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2020年2月29日土曜日

専門化と機能体組織:日本国が機能体組織として脱皮しなければ滅びるだろう

1)専門化が進む社会

 

歴史上、専門家の能力が最も高いのは現代である。近代文明(補足1)の誕生と発展により、科学や技術の分野だけでなく、全ての面で専門化が進んだからである。それは、個人の知的な活動だけでなく、対人活動、身体的活動にまで至る。例えば、スポーツは一般民全ての余暇活動から、資本主義経済と連携することで、それを職業とする人たちが現れた。

 

日本では最初、プロ野球、プロボクシングなどの職業的スポーツが現れた。その後、陸上、水泳、体操などまで、プロ的になった。そのスポーツの専門家の能力は、一般民とは桁違いである。例えば、体操の最高難度は1960年代のC難度だったが、現代はHやI難度まである。

 

経済や政治の分野も、専門化が活躍することになった。会社は最初共同体的な組織であったが(補足2)、資本主義経済の発展により、機能体組織(補足3)として高機能化&拡大しなければ、生き残れなくなった。そして、専門家が活躍するようになった。

 

各部門に高度な専門家を配し、高機能化を実現した会社のみが、世界の経済界で生き残るのである。そして、人事、金融、技術、生産、研究、市場開拓、営業(理系素人なので、詳しくはわかりませんが)などと各部門の専門化とそれぞれの深化が進むだろう。

 

日本の低迷は、多くの世界的となった株式会社でも、元々の共同体組織としての性格が抜けないこと、その結果、各部門の実質的な専門化が進まないことなどが原因だろう。そのことをネット記事にかいたのが、米国在住の冷泉彰彦氏(ペンネーム)の指摘である。その記事の題名は、「もはや笑うしかない。日本の生産性をダメダメにした5つの大問題」である。その冷泉氏の記事について、私なりに解釈したのが1月3日の記事である。

 

要するに、競争空間が日本国内から地球全体に広がったことにより、会社などの社会組織に、①機能体組織化への圧力がかかること、つまり、専門への細分化と組織全体としての高機能化の圧力がかかるということである。上記社会学の言葉を用いると、②共同体組織のままに留まり、機能体組織に脱皮できないということである。

 

その背景にあるのは、日本の人間関係を最重要視する文化だろう。その結果、指導者もその部下も個人の決断も個人の主張も出来ないのである。みんな仲良く「和を以って尊(とうとし)と為す」の古代の箴言(或いは宗教)から、自由になれないのである。

 

 

2)国家こそ、機能体組織として高度化しなければならない

 

我々日本国民にとって、株式会社よりも大事な組織がある。日本国という組織である。日本国の低迷は、経済だけでなく、政治においてこそ議論され、改革されなくてはならない。その日本国の組織は、日本の会社同様、十分に機能体組織として進化していない。このままでは、羽化しないアゲハの幼虫のように、蛹のまま厳しい環境の中で死ぬだろう。

 

日本国という組織は、当然、行政、司法、立法の国家組織と日本国民全体で構成される。問題は、魚で言えば頭の部分、国家組織の改革である。魚は頭から腐るのである。(補足4)

 

日本を、共同体的組織として組み替えたのは、明治の薩長政府である。江戸の時代、国の機能体化は一定のレベルに進んでいた。しかし、黒船到来をチャンスと見た統幕勢力により、破壊された。彼ら薩長勢力が用いたのは、天皇を利用した共同体化である。(孝明天皇は最後まで、江戸幕府の能力を信頼し、薩長を嫌った。)

 

「日本国民は全て、天皇の臣民として、団結しなければならない」という思想(国家神道)を柱に用い、国家権力の装置である日本軍のために、「日本軍人となることは、天皇により近い存在となり、名誉なことである」と国民に教育した。(明治憲法第11条、天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス)

 

戦死したとしても、それは名誉の戦死であり、天皇の臣下として靖国神社に祀られるのだというのである。国民の多くは漠然と、日本民族は天皇の臣民として共同体をなし、それが日本国という組織であると今でも思っているだろう。

 

天皇は日本のシンボルとして相応しい。しかし日本が、戦前の天皇を中心にした共同体組織の性格を何時までも引きずっていては、グローバル化の世界で日本国は衰退を続け、近い将来滅びるだろう。

 

国家の近代化とは、共同体的性質の払拭であり、汎ゆる方向での高機能化を含む機能体組織化の徹底である。それを実現するには、国家による明治以降の歴史の再評価と、国家のあるべき姿の理解を目的に、広く知性を集めて議論することが必須だろう。

 

ここで、民主主義という政治制度と、国家の高度な機能体組織化は両立するのかという問題が重要である。2、3日の間にその問題を考えたい。

(編集:12:00)

 

補足:

 

1)近代とは普通、市民革命後の欧州に生じた主権国家体制を指す。しかし、ここでは近代文明を、産業革命後の技術の発展と資本主義の採用に伴った社会のあり方と定義する。主権国家体制は、恐らくこの定義による近代文明の産物だろう。

 

2)会社は、最初家内工業として出来たケースが大半だった。例えば、世界的企業のパナソニックは、1917年に松下幸之助が大阪府の借家で電球用ソケットの製造販売を始めたのが最初である。当時は幸之助の妻と義弟の井植歳男(後の三洋電機の創業者)の3人で営業していた。英国の会社でも、何とかブラザーズという名前の会社が多かったのは、その歴史を示している。

 

3)ドイツの社会学者Ferdinand Tönnies(フェルディナント・テンニース1855–1936)は、近代文明によって社会組織が大きく且つ複雑になると、利益や機能を第一に追求する機能体組織(Gesellschaft)が人為的に形成されていくという社会進化論的モデルを出した。古代からの地縁や血縁などで深く結びついた社会を、共同体組織(Gemeinschaft)と呼ぶ。

 

4)家長と、彼に忠誠を誓った人たちによる政府を持つ隣国には、明るい未来はないだろう。また、日本の安倍内閣に対しても、辻元清美議員は「鯛は頭から腐る」という言葉で、その家族や友人に利益誘導する姿勢について指摘した。安倍総理の森友学園、加計学園、桜を見る会などに関する疑惑、検事総長の定年延長などは、辻元議員の指摘が正しいことを示唆している。

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