1)真実のか弱い叫び
国際政治学者の藤井厳喜さんが、遺伝子工学にも知識のある台湾の林博士と討論している動画が配信された。その中で、林博士は今回の新型ウイルスの特徴は、人工的につくられてものであるとしか考えられないと主張している。SARSとAIDSの両ウイルスの特徴を持った生物兵器だというのである。
この意見は最初イスラエルの研究者から出て、ワシントン・タイムズが取り上げ話題になった。それは及川幸久氏の動画で1月末に紹介されたと思う。その一つを紹介したことがある。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12571133490.html
同じ説の紹介のようだが、藤井厳喜さんからのものは初めてかもしれない。
今日は、この説の紹介が目的ではなく、この説も「トンデモ説」「陰謀論」的な扱いで終わるだろうという予告である。
そこで、この動画のコメントとして、以下のような文章を投稿した。
おっしゃる通りだろうけど、それは政治的に握りつぶされるだろう。真実と政治の何方が強いか? 昔は真実だったかもしれないが、今日では政治である。米国の秘密、9.11や月面着陸、の真相バラマキを(中国は)やらない代わりに、今回の新型ウイルスを武漢P4研究所が作ったという説は、闇に葬ろうということになるだろう。ワシントン・タイムズが出した説を、すぐにワシントン・ポストが捏造疑惑として葬ろうとしたのは、この情報戦争の端の一片だろう。金や武力で真相を捻じ曲げることは、現代では常に行われていることである。山口組と稲川会が折り合いを付けるとき、真実が座る席はその場に無いだろう。
2)「真実」の地位喪失
真実の絶対的地位が大きく毀損されたということは、人は互いに情報交換するための言葉を失ったことを意味する。(補足1)世界は、共通の言葉を失い、争いの中で消滅することになるだろう。
「善悪なんて、教会に言って喋れ。世の中は力だ、金だ!」それが現代であり、現代とは真実の敗北した時代である。そして、人間界を支配するのは「政治」になり、その政治というのは単に”誤魔化す技術の集大成”に過ぎない。現代は高貴なる人の世界ではなく、半分原始の時代を思い出した俗人の世界である。我々俗人の棲む世界は、残念ながら、「誤魔化し誤魔化される世界」である。
例えば、その昔キリスト教圏では、神の「真実の言葉」が支配しただろう。(補足2)その言葉の中心部分に善悪があったと思う。しかし、近代になってキリスト教が廃れてしまった西欧(補足3)では、善悪と真実は分断され、「真理こそ開放された人間の宝」という時代を迎えた。その真理の探求を専門家が行うことで、高度な科学として集大成した。ずる賢い者たちが、その成果を利用して技術を作り、自分たちが先ず豊かになり、その伝搬により人間界全体が豊かになった。
この順番は、それ以降現代まで変わらない。近代経済学とリンクして、資本とその増殖という形をとっているだけで、個人が富を独り占めしていることに変わりない。経済学の言葉は、資本を握るものに便利であり、一般俗人には分かり難くするためかもしれない。
その結果、真理の集大成である科学も古めかしい価値として、葬り去られることになった。ノーベル賞とは、技術の世界で評価された科学の端くれであり、科学の本質を葬り去る手段となった。「科学技術」とは、異質なものをくっつけた、金と力の世界での誤魔化しの言葉である。
補足:
1)ここで共通の言葉というのは、共通の言語文化という意味である。例えば、善と悪という言葉は、どの国の言語であっても翻訳すれば、共有できた。しかし、現代ではそれが不可能になった。
2)私は古代神道(自然崇拝)信者であり、キリスト教徒でない。神道には経典がないので、仏教かキリスト教しか引き合いにだせない。仏教の本質は「色即是空」であり、宗教というより悲観論的哲学であると思う。そこで、キリスト教を引き合いに出した。批判等コメントは何でも歓迎します。
3)「神は死んだ」と言ったのはニーチェだが、ニーチェは言いにくいことを言う勇気があっただけである。勇気がない人は、それを秘密にしているだけである。
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