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2020年2月19日水曜日

日本の不思議2:よそ者にしか現代日本の弱点は見えない

日本は不思議の国である。そして、日本文化にドップリ漬かった人には、その不思議さがわからない。よそ者の視点で書きなぐったのが、この表題の記事である。(補足1)

 

1)大動脈の詰まった患者を見ても、病の本質が理解できない医者:日本の政治家

 

17日からの一泊旅行で、義祖父の49日の法要に参加した。約350kmのドライブであるが、3回ほど休憩をとって5時間ほどかかる。ほとんどは高速道路を走り、休憩は新型コロナと寒いのとで、ほとんど車のなかでとった。

 

不思議に思った最初は、何故、1万円近い通行料を支払うことになるのかということである。往復で2万円ほど取られ、1kmあたりで計算すると30円にもなる。ガソリンは約65リットルだとしても、その消費量は1kmあたり15円ほどであり、その内の5円(リットルあたり53.8円)は揮発油税である。

 

ガソリンへの税金は1957年に施行され、高速道路の建設など道路整備に使われた。日本の大動脈である名神、東名、中央などの高速道路網と新幹線などの交通インフラは、日本の高度成長の礎となり、且つ、財政政策の基本形となったと思う。(素人なので、思うという語尾をつける。)しかし、先進国の仲間入り後は、この種の税と通行料は廃止すべきである(あった)。

 

物流の大動脈に、高額の通行料や揮発油税などでブレーキを掛けて、大きな政府を維持している。それが日本の政治の実態である。現在の安倍内閣は、空っぽの頭の大臣たちで構成され、官僚の人事まで握って中央集権を維持している。(補足2)

 

その内閣が景気浮揚策として探し出した結果が、大都市周辺にカジノを作るという政策である。重病の患者の顔が暗いから、モルヒネで明るくなってもらうという医者と同様である。

 

2)坊主による読経という意味のない儀式

 

2月18日の午前、浄土真宗のお坊さんが来て、位牌に何々院何々居士という戒名を筆書きし、仏壇に納めた。その後、経文を書いた小冊子を各人に配布し、読経が始まった。本には、誰も理解しない、阿弥陀とか南無阿弥とかを含む漢語らしき文章がならぶ。このお坊さんは、親鸞の思想など理解していないことは、葬式のあとの食事の時、ちょっとした会話でわかっている。

 

それでも親族の出席者は、何も考えずに、ひたすら時間のたつのを待っている。読経が終わり、墓に遺骨を納めて、全てが終わった。その後、食事に同席する時間的余裕がないので、帰路についた。

 

スマホに目的地を入力すると、しっかりと道案内をしてくれる。その現代文明の集大成と、坊主の無意味な読経におとなしく付き合う人たちの対照は、井上陽水なら一つの歌謡曲に作り上げるほどに印象的である。(補足1)

 

幼い頃からの経験なら、どのように不思議なことでも、それを(頭脳の)知的活動の対象にしないのが普通の(日本)人なのだろう。私は幸か不幸か、普通ではない(abnormal;補足3)。不思議なことは、ちょっと確かめて見たい性分なのである。

 

親鸞は、「善と悪の別は、日々安全に且つ一定の豊かさの中で暮らす人だけのものである」と、善悪の本質を見抜いた。それは比叡山での修行中の師匠や同輩たち、そして、自分の肉体を含めた自然界や当時の人間界の観察と、法然との会話などから得た結論だろう。その結論と程遠いのが、現在の浄土真宗である。この49日で、その確認をした。


 

浄土真宗は人間個人のための宗教である。それは社会の維持のためというよりも、社会の恩恵から遠いところに居る人間のためのものである。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12574303117.html

 

2月11日のブログ記事「疫病と世界史: 帝国の交代は疫病によって起こる」において、引用した動画にあったた”災害があまりにひどくなると、人々は一切の宗教的感情を失い、神を失う”という言葉について書いた。ここでの神とは、一神教の神であり、皇帝など社会のリーダーの象徴でもある。

 

親鸞は、鎌倉幕府(1192)ができる時、19歳だった。(補足4)親鸞が浄土真宗を拓いた時の時代の人々は、正にそのような境遇だったのだろう。11日の記事で書いたように、宗教には「人を束ねる宗教」と「自分の死(生)をみつめる宗教」の二つがある。仏教は後者である。

 

現在の日本は、人々は社会の恩恵の中にどっぷり漬かって生きている。「葬式は孫の祭り」であり、その時の坊主の役割は、単に「らしく」振る舞うことである。https://cminority.exblog.jp/11286577/ 

 

現代は、豊かな時代だが本質を喪失した時代であり、人々は何かを明確な目的もなく探す時代である(井上揚水の「夢の中へ」の歌詞)。やがて、その本質を失った社会(世界)からの報復で、辛苦の時代に入るだろう。現代はまさにその入り口である。

 

(13時最終版)

 

補足:

 

1)井上陽水は、日本の生んだ最高の作詞作曲歌手(シンガーソングライター)だと思う。幼い頃のよそ者(父親の転居)の意識と鋭い感性が、本質をえぐるような歌詞と素晴らしい曲を作り出した。勿論、社会に背を向ける姿勢には反対だという意見は正論としてありえる。しかし、正論に対して反正論が出せない民族に発展はない。日本の本質は、よそ者にしか見えないし、改革もよそ者にしかできないのだろう。  

たとえは、「夢の中へ」という歌詞のサイトを引用する。現実と夢の対立の先に、未来があると示唆しているように思う。http://j-lyric.net/artist/a00071f/l008f3e.html

 

2)中央集権化は、安倍内閣が作った内閣人事局で更に強化された。中央集権化と内閣低脳化により、大型クルーザー船を新型コロナウイルス培養装置にした。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E9%96%A3%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E5%B1%80

 

3)abnormalのabは離別を意味する。normalのnormは標準や正規を意味する。日本語の「異常」は、その言葉自体に大きなマイナスの意味を含ませている。多分英語のabnormalにも悪い感覚が付随しているだろう。社会での標準化が、言葉の本質として含まれることを示している。それは、言語と社会の平行進化説(私の説)を支持している。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12573093932.html

 

4)源頼朝が1192年にひらいたのが鎌倉幕府である。武家が国を治める時代の始まりだった。1192年を「いい国、1192」として覚えるのが、中高生の常識である。教科書にあるのは、知識の乾物である。乾物のまま受け取り、乾物のまま入試で渡す。その後、頭には何も残らないのが、現代の教育である。

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