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2020年6月16日火曜日

黒川検事長の賭けマージャンと日本の病根

黒川検事長が産経や朝日の記者や元記者と賭けマージャンをしながら、賭博罪に問われなかったことに釈然としない人が多いだろう。この件は幾つかの問題点を含む。それを解く鍵は、黒川検事長は安倍首相とベッタリの関係だということである。5月に次の検事総長指名に向けて、安倍総理にわざわざ定年延長してもらった人である。

https://news.yahoo.co.jp/articles/40291f2b662a68fe9b93b13e506a2791c95f6052?page=1

 

以下、黒川検事長(当時)の賭けマージャンが刑法で裁かれるべきこと、法の下の平等を謳った憲法との関連、最後に、この国は上位に座る人物の情で支配される国であることなどを議論する。

 

1)黒川検事長の麻雀賭博の揉み消し:

 

議論すべき主な点として、①検事長という犯罪を告発する機関の幹部が賭博をして、それが明らかにされたにも関わらず、その罪を検察全体でもみ消したこと、そして、②犯罪があれば報道する立場にある人物が賭博(賭けマージャン)をしながら、報道機関がなるべく大衆が忘れるように報道をひかえたこと、などがある。今回は主に前者を考える。https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20200614-00183223/

 

賭けマージャンという刑法犯罪を犯した検事長(補足1)に、国はその犯人に依願退職を許して、退職金6000万ほどを支給した。更に、共犯の朝日や産経の記者(又は元記者)に至っては、匿名で報道されるのみ。毎度同じことを言うが、安倍総理がトップのこの国は、法治国家とは言えない。(補足2)

 

テレビでも議論されてはいたが、元検事の若狭弁護士でさえ、点ピン位(補足3)での賭けマージャンは犯罪とはならないというような苦しい弁明をしていた。更に不思議なのは、無罪放免ならどうして黒川氏は辞任しなければならないのか?気持ちが悪くなる様な展開である。

 

重要なもう一つの点は、点ピンマージャンだったというのが早々に報道されたが、それは本当なのか。単に、出来るだけ話を小さくして、ギリギリのところで無罪放免を画策するためのインチキ報道では無かったのか?本当は、5−10倍程度レートが違うのではないのかという疑いである。

 

それは、帰宅のタクシーの中で記者が「今日は10万円まけた」と言ったと、運転手が証言したからである。一晩の点ピンマージャンで10万円負けるだろうか? マージャン仲間なら、実力はほぼ拮抗している筈。そのような場合、普通は数千〜2万円位の範囲の精算で済むだろう。http://economic.jp/?p=89035

 

このタクシー運転手の証言は、その後あまり出てこない。つまり、報道機関もこの点は自粛しようと決めたようだ。官民連携して、犯罪をもみ消した可能性が高いと思う。

 

2)検察がやれば、賭博も犯罪でなくなる?

 

お金を賭けたマージャンは、換金レートが点ピンか点五、或いはそれ以下であっても、賭博にあたる。何故、点ピンまでなら犯罪にならないというのか? いったい誰がそんな麻雀賭博の定義をしたのか?そんな判例などないので、もみ消す側がその口実を創作しただけだろう。実際、点五でも犯罪として立件されたケースがある。この辺りを詳しく書いた文章を見つけたので、下に引用する。

https://news.yahoo.co.jp/byline/fukunagakatsuya/20161227-00065918/

 

刑法では、犯罪ごとに処罰の基準が書かれている。賭博を罰するのは刑法185条である:

第185条 賭博をした者は、50万円以下の罰金又は科料に処する。ただし、一時の娯楽に供する物を賭けたにとどまるときは、この限りでない。

 

この条文から、たとえ10円でもお金を賭けてマージャンをやれば、賭博罪が成立する。ただし、後半の文から、たとえば正月にお菓子をかけてやるような麻雀は、賭博にならない。黒川検事長は幾ら貰ったかは分からないが、上記タクシーの運転手さんの言葉から、10万円程度の現金が動くのだから、告発されれば有罪は確実だろう。実際、退職金が大きく減額される懲戒解雇を恐れて、先に依願退職したことから、罪の意識があったと考えられる。

 

この様なケースでも、検察が告訴の手続きをとらないのは、法の下の平等を記した憲法14条に違反する。検察幹部も仲間意識を丸出しにして、敢えて憲法違反を問われる危険を承知しながら、人事院やもう一方の当事者のマスコミと協力して、報道を控え目にしてもみ消したのだろう。おそらく、安倍総理がそれを許すだろうとの読みがあったのだろう。こんなことが起こり得るのが、この日本という国である。

 

犯罪を警察か誰かが見つけてくれば、告発をするのが検察の仕事である。検察幹部が犯した犯罪も例外である筈はない。これで、検察審査会の人たちも仲間の内なので、結局黙っているだろう。このようなことが起こるのは、内閣官房から各省の端まで堕落の極致にあるからだろう。

 

3)犯罪行為が見逃される場合と法の下の平等:

 

