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2014年7月26日土曜日

日本語の奇形:高島俊男著「漢字と日本人」(文春新書2013)の記述を参考に。

 ホームページに日本語と英語を比較して、日本語の使い難い特徴や、日本語が今の形になったプロセスについて我流解釈を書いた。http://island.geocities.jp/mopyesr/kotoba.html
それから一年ほどして、表題の本が出版された。今年になってそれをたまたま本屋で見つけ購入して、通読したところ、我流解釈がかなり当たっていることを知った。そして、日本語の特殊性について書いたが、今一つ本質的なことが十分言い得ていない様に思うので、小文を以下に書く(1)
 
 日本語は世界で唯一奇形的な言語である(終章243頁)。具体的には、日本語は恐らく世界で唯一、文字の裏付けを待たなければ意味を持ち得ない言語である。つまり単語に割り振られた音声は、単に漢語を探すための符牒である場合が多いのである。そして会話において、その符牒を元に単語を探し当てる作業を同時進行的に行なうのである。その原因は、元々の日本語は文字を持たなかったこと、そして、日本語が未発達の段階にあった時に、中国から多量に漢語とその文字である漢字とを輸入することになったことである。漢語の輸入により本来の日本語は発達を止めてしまったが、その段階での”音節”の数がせいぜい100程度しかなく、受け入れた言葉を表記するのに十分ではなかった。また、明治時代に西欧から多量の概念を輸入して、それを漢語で表現したが、その際には全く元々の日本語にたいする配慮はなく、西欧語を我流漢語に翻訳し(つまり漢字の意味を組み合わせて西欧語を翻訳し)、それを日本語で発音することになった。そのため、多数の同音異義語を持つことになった。明治時代には、”発音(音声)は単語の符牒に過ぎない”という日本語の奇形にたいする配慮は一切なかったようである。
 もし漢字が輸入されていなかったなら、日本語は恐らく本来の発達をとげ、音声と意味が直接対応する本来の言語になっていただろう。つまり、漢語の流入は日本語にとって非常に不幸なことであったのだ(24頁)。世界には文字を持たない言語はいくらでもあるし、文字なき言語は決して不備な言語ではないのである。

 この漢字による日本語の変形は、漢字崇拝という日本の外に学ぶという文化的な特徴を作ってしまったようである。そして、江戸時代の学問とは、「字を覚えて漢籍(漢語の本)を読むこと、そして、聖人(通常孔子)が明らかにした真理を知ること」であったのだ。一方的に&無批判に中国文化を真理として受け入れる、卑屈な対外精神が定着したのである。ごく少数の学者のみがこの愚かさを指摘するに過ぎなかった。新井白石や本居宣長である。明治以降は、単に漢語を英語などの西欧語に置き換え、聖人をギリシャの哲人から近代の西欧学者までに入れ替えるだけで、本質的には何もかわっていない。
 
 このような説得力ある説明を持ってしても、尚、日本の言語学者には、「日本語はなんら特殊な言語ではない。極ありふれた言語である」と言う人が多いそうである。筆者は、彼らは西欧でうまれた言語学の手法で日本語を分析するから、そのような結論になるのであると言っている。
 日本では異端のみが正統でありうるということか。
注釈: 1)この本のエッセンスを書くが、自分の従来の解釈も混じっているので、オリジナルな高島俊男氏の本の内容に興味のある方は、購入してよまれることを勧めます。

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