昨日の最高裁で、子の親権は民法772条の規定を優先し、遺伝子検査などの結果を考慮しないという判断が示された。その結果、現在親権を持つ前の夫から、遺伝子検査で父親の確率が99.99%であり、且つその子供と現在同居中の生物学的父親に親権を移すことが出来ないということになった。時代の変化を無視した判断だと思う。
民法772条の規定に、「妻が婚姻中に懐胎した子は、夫の子と推定する。」とある。この“推定する”という言葉の意味を、通常の言語感覚で解釈するのなら、推定された親から検査により決定された親に親権が移るのは、自然なことである。
最高裁の判断は、「推定した結果が間違っていても、そして仮に、現状の家族構成に合致する方向でも、訂正してはならない。」である。従って、「法による決定は真実に左右されない」ということになり、法律至上主義的である。
他に、関係者に問題を解決させる方法として、民事訴訟がある。数年間実子と信じて養育していた民法上の父親の無念は想像に難くない。その問題は、民事訴訟で賠償金という形で解決し、親権のあり方とは別にすべきであると思う。金(かね)での解決は汚いとされている。しかし、金でしか解決出来ないこともある。金での解決は問題の本質的解決のベクトルとは45度位違うだろう。しかし、45度の違いで解決出来るとしたら、金の力は偉大である。
対人関係で権利義務的トラブルが生じるのは社会生活をしている以上、避けられない。45度の解決は、双方が同程度の我慢をする有力な解決方法である。
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