今回のケースでは、大衆に「この程度の犯罪では、見逃されても良いかも」と思わせる手法が、政府首脳、検察、マスコミなどにより採用されている。確かに世の中には、犯罪行為が見逃されて罪に問われないケースがかなりある。しかし、その一つとして、今回のケースを許してしまうのはおかしい。

 

仮に、黒川氏が点二(点ピンの5分の一のレート)で賭けマージャンを楽しんだとしても、発覚した以上有罪であり、検察の告発を受けて裁判所が罰金刑に処し、その後黒川氏の検事長という職に関する処分は、人事院規則に従って為されるべきである。それが法の下の平等の原則である。

 

レートが点五の賭けマージャンでも、漫画家の蛭子氏が現行犯逮捕されたことは良くしられている。罰金刑に処せられ、芸能活動を数ヶ月自粛したそうである。その原因は、漫画に自身をモデルに賭けマージャンの場面を書いたからだそうで、警察は「舐められたと思い」チャンスを狙って踏み込んだという。(補足4)https://www.mag2.com/p/news/452339

 

もう一つのわかり易い例を考えてみる。それは、交通違反である。例えば、一旦停止違反や速度違反など、厳密に法を適用すれば、一日何万件もあるだろう。殆どは見逃されているが、その事実が確認されれば、確実に法令に従って罰金刑をうける。

 

数年前に、速度違反で止められたことがあった。その時も、私の後を走り去った車も、前の車も制限速度を超えていた筈である。取締の警察官にそう言って見ても、時間のロスである。一人の違反を処理する間、取り締まれないので、他の車は安心して走っていた。

 

警察は、ある車(つまり私の車)の速度違反を確認した以上、その処理を終わらせなければならない。捕まった以上、だれも逃れることは出来ない筈である。しかし、特定の人物の運転する車に狙いを定めて、交通違反を摘発することは、あってはならない。それは、法の下の平等に反するからである。速度違反の車が警官の知人だったからと言って、そっと見逃すのなら、その国は法治国家ではない。

 

賭けマージャンも同じである。マージャンを楽しむ人は、点五位の賭け金でやっているかもしれない。しかし、それが偶然或いは一斉取締か何かで、警察に確認された時には、賭博犯として告発され罰金を支払うことになる。それが検察官だから、或いは、警察官だから見逃すというのでは、法の下の平等という国家の根幹にヒビが入る。

 

黒川前検事長は、犯罪として裁かれなかったのに何故辞任したのか? という問いが、外国人なら有りそうだが、もちろん犯罪として裁かれない様に辞任したのである。政府や検察は、既に辞任をして、社会的制裁を受けているので、敢えて告発などする必要はないとか何とかいうだろう。6000万円の退職金をもらっても、社会制裁を受けたと言えるのだそうだ。

 

つまり、お上(おかみ)の情により、犯罪の捜査も、その判決も決まる。賭けマージャンが発覚したのだが、お上(政府とその下部機関の検察)はそれを刑法に従って処理するのではなく、お上の感情(なさけ)により依願退職という形で処分したのである(補足2)。https://www.excite.co.jp/news/article/Litera_3470/

 

これでは、日本国は法治国家とは言えない。徳治国家或いは情治国家と呼ぶべきである。明治依頼、日本は西欧に見習って、近代国家を建設したと教科書には書かれている。しかし、それが日本人独自に成し得たことではなく、英国などによる誘導だったことは事実である。その維新の主人公である長州人の末裔の安倍総理により、建設した筈の近代国家の仮面が剥がされているのである。そんなショッキングな光景でも、一般国民には見えないのだから、仕方ない。

 

 

補足:

 

1)検事長は、検察庁のNo3の職であり、内閣が任命し、天皇が認証する高位の国家公務員である。http://www.kensatsu.go.jp/gyoumu/kensatsukan.htm

 

2)法治国家と徳治国家の別が良く議論される。法律により統治するのが前者であり、上位にある人間の徳で国を統治するのが後者である。徳治といえば聞こえが良いが、要するに上位の人間の感情の趣くままに統治するので、情治国家とでも言える。この文章で、「国は。。。した」と言えるのは、法治国家の場合であり、情治国家の現在の日本では、主語の「国」を「安倍総理」に替えるべきである。

 

3)マージャンは通常4人で行い、27000点の点棒を各自持ってゲームを始める。各自親を2回経験すると(8ゲーム)一度精算し、トップ以外の3人は、30000点から持ち点を引き算した点数が負け点数となる。トップはその負け点数の合計が勝ち点数となる。三人のゲーム終了時の持ち点が15000、19000、27000点なら、トップは47000点の点棒を持っている筈だが、勝ち点29000となる。点ピンのレートなら、2900円の儲けとなる。点五はその半額。

 

4)警察は、挑戦的な態度を取ると、軽微な罪でもその犯人を逮捕して徹底的に痛めつける。検察も裁判所も、その警察官の感情に支配される。これは、日本が法治国家というより徳治国家というか、上位の人間による情治国家という側面があるからである。国家権力の端にあるのが警察である。http://www.warewaredan.com/thread02.html

 

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