、彼らが現職総理の靖国参拝を支持するというのは、論理的に矛盾している。それを強引に誤魔化すから、外交問題を徒に大きくし、且つ、右翼は胡散臭いとか恐ろしいという感覚を国民に与えるのである。

 

その誤魔化しの原点にあるのが、日本の天皇というシステム(天皇と伊勢神道を中心とした日本の精神文化)と、日本の天皇君主制という政治システムを、意図的なのだと思うが、混同していることである。そして、次節以下に述べるように、130年ほど時代を遡れば、その原点に存在する隠蔽された真実を発見するのである。

 

以上のことを考えれば、もっとも相応しい解決策は、前回のブログ記事で書いたように、江戸時代以前のように、日本の行政を天皇から切り離し、江戸までの伝統的な天皇というシステムを取り戻すことである。それについては926日の記事「真子内親王の結婚および皇室のあり方について」で書いた。

 

 

2)現在の日本の不完全な政治体制

 

勿論、現在の天皇と行政の関係は形式的だという考えは正しいのかもしれない。しかし、天皇が総理大臣の任命を拒否したらどうなるのか? そのような事態に対応する規定は無いだろう。つまり、日本の政治体制はその基本的な点でも不完全である。

 

日本の政治体制の不完全性といえば、憲法9条を思い出す人が多いだろう。ただ、憲法9条は改正できる。その他の多くの不完全性は、例えば担当者を替えるなどの方法で補填できる。しかし、外国の勢力が天皇を抑えたらどうなるか? 「こんなことを考えるのは日本人ではない!」と思考停止してしまう人が多いかもしれない。

 

しかしその事態は、江戸末期から明治の初めに、実際に日本で起きたことである。つまり、幕府を信頼する孝明天皇を排除することに成功した薩長は、幼帝である明治天皇を支配下において、徳川を滅ぼして日本国の新しい主となったのである。この間の出来事、そしてその背後に英国のユダヤ資本があったことなど、現在の日本国は隠蔽している。何故なら、その日本を支配する勢力が現政権まで、連続的に日本国を支配しているからである。しかし、その事実が最近暴かれつつある。(補足1)

 

 

3)真実を隠蔽する歴史:

 

「歴史は、真実隠蔽の物語である」は、漢の武帝の時代から現代まで“知る人ぞ知る真実”である。明治維新が日本の近代における隠蔽の宝庫なら、米国における2019年大統領選挙も同様である。(補足2)中国も、ウイグルでの出来事や法輪功弾圧の凄惨な現場を隠蔽している。

 

人は、隠蔽の歴史から目を背けている。その理由は、専制政治の中でゴミ屑のように扱われたくはないからだろう。日本では、或いは日本でも、その姿勢が文化となり国民性となって定着している。

 

例えば、多くの日本人は、原爆の被害を受けた後、その加害国を非難するのではなく、ひたすら核兵器を怖れ核兵器から遠ざかるように行動した。その習性は、核物質について、あるいは“核”や”原子”という言葉自体に対してさえ、忌避反応を示す日本民族の非合理性として定着している。(補足3)

 

日本での原発反対の声も、東日本大震災以前には、このような言葉に対する忌避反応だったと思う。その国民的習性に、福島原発の事故が裏書きを与えることになってしまった。それに迎合しているのが、河野太郎氏や小泉純一郎氏の原発廃止論である。(補足4)

 

天皇という言葉が、崇拝とともに恐怖の対象だったことを覚えている高齢者が多数生存しているだろう。その結果からか、その言葉は我々の日常の語彙から取り除かれている。もうその時代から脱却すべきである。

 

日本国は、天皇家や旧皇族に、元々の地位や財産を返却するべきである。その上で、日本国憲法に記載された様々な国事行為を廃止し、天皇を日本の精神文化の中心として扱うだけにして、日本の政治から切り離すべきである。

 

そして、天皇の地位の継承に、日本政府が介入しないことである。そうすれば、女系天皇論など議論は不要である。

 

補足:

 

1)明治維新とは、薩長下級武士らが中心になり英国ユダヤ人資本の支援の下、天皇を旗頭に利用することで行なったクーデターである。つまり(はっきり言おう)、孝明天皇を暗殺して、天皇制を薩長と結託した下級貴族が乗取ったという説が、明治維新の一つの有力なモデルである。孝明天皇は薩長よりも徳川慶喜を信じていた。そこで天皇を交代させることで、実権を薩長側が握ったのである。その一つの情況証拠として、孝明天皇を祀る神社が建造されなかったことがある。平安神宮に合祀されたのは昭和になってからだという。

詳細は、https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12466516110.html に書いた。

 

2)2019年の米国の大統領選挙は国を挙げての不正選挙だった。それは、アリゾナ州での選挙検証で最近明らかになった。

 

 

 

しかし、このことは米国でも日本でも、主要マスコミは殆ど流さない。10年後には、仮に次回選挙でトランプ政権が誕生しなければ、完全に消えているだろう。米国の対外政策は陰謀と隠蔽の宝庫である。

 

3)原爆資料館の前には、原爆で一般市民を大虐殺した国家を非難する言葉はなく、「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と書かれている。この言葉は、日本人の論理的思考を放棄した文化を表している。その中に、「一般国民という下々の人間にとって、論理的思考など虚しいだけだ」という、恨みに満ちた気持ちが込められているようにも感じる。

 

4)原発を廃止して、カーボンニュートラルを発電で実現することなど、不可能である。地球温暖化はこの100年で0.74度であり、日本の工業競争力を地に落としてまで目指すことではない。このカーボンニュートラル運動や電気自動車以外を禁止する欧米の大資本の運動は、科学的ではない。気候変動は皆無ではないが、それへの個別対策の方が安上がりであり且つ効果的である。

  https://www.data.jma.go.jp/cpdinfo/temp/aug_wld.html

 

(13時20分、編集および補足4とそれに関する部分追加;10月25日、第3のセクションを整理縮小)

